学位論文要旨



No 123517
著者(漢字) 芳賀(室塚),淑美
著者(英字)
著者(カナ) ハガ(ムロヅカ),ヨシミ
標題(和) 糖脂質類似体の効率的生産と医療への応用
標題(洋) Efficient production of glycolipid analogue and application for medicinal use
報告番号 123517
報告番号 甲23517
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6833号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畑中,研一
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

細胞表面に存在するオリゴ糖は、細胞間認識、分裂増殖、分化誘導、接着、癌化、受精、ホルモンやウイルス・毒素の受容体など、様々な生理的、病理的現象に深く関与している。しかし、それらの役割における糖鎖構造と機能との分子レベルでの詳細な関係は、未だ解明されていない部分が多い。その要因の一つとして、オリゴ糖の量的限界と構造の多様性が挙げられる。単糖や多糖は大量に入手しやすいのに対し、生体内で糖タンパク質や糖脂質として存在し、様々な機能を担うオリゴ糖はその存在量の少なさゆえ入手困難である。さらに、その一様でない複雑な構造は、有機化学的アプローチによる合成を困難なものにしている。また、糖鎖は医薬品、化粧品への応用の可能性も秘めており、純度・量の両方の側面からの安定した供給が望まれる。

既存のオリゴ糖入手法(天然物の抽出、化学合成法、酵素合成法)はそれぞれ問題点を抱えており、安価に大量に入手することが困難であった。そこで本研究では、動物細胞の糖脂質生合成を利用してその細胞が発現している糖脂質の類似体を得るバイオコンビナトリアル合成法を採用した。バイオコンビナトリアル合成法は「糖鎖プライマー」というbuilding blockを細胞に投与することにより、高度で煩雑な技術や高価な基質を必要とすることなく、種々の糖脂質類似体を得ることができる方法である。

本研究では、マテリアルとしての用途拡大を可能にするための糖脂質大量合成系の確立、および、得られた糖脂質類似体を用いた生体機能分子の構築を目指した。研究の後半では、実際にユニークな構造を有する機能性物質を合成し、その医薬品としての可能性を検証した。

1. 動物細胞を用いた糖脂質類似体の効率的な合成

生体内において多岐にわたって重要な役割を担っているオリゴ糖の機能を把握するために、生体内の糖鎖を網羅した糖鎖ライブラリーの構築の必要性が叫ばれてきた。バイオコンビナトリアル合成法は、動物細胞を糖鎖生産工場と見立てたユニークな方法で、building blockである糖鎖プライマーや細胞の種類を選択することにより、組み合わせ論的に効率的に多種の糖脂質を生産することが可能であるため、精力的に研究がなされてきた。

糖鎖プライマーは糖脂質生合成過程の中間体に似た糖誘導体で、細胞の糖転移酵素の基質として働く。これまでの研究により、糖鎖プライマーの一種であるラクトシルセラミド類似体をB16マウスメラノーマ細胞に添加すると、正常な糖脂質の生合成を阻害するのみならず、B16細胞が過剰に発現している酸性糖脂質GM3と同じ糖鎖構造へと糖鎖伸長されて細胞外へ放出されることが分かっている。まずは脂質部位にアジド基を導入した糖鎖プライマーを二種類、コントロールとしてアジド基を持たない糖鎖プライマーを一種類合成した。

これをB16細胞に投与し、官能基の位置の違いが糖鎖伸長反応にどう影響するのかを調べた。B16細胞は糖鎖プライマーを50 uMとなるように添加した無血清培地で48時間培養した。細胞及び培地から糖脂質の抽出作業を行い、HPTLCで検出・定量を行ったところ、アルキル鎖の根元にアジド基を導入した糖鎖プライマー(2-azidododecyl β-lactoside: primerII)は末端にアジド基を導入した糖鎖プライマー(12-azidododecyl β-lactoside: primerI)やアジド基を導入していない糖鎖プライマー(n-dodecyl β-lactoside: lac primer)と比べて約二倍糖鎖伸長を受けやすいことが分かった。そこで三種類の糖鎖プライマーの界面活性能を測定したところ、臨界ミセル濃度にはほぼ差は見られないにも関わらず、primerIIの界面活性が他の二種類と比べて高いことが判明した。これは、primerIIではアジド基が親水性の糖の近くに存在することで界面に並んだ時により効率よく界面エネルギーを下げるためだと考えられる。糖鎖プライマーは両親媒性であるため、まず細胞膜に挿入してからエンドサイトーシスで細胞内へと取り込まれると考えられている。そのため、より膜に刺さりやすいprimerIIが多くの糖鎖伸長物を与えたと推定される。

また、播種細胞数依存性、プライマー濃度依存性、培養時間依存性も同様に調べたところ、明確な依存性が見られた。さらに、糖鎖伸長した生成物を細胞に投与し、培養時間が長引くことによって生じた生産性の低下の解明も試みた。

上で検討した最適条件を用いてGM3類似体の大量合成に着手した。一方、生成物の分離精製方法も検討、簡便に大量の生成物を単離することに成功した。

2. リゾGM3オリゴマーの合成とEGF受容体キナーゼ活性の阻害能の測定

Epidermal growth factor receptor (EGFR)が細胞の増殖や癌の転移などに深く関わっていることは広く知られている。これまでの研究より、酸性糖脂質GM3やその代謝中間体であるlyso-GM3がEGFRのチロシンリン酸化を阻害することが示されてきた。しかし、GM3のリン酸化阻害能は医薬品として臨床に応用できるレベルではない。また、lyso-GM3はその界面活性剤様の形状ゆえに細胞毒性が非常に高いことが知られている。

一般的に糖鎖とタンパク質間の相互作用は非常に弱いことが知られている。しかし生物はリガンドや受容体を多価にすることによってその相互作用を増幅させる「クラスター効果」によって高い親和性を獲得してきた。

そこで、GM3をオリゴマー化すれば、天然の多価のリガンドと同様に、クラスター効果を発揮し、阻害能を向上させることができるのではないかと考えた。さらに、オリゴマー化することによって脂質部位が細胞膜に刺さりにくくなると考えられるため、細胞毒性の軽減も期待される。

まずは、EGFRのチロシンリン酸化を阻害することが示されている天然のlyso-GM3を原料とし、グルタミン酸オリゴマーを骨格としたlyso-GM3のdimer、trimer、tetramerを合成、そのキナーゼ活性への阻害効果や細胞毒性を評価した。

EGFRを高発現しているA431細胞に各化合物を様々な濃度で添加したところ、GM3と比較して、lyso-GM3及びlyso-GM3 dimerに高いチロシンキナーゼ活性阻害能が見出されたが、trimer、tetramerではEGFRに対する影響が見られず、クラスター効果は確認できなかった。一方、lyso-GM3の細胞毒性が非常に強いのに対し、dimerでは細胞毒性がほぼ見られず、多価にすることによる細胞毒性の低減は達成された。

3. 糖を含む新規な機能性分子の構築とその活性の評価

天然型のlyso-GM3をダイマーにすることで、EGFRのリン酸化に対する高い阻害能と、細胞毒性の低減を得られることが明らかとなったが、lyso-GM3、もしくはGM3はその複雑な構造と天然における存在量の少なさから、有機合成の原料として用いるのは難しい。

そこで、一章で生産した糖鎖伸長プライマー(lyso-GM3 mimetic)を利用し、同様な機能性糖鎖含有分子の合成を試みた。

A431細胞にこれらの各々の化合物を様々な濃度で投与し、リガンドであるEGFによって誘導されるEGFRのチロシンリン酸化阻害能を測定した。GM3と比較して、lyso-GM3 dimer およびmimetic dimerに高いチロシンキナーゼ活性阻害能が見出された。

四種の化合物のA431細胞に対する毒性も調べたところ、脂質部位が天然物と異なるmimetic GM3の細胞毒性は、天然型のGM3よりも高かった。一方、lyso-GM3 dimer およびmimetic dimerは細胞毒性がほぼ見られず、有効な阻害剤となり得る可能性が示唆された。

糖鎖伸長したプライマーを応用した新規化合物であるmimetic dimerに、天然型であるlyso-GM3 dimerと同様の活性があることが明らかになったため、さらにシグナリングや細胞増殖への影響を評価した。

A431細胞にGM3、及びLM-dimerを投与し、24時間培養した。EGFを添加してstimulateし、EGFRのチロシンリン酸化、EGFRのpost-receptor signalingとして知られるAkt、及びMAPKのリン酸化を測定した。

MAPKのリン酸化においては有為な阻害は見られなかったものの、mimetic dimerはEGFRシグナリングの下流にあたるAktのリン酸化も阻害することが示された。

【まとめ】

本研究において、有機合成と生化学という異なる分野を融合させたユニークな糖鎖生産法を用い、その手法の向上と、その結果得られる糖脂質類似体の応用を検討した。

まず、培養条件や糖鎖プライマーの物理的性質を徹底的に検討することにより、収率を大幅に上昇させ、大量合成への可能性を提示した。これによって、オリゴ糖をマテリアルとして使用できる量を入手することが現実味を帯び、現在も精力的に研究が進められている。

EGFRをターゲットとした抗癌剤としてはATP結合阻害剤のイレッサやレセプター・リガンドに対する抗体などが開発されてきたが、副作用などが問題となり、未だ十分な効果が得られていない。一方、糖鎖伸長プライマーを原料として合成したmimetic dimerは活性化レセプターの高い阻害能力と低い毒性が特徴である。本研究で得られた知見より、これらのオリゴ糖を含む機能性分子はEGF によって誘導される細胞増殖、その中でも特に癌に対して有効な阻害剤となり得る可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

細胞表面に存在する糖脂質は、細胞間認識、分裂増殖、分化誘導、接着、癌化、受精、ホルモンやウイルス・毒素の受容体など、様々な生理的、病理的現象に深く関与している。これらの機能に着目し、近年糖鎖を含有する機能性分子が報告され、医療への応用が期待されている。本論文は、マテリアルとしての用途拡大を可能にするための糖脂質大量合成系の確立、および、得られた糖脂質類似体を用いた生体機能分子の構築とその生理作用についての研究を報告したものであり、全八章により構成されている。

第一章は序論であり、糖脂質の生体内における多様な役割を述べ、それらの役割における糖鎖構造と機能との分子レベルでの詳細な関係を解明するために純度・量の両方の側面からの安定した供給が必要であることを述べている。また、既存の糖脂質合成法の問題点を明示するとともに、本研究のバックグラウンドとなるユニークな糖鎖合成法の成り立ちについて紹介している。

第二章では、動物細胞を糖鎖生産工場と見立てて糖脂質の類似体を合成するバイオコンビナトリアル合成法を用いた糖脂質GM3(NeuAcα2-3Galβ1-4Glcβ1-Cer)類似体の生産における最適条件を詳細に検討している。糖鎖プライマーは糖脂質生合成過程の中間体に似た糖誘導体で、細胞の糖転移酵素の基質として働く。本研究では脂質部位にアジド基を導入した糖鎖プライマーが二種類、コントロールとしてアジド基を持たない糖鎖プライマーが一種類合成され、それぞれ細胞により糖鎖伸長されることが示された。アルキル鎖の根元にアジド基を導入した糖鎖プライマー(2-azidododecyl β-lactoside: primer II)は他のプライマーと比べて約2倍糖鎖伸長を受けやすいことが明らかとなったが、三種類の糖鎖プライマーの界面活性能を測定することによりこの理由も明らかにした。また、播種細胞数依存性、プライマー濃度依存性、培養時間依存性についても明確な依存性を確認し、最適条件を決定した。さらに、検討した最適条件を用いてのGM3類似体の大量合成と、生成物の分離精製方法も検討している。本研究は、これまで微量分析レベルでしか生成物を得ることのできなかったこの手法を向上させ、大量合成への可能性を提示した。

第三章では、GM3とepidermal growth factor receptor (EGFR)の相互作用や細胞における外因性/内在性GM3について検証している。糖脂質が種々の増殖因子受容体に影響を及ぼすことは知られているが、実際の作用機構は明らかにされていなかった。本章では、GM3とEGFRの相互作用の機序を、共焦点レーザー顕微鏡による画像解析など様々な手法により明らかにした。

第四章では、糖脂質のクラスター効果の説明と、GM3の代謝中間体であるlyso-GM3のオリゴマー化、合成された化合物のキナーゼ活性への阻害効果や細胞毒性を評価している。EGFRを高発現しているA431細胞に各化合物を様々な濃度で添加したところ、lyso-GM3 dimerに高いチロシンキナーゼ活性阻害能が見出されている。

第五章では、第二章で大量合成の可能性が示されたGM3類似体(lyso-GM3 mimetic)を応用して同様な機能性糖鎖含有分子の合成を行い、それらがEGFRの関係する生理現象に及ぼす作用を検証している。A431細胞にこれらの各々の化合物を投与し、糖鎖伸長したプライマーを応用した新規化合物であるmimetic dimerに天然型であるlyso-GM3 dimerと同様のEGFRのチロシンリン酸化阻害能があることを示した。さらに、EGFRシグナリングの下流にあたるAktや細胞増殖も抑制することを明らかにした。

第六章では、一般的なガン細胞におけるこれらの化合物の阻害能が検証されており、ここまで用いられてきたA431細胞だけでなく、同様にEGFRを発現していることが知られているKB細胞においてもEGFRのリン酸化を阻害できることが示されている。また、EGFRの悪性の高い変異体として知られるEGFRvIIIを発現した細胞においてもlyso-GM3 dimer およびmimetic dimer はチロシンキナーゼ活性阻害能を示すことを発見し、これらのオリゴ糖を含む機能性分子がEGF によって誘導される細胞増殖、その中でも特に癌に対して有効な阻害剤となり得る可能性を示した。

第七章では、EGFRとGM3の直接的相互作用を、SPR法を用いて詳細に解析している。結合定数やkinetics parameterの解析により、EGFRと糖脂質の相互作用が特異的であることを発見した。

第八章では、本論文の総括と将来への展望を述べている。

以上のように、本論文では、有機合成と生化学という異なる分野を融合させたユニークな糖鎖生産法を用い、その手法の向上と、その結果得られる糖脂質類似体の応用を検討している。まず、培養条件や糖鎖プライマーの物理的性質を徹底的に検討することにより、収率を大幅に上昇させ、大量合成への可能性を提示した。さらに糖脂質類似体の応用として新規な機能性糖鎖含有分子を合成し、その優れた生理活性を実証した。また、従来の生物学的な研究では解明しきれなかったEGFRとGM3の相互作用をも明らかにした。これらの成果は、生化学および糖鎖生命工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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