学位論文要旨



No 123479
著者(漢字) 永井,崇
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,タカシ
標題(和) 質量分析法によるカルシウム-リン酸化合物の熱力学測定
標題(洋)
報告番号 123479
報告番号 甲23479
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6795号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 森田,一樹
 東京大学 教授 光田,好孝
 東京大学 准教授 岡部,徹
内容要旨 要旨を表示する

鉄鋼業および非鉄金属業をはじめとする高温精錬プロセスを設計・開発・改良するには、熱力学諸量が必要である。プロセスの開発には、金属だけではなく酸化物や硫化物、塩化物などの生成自由エネルギー、混合の自由エネルギー変化など様々な熱力学諸量が必要である。特に、プロセスの最適化・省資源化を達成し、そのプロセスを環境負荷の低いものとするには、さらに正確な熱力学諸量が必要である。

これまで、熱力学諸量は、対象物の比熱測定、化学平衡一化学分析法および電気化学的手法など様々な手法を用いて測定がなされてきた。しかしながら、それぞれの測定方法には、測定条件や測定可能な測定系が限られるなどの問題点があり、現在のすべての金属精錬プロセス開発・改良に必要な正確な熱力学諸量を十分に得ることは難しい。そこで、正確な熱力学諸量を得ることのできる新しい測定方法の開発が必要であると考えた。

近年、高温での新しい熱力学諸量の測定方法として、ダブルクヌーセンセルー質量分析法が開発された。この手法は、試料の蒸気圧を物理的に感度よく測定することのできる直接測定法であるため、従来の手法より正確な熱力学諸量が得られると考えられる。これまでに、この手法を用いて金属元素の蒸気圧測定や様々な合金中での合金製分の活量の測定などが行われてきた。しかしながら、酸化物などの熱力学測定にはあまり用いられてこなかった。この手法により、酸化物系の熱力学測定が可能となれば、種々の金属精錬プロセスの開発改良またはその効率化に役立つと考えられる。

本研究では、ダブルクヌーセンセルー質量分析法を用いて、きわめて市場における影響が大きな鉄鋼業の脱リンプロセスの効率化に必要となるCaO-P2O5系酸化物の熱力学諸量の測定に取り組んだ。また、ダブルクヌーセンセルー質量分析法による酸化物の熱力学測定法の確立を目指した。

鉄鋼業における脱リンプロセスの開発・改良には、炭素飽和鉄中のリンおよび酸化物中のリン酸化物の熱力学諸量が重要である。日本で採用されているプロセスでは、脱リンは溶銑予備処理工程で行われる。従来は、転炉で行われていた脱リンは、少しずつ溶銑予備処理へ移行し、現在では50-90%の脱リンが溶銑予備処理プロセスで行われている。溶銑予備処理で脱リンに用いられてきたフラグは、酸化カルシウムを主成分とし、酸化鉄、リン酸化物などからなる。さらに精錬を効果的に行なうために、添加物としてフッ化カルシウムが入れられている。フッ化カルシウムは、スラグの融点を下げ、その流動性を高めることにより精錬の効率を高める目的で、添加されている。ところが今日では、フッ素の排出は、環境基本法などの法令により制限されている。そこで、フッ化カルシウムを用いないプロセスの開発が求められている。

近年、フッ化カルシウムを従来のようには用いないプロセスとして、固液混相(マルチフェイズ)フラックスを用いた脱リンプロセスの研究がなされている。このプロセスで使用する酸化物スラグには(CaO)4P2O5や(CaO)3P2O5が固体状態で存在している。これを利用した脱リン反応の評価には(CaO)4P2O5および(CaO)3P2O5の熱力学データは重要である。これらの熱力学データは、過去に多数の報告があるが、新たな測定法を用いてこれらを正確に測定することは意義深いことである。

また、融点の比較的低いP2O5やFetOを高濃度含有する酸化物スラグを脱リン反応に用いることで、フッ化カルシウムを使用せず、かつ、従来の方法より廃スラグの少ないプロセスが試されている。このプロセスにおいては、脱リン反応の生成物は、(CaO)4P2O5および(CaO)3P2O5ではなく、(CaO)2P2O5などのよりP2O5の濃度が高い化合物であると考えられる。このプロセスの最適化には(CaO)2P2O5などの化合物の熱力学データが必要となる。

本研究では、(CaO)2P2O5についても熱力学データ測定を試みた。

クヌーセンセル法は、蒸発損失が無視できる小孔(オリフィス)を有する密閉容器中に試料を封入して真空中で所定の温度に過熱し、オリフィスより逸脱する蒸気の流出速度を測定して試料の平衡蒸気圧を求める方法である。クヌーセンセル内試料の有効蒸発面積と比較してオリフィス径が十分に小さければセル内部は試料蒸気で飽和し、平衡に達しているとみなすことができる。オリフィスから逸脱する蒸気の単位時間当たりの流出量とクヌーセンセル内の蒸気圧が比例する。

従来は、実験前後の試料の質量変化を測定するか、蒸発物質を重量既知の板の上に全量蒸着させるなどして、オリフィスより逸脱する蒸気の流出速度を求めていた。しかしながら、これらの方法では、精度が低く結果のばらつきが大きかった。そこで、オリフィスより逸脱する蒸気の流出速度を、質量分析装置を用いて直接イオン電流値として測定するクヌーセンセルー質量分析法が開発された。しかしながら、イオン電流値と試料の蒸気圧の間の比例定数はイオン種ごとまたは測定条件ごとに異なり、また測定を行うごとに変化する。このため、イオン電流値より試料の蒸気圧を正確に見積もることは容易ではない。

そこで、ダブルクヌーセンセルー質量分析法が開発された。この方法では、クヌーセンセルを2個使用し、一方のクヌーセンセルには蒸気圧既知の標準試料を、他方のクヌーセンセルには試料を封入する。標準試料および試料のイオン電流値を同じ測定条件で同時に測定することにより、質量分析装置の装置定数が互いに等しいとすることができる。ゆえに測定したイオン電流値の比が蒸気圧の比として、温度における標準試料の蒸気圧から試料の蒸気圧を求めることができる。

本研究で使用したダブルクヌーセンセルー質量分析装置では、CaO-P2O5系酸化物と平衡するPOおよびP2のイオン電流を検出することが可能であることが予備実験で明らかとなった。したがって、CaO-P2O5系酸化物と平衡するPOおよびP2の圧力を測定することによって、CaO-P2O5系酸化物の熱力学諸量を見積もることとした。

本研究ではPOおよびP2の標準試料として、Cr/Cr3PICr203混合物を用いることとした。

混合物と平衡するPO圧力の計算にはCr3PおよびCr2O3の生成自由エネルギーが必要である。Cr2O3の生成自由エネルギーについては、多数の利用可能な報告がある。しかしながら、Cr3Pの生成自由エネルギーは2例の報告があるが、互いに差が大きいため本研究で新たに測定することとした。CrへのPの溶解度は極めて低く、Cr3Pは組成幅がほとんどない化学量論組成の化合物であるため、Cr/Cr3P混合物中のCrおよびCr3Pの活量はほぼ1としてよい。したがって、Cr/Cr3P混合物と平衡するP2の圧力を測定すれば、Cr3Pの生成自由エネルギーを算出できる。ダプルクヌーセンセルー質量分析法を用いて、Cr/Cr3P混合物と平衡するP2の圧力測定をおこない、Cr3Pの生成自由エネルギーを算出した。P2圧力の標準試料にはCu-P合金を用いた。

CaO-P2O5中間化合物およびCaOは化学量論組成の化合物であるため混合物中でのこれらの活量は1とすることができる。(CaO)4P2O5/CaO混合物および(CaO)3P2O5/(CaO)4P2O5混合物と平衡するPOおよびP2の圧力を測定することによって(CaO)4P2O5および(CaO)3P2O5の熱力学諸量を得ることが可能である。本研究では、正確な測定を行うために、クヌーセンセル内部のP2圧力はCu-P合金を用いて制御し、POの圧力のみを測定することとした。ダブルクヌーセンセルー質量分析法を用いて、(CaO)4P2O51CaO/Cu-P合金混合物および(CaO)3P2O5/(CaO)4P2O5/Cu-P合金混合物と平衡するPOの圧力測定を行い、以下の反応の自由エネルギー変化を見積もった。標準試料にはCr/Cr3PICr2O3混合物を用いた。

本研究で得られた熱力学諸量は、他の測定法による過去の報告値とよく一致しており、ダブルクヌーセンセルー質量分析法により酸化物の熱力学測定を行うことが可能であることが示された。

酸化物の熱力学測定において、測定系の酸素ポテンシャルの把握・制御は重要な要素である。従来のダブルクヌーセンセルー質量分析装置では、それを行なうことは難しかった。

そこで、本研究では従来の装置を改良し、装置内部のクヌーセンセルに微量のガスを導入することを可能とする雰囲気制御型クヌーセンセルー質量分析装置を設計・試作した。ガス導入によるイオン電流値測定への影響について調査し、適切なガス導入条件を検討した。

CO-CO2混合ガスをクヌーセンセルに導入し、ガスの混合比によるクヌーセンセル内部の酸素ポテンシャルの制御の可能性を示した。本研究で試作した雰囲気制御型ダブルクヌーセンセルー質量分析法を用いて(CaO)2P2O5の熱力学データ測定を試みた。クヌーセンセルー質量分析法を用いて(CaO)2P2O51(CaO)3P2O5と平衡するP2の圧力を推定し、(CaO)2P2O5の熱力学データを得た。これは過去の文献値をよく一致しており、同装置における熱力学データ測定の可能性を示した。

以上より、本研究ではCaO・P2O5系酸化物の熱力学測定を通して、ダブルクヌーセンセルー質量分析法は、酸化物の熱力学測定に有効であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

近年、鉄鋼業においても廃棄スラグの軽減、省エネルギー・省資源など環境負荷が小さい環境調和型のプロセスの開発が重要となっている。プロセスの改良や開発には、熱力学諸量が必要となる。本論文では特に鉄鋼業の脱リンプロセスの最適化を目標として、それに必要となる炭素飽和鉄中のリンおよび脱リン反応の生成物のカルシウム-リン酸化合物の熱力学諸量を明らかにしている。これらの熱力学諸量は、化学平衡-化学分析法などの古典的な測定法を用いて見積もられてきたが、測定手法や研究者間で大きな差が見られ、測定誤差も大きくプロセスの最適化に用いることはできない。本研究では、高温での新しい熱力学諸量の測定方法としてダブルクヌーセンセル-質量分析法が開発した。この手法を用いて炭素飽和鉄中のリンの熱力学諸量を明らかにしている。本論分では、この手法を世界ではじめて酸化物系の熱力学測定に応用しカルシウム-リン酸化合物の熱力学諸量を明らかにしている。さらに、ダブルクヌーセンセル-質量分析法の熱力学諸量の測定の可能性を広げるべく、雰囲気制御型ダブルクヌーセンセル-質量分析装置の試作を行いその可能性について検討している。本論文は以下の6章よりなる。

第1章では、鉄鋼業における脱リンプロセスの現状およびプロセス開発・改良に必要な熱力学データに関する過去の研究についてまとめ、新しい熱力学データの測定方法の開発の必要性について論じ、本研究の位置付けと目的を明確化している。

第2章では、ダブルクヌーセンセル-質量分析法により炭素飽和鉄中のリンと平衡するP2圧力の測定を行い、炭素飽和鉄中のリンの活量、活量係数および鉄中のリンと炭素の相互作用係数を明らかにしている。ダブルクヌーセンセル-質量分析法を用いることで従来の手法では、ほとんど行なわれてこなかった本来の脱リン反応に近い測定条件(鉄中のリン濃度や温度)での熱力学測定に成功している。また、過去の他の手法による測定値を比較・検討し、ダブルクヌーセンセル-質量分析法による熱力学測定が極めて有効であることを明らかにしている。

第3章では、カルシウム-リン酸化合物の熱力学測定の標準試料として使用するリン化クロム(Cr3P)の熱力学測定をダブルクヌーセンセル-質量分析法を用いて行い、リン化クロムの生成自由エネルギーを明らかにしている。

第4章では、ダブルクヌーセンセル-質量分析法を用いてCaO-P2O5系酸化物の熱力学測定を行い、脱リン反応の生成物であるテトラカルシウムフォスフェイト((CaO)4P2O5)およびトリカルシウムフォスフェイト((CaO)3P2O5)の熱力学諸量を明らかにしている。過去の研究との比較検討を行い、ダブルクヌーセンセル-質量分析法を用いた酸化物の熱力学測定が可能であることを実証している。さらに第2章で得た結果とあわせて、現状の脱リンプロセスについて考察している。

第5章では、雰囲気制御型ダブルクヌーセンセル-ダブルクヌーセン質量分析装置を設計・試作し、同装置による熱力学測定の可能性について検討している。

第6章では本研究で得られた成果を総括している。

以上要するに、本論文は、ダブルクヌーセンセル-質量分析法を用いて、鉄鋼業の脱リンプロセスの最適化に必要となる炭素飽和鉄中のリンおよび脱リン反応の生成物のカルシウム-リン酸化合物の熱力学諸量を明らかにし、この手法が、金属合金、金属間化合物および酸化物のいずれの熱力学測定においても有効な手法であることを実証している。これら一連の研究成果は、鉄鋼業や非鉄金属業をはじめとする高温精錬プロセスの改良・開発に必要不可欠な熱力学諸量の測定に応用することが可能であり、材料工学の発展に大きく寄与するものである。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク