学位論文要旨



No 123495
著者(漢字) 山口,拓実
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,タクミ
標題(和) 自己組織化孤立空間を利用した特異的化学反応の創出
標題(洋)
報告番号 123495
報告番号 甲23495
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6811号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 准教授 河野,正規
 東京大学 講師 入江,寛
内容要旨 要旨を表示する

生体内では、自己組織化によって形成した酵素の疎水ポケットへ基質を取り込み、位置や配向を固定することで高効率・高選択的な反応を行っている。人工系においても、近年、分子の反応性を空間的に制御する特異な反応場として、人工ホスト分子の利用が注目されている。外界から孤立したナノスケールの空孔内へ基質分子を包接し、その反応環境を制御することができれば、新奇な化学反応の開発が期待できる。しかしながら一般に、適切な大きさの空孔をもつホスト分子の合成は困難であり、用いられる基質も限られるため、既存の研究例では通常反応の促進や選択性の向上にとどまるのみであった。これに対し本研究は、有機配位子と金属イオンとの自己組織化により構築した、合理設計された3次元孤立空間を反応場として用いることで、通常の手法では達成不可能な特異反応の創出を行った。本論文は以下の章で構成される。

第1章序論

第2章かご状錯体内での共役カルボニル化合物の選択的2分子間光反応

第3章かご状錯体を用いた不活性π共役系分子種のペリ環状反応

第4章自己組織化錯体への光誘起電子移動によるフェノール類合成

第5章中空錯体を利用した動的レドックスシステムとTTFの特異的酸化反応

第6章新奇チューブ状錯体の精密設計と自己組織化構築

第7章結論

種々のパネル状多座配位子とシス位を保護したパラジウム錯体との自己組織化により、かご型構造、チューブ構造など、様々な形状・性質を有する中空錯体を簡便に合成することができる。これらの自己組織化錯体は高い水溶性を示す一方、内部に疎水性の空孔を有しているため、水中で疎水性相互作用、π-π相互作用などを駆動力として有機小分子を強固に包接することが可能である。そこで、基質や反応に応じて適切な自己組織化錯体を用いることで、空孔内での基質の配向制御による、新奇反応の開発を目的とした。

始めに、かご状錯体内での共役カルボニル化合物の選択的分子間光反応を行った。共役カルボニル化合物は通常、光照射により複数の反応が同時に進行してしまい、所望の反応のみを選択的に行うことは困難である。これに対し、孤立空間内へ2つの基質を同時に包接することで、選択的な分子間反応を行うことを考えた。そこでまず、2種類のゲスト分子を包接可能な広い内部空間をもつ自己組織化かご状錯体を用い、その水溶液中にピレン-4,5-ジオンとp-アダマンチルトルエンとを共存させることで、両基質を1:1の比で取り込んだペア包接錯体の合成を達成した。2つの基質が協同的に作用し、効果的な疎水性相互作用を発現させることでペア包接錯体が選択的に生成することを、NMR及びX線結晶構造解析により明らかにした。続いてこの水溶液に光照射することで、水素引き抜きによる分子間付加反応が定量的かつ速やかに進行し、1,4付加体が単一の生成物として得られることを見出した。一方かご状錯体を用いずに有機溶媒中で同様の反応を行った場合には、複雑な混合物が生成したが、1,4-付加体はまったく得られなかった。このことから、かご状錯体の孤立空間を用いて基質の配向を制御することで、通常の反応経路は抑制され、特異な分子間付加反応が選択的に進行することを明らかにした。

かご状錯体の空孔内では包接された分子同士が近接し、あらかじめ反応点が接近するため、通常は不活性な化学種であっても効率よく化学反応を起こすことができると考えた。そこで続く章では、種々の不活性π共役系分子とマレイミド誘導体との交差環化反応を検討した。π共役系分子への付加環化反応は、複雑な多環式化合物を合成する有益な手法である。

用いる基質や反応条件を最適化した結果、かご状錯体の水溶液にトリフェニレンとN-シクロヘキシルマレイミドを混合し、100 °C、24時間加熱攪拌することで、新たに単一の生成物が生じることを見出した。生成物の詳細な解析から、この化合物はDiels-Alder反応生成物に帰属できた。トリフェニレンは熱に対して不活性であり、このような付加環化反応は過去に報告例がない。同様にしてペリレンとN-シクロヘキシルマレイミドから[4+2]付加環化体が、ピレンとの光反応では [2+2]交差環化反応が進行し、syn型の付加体が生成することを見出した。生成物の構造は各種NMR、質量分析およびX線結晶構造解析から決定した。これらの反応はいずれも、ホスト分子を用いない場合や、Me、Et、Phなどの置換基をもつマレイミド誘導体を基質とした場合にはまったく進行しなかった。柔軟で嵩高いシクロヘキシル基の存在により、空孔内で反応点同士が最適な位置関係に接近するためと考えられる。

第4章では自己組織化錯体の電子的性質を利用した、光誘起電子移動による置換ベンゼンの酸化反応について論じた。光誘起電子移動反応を効率よく物質変換に利用するためには、電子供与体と受容体とを適切な位置関係に配置することが重要である。電子受容性の自己組織化錯体内へベンゼン誘導体を包接し、光照射を行うことで(1)自己組織化錯体の光励起、(2)基質からホストへの電子移動、(3)ラジカル機構による基質の酸化反応、が進行し、フェノール類が生成することがわかった。例えばt-ブチルベンゼンからはp-置換フェノールを、トリメチルシリルベンゼンからは無置換フェノールを得ることに成功した。

また第5章では、電極との電子の授受によって進行する電気化学反応に着目し、自己組織化錯体を利用した動的レドックスシステムの構築と、テトラチアフルバレン(TTF)の特異的酸化反応を達成した。TTFは安定なカチオンラジカル状態を経由してジカチオンへと酸化される、2電子供与性の化合物である。孤立空間を用いて外界から隔離されたTTFは、電気化学的刺激に対し通常とは異なる反応性を示すと考えた。

サイクリックボルタンメトリーを用いた実験から、包接錯体内でのTTFの電気化学応答性は反応空間の形状に大きく依存することがわかった。そこで、効果的にTTFを包接可能なホスト分子としてチューブ状錯体を用いた。4方を有機配位子に囲まれたチューブ内に取り込まれることで、基質分子は外界から孤立し、その運動方向も一次元状に大きく制限される。実際、TTF包接チューブ錯体では、内包されたTTFの酸化電位は大きく高電位側へとシフトし、2段階の酸化反応が一気に進行した。続いて電位を還元側に掃引すると、1電子還元を繰り返して中性構造に戻ることが示された。酸化と同時にゲスト分子がチューブの外に飛び出し、引き続きチューブ外で還元が起こるためと考えられる。

最後に、より特異な反応場の構築を目指し、新奇チューブ状錯体を自己組織化構築した。分子性ナノチューブはその形状に由来した物質変換などの応用が期待されるが、従来の有機化学的手法により構造を一義的に制御することは困難である。これに対し、精密設計したパネル状配位子を金属イオンによって筒状に自己組織化させることで、3.5ナノメートルの単一有限長を有した配位結合性ナノチューブを合成した。この構造はNMR、質量分析、X線結晶構造解析によって確認した。また三角形と短冊状のパネル分子を組み合わせた配位子から、お椀状と筒状の二種空孔を連結したチューブ構造を自己組織化構築した。これらのチューブ錯体は形状に応じた特異な分子認識が可能であり、3ナノメートル長の紐状分子を長さに応じて選別することや、異なる2つの基質の協同的取り込みを達成した。

以上のように本研究では、自己組織化孤立空間を利用することで、選択的分子間反応や特異な酸化反応など、通常では進行することのない新奇反応を創出した。またその設計性の高さを活かすことにより、基質や反応に応じた空間構築が可能であることを示した。今後さらに、精密設計したナノ空間を自己組織化構築することで、既存の反応開発の設計指針では達成できない、新たな化学反応の開拓が期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ナノメートルサイズの自己組織化孤立空間を化学反応場とすることで、通常の手法では達成不可能な特異反応の創出を行った。分子の反応性を空間的に制御する特異な反応場として、近年、人工ホスト分子の利用が注目されている。しかしながら、適切な大きさの空孔をもつホスト分子の合成は困難であり、用いられる基質も限られるため、既存の研究例では通常反応の促進や選択性の向上にとどまるのみであった。これに対し本論文では、有機配位子と金属イオンとの自己組織化により構築した、合理設計された三次元孤立空間を用いることで、基質との立体的、電子的な相互作用を巧みに利用した新奇反応を開発した。

はじめに、パネル状三座配位子とシス位を保護したパラジウム錯体からなる自己組織化かご状錯体を用いて、共役カルボニル化合物の選択的分子間光反応を行った。共役カルボニル化合物は通常、光照射により複数の反応が同時に進行してしまい、所望の反応のみを選択的に行うことは困難である。これに対し、自己組織化孤立空間内へオルトキノン類とトルエン誘導体を同時に包接することで、分子間光反応を定量的かつ速やかに達成した。各種NMR、X線結晶構造解析、吸収スペクトル測定による詳細な解析から、ホストの立体的制約と電子的な相互作用の協奏効果によって、通常溶液中における反応では全く得られない1,4付加体が一義的に生成することを明らかにした。

続く第3章では、種々の不活性π共役系分子とマレイミド誘導体との交差環化反応を検討し、前例のないトリフェニレンへの[4+2]付加環化反応を達成した。自己組織化錯体内では包接された分子同士が近接し、あらかじめ反応点が接近するため、通常は不活性な化学種であっても効率よく化学反応を起こすことができた。同様にして、ペリレンとマレイミド誘導体との熱反応により[4+2]付加環化体が、ピレン、フェナントレン、フルオランテンとの光反応では[2+2]交差環化体が生成することを見出した。生成物の構造は各種NMR、質量分析およびX線結晶構造解析から決定した。いずれの反応も、孤立空間の利用によって、基質に化学修飾を施すことなくその反応性を引き出し、高効率に進行させることに成功した。

第4章では自己組織化錯体の電子的性質に着目し、光誘起電子移動による置換ベンゼンの酸化反応を達成した。電子受容性のかご状錯体内へベンゼン誘導体を包接し、光照射を行うことで、基質からホストへの電子移動とそれに続くラジカル機構による置換反応が進行し、フェノール類が生成することを、NMR、質量分析、ESR測定から確かめた。この反応により、t-ブチルベンゼンからはp-置換フェノールを、トリメチルシリルベンゼンからは無置換フェノールを得ることに成功した。

また第5章では、自己組織化錯体の立体構造とともに、その正電荷による静電相互作用に着目し、電気化学反応を利用した動的レドックスシステムの構築と、TTFの特異的酸化反応を達成した。孤立空間内へ中性状態のTTFを包接した後、電気化学的手法によってカチオンラジカル状態へと酸化することで、通常とは異なる反応性が発現すると考え、これを実践した。効果的にTTFを包接可能な筒状錯体を用い、その電気化学応答性をサイクリックボルタンメトリーによって測定することで、内包されたTTFの酸化反応は大きく抑制されることを明らかにした。さらに酸化と同時にゲスト分子が錯体外に飛び出し、2段階の酸化反応が一気に進行することを見出した。

最後に、特異なチューブ状錯体を自己組織化構築し、分子認識や反応場への応用を行った。精密設計したパネル状配位子をパラジウムイオンによって筒状に自己組織化させることで、3.5ナノメートルの単一有限長を有した配位結合性ナノチューブや、異種空孔を連結したチューブ構造を定量的に構築した。これらのチューブ錯体は形状に応じた特異な分子包接が可能であり、ゲスト分子を長さに応じて選別することや、異なる2つの基質の協同的取り込みを達成した。さらに合成したチューブ状空間を利用して、3ナノメートル長紐状分子の酸化反応を行った。

以上のように本論文では、自己組織化錯体の立体的・電子的性質を利用することで、孤立空間内での選択的分子間反応や特異な酸化反応など、通常では進行することのない新奇反応の開発に成功した。またその設計性の高さを活かすことにより、既存手法では困難な特異的空間の構築が可能であることを示した。このように、反応空間の分子設計を行うことで、既存の反応開発の設計指針では達成できない、有益な物質変換手法や新たな化学反応の開拓が可能となった。今後さらに、精密設計したナノ空間を自己組織化構築することで、新たな化学反応や合成法への応用が期待できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク