学位論文要旨



No 123493
著者(漢字) 松田,智行
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,トモユキ
標題(和) Mn-Fe プルシアンブルー類似錯体の電子状態と電荷移動相転移
標題(洋)
報告番号 123493
報告番号 甲23493
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6809号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 准教授 河野,正規
 東京大学 准教授 石井,和之
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

相転移物質は、基礎科学のみならず実用材料研究において重要な研究課題の一つである。構造相転移を示す物質では、協同効果により温度ヒステリシスを伴う場合があり盛んに研究が行われている。シアノ架橋型金属錯体は遷移金属イオンがシアノ基により3次元的に架橋されていることから強い協同効果が期待できる。当研究室ではRbMn[Fe(CN)6] プルシアンブルー類似体(図1)が、75 Kという大きな温度ヒステリシスを伴った熱的相転移現象を示すことを見出している。この相転移現象は、MnIIからFeIIIへの電荷移動、およびMnIII周りの協同的ヤーン・テラー効果に起因している。本研究では、RbMn[Fe(CN)6] 錯体を用いて、分光エリプソメトリーを用いてテラヘルツ帯の誘電特性について検討を行った。また、構造の柔軟性に着目し、熱的相転移の圧力効果について検討を行った。Rbイオン含有量を制御したRbxMn[Fe(CN)6]y・zH2O 錯体およびCsイオンを導入したCsxMn[Fe(CN)6]y・zH2O 錯体を合成し、電荷移動型相転移の制御という観点から検討を行った。

2.RbMn[Fe(CN)6] 錯体の誘電特性

[実験] 可視部300-1000 THzの周波数領域における誘電率の測定はエリプソメトリーを用いて行った。

[結果と考察] 磁化率の温度依存性の測定から、高温相(HT相)(MnII(S= 5/ 2)-NC-FeIII(S= 1/ 2)) から低温相(LT相)(MnIII(S= 2) -NC-FeII(S= 0))への電荷移動相転移を示した。分光エリプソメトリーによって測定した、293 K における可視部誘電率の虚部 (ε) においては,高温相と低温相とで誘電率に大きな変化が観測された。(図2)テラヘルツ帯の周波数領域における誘電率は、電子分極によるものであるため、この誘電率変化は低温相におけるMnIII-NC-FeII間のITバンドに起因すると考えられる。可視部エリプソメトリーを用いて、金属錯体の誘電率の検討を行ったのは本研究が初めてである。

3.RbMn[Fe(CN)6]錯体における圧力応答性

[実験] 磁気測定には超伝導量子干渉素子 (SQUID) を用いた。圧力の印加にはピストンシリンダセルを用い2-プロパノールを圧力媒体として、静水圧下における磁化率の温度依存性の測定を行った。

[結果と考察] 圧力の印加に伴って転移温度の値は上昇し、200 K / GPaという大きな圧力応答性が観測された。温度ヒステリシス幅 (ΔT) は増大する傾向が観測された。HT 相と LT 相の割合が 1/2 となる温度、T1/2↓(HT相 → LT 相)、T1/2↑(LT 相 → HT 相)および、ΔT (≡ T1/2↑-T1/2↓) は、(T1/2↓, T1/2↑) = (237 K, 302 K) (大気圧), (241 K, 317 K) (50 MPa), (248K, 329 K) (100 MPa), (261 K, 344 K) (150 MPa) と上昇した。400 MPaを印加した際には、室温においてLT相への相転移が観測され、HT相からLT相へスイッチング可能であることが示された。(図3)ここで、T1/2↓, T1/2↑および ΔTの系統的な変化を熱力学的に検討した。HT相とLT相の自由エネルギー(Gi) は、エンタルピー(Hi) およびエントロピー(Si) を用いて、Gi= Hi -SiT (i= LT, HT) で表され、ΔH (= HHT-HLT)はΔU (= UHT-ULT) およびΔV (= VHT-VLT) を用いてΔH=ΔU + PΔVと変化する。SlichterとDrickamerが提唱した平均場近似のモデル(式1)を用いて検討を行った。

G = xΔH +yx(1-x) + T{R[xln x + (1-x)ln (1-x)] -xΔS}(式1)

ここでyはHT 相とLT 相間の相互作用パラメータである。圧力により内部エネルギーが増加することによる相転移温度の上昇およびΔT の増大という実験結果を再現することができた。以上のように、圧力によって相転移温度の制御および、HT相からLT相へのスイッチングが可能であることが分かった。

4.RbxMn[Fe(CN)6]yzH2O錯体における電荷移動相転移と温度ヒステリシス

[実験] RbxMn[Fe(CN)6](x+2)/3・zH2O 錯体 1-4 は、ヘキサシアノ鉄(III)カリウムと塩化ルビジウムの混合水溶液に塩化マンガンと塩化ルビジウムの混合水溶液を滴下することにより合成した。得られた錯体の物性評価には赤外吸収(IR)スペクトル、粉末X線回折 (XRD)を用い、磁気測定にはSQUIDを用いた。

[結果と考察] 原料水溶液の Rb 濃度に依存して表1に示す組成の異なる錯体1-4が得られた。これらの錯体ではRbイオン含有量の減少に伴ってFeイオン含有量が減少し、チャージバランスが保たれている。XRDの結果、室温ではすべて立方晶系であり、Feサイトに欠陥が生じ、Mn に水が配位した構造をとっていると推定される。(図4)磁化率(x)の温度依存性測定の結果、いずれの錯体においても可逆な相転移現象が温度ヒステリシスを伴って観測された。Feサイトの欠陥増大に伴い、相転移温度の低下および、ΔTの増大という系統的な変化が観測された。特に、錯体4では ΔT= 116 K という巨大な温度ヒステリシスが観測された。IRスペクトルの測定結果をもとに低温相の電子状態を見積もった結果、MnIII/(MnII+MnIII) の値が1.00 (1)、0.98 (2)、0.87 (3)、0.65 (4) であり、鉄サイトの欠陥量の増大に伴って、電荷移動量が減少していることが分かった。また、LT相の結晶構造は、錯体1、2、3においては正方晶系であった。これは、低温相におけるMnIII のヤーン・テラー歪によるものであると考えられる。一方、4は立方晶系であった。この理由は、MnIII/ (MnII + MnIII) が小さいために、MnIIIのヤーン・テラー歪の長軸が格子内で異方的にそろっていないためであると考えられる。

次に、Tpおよび ΔTの系統的な変化を熱力学的に検討した。本研究では、欠陥の増大に伴ってTpが低下するので、MnII → MnIIIの転化量の減少によってΔHが減少したため、Tpが低下したと考えられる。さらに、式1を用いてΔH が減少した場合のΔTについての検討を行った結果、相転移温度が低下し、ΔTが増大するという実験結果を再現することができた。以上のように、ルビジウム含有量を低下させて鉄サイトに欠陥を作ることで、ΔHをコントロールできるため、温度ヒステリシスを制御できることが分かった。

5.CsxMn[Fe(CN)6]y・zH2O錯体における電荷移動相転移

[実験] CsxMn[Fe(CN)6]y・zH2O 錯体は、ヘキサシアノ鉄(III)カリウム (a mol dm(-3)) と塩化セシウム(b mol dm(-3)) の混合水溶液に塩化マンガン (a mol dm(-3)) と塩化セシウム (b mol dm(-3)) の混合水溶液を滴下することにより合成した。[(a, b) = (0.01, 1) (5), (0.02, 1) (6), (0.025, 5) (7), (0.02, 0.03) (8)] 物性評価にはIR、XRD、及びSQUIDを用いた。

[結果と考察] 表2に示す組成の錯体5-8について得られ、Rb イオンとは異なる組成領域の錯体が得られた。XRD測定の結果全てfccの構造であることが分かった。5-7では、Cs イオン含有量が1 を超えており、空隙の半分以上がCsイオンで占められた構造の錯体が得られた。IRスペクトルの結果から、合成した段階で FeII イオンが最大で0.78含まれており電子状態を考慮した組成はCsI(4x+3y-2)MnII[FeII(CN)6]x[FeIII(CN)6]y・zH2O となっていることが分かった。磁化率の温度依存性において、5 - 7では高温相と低温相の間で温度ヒステリシスを伴う相転移現象を観測した。IR スペクトルの温度依存性により、この相転移現象は電荷移動を伴っていることを観測した。また、XRDの結果、高温相、低温相ともに立方晶系であったが、格子定数は低温相の方が小さくなる変化であった。つまり、本錯体では高温相における[FeII(CN)6]サイトの存在により、電荷移動することのできるサイトが希薄になっていると考えられる。また、低温において構造は立方晶系であり、これは電荷移動することのできるサイトが希薄になったため、低温相におけるMnIII の割合が少なく、ヤーンテラー歪がランダム化したためであると考えられる。低温相は極低温で強磁性を発現し、キュリー温度はそれぞれ、4.3 K (5), 5.0 K (6), 5.6 K (7)であった。一方、錯体8 に関して磁化率の温度依存性を測定したところ、電荷移動相転移は示さなかった。XRD により格子定数の温度依存性を詳細に検討したところ、300 K から20 Kの温度領域で格子定数が変化しない、ゼロ熱膨張現象という特異な現象を観測した。(図5)これは、加熱による膨張の効果と格子の横振動の励起による収縮効果との拮抗により説明できる。

6.結論

本研究では、電荷移動相転移現象を示すMn-Fe プルシアンブルー類似体を用いて検討を行った。その中で、(i) RbMn[Fe(CN)6]錯体が相転移に伴って大きな誘電率変化を示すこと、(ii) 圧力によって相転移温度の制御が可能であること、(iii) 組成制御によって相転移温度の制御が可能であること、および (iv) ゼロ熱膨張現象を示すことを見いだした。このように多様な物性および現象を示すことから実用的な観点からも非常に興味深い材料であることを示した。さらに、当研究室では最近、これらの得られた知見をもとに、組成制御による非線形の二次の光学効果の制御や、欠陥のあるRbxMn[Fe(CN)6]・zH2O錯体において強誘電・強磁性といった現象も観測してきており、これらの結果は本研究が意義深いものであることを示すものである。

図1 RbMn[Fe(CN)6] 錯体の構造の模式図

図2 THz帯におけるε (293 K).

図3 圧力下における磁化率の温度依存性

表1 RbxMn[Fe(CN)6](x+2)/3・zH2O錯体の組成、および相転移温度

図4RbxMn[Fe(CN)6](x+2)/3・zH2O錯体の構造の模式図(格子水は省略).

表2 CsxMn[Fe(CN)6]y・zH2O錯体の組成およびT1/2↓, T1/2↑.

図5 錯体8におけるゼロ熱膨張現象

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、大きな温度ヒステリシスを伴った温度誘起相転移現象を示すMn-Fe系プルシアンブルー類似体においてその物性について検討を行った結果をまとめている。本論文は全七章から構成されている。

第一章は、序論であり、本研究の背景である温度誘起相転移現象およびプルシアンブルー類似体について紹介し、本研究でMn-Feプルシアンブルー類似体の研究を行う意義および目的について述べられている。

第二章では、温度誘起相転移に伴うRbMn[Fe(CN)6]錯体の電子状態を検討するため、可視部誘電率変化の測定とその解析を行っている。その結果、誘電率虚部において最大2900%という非常に大きな増幅率を示すことを観測し、低温相における原子価間電荷移動バンドを観測したものであると結論付けている。

第三章では、圧力による相転移の制御を目的として検討を行っている。その結果、圧力の印加に伴う転移温度の上昇を観測し、さらに室温において、高温相から低温相へのスイッチングが可能であることを示している。さらに、圧力による効果を、平均場近似のモデル用い、高温相と低温相のエンタルピー差および協同効果の増大によって説明している。

第四章では、アルカリ金属イオンを含まないMn[Fe(CN)6]2/3・5H2O 錯体の単結晶を合成し、その結晶構造について検討を行っている。構造解析の結果、骨格はプルシアンブルー類似体と同様であり、結晶水はMnに配位した配位水および格子の中で水素結合ネットワークを組んでいる格子水が2種類存在していた。Mnに配位した水は格子水と水素結合を形成するため、特殊位置からずれて存在していることから、Mn-Fe系のプルシアンブルー類似体は潜在的に歪みを生じやすい構造であると述べている。

第五章では、ルビジウムイオン含有量の異なるRbxMn[Fe(CN)6](x+2)/3・zH2O 錯体 (x = 0.79 -1.00) について合成を行い、その相転移物性(相転移温度およびヒステリシス幅)および電子状態について検討がなされている。室温ではすべて立方晶系であり、Feサイトに欠陥が生じMn に水が配位した構造を推定している。磁化率の温度依存性測定の結果、いずれの錯体においても可逆な相転移現象が温度ヒステリシスを伴って観測されている。x減少に伴い、相転移温度は低下、温度ヒステリシス幅は増大と系統的に変化し、x = 0.79では 116 K という巨大な温度ヒステリシスを観測している。IRスペクトルの測定結果をもとに低温相の電子状態を見積もり、x の減少に伴って電荷移動量が減少していることを見出している。さらに低温相の結晶構造は、x >= 0.85においては正方晶系、x = 0.79 では立方晶系であったことから、xおよび電荷移動量がMnIIIのヤーン・テラー歪の格子内での異方性に影響を及ぼしていると述べている。さらに、観測された組成変化に伴う転移温度変化については熱力学的な検討がなされており、xの減少に伴った電荷移動量の減少による、高温相と低温相のエンタルピー差の減少によって説明している。

第六章では、アルカリ金属イオンとしてセシウムイオンを用いたCsxMn[Fe(CN)6]y・zH2O 錯体の合成が行われており、その温度誘起相転移および結晶構造について検討が行われている。得られた錯体は、[FeII(CN)6]イオンの混入により、Cs含有量が1.78から0.97という組成であり、Rb イオンとは異なる組成領域の錯体として得られている。磁化率の温度依存性において、x >= 1.51 においては高温相と低温相の間での電荷移動相転移現象を観測しており、低温相が立方晶系であったことからヤーンテラー歪がランダム化していると述べている。組成変化に伴う転移温度変化について熱力学的に検討されており、xの増大に伴って、電荷移動量サイトが希薄になることによる、協同効果の減少によって説明されている。さらに、x = 1.51 に関して、極低温で強磁性を示すことから、光磁性現象について検討を行っており、2 K における光照射によって、光誘起電荷移動現象およびそれに伴う光誘起磁化消失現象の観測に成功している。一方、x = 0.97に関しては、電荷移動相転移は示さず、格子定数の温度依存性から、ゼロ熱膨張現象という特異な現象を観測している。この現象は、加熱による膨張の効果と格子の横振動の励起による収縮効果との拮抗によって説明している。

第七章は結論である。本論文ではMn-Fe 系プルシアンブルー類似体を用い、興味深い相転移物性および現象を見出している。これらの結果は基礎的に興味深い現象である。また、大きな温度ヒステリシスやゼロ熱膨張現象などは、応用的な見地からも興味深く、新たな材料開発に貢献することが期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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