学位論文要旨



No 123522
著者(漢字) 河野,俊寛
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,トシヒロ
標題(和) 日本語の書字の発達に関する実験的研究 : 日本語書字障害スクリーニング検査開発のための観点から
標題(洋)
報告番号 123522
報告番号 甲23522
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第6838号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福島,智
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 特任教授 中邑,賢龍
 東京大学 准教授 井野,秀一
 東京大学 准教授 渡邊,克巳
内容要旨 要旨を表示する

書字は,ワープロが普及した現代においても,学校教育の中で重視されている技術である.しかし,その重要な技術を人一倍努力しても充分に獲得できないのが書字障害である.書字障害は,学習障害の教育学的定義にも医学的定義にも含まれている障害である.しかし,同じ学習障害の定義に含まれている読字障害に比較して,書字障害の研究報告は少ない.特に日本においては,書字障害を評価する標準化された検査がほとんどないこともあって,研究は進んでいない現状がある.このような日本の状況の中で,書字障害評価検査作成は緊急の課題である.しかし,検査作成に必要な基礎データ,特に書字障害の支援の対象になる小学生のデータは皆無に等しいのがこれ又日本の現状である.

そこで,本研究では,日本語の書字障害スクリーニング検査開発を見据えて,小学生の書字の発達について実験的に検討した.

第1章は序論として,研究の背景,書字に関する内外の先行研究,書字障害の理論について概観し,その上で,本研究の意義と目的を述べた.先行研究のレビューの結果,海外における書字研究では,書字速度と判読性(legibility)についての研究が多いことが明らかになった.しかし,判読性については主観的であることが多いため,本研究では取り扱わず,量的な研究が可能な書字速度と誤りの発達について実験的に検討することにしたことを述べた.

第2章では,任意に抽出した小学校15校の1年生から6年生までの通常学級在籍児童の視写書字速度を測定し,速度と誤りにっいて発達的観点から検討した.課題は,書字障害が顕著に表れる漢字を使用するために,学年毎に作成した.課題文にはその学年相当の物語を使用し,その課題文を構成する文字をランダムに配置して作成した無意味文も課題とした.無意味文課題も実施したのは,非語の読み書きが困難である音韻失書をスクリー二ングするための基礎資料とするためである.課題の提示は,配布と掲示の2種類で実施した.発達障害のある児童,データに不備があった児童等を除いた,有意味文5,481名(男子2,829名女子2,652名),無意味文5,478名(男子2,827名女子2,651名)の被験児からデータを得た.その結果,書字数は有意味文課題,無意味文課題とも学年が進むにつれて直線的に増加しており,1分間の書字数と学年との関係は回帰直線で示すことができた(有意味文課題y=3.9x+9.0無意味文課題y=3.7x+6.6).男女差があり,両課題の全学年で女子の方が書字数は多く,統計的に有意差があったのは,有意味文課題では1年,3年,4年,5年,6年,無意味文課題では3年,4年,5年の学年であった.誤りは,無意味文課題では高学年になるほど誤り数が増加し誤り率も高くなっていたが,有意味文課題では高学年での増加は認められなかった.しかし,視写においては誤りは少なく,視写だけでは誤りの分析には不充分であることが示唆された.課題の提示方法による差は,無意味文課題の書字数において,配布提示の方が掲示提示よりも1年,3年,5年,6年で有意に多かった.有意味文課題では課題の提示方法による差はなかった.誤り率を見ても,無意味文課題と有意味文課題とでは違いがあり,有意味文課題と無意味文課題とでは記憶方略に何らかの差があることが示唆された.

第3章では,第2章で視写書字速度測定実験を行った小学校の内の4校で,1年生から6年生までの通常学級在籍児童の聴写書字速度を測定し,速度と誤りにっいて発達的観点から検討した.視写と同様,発達障害のある児童,データに不備があった児童等を除いた,有意味単語課題,無意味単語課題とも1,057名(男子519名女子538名)の被験児からデ・一タを集めた.課題は単語の書き取りとした.単語は,2文字単語,4文字単語,6文字単語,8文字単語それぞれ10語を,『NTTデータベースシリーズ日本語の語彙特性第1期(CD-ROM版)』から音声単語親密度の高いものを選んだ.視写と同様,有意味単語を構成する文字をランダムに並べ替えて作成した無意味単語課題も,有意味単語課題と同数実施した.その結果,書字速度については,有意味単語課題,無意味単語課題とも1年生から4年生まで直線的に書字数が増加しており,5年生と6年生ではその増加はやや緩やかになっていた.1分間の書字数と学年との関係は回帰直線で示すことができた(有意味単語課題y=6.6x+19.5,無意味単語課題y=5.8x+18.4).男女差があり,両課題の全学年で女子の方が書字数は多く,統計的に有意差があったのは,有意味単語課題では1年,2年,3年,無意味単語課題では3年,4年の学年であった.正確に書字できた単語数に関しても検討した.その結果,2文字単語では有意味単語課題と無意味単語課題の差がなかったが,4文字以上の単語では,有意味単語課題の方が無意味単語課題に比較して有意に書字単語数が多かった.このことは,無意味単語課題と有意味単語課題の記憶方略の違いを示唆している可能性がある.書字数同様単語数でも性差が認められ,2文字単語から8文字単語まで,有意味単語課題で女子の方が書字単語数が有意に多い学年が多かった.誤り単語数は,有意味単語課題においては学年進行とともに減少していたが,無意味単語課題においては有意味単語課題とは逆に学年進行と共に増加していた.このことは,有意味単語課題では,記憶の発達とともに語彙の発達による可能性が示唆される一方,無意味単語課題における誤り単語数の増加は,記憶の発達に伴って単語の一部の記銘が可能となったために,単語の一部の書き取りはできたが,正確に書字できた単語とは認められず誤り単語としてカウントされた結果であると考える.特殊音節の誤りは,概ね学年進行とともに減少していた.男女差があり,女子では学年進行とともに減少しているのに対して,男子では学年進行による誤りの減少は認められなかった.

第4章では,視写と聴写というモダリティ別の,書字速度と特殊音節の誤りについて比較考察した.書字速度は聴写の場合の方が有意に速かった.視写課題と聴写課題が異なっているため単純な比較はできないが,視写と聴写で感覚一運動過程に何らかの違いがある可能性があること,聴覚記憶の方が視覚記憶よりも持続時間が長いこと,聴覚的情報処理の方が視覚的情報処理よりも速いこと,「できるだけ速く,でも,ていねいに書きなさい」という教示について,聴写では,ていねいに書くことよりも単語の読み上げ速度に遅れないようにできるだけ速く書宇しようとし,視写では,教示の「速く」か「ていねいに」かのどちらを重視するかで書字速度が異なったこと等の原因が考えられた.視写と聴写という同一モダリティ内での課題間の相関,有意味・無意味という課題内でのモダリティ間の相関とも有意であった.しかし,視写と聴写という同一モダリティ内での課題間の相関に比較して,有意味・無意味という課題内でのモダリティ間の相関係数は大きなものではなかった.このことは,上で述べた,視写と聴写の書字速度の差の原因の一つとしての感覚一運動過程の違いの存在を支持していると考える.特殊音節の誤りは視写では1年生のみで多く,2年生以降ではほとんど認められなかったが,聴写では5年生まで直線的に減少していた.このことは,特殊音節の誤り検出のためには,聴写課題を行う必要があることを示唆している.

第5章では,書字障害の症例を2例考察した.2例とも各種の検査によってその実態を把握した上で支援技術(assistivet∞hnology,AT)を活用した支援を行った.標準化された書字評価検査がないために多くの検査を行ったが,書字速度の評価においては,症例1では聴写における無意味単語課題でその速度低下が認められ,症例2では,視写において課題の掲示提示において速度低下が認められた.症例1では,視写では速度低下がなく,聴写の無意味単語課題で速度低下が認められたということは,症例1の書字障害は音韻性の原因である可能性があることを,また症例2で,聴写では速度低下がなく,視写の課題の掲示提示において速度低下が認められたことは,症例2の書字障害は視覚的な原因がある可能性を示唆している.作成する書字検査では,課題に無意味文・単語を含めること,課題の提示は配布と掲示の両方を実施すること,及び,視写・聴写の両モダリティで実施することの必要性が示唆された.また,ATを活用した支援が有効であることも示唆された.

第6章では,第2章,第3章,第4章,第5章の結果である書字の発達について考察を加え,その上で日本語書字障害スクリーニング検査作成時に考慮すべき観点をまとめた.提案された日本語書字障害スクリーニング検査の内容は以下のものである.対象学年は小学校1年生から6年生までとする.課題には各学年相当の漢字を入れる.それは,日本語の読み書き障害は漢字に強くその困難さが表れるからである.課題の提示は,配布と掲示の両方で実施する.これは,視覚機能の困難さのスクリーニングを目的にしている.測定時間は5分とする.聴写においては単語の書字とする.有意味単語課題では,2文字単語,4文字単語,6文字単語,8文字単語をそれぞれ10語ずつ単語親密度を参考に選ぶ.無意味単語課題では,2文字単語と4文字単語のみとする.有意味単語課題,無意味単語課題とも,単語を3秒間隔で読み上げて実施する.評価には特殊音節の誤りを重視する.

第7章では,総括として,研究のまとめと今後の課題と展望を述べた.

審査要旨 要旨を表示する

書字は、ワープロが普及した現代においても、学校教育の中で重視されている技術である。ところが、その重要な技術を人一倍努力しても充分に獲得できない書字障害という障害がある。しかし、書字障害の研究報告は少ない。特に日本においては、書字障害を評価する標準化された検査がほとんどないこともあって、研究は進んでいない。

このような日本の状況の中で、書字障害研究をスタートするにあたって、書字障害評価検査作成は緊急の課題である。とはいえ、検査作成に必要な基礎データ、特に書字障害の支援の対象になる小学生の書字に関するデータは皆無に等しい。

そこで、本研究の目的は、小学生の書字の発達について実験的に明らかにし、書字障害スクリーニング検査開発に向けて具体的な提言を行うことである。本研究の特徴は金沢市内の5000人以上の小学生男女を対象に実験的研究を行ったところにあり、これほど大規模なデータを収拾した研究はわが国初のとりくみである。

論文の構成の概要は次のとおりである。

第1章は序論として、研究の背景、書字に関する内外の先行研究、書字障害の理論、研究の蓄積がある成人の失書研究、症例報告の中の書字障害評価の実態について概観し、そのうえで、本研究の意義と目的を述べた。

第2章では、小学生の視写(copy)における書字の発達について検討した。その結果、書字速度は学年が進むにつれて直線的に増加し、男女差が認められた。誤りについては、視写ではそもそも誤りが少なく、視写だけでは誤りの分析には不充分であることが明らかになった。

第3章では、小学生の聴写(dictation)における書字の発達について検討した。その結果、書字速度については、第2章の視写と同様、学年進行ともに直線的な発達が認められ、男女差があった。誤りの発達は、有意味単語課題と無意味単語課題とでは異なっており、書字に関係する様々な要素の発達の関与が示唆された。特殊音節の誤りが明確で、男女差があった。

第4章では、視写と聴写というモダリティ別の比較を行った。書字速度は聴写の場合の方が有意に速かった。特殊音節の誤りの比較では、視写では2年生以降ではほとんど認められないため、評価項目にしにくいが、聴写では5年生まで直線的に減少していたので、特殊音節の誤り検出のためには、聴写課題を行う必要があることが明らかになった。

第5章では、書字障害の症例を2例考察した。2例とも各種の検査によってその実態を把握したうえで支援技術(assistive technology、 AT)を活用した支援を行った。標準化された書字評価検査がないために、多くの検査を行う必要があった。書字速度の評価を行うことによって、それぞれの症例の障害原因が推定できた。2症例の検討から、作成する書字検査では、課題に無意味文・単語を含めること、課題の提示は配布と掲示の両方を実施すること、及び、視写・聴写の両モダリティで実施することの必要性が明らかになった。また、ATを活用した支援が有効であることも明らかになった。

第6章では、第2章、第3章、第4章、第5章の結果である書字の発達について考察を加え、そのうえで日本語書字障害スクリーニング検査作成時に考慮すべき観点を具体的に提案した。

第7章では、総括として、研究のまとめを行い、今後の課題として、判読性(legibility)の研究、書字評価検査作成、及び、AT(支援技術)を活用した支援研究をあげ、今後の展望としては、書字そのものの研究の必要性を述べた。

審査の結果、本研究は日本語の書字障害をめぐる問題のみならず、日本の小学生の書字能力の発達全般の研究にとっても非常に重要な基礎的知見を提供した研究であり、今後の展開も期待される有益な研究成果であると認められるため、学位授与に相当するという合意がなされた。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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