学位論文要旨



No 123515
著者(漢字) 庄子,良晃
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,ヨシアキ
標題(和) 炭素ナノクラスターの分子認識
標題(洋) Molecular Recognition of Carbon Nanoclusters
報告番号 123515
報告番号 甲23515
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6831号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

高次フラーレンは、C(60)やC(70)よりも多数の炭素原子により構成された炭素クラスターである。これらはサイズ増大に伴うバンドギャップの低下や、不斉な炭素骨格を有する異性体の存在などC(60)、C(70)にはない興味深い性質を有する。しかし高次フラーレンは収率の低さ、及びサイズ増大に伴い異性体数が飛躍的に増加することが要因で、その分離精製が極めて困難である。簡便な分離法が確立されれば新しい高次フラーレンの科学が展開され得る。一方、高次フラーレンは分子認識化学の観点からも極めて魅力的かつ挑戦的なターゲットである。全共役性の球状、楕円状クラスターである高次フラーレンは他の分子と相互作用する足場に乏しく、その精密な分子認識の為には新たな戦略が必要である。以前の研究において、ある種の金属ポルフィリン環状二量体が電子ドナー、C(60)やC(70)が電子アクセプターとなり安定な電荷移動型包接錯体を形成することが見出されている。本研究では、ホストのπ電子空間を精緻に設計し、高次フラーレンのサイズ、キラリティーを認識する為の新しい方法論の開拓を図った。

【実験、結果】

第一章高次フラーレンのサイズ認識:巨大フラーレンの高選択的抽出

高次フラーレンがサイズ増大に伴いアクセプタ一性が増大することに着目し、よりサイズの大きなフラーレンの方が、電子ドナーである金属ポルフィリンと強く相互作用すると考えた。実際にホストを用いて、フラーレン混合物から巨大フラーレンを高選択的に抽出できることを実証した。

亜鉛ポルフィリン部位とそれを連結する柔軟なC5-C7のメチレンスペーサーから構成される2c5一2c7(Fig.1)を合成した。ホストを用いたフラーレン混合物からの高次フラーレンの抽出は、以下の手順で行った。(i)ホスト(0.2mg)と大過剰のフラーレン混合物(20mg)をトルエン中で混合する。(ii)混合物から複合体を単離する。(iii)複合体に4,4・一ビピリジンを加え、亜鉛一ピリジンの配位を利用して内包されたフラーレンを複合体から解離させる。(iv)サイズ排除クロマトグラフィー(SEC)に供し、ホストを除く。以上の操作で得られた抽出物について、HPLCによる分析を行った。以下結果をまとめると、

・空孔サイズの異なるホスト2(c5)-2(c7)を用いた抽出では、いずれの場合も抽出物中で高次フラーレンが大幅に濃縮されていた。特定の高次フラーレンに対しては2c6を用いた場合が最も効率が高く(Cg6:0.4%→36%)、高次フラーレン全体に対しては2c7が最も効率が高かった(高次フラーレン全体:10%→97%)。

・より電子ドナー性の高い1(c6)(Fig.1)を用いた場合、抽出効率が下がった(抽出物中の高次フラーレン:68%)。

・uv-vis測定による滴定実験で1(c6)、2(c6)とc(60)、c(70)およびC(96)との会合常数を算出した所、C(96)との会合常数がいずれのホストの場合も最も高かった(Fig.2)。しかし1(c6)に関しては、C(96)のC(70)に対する会合定数の比が2(c6)よりも小さかった。この滴定結果は抽出結果の傾向と一致するものである。

・2c6を用いた多段階の抽出により、極めて希少なC(102)-C(110)の高次フラーレン(元の混合物中では0.1%程度)が大幅に濃縮された(c(102)-c(110):82%)(Fig.4)。

以上のように、本系では高次フラーレンの選択的抽出に初めて成功した。ホストの空孔サイズ、電子ドナー性を制御することで、希少な巨大フラーレンを選択的た分離可能なホスト分子の創成に成功した。

第二、三草高次フラーレンの不斉認識:キラルフラーレンのセンシング

C(76)(Fig.3)のようなキラルフラーレンは二次的相互作用に適した官能基に乏しく、多点相互作用による不斉認識が難しい。これらの不斉認識は、カーボンナノチューブのキラリティ認識とも関連して、重要な課題である。フラーレンのキラリティーがそのπ表面のキラルな湾曲によることに着目し、相互作用部位として不斉に歪んだπ共役系をホストに導入するという戦略を立てた。

N置換ポルフィリンは、N上置換基の立体的なかさ高さのため非平面構造を取る。また適切な周辺置換基の配置により、不斉構造へと導くことができる。これを利用し3(RH)(Fig.4)をデザインした。3(Rh)は、キラルノVメチルポルフィリン部位と、フラーレンと強く相互作用することが先行研究により明らかになっているメチルロジウムポルフィリン部位からなるヘテロダイマーである。ゲストとしてはC(76)を用いた。

キラルHPLCを用いた光学分割により、ラセミ体の((±)一)3(Rh)から(+)-3(Rh)及び(一)-3(Rh)を得た。C(76)との相互作用について以下まとめると、

・(±)-3(Rh)と(±)-C(76)はトルエン中、1:1複合体((±)-3rd⊃(±)-C(76))を形成する(K(assoc)=15x107M-1、20°C)。

・3(Rh)⊃C(76)は、そのジアステレオ複合体が1HNMR上で異なるケミカルシフトを与える。

・3(Rh)はC(76)に対しエナンチオ選択性を有していない。

3(Rh)はキラルフラーレンのキラリティーをスペクトル上でセンシングできる初めてのホストである。次に、本系をC(76)の光学純度決定に応用した。様々な△εのC(76)と、(一)-3(Rh)からなる1:1複合体の1HNMRスペクトルを測定した所、用いたC(76)の△εに対応して、ジアステレオ複合体の1HNMRシグナルの積分比が変化した(Fig.5a)。この積分比から算出したC(76)の光学純度と、用いたC(76)の△εをプロットしたところ、両者は良い直線関係になった(Fig.5b)。このプロットの近似直線から算出される100%eeのC(76)の△εは±585M-1cm-1(330nm)であり、既報のC(76)の△ε値よりも高い値であった。同一系内でキラルフラーレンの光学異性体を別々のシグナルとして検出できるのは本系が現在唯一の方法であり、本質的に確度の高い光学純度評佃法である。

第四章新規不斉ユニットの開発

次の課題として、C(76)をエナンチオ選択的に取り込むホストの創成を目指した。不斉ユニットの合成検討の中で、新規フロリン4(phl)(Schemel)を見出した。フロリンはsp3混成のメソ炭素をひとつ有する、ジヒドロポルフィリンである。

.キラルN-2一ヒドロキシエチルポルフィリン4(oH)の合成をScheme1に従い試みたところ、意外なことに新規キラルフロリン4(Phl)且のみを収率81%で得た。X線結晶構造解析から、4(Phl)は強く歪んだ不斉構造を有していることが明らかになった(Fig.6)。メソ炭素の一つがN上置換基の酸素原子と共有結合を形成しており、4(Phl)では芳香属性が失われている。4(Phl)且は亜鉛イオンの導入によりN-2一ヒドロキシエチルポルフィリン亜鉛錯体4(oH)・ZnCI且へと変換できる(Scheme1)。さらに4(oH)・ZnClからN-2-アセトキシエチルポルフィリン4(OAc)を得た。4(Phl)はキラルHPLCによる光学分割が可能であった。4(OAc)の光学分割には成功していないが、4(Phl)の光学異性体は4(Phl)からの立体選択的変換で得ることができる。

第五章C(76)の光学分割

新規に開発した不斉ユニットを基に、ホスト5をデザインした(Fig.7)。5はβ無置換ホスト3(Rh)に比べ電子ドナー性が向上しており、不斉ユニットとC(76)がより強く相互作用することを期待した。

ホストのC(76)に対するエナンチオ選択性検討するため、抽出実験を行なった。(i)トルエン(2mL)中、5(7.Ox10(-8) mol)と10等量の(±)-C(76)を混合する。(ii)混合物をSECに供し、過剰のc(76)を除く。(iii)複合体を含むフラクションをシリカゲルカラムクロマトグラフィーに供し、5に内包されていたC(76)を単離する。以上の操作によって、抽出物中では(+)-5を用いた場合は(一)-C(76)(回収量3.6x10(-8)mol、7.1%ee)が、また(-)-5の場合は(+)-C(76)(同3.9x10(-8)mol、7.0%ee)が濃縮されていた。

(±)-5と(±)-C(76)がトルエン中、20°Cで1:1の複合体を形成することを確認した(K(assoc)=5.5x106M-1)。重トルエン中、20°Cにおいて(±)-5⊃(±)-C76の1HNMRを測定したところ、いくつかのシグナルについてジアステレオ複合体に由来する分裂が観測され、それらの積分比が1.0:1.2程度に偏っていた。これは、(+)-5⊃(+)-C(76)及び(一)-5⊃(+)-C(76)の会合常数をそれぞれK(small)、K(large)とすると、5がK(large)/K(small)=1.2程度の選択性を有していることを示す。この選択性は、抽出結果と良く一致している。

【総括】

ホスト分子の元電子空間を精緻にデザインすることで、精密なフラーレンの分子認識を達成した。高次フラーレンの高選択的抽出によって、希少な巨大フラーレンのまとまった量の試料確保に道を開いた。キラルフラーレンの不斉認識の為の新しい方法論を立ち上げ、キラルフラーレンの正確な光学純度決定法を確立した。また新規不斉認識部位の開発を行ない、簡便なキラルフラーレンの光学分割法にまで展開した。以上の知見は、これまでアプローチが難しかった高次フラーレンの科学に道を開くものである。

Fig.1. Cyclic dimers of Zn porphyrins

Fig.2. K(assoc) of hosts with Fullerenes

Fig.3. (±)-C(76)

Fig.4. (±)-3(Rh)

Fig.5.(a)1HNMR(500MHz) spectra(NH signals ofN-methyporphyrin unit) of equimolar mixtures of(一)-3(Rh) and C(76) of different △εvalues(【C(76)]=1.5x10-4M)intoluene-d8 at20 °C。(b)Plots of enantiomeric purities of C(76),as determined by the integral ratio of the NH signals of (一)-3(Rh)⊃C(76),versus△εvalues of C(76) in toluene at 20°C.

Scheme1.Reagents and conditions:(i)LiN(SiMe3)2,dryTHF,reflux.;(ii)Ethyleneoxide,dry THF,25°C,81%;(iii)Zn(OAc)2,MeOH/CHC13,25°C;(iv)sat.NaCl aq.,25°C,98%;(v)Acetyl chloride,Et3N,THF,25°C;(vi)Methanolic HCl/CHCI3,25°C;(vii)Neultralize by NH3 aq.,91%.

Fig.6. ORTEP diagrams of (±)-4(phl) at-170°C(50% thermal empsoids).

Fig.7. Host5

審査要旨 要旨を表示する

全共役性の球状炭素クラスターであるフラーレンC60は、その発見以来多くの興味を集めて来た。現在C60はその大量製造法および精製法が確立しており、年間トンスケールでの生産が可能である。一方、フラーレンにはC60以外に、多様なサイズ、形状の高次フラーレンが存在する。高次フラーレンは低いバンドギャップやキラリティなど、C60にはない興味深い性質を有している。しかし、効率的な分離法が確立していないことが研究試料の量的な確保を困難にしており、これまでの「フラーレンのサイエンス」は、「C60のサイエンス」とほぼ同値であった。本論文では、分子認識化学における球状クラスター化合物のサイズ、対称性認識の方法論確立を目的とし、それに基づく効率的かつ簡便な高次フラーレンの分離法の開拓を目指した研究について述べている。

序論では、C60をはじめとする炭素クラスター類について概観している。フラーレンのサイズ分離およびキラルな異性体の光学分割の現状および問題点について述べ、分子認識の方法論確立の必要性を述べている。C60を取り込む過去のホスト分子についても概観し、金属ポルフィリン二枚を柔軟なメチレンリンカーで連結したホスト分子の分子デザインについて述べ、高次フラーレンのサイズ、対称性認識の方法論を明示している。

第1章では、ホストを用いたフラーレンのサイズ認識について報告している。亜鉛ポルフィリン環状二量体をホストとして用い、工業的に得られたフラーレン混合物からC100を超える巨大フラーレンを高選択的に抽出できることを示している。その際、ホストの空孔サイズおよびポルフィリン部位の電子ドナー性がフラーレンへの選択性に大きく寄与していることを示している。紫外可視吸収スペクトルおよび1H NMRスペクトルから、高次フラーレンC96もホストと包接複合化することを示し、また滴定実験による会合定数の算出により、フラーレン抽出の選択性は各フラーレンのホストに対する親和性を反映していることを示している。

第2章では、キラルフラーレンのキラルセンシングについて述べている。C76等のフラーレンのキラリティがそのπ表面のキラルな湾曲によることに着目し、同様に不斉に歪んだπ表面を有するキラルN置換ポルフィリンを用いてホストを設計し、その方法論の有効性を示している。ホストとC76から構成されるジアステレオ複合体が1H NMR上で異なるケミカルシフトのシグナルを与えることを示し、これを利用して既報よりも正確なC76のモル円二色性Δεの値を決定することに成功している。また、1H NMR上でのセンシングには、複合体間でのC76の交換のダイナミクスを抑えることが必須であることを示している。

第3章では、第二章で得られた結果に関連して、キラルフラーレンのセンシングにおけるホストの置換基効果について述べている。ホストは柔軟なメチレンリンカーによって連結されており、ゲストフリーの状態では様々なコンホメーション異性体が存在する。一方、フラーレンを取り込んだ際には、ホストのコンホメーションは固定される。嵩高い置換基がリンカー部位と隣接しているホストではゲストフリーの状態のコンホメーションが規制され、フラーレンを取り込む際のエントロピー減少が抑えられることを示している。このことは、C76との会合常数の増大およびゲスト交換のダイナミクスの減少につながり、結果として1H NMRスペクトル上での高いセンシング能が実現される。

第4章では、新規な不斉ポルフィリン誘導体の合成について述べている。5,15-ジアリル-オクタエチルポルフィリンのN-2-ヒドロキシエチル化体は自発的にN上置換基の酸素原子がメソ位の炭素原子と共有結合を形成したフロリンへと自発的に変換されることを見いだし、フロリンについては1H NMRスペクトルおよびX線結晶構造解析による詳細な同定を行なっている。このフロリンはキラルHPLCによる光学分割が容易であり、かつ立体選択的にN置換ポルフィリン誘導体への変換が可能である。またこのフロリンは塩酸や酢酸などのプロトン酸の添加により定量的にN-2-ヒドロキシエチルポルフィリンのプロトン化体を与え、中和操作により再び定量的にフロリンへと変換されることを報告しており、マイルドな酸による可逆な芳香族化/非芳香族化が可能な化合物であることを示している。

第5章では、キラルフラーレンをエナンチオ選択的に取り込む初めてのホスト分子について報告している。第4章で開発した、ピロールβ位にエチル基を有するキラルN置換ポルフィリンを導入したキラルホストを用いて抽出操作を行なうことで、ラセミ体のC76からその光学異性体を7%e.e.にまで濃縮出来ることを示している。ホストのC76に対するエナンチオ選択性は1H NMRスペクトルからも定量的に評価している。第2、3章で報告した、C76にエナンチオ選択性を示さないホストとの比較から、キラルフラーレンの球状構造に由来するキラリティを認識する為には、ホスト内部に高度な不斉空間が必要であることを示している。

以上、本論文では、高次フラーレンのサイズ、対称性の認識を実現している。これにより、巨大フラーレン試料の量的確保およびキラルフラーレンの簡便かつ効率的な光学分割が可能になると考えられ、それらの材料科学への応用などといった今後の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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