学位論文要旨



No 123498
著者(漢字) 吉田,曉弘
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アキヒロ
標題(和) 二原子欠損型タングストケイ酸の縮合制御と機能
標題(洋)
報告番号 123498
報告番号 甲23498
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6814号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 講師 山口,和也
 神奈川大学 教授 引地,史郎
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

前周期遷移金属の酸素酸アニオンが自己縮合して生成するアニオン性金属酸化物クラスターであるポリオキソメタレートは、超強酸性や酸化力、固体酸化物に匹敵する耐酸化性、耐熱性などの優れた特性を有している。クラスターの構成原子を他の遷移金属で置換することも可能で、構造が制御された多核遷移金属サイトの構築が可能である。さらにこのような特長を生かして、分子構造(=活性点構造)と機能の相関を解明することも期待される。また、ポリオキソメタレートの構造制御手法が確立されれば、新規機能性分子の創製に対する有効なアプローチになりうる。しかし、ポリオキソメタレートの選択的な構造制御は、ごく限られた一部の種類についてのみ達成されているに過ぎない。これは、多くのポリオキソメタレートが水中における複雑な平衡反応(加水分解と脱水縮合の繰り返し)を介して合成されており、単離、同定可能な種が平衡的に安定なものに限られるからである。そこで、本研究では水溶液中の平衡に依存しない新規合成手法として、有機溶媒中におけるポリオキソメタレートの縮合反応を検討し、合成した新規ポリオキソメタレートの分子構造と反応特性及び機能の相関解明を試みた。

2. 二原子欠損型タングストケイ酸の二量化

γ-Keggin型構造から2個のタングステン原子が欠落した[γ-SiW10O36]8-をプロトン化して得られる二原子欠損型タングストケイ酸[γ-SiW(10)O(34)(H2O)2]4-(1)は、クラスター末端にアクア配位子を有する特異なポリオキソメタレートである(Figure 1)。本研究では有機溶媒に可溶化した1 (TBA-1)を出発原料に用いて、有機溶媒中でアクア配位子の脱離反応に伴うクラスターの二量化が進行することを見出した(Scheme 1)。

TBA-1にプロトンを添加することで、欠損部位の末端オキソ基のプロトン化による新規クラスターの生成が期待された。そこで、TBA-1を有機溶媒(ニトロメタン)に溶解して、1に対し2等量のプロトン酸(CF3SO3H)を加えた。その結果、S字型構造を有する二量体(2)が高収率で得られた(Figure 1)。これは、末端オキソ基のプロトン化に続いて脱水縮合が進行したためと考えられる。単結晶構造解析の結果、2は1と同様に欠損部位を有しており、欠損部位のタングステン原子はアクア配位子で終端されていた(W-O原子間距離: 2.19 ~ 2.20 A)。また、元素分析、質量分析(CSI-MS)の結果も単結晶構造解析と合致するもので、2は[{y-SiW10O32(H2O)2}2(μ-O)2]4-の構造式で表されることが明らかとなった。

一方、TBA-1の1,2-ジクロロエタン溶液に、縮合促進剤として少量(1に対し0.5等量)の酸を添加して加熱した後、貧溶媒であるベンゼンを添加することで淡黄色結晶が得られた。この淡黄色結晶にプロトン捕捉剤を作用させたところ、溶存種は29Si NMRスペクトルにおいて-85.7 ppmにシグナルを与える単一種であった。さらに183W NMRによる解析の結果、-133.8, -134.7, -200.0 ppmに観測された3本のシグナルの積分強度比が2:1:2であったことより、クラスター骨格がD2h対称構造であることが明らかとなり、この単一種が3であることが確認された。さらに、TBAの代わりに[Cd(DMSO)6]2+を対カチオンとすることで、3の結晶化および構造精密化に成功した。

以上のように、有機溶媒中における縮合制御により、二種類の異なる構造を有する二量体2, 3を選択的に合成できることが明らかとなった。

3. 二量体の酸塩基触媒能

酸化剤として過酸化水素を用いた炭化水素類の選択酸化反応は、副生成物が水のみであることから環境調和型プロセスの基盤となる。本研究で合成した二量体の原料物質である1は、過酸化水素を酸化剤とした種々のオレフィン類のエポキシ化に高い活性を有することが明らかとなっている。この触媒反応においては、1のクラスター構造は過酸化水素共存下でも崩壊しないため、本研究で新規に合成した二量体2, 3も過酸化水素存在下で安定であることが推測された。そこで、一連のクラスターを触媒として、過酸化水素による酸化反応を試みた。

2は1と同様にタングステン末端にアクア配位子を有しているものの、エポキシ化に対しては低活性であった。一方、ケトンへの酸素添加反応であるBaeyer-Villiger反応に対して2は高い活性を示し、極めて効率的にラクトンを与えた(Figure 2)。過酸化水素を酸化剤としたシクロアルカノンのBaeyer-Villiger反応は難易度が高く、セレン化合物、白金化合物など一部の触媒系でのみ高いラクトン収率(>90%)が達成されている。2は、過酸化水素の分解やラクトンの加水分解をほとんど進行させず、さらに触媒性能の指標となるTONにおいても従来の反応系をはるかに凌ぐ(従来の報告例: TON 178 ~ 333, 本研究: TON >1900)、優れた触媒であることが明らかとなった。本反応に対し、1, 3はほとんど活性を示さなかった。Baeyer-Villiger反応は、酸触媒により促進されることから、クラスター間の反応性の差は、酸触媒特性の違いを反映したものと考えられた。

そこで、クラスター構造と酸塩基特性の相関解明を目的として、酸触媒反応であるMukaiyama aldol、Carbonyl-ene、Diels-Alderの各反応と塩基触媒反応であるKnoevenagel反応に対する一連のクラスター1 ~ 3の触媒活性を比較した(Figure 3)。酸触媒反応に対しては、2のみが著しい触媒活性を示した。2は末端アクア配位子の解離によるルイス酸性、もしくは末端アクア配位子からのプロトン解離によるブレンステッド酸性を発現し、優れた酸触媒特性を示したものと考えられる。一方、1, 3はほとんど活性を示さなかった。これは閉環型クラスター3が酸点になり得る末端アクア配位子を持たず、アクア配位子を有する1の場合にも不活性な3への二量化が優先して進行したためと考えられる。一方、塩基触媒反応であるKnoevenagel反応については、1, 3が高活性を示したのに対し2は全く活性を示さなかった。

4. 閉環型二量体によるサイズ選択的カチオン捕捉

上述のように、3は塩基触媒能を示す。そこで、分子構造と塩基特性の相関解明を目的として、量子化学計算による分子軌道の検討を行った。3のHOMOは、クラスター中心の空隙に向かって広がっており、この空隙が電子供与性のサイト、すなわちプロトンを初めとするカチオン種の捕捉サイトとして機能することが予見された(Figure 4)。空隙サイズから見積もると、およそ1.4 Aのイオン半径を有するゲストが捕捉されるものと推測された。

実際に、1.43 Aのイオン半径を有するPb2+ (イオン源: Pb(OTf)2)を3に対し1等量添加すると、29Si NMRでは3に由来する-85.7 ppmのシグナルが消失し、-79.9 ppmに新たなシグナルが観測された。207Pb NMRでは、Pb(OTf)2に由来する-3407 ppmのシグナルは観測されず、-2755 ppmに新規なシグナルが観測された。これらの結果から、Pb(2+)と3の反応による単一の新規化合物の生成が示唆された。上記NMRサンプルに対しメタノールを積層することにより、淡黄色結晶(Pb⊂3)を得た。単結晶構造解析、元素分析、質量分析の結果から、Pb⊂3は3の空隙内に1個のPb2+を捕捉した構造体([Pb⊂(y-SiW10O32)2(μ-O)4]6-)であることが明らかになった(Figure 5)。空隙内に捕捉されたPb2+は、2箇所の等価サイトにディスオーダーしており、y-Keggin型クラスター間の架橋酸素原子2個(Pb-Oconj: 2.60 A)、Si-O-W架橋部位の酸素原子4個(Pb-OSiOW: 2.67 ~ 2.87 A)、W-O-W架橋部位の酸素原子4個(Pb-OWOW: 2.83 ~ 2.90 A)の計10配位の状態で存在した。このように、3はクリプタンド類似のカチオン捕捉能を示す"Inorganic cryptand"となることが明らかとなった。

次に、有機イオン捕捉剤と3のイオン捕捉能を比較した。3のアセトニトリル溶液に各種2価金属イオンのクラウンエーテル錯体[M(dicyclohexano-18-crown-6)]2+ (M = Ca, Sr, Pb, Ba)を添加し、閉環型二量体-金属イオン包接体M-3の生成について29Si NMRにより観測した。およそ1.4 A のイオン半径を有するSr2+, Pb2+を添加した場合、-79.6, -79.9 ppmに3のカチオン捕捉体に帰属されるシグナルが観測されたことより、これらのイオンはクラウンエーテルから3の空隙内に移行し、M⊂3 (M: Pb, Sr)を生成することが明らかとなった。M⊂3 (M: Pb, Sr)に対して、最も強力な有機イオン捕捉剤として知られるCryptand 2.2.1を加えたところ、アミンに高い親和性を示すPb2+はCryptand 2.2.1に移行したものの、Sr2+では3の空隙内に捕捉されたままであった。つまり、3はSr2+に対する強力かつ選択的なイオン捕捉剤となることがわかった。一方、イオン半径の大きなBa2+ (1.56 A)の場合、-85.7 ppmにゲストフリーの3に由来するシグナルのみが観測された。つまり、イオン半径の大きなBa2+は3の空隙に移行しないことがわかる。イオン半径のより小さなCa2+ (1.26 A)では、-85.7, -78.8 ppmに2本のシグナルが観測されたことから、3とCa-3が溶液中で共存しており、平衡状態になることが明らかとなった。

このように、クラスター中心に空隙を有する3は、カチオン捕捉能を示す"Inorganic cryptand"となり、特異なサイズ選択性を示すことが明らかになった。さらにSr2+に対しては強力な有機カチオン捕捉剤であるCryptand 2.2.1よりも強いイオン捕捉能を示した。

Figure 1. ORTEP views of 1-3.

Scheme 1. Formation of the dimers 2 and 3 through dehydrative condensation of 1.

Figure 2. Baeyer-Villiger oxidation with hydrogen peroxide catalyzed by 2.

Figure 3. Catalytic properties of 1-3 toward various acid-base catalyzed reactions.

Figure 4. Composition of the HOMO of 3

Figure 5. ORTEP views of Pb-3 (30% probability level).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「二原子欠損型タングストケイ酸の縮合制御と機能」と題し、全五章で構成されている。有機溶媒中における二原子欠損型タングストケイ酸の縮合制御により、いずれも新規な構造体であるS字型と閉環型の二量体が得られることを報告している。また、これらの二量体の機能についても検討しており、S字型二量体は過酸化水素を酸化剤としたBaeyer-Villiger酸化に著しく高い活性を示すこと、閉環型二量体は選択的なカチオン捕捉能を示すことを報告している。

第一章は序論であり、ポリオキソメタレートの構造制御と機能及びC-C結合への酸素挿入反応であるBaeyer-Villiger酸化について記述している。ポリオキソメタレート合成はそのほとんどが水溶液中で行われているが、水溶液中では複雑な平衡の関与により選択的な構造制御が達成困難であることを指摘している。選択的な構造制御により多様なポリオキソメタレートの合成が可能となれば、新たな機能の発現や物性の制御が可能となり、機能性無機材料としての有用性が広がることを述べている。選択的な構造制御を達成する上では、脱水やプロトン化などの平衡に関与しない有機溶媒の使用が有効であることを述べている。

第二章では、二原子欠損型タングストケイ酸の有機溶媒中での二量化について検討しており、プロトン存在下ではS字型、プロトン非存在下では閉環型という新規な構造の二量体を得ることに成功している。S字型二量体はクラスター末端に置換活性なアクア配位子を有しており、閉環型二量体は欠損部位を持たない構造体であることを単結晶構造解析により明らかとしている。クラスター中心のヘテロ原子をケイ素からゲルマニウムに置換したタングストゲルマニウム酸も、S字型及び閉環型の二量体を生成することを明らかとしている。

第三章では、二量体を触媒とした酸塩基及び酸化反応について検討している。S字型二量体は置換活性なアクア配位子を持つことから、アクア配位子と有機基質の配位子交換もしくはアクア配位子からのプロトンの解離にともなう酸触媒能を発現し、カルボニル化合物を基質とした種々の酸触媒反応に活性を示すことを明らかとしている。中でも過酸化水素水を酸化剤とした環状ケトンのBaeyer-Villiger酸化に対する活性は高く、従来の触媒よりも一桁程度大きなターンオーバ数と高い過酸化水素有効利用率を達成しうる環境調和型の触媒反応系の構築に成功している。一方の閉環型二量体は、酸触媒反応にはほとんど活性を示さないのに対し、活性メチレン化合物からのプロトン引き抜きにより進行するKnoevenagel反応に活性を示したことから、S字型二量体とは逆に塩基触媒として機能することを明らかとしている。量子化学計算による検討の結果、閉環型二量体のクラスター中央の空隙が塩基点として機能するものと推測している。

第四章では、閉環型二量体のカチオン捕捉能について述べている。量子化学計算により算出された分子表面の電位とHOMOの分布から、閉環型二量体のクラスター中央の空隙がカチオン捕捉サイトとして機能するものと推測しており、実際に、空隙内にK+, Ag+, Sr2+, Pb2+を捕捉した閉環型二量体の単離と構造決定に成功している。さらに、有機カチオン捕捉剤との競争的カチオン捕捉反応により、閉環型二量体のカチオン捕捉におけるサイズ選択性、カチオン捕捉能、可逆性について検討しており、イオン半径の大きなCs+, Ba2+を捕捉しないこと、Sr2+を極めて強力なカチオン捕捉剤であるクリプタンド2.2.1よりも強く捕捉すること、Pb2+の捕捉と解離が可逆的に起こることを示している。

第五章では、上記の内容を総括している。

以上のように、本論文では、有機溶媒の使用によりポリオキソメタレートの選択的二量化を達成し、新規構造体を合成するとともに、単量体にはない触媒反応特性やカチオン捕捉能といった新規機能の開発にも成功している。本論文は、ポリオキソメタレートの選択的な構造制御手法を提案するだけでなく、新規な機能性無機分子の設計指針を提供する点でも学術的な波及効果は大きいと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク