学位論文要旨



No 123502
著者(漢字) 加藤,省吾
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ショウゴ
標題(和) ケア決定プロセスモデルの開発とその応用
標題(洋)
報告番号 123502
報告番号 甲23502
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6818号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,悦功
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 平尾,雅彦
 東京大学 教授 堀井,秀之
 東京大学 准教授 水流,聡子
内容要旨 要旨を表示する

2000年4月より公的介護保険制度が始まった.介護サービスの提供を受けるまでのプロセスの概要を図1に示す.ケアマネジャーがケアプランを作成する際には既存のアセスメント手法が利用されるが,対象者の"課題"と解決方法である"ケア",ケアを提供するための"介護サービス"の関係を明らかにした手法は存在しない.そのため現状のケアプランには具体的なケアの内容は十分に記述されておらず,提供されるケアの内容はサービス提供者に依存しており,介護の質が保証されているとは言い難い.対象者の状態に適合した妥当なケアを導出するための方法論の確立が急務である.

本研究では,ケアプラン作成プロセスの全体像を提案し,その中でケア決定プロセスを効果的・効率的に実行するための方法論を開発することを第1の目的とする.方法論の開発過程を一般化し,一般的な意思決定問題の前半部分である設計プロセスへ適用し,他の場面・目的へ応用可能なモデルを提案することを第2の目的とする.一般化したモデルを,病院における転倒・転落事故防止,退院調整プロセスの標準化という2つの具体的な課題に応用し,方法論を確立することを第3の目的とする.

本研究では,介護現場における一般的な問題として,状態評価と社会的要素の考慮が分離できていないこと(問題1)と,具体的なケアの内容が十分に記述されていないこと(問題2)を取り上げる.

問題1に対応するために,本研究ではケアプラン作成プロセスを2つのプロセスに分離して捉える(図2).前半のケア決定プロセスで対象者の状態から必要なケアを導出し,後半のサービス計画立案プロセスで家族の問題や金銭的な問題などの社会的要素を考慮し,介護サービスの計画を立案する.

問題2に対応するために,本研究ではケアプラン,サービス提供計画に求められる特性として(1)網羅性,(2)明確性,(3)的確性の3つを挙げる.これらの特性をケア決定プロセスで作りこむためのモデルとして,「ケア決定プロセスモデル」を提案する(図3).ケア決定プロセスモデルは,対象者の状態から必要なケアを導出するまでの合理的な思考プロセスを表現した「ケア決定手順」と,プロセスで必要となる知識構造を整理した「知識データベースの構造」から構成される.ケア決定手順と,各手順で必要となる知識データベースの概要を表1に,知識データベースの構造を図4に示す.

StepI(状態評価)では,対象者にアセスメントを実施し,対象者の身体的・精神的特長を,各「能力要素」に関する「現実能力」として評価する.

StepII(ケアニーズ同定)では,各ADLに対して「要素動作」の組み合わせである「実現パターン」を想定する.要素動作を達成するために対象者に求められる「必要能力」と現実能力を比較し,対象者が各要素動作を自力で達成できるか否かを判定する.自力で達成できない場合,すなわち必要能力と現実能力にギャップがある場合にケアニーズが同定される.

StepIII(実現形態候補導出)では,ケアニーズに対応するための具体的な手段として,4つのタイプに分類されるケアを検討する.ケアタイプAは,現実能力に影響を与える装具類の使用により,現実能力の向上を目指す.ケアタイプBは,手すりを設置するなど,要素動作を行う環境を改善することで,必要能力の低減を目指す.ケアタイプCは,介護者による支援により,必要能力の低減を目指す.ケアタイプDは,ケアニーズが同定された要素動作を含まない実現パターンで同一の目的を達成することを目指す.これらのケアタイプに分類される「候補ケア」を検討し,実際にケアニーズに対応できるケアを導出し,実現パターンと組み合わせることで,実現形態候補をアウトプットとして導出する.

モデルのアウトプットの質を保証するためには,知識データベースの具体的な知識コンテンツを構築する必要がある.本研究では,起居・移動,更衣,食事,整容,排泄,入浴の6つのADL項目を対象として,医療・福祉専門職とのディスカッション,実際のケースへの適用による修正,核となる構造への整理による修正を経て,モデルに必要な知識コンテンツを構築する.知識コンテンツの核となる構造は,「要素動作,能力要素,候補ケアの一覧」,「要素動作-能力要素-候補ケアの対応関係」,「必要能力を設定するルール」などである.

医療・福祉専門職とのディスカッションにおいては,(1)網羅性(2)明確性(3)的確性の3つの特性を満たすために考慮すべき事項を整理した上で複数の専門職に質問し,現場で断片的に存在(潜在)している専門知識を表出させた.

専門職とのディスカッションに加えて,実際のケースに知識コンテンツを適用することにより,必要な知見を収集した.本研究では,「手先の器用さ」「ものをつかむ」「ものを動かす」の3つの能力要素が関連する必要能力に関する情報を収集する必要があることを明らかにし,情報収集に適したケースに適用しながら,知識コンテンツを修正した.

計12件のケースに適用して知識コンテンツを一通り構築した後,知識コンテンツの核となる構造への整理を試みた.性質の似ている要素をグルーピング・整理することにより,核となる構造を特定した.さらに,特定した構造に基づいて知識コンテンツを修正することで,知識コンテンツを完成させた.

モデルのインプットとなるアセスメントを行うためのアセスメント票を表2に,核となる構造を組み合わせた必要能力表,およびこれらを用いて要素動作と候補ケアの判定を行ったイメージを図5に示す.

モデルで対象にしているのは,「対象者が日常生活を送るために必要なケアを決定する」という意思決定問題の前半部分にあたる,「対象者のニーズに合致したシーズの案を導出する」という設計プロセスである.モデルの本質は,人間という複雑な対象に対する設計プロセスを,合理的な思考手順と,手順に必要な構造化知識(知識ベース)によって構造化していることである.

本研究では,ケア決定プロセスモデルの開発過程を一般化し,意思決定問題の前半部分にあたる設計プロセスを構造化する方法を提案する(表3).これは,考慮すべき要素と要素間の関係を明らかにし,必要な機能と知識構造を明らかにした上で,合理的なプロセスを設計する流れを精緻化したものである.さらに,ケア決定プロセスモデルを一般化し,主体Aがある目的を達成しようとする際に発生するニーズに対して,固有のシーズを持つ解決手段Bの案を導出するための「能力モデル(図6)」を提案する.

病院において,患者の行動に起因する事故の1つに転倒・転落事故がある.転倒・転落事故は発生件数が多く,事故の影響も大きいため大きな問題となっている.転倒・転落事故が発生する場面は日常生活,特に排泄時に集中している.本研究では,ケア決定プロセスモデル,能力モデルを応用し,転倒・転落事故防止の方法論を確立することを目指す.

本研究では,転倒・転落リスクを「患者が安全にADLを達成するために発生するニーズ」であると捉え,ニーズを満たすための手段として人的介助を考える(図7).転倒・転落リスクを評価する際には,薬剤効果や病状など,患者の状態に影響を与える因子を考慮する必要がある.転倒・転落リスクを評価し,患者の行動を管理することが事故防止の基幹である.設計した事故防止の手順と必要な知識データベースの概要を表4に示す.

StepI(リスク評価)では,各ADLに対して実現パターンを想定し,能力要素に関するアセスメント結果に基づいて各要素動作の判定を行い,転倒・転落リスクを評価する.要素動作の必要能力を3段階に設定し,各要素動作を「低リスクで自立達成可能」「リスクを伴うが自立達成可能」「介助付きなら低リスクで達成可能」「介助付きでも達成不可能」の4段階に判定する.

StepII(患者個人の管理計画立案)では,転倒・転落リスクの評価結果から,患者が実際に実現すべき実現形態を決定し,患者個人に対する管理計画を立案する.StepIII(病棟全体の管理計画立案)では,各患者に必要な人的リソースを見積もり,病棟で保有しているリソースの状況から提供可能か否かを判断し,病棟全体の管理計画を立案する.

近年,医療機関の役割分担が進められており,患者の状態に応じて患者を適切な医療機関に移動させる必要がある(図8).このような状況で,患者の退院を支援するために退院調整が実施されている.本研究では,ケア決定プロセスモデル,能力モデルを応用し,急性期病院から退院する患者に実施される退院調整の方法論の確立を目指す.

退院調整の主な機能は,患者が退院時に持つと予想される医療ニーズ,生活ニーズを満たす手段として,固有のシーズを持つ退院後の移動先(自宅,医療機関)を決定していくことである(図9).医師によって予測される退院時の患者の状態,患者・家族の希望など,不確定で流動的な情報に基づいて決定を行う必要があるため,判断のプロセスが複雑である.

本研究では,退院調整を効果的・効率的に実施するためのモデルとして,必要な情報を収集しながら適切な判断を行っていくプロセスを表現する「退院調整プロセスモデル」を設計した(図10).

モデルは4つのユニットから構成される.まず「方針決定ユニット」で,自宅に戻ることを検討するのか,転院を検討するのか,大きな方針決定をする.「在宅療養の検討ユニット」では,在宅サービスと家族の介助等により,患者のニーズを満たすことが可能か否かを検討する.「転院先の導出ユニット」では,固有のシーズを持つ転院先候補の中から,患者のニーズに合致する適切な転院先を絞り込んでいく.「レビューユニット」では,患者の回復度合い,患者・家族の意思の変化を管理しながら,患者を退院に導いていく.

図1:介護サービス提供プロセスの概要

図2:ケアプラン作成プロセスの全体像

図3:ケア決定プロセスモデルの全体像

表1:ケア決定手順と知識データベースの概要

図4:知識データベースの構造

表2:アセスメント票(能力要素とスコア基準一覧)

図5:必要能力表,および要素動作・候補ケアの判定を行ったイメージ

表3:設計プロセスを構造化する方法

図6:能力モデル

図7:転倒・転落事故防止の構造

表4:転倒・転落事故防止モデルにおける手順と知識データベース

図8:ケースの移動

図9:退院調整の構造

図10:退院調整プロセスモデル(フローチャート)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「ケア決定プロセスモデルの開発とその応用」と題し,全6章から成り,高齢者に対する介護サービス提供の計画立案方法について論じている.

第1章は序論であり,本研究の背景と目的について述べている.2000年4月から公的介護保険制度が開始されたが,介護対象者のケアニーズとケアの関係,さらにケア提供のための介護サービスの関係を明らかにした手法が存在せず,そのため現状のケアプランが不十分であって,介護の質を保証し対象者の状態に適合した妥当なケアを導出するための方法論の確立が急務であるとしている.本研究では,ケアプラン作成プロセスの全体像を提案し,その中でケア決定プロセスを効果的・効率的に実行するための方法論を開発することを主たる目的としている.さらに,開発した方法論をケア設計,サービス提供プロセス設計,意思決定プロセス設計へと一般化することも目的とし,病院における転倒・転落事故防止,退院調整プロセスの確立という2つの課題に適用している.

第2章では,ケア決定プロセスモデルの設計について述べている.介護の現場における一般的問題として,介護対象者の状態評価と社会的要素の考慮が分離できていないこと,および具体的なケアの内容が十分に記述されていないという2つを指摘し,これらの問題に対応するため「ケア決定プロセスモデル」を提案し,このモデルによって明らかにされる必要なケアに,家族,金銭など社会的要素を加味して介護サービス計画を立案する枠組みを提案している.本論文が提案する「ケア決定プロセスモデル」は,対象者の状態から必要なケアを導出する合理的な思考プロセスを表現した「ケア決定手順」と,プロセスで必要となる知識構造を整理した「知識データベースの構造」から構成されている.提案するケア決定手順では,まず対象者にアセスメントを実施し,その身体的・精神的特徴を,各能力要素に関する現実能力として評価している.次に6つのADL(日常生活動作能力)に対して,各動作に必要な能力と対象者の現実能力を比較し,そのギャップをケアニーズとして同定している.さらに,ケアニーズを満たす具体的な手段として,環境要因による必要能力低下や現実能力向上,あるいは介護者による支援などのケア候補を導出している.

第3章は,第2章で提案した「ケア決定プロセスモデル」に必要な知識コンテンツの構築について述べている.起居・移動,更衣,食事,整容,排泄,入浴の6つのADL項目を対象として,医療・福祉専門職との議論,実際のケースへの適用による修正,核となる構造への整理による修正を経て,モデルに必要な知識コンテンツを構築している.構築した知識コンテンツを構成するものは,要素動作,能力要素,候補ケアの一覧,要素動作-能力要素-候補ケアの対応関係,必要能力を設定するルールなどである.

第4章では,第2章,第3章で提案する方法の一般化について論じている.ケア決定プロセスモデルは,直接的にはこれまで存在しなかったケア設計の一般的方法論を与えるものであり,またニーズをシーズで合理的に満たすというサービス提供プロセス設計の方法論的基礎を与えるものであるとしている.さらに,意思決定問題を,合理的な思考手順と手順に必要な構造化知識(知識ベース)とにより構造化できるとして,その方法論も提案している.

第5章では,第4章の考察を踏まえて,ケア決定プロセスモデルの応用として,病院における転倒・転落事故防止モデル,退院調整プロセスモデルの構築について述べている.転倒・転落については,転倒・転落リスクを「患者が安全にADLを達成するために発生するニーズ」であるととらえ,ニーズを満たすための手段として人的介助を考えることによって転倒・転落リスクを評価した上で,患者が日常生活を送るための実現形態を管理することが事故防止の基幹であるとするモデルを提案している.退院調整については,患者が退院時に有している医療ニーズ,生活ニーズを,シーズとしての自宅,医療機関等の退院後の移動先が満たすものとモデル化し,必要な情報を収集しながら適切な判断を行っていくプロセスを表現する「退院調整プロセスモデル」を設計している.

第6章では,本研究を通じて得られた成果をまとめ,今後の課題と発展について述べている.

以上要するに,本論文は,合理的・体系的な方法論が存在しないと言ってよい介護サービス提供プロセスにおいて,その中心となる「ケア決定プロセス」について,ケア決定手順と,各手順で必要となる知識データベースを精緻に設計し構築するという完成度の高い研究をまとめたものであり,この研究成果は,高齢化社会に必要な社会技術ニーズに応えるものとして高く評価でき,医療社会システム工学および化学システム工学への貢献が大きい.またこの方法論は,本論文が主張するように,ニーズをシーズで合理的に満たす思考プロセスを構築する方法論的基礎を与えるものでもあり,工学的に価値の高いものである.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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