学位論文要旨



No 123523
著者(漢字) 橋場,参生
著者(英字)
著者(カナ) ハシバ,ミツオ
標題(和) 発声障害者のためのウェアラブル人工喉頭の開発研究
標題(洋)
報告番号 123523
報告番号 甲23523
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6839号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 特任教授 中邑,賢龍
 東京大学 准教授 渡邊,克巳
 東京大学 准教授 井野,秀一
 東京大学 講師 高橋,宏知
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,喉頭癌等の理由によって発声機能に深刻な障害を負い,音声によるコミュニケーションが困難となった人々のための発声支援機器「電気式人工喉頭」に関する研究について述べたものである.

音声は,我々が生活する上で極めて重要なコミュニケーション手段であり,意図した時に直ちに利用できる,道具を必要としない,両手を束縛しない等の様々な利便性を備えている.また,話者の感情や個人性に関わる情報を伝達する上でも重要な役割も果たしている.この音声の生成は,人間が生来備えている肺,声帯,口腔,舌,唇等の巧みな連係動作によって実現されており,これらの器官の一箇所にでも障害が生じれば,音声による円滑なコミュニケーションは困難になる.喉頭癌等による喉頭の摘出は,このような発声障害を引き起こす代表的な事例の一つである.

喉頭は気管と咽頭の境界に位置しており,その内面には,声帯と呼ばれる左右一対の筋肉のひだがある.健常者が発声を行う場合は,肺からの呼気流によって声帯が振動し,有声音の基になる喉頭原音が生成される。しかし,喉頭と共に声帯が摘出されると,この喉頭原音の生成が不可能になり,通常の発声機能が損なわれる.このような障害を負った喉頭摘出者は,国内に約2万人,全世界に約60万人いると言われている.

ところで,喉頭を摘出しても,口腔,舌,唇等の構音器官は,手術後も保存されている場合が多いことから,何等かの方法で喉頭原音の代わりとなる原音(以下,代用原音と記す)を作り出すことができれば,残された構音器官を活用して,再び発声することが可能になる.電気式人工喉頭は,電気機械的に生成した振動音を原音として,このような代用発声を可能にする機器であり,その簡便さなどの特長から,喉頭摘出者の生活に欠かせない福祉機器として広く普及している.

しかし,従来の電気式人工喉頭には,抑揚の無い不自然な音声しか発声できないという大きな問題があり,また,発声中は顎下部に機器を押し当て続ける必要があるため,健常時のように手を自由に使えず,姿勢も制約されるという問題があった.さらに,これまで国内で使用されていた電気式人工喉頭は全て海外からの輸入品であったため,国内ユ.__.ザの要望を製品に反映させることは困難であり,修理等のアフターケアでさえ十分とは言えない状況にあった.

本研究の目的は,喉頭摘出者に対して,手術前に近い音声コミュニケーションを可能にする新しい電気式人工喉頭を提供することにある.そのために求められる要件としては,意図した時に直ちに発声できること,両手が自由に使えること,姿勢が制約されないこと等があげられる.また,人間らしい音声の自然性を有すること,アクセントやイントネーションを表出できること,会話に十分な音量を得られること等も要件として望まれる.

そこで本研究では,まず,電気式人工喉頭の構築に必要となる振動子や制御回路等の要素技術開発に取り組み,実用化に不可欠な基盤技術の確立を図った.また,従来の電気式人工喉頭における音声の不自然さを解消するため,伊福部研究室の基礎研究である抑揚制御手法の実用化を図った.さらに,国産の電気式人工喉頭を待ち望むユーザの要望に早期に応えるために,研究の中間成果として,抑揚制御が可能な把持式人工喉頭の研究開発に取り組み,自然な音声で会話できる新しい電気式人工喉頭として製品化した.

本電気式人工喉頭は1998年に国産初の製品として販売が開始され,2006年迄に約3,800台が普及するに至っている.また,アンケートによる調査結果から,音質,デザイン,操作性,大きさ等の基本的仕様について,良好な評価を受けていることがわかった.さらに,抑揚制御機能に関しては,現状の利用者が2~3割程度となっており,より利用範囲を広げるためには,機能利用時に両手を必要としない操作方法の実現や,呼気を検出するセンサの性能向上が必要であることがわかった.

次に,以上の把持式人工喉頭の開発・評価成果を踏まえて,より使い勝手を向上させた人工喉頭,即ち,頸部に装着可能で,手による操作を必要とせず,抑揚のついた自然な音声で会話できるウェアラブル人工喉頭の開発研究に取り組んだ.

人工喉頭のウェアラブル化に向けては,まず,振動子の小型・薄型化を図ると共に,振動子のオン・オフを指先のわずかな動作だけ可能にする無線式スイッチ,及び,ポケット等に収納可能なコントローラを開発した.また,手を使わずに薄型振動子を頸部に固定可能にするために,数種類の装着具を試作・検討し,最終的に,熱可塑性樹脂を素材とする装着具が,安定した発声に最も有効であるとの結果を得た.そして,以上の成果を基に,ウェアラブル人工喉頭の第一次試作器を製作し,喉頭摘出者を被験者とする評価試験を通じて,メモを取りながらの電話応対など,従来困難であった様々な動作が容易に可能になることを確認した.

さらに,上記の試作に続いて,手を使わずに抑揚制御機能を利用可能にする高感度呼気センサの研究に取り組み,最終的に,手による操作を全く必要とせず,抑揚のついた自然な音声で,意図したときに直ちに発声できる呼気制御型ウェアラブル人工喉頭を開発し,実用化への目処をつけた.

また,本研究の過程において生じた新たなニーズ,即ち,筋萎縮性側索硬化症(ALS)や筋ジストロフィー等の患者の発声支援にも電気式人工喉頭を活用したいという要望に応えるため,代用原音の生成だけでなく,口腔や舌などによる構音機能も代行する発声支援技術についても基礎研究を行い,より多くの発声障害者を支援するための道筋をつけた.

本論文は全10章から構成される.第1章では,これまで述べたように本研究のもつ背景と本研究の目的について述べた.

第2章では,本研究の背景として,まず,ヒトの発声器官の仕組みと,喉頭摘出によって生じる発声障害について述べた.次に,喉頭摘出者のための種々の代用発声法を整理し,本研究で対象とする電気式人工喉頭の実用化の状況と課題についてまとめた.さらに,電気式人工喉頭のハンズフリー化やウェアラブル化に関連する従来の研究を概説し,その中での本研究の位置づけを述べた.

第3章では,本研究の第一段階として位置づけられる,伊福部らの研究グループが取り組んできた基礎研究の経過についてまとめた.また,研究開発に着手する上での基礎資料として,喉頭摘出者が望む電気式人工喉頭の改善点についてアンケート調査を行い,優先的に取り組むべき課題の分析を行った.

第4章では,電気式人工喉頭の構築に必要となる振動子や制御回路等の要素技術開発に取り組み,実用化に不可欠な基盤技術の確立を図った.また,従来の電気式人工喉頭における音声の不自然さを解消するため,基礎研究で有効性が確認された抑揚制御手法の実用化を図った.さらに,国産の電気式人工喉頭を待ち望むユーザの要望に早期に応えるために,抑揚制御機能を備えた把持式人工喉頭の実用化に取り組み,その製品化を果たした.

第5章では,製品化した抑揚制御型電気式人工喉頭の評価を行うため,製品の利用者にアンケート調査を実施し,製品技術の満足度や改善点,今後望まれる開発項目などに関して調査を行った.さらに,調査を通じて明らかになった抑揚制御機能の課題等について考察し,ウェアラブル人工喉頭の研究開発に反映させた.

第6章では,前章までに得られた技術蓄積を基にして,機器を把持する必要が無く,手が自由に使える電気式人工喉頭の研究に取り組み,薄型振動子,コントローラ,小型無線スイッチから構成されるウェアラブル人工喉頭の第一次試作器を開発した.また,喉頭摘出者を被験者として,試作器による発声試験と操作試験を実施し,その有用性を確認した.

第7章では,手を使わずに抑揚制御機能を利用可能にする高感度呼気センサの研究を行い,第6章の研究成果と組み合わせることによって,最終的に,手による操作を全く必要とせず,より自然な音声で,意図したときに直ちに発声できる呼気制御型ウェアラブル人工喉頭を実現し,実用化の目処をつけた.

第8章では,課題と展望として,本研究の成果であるウェアラブル人工喉頭の製品化に向けた今後の取り組みについて述べ,さらに,残された課題やその解決方向などについてまとめと考察を行った.また,本研究から派生した新たな研究課題として,口腔や舌などの構音器官の機能を代行する発声支援技術について基礎研究と試作を行った。.

第9章では,これまで国内に存在しなかった電気式人工喉頭という福祉機器が,基礎から実用に至った過程と,その過程において産学官が果たした役割についてまとめた.また,製品化が達成された要因や今後の課題について,市場性,公的支援,アフターケアなどの観点から考察した.

第10章では,本研究の結論と今後の課題や展望についてまとめた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,喉頭癌等の理由によって発声機能に障害を負い,音声によるコミュニケーションが困難となった人々のための発声支援機器「電気式人工喉頭」に関する研究について述べている.特に,抑揚を制御できる電気式人工喉頭を製品化に導いた過程と,その評価の結果について論じている.その評価結果に基づき,使用中に両手や姿勢が制約されることが無く,抑揚のある自然な声で,意図した時に直ちに発声できるウェアラブル人工喉頭を研究開発し,実用化した装置について論じている.

具体的には,第一段階として,従来の電気式人工喉頭の音質改善等に関する基礎研究を行い,第二段階として,抑揚のついた自然な音声で会話ができる把持式人工喉頭の研究開発に取り組んでいる.この研究成果は,1998年に国産初の電気式人工喉頭として製品化され,2006年までに約3,800台が普及するに至っている.また,ユーザである喉頭摘出者を対象とした調査・分析により製品を評価し,より使い勝手の良い電気式人工喉頭を実現するためには,ハンズフリー操作の実現や,抑揚制御に必要な呼気センサの高感度化が課題となることを指摘している.

次に,第三段階として,電気式人工喉頭のウェアラブル化に取り組み,薄型振動子を熱可塑性樹脂で頸部に固定する方式により,ハンズフリー操作を可能にしたウェアラブル人工喉頭の試作器を研究開発している.また,喉頭摘出者による発声試験や操作試験を通じて試作器の有用性を論じている.

研究の最終段階として,手を一切使わずに振動子のオン・オフと抑揚制御機能を可能にするための高感度呼気センサの研究開発に取り組み,その成果を上記試作器に適用し,意図したときに直ちに発声できる呼気制御型ウェアラブル人工喉頭の実用化を達成している.

また,本研究から派生した課題として,音声器官を制御することが困難な構音障害者のための音声生成インタフェースについても基礎研究を行い,より多くの発声障害者を支援する新しい技術に関しても研究の道筋をつけている.

本論文は全体で1章から10章で構成されており,第1章では,本研究の背景と目的について述べている.

第2章では,まず,ヒトの発声器官の仕組みや喉頭摘出によって生じる発声障害について述べ,次に,喉頭摘出者の種々の代用発声法を整理し,電気式人工喉頭の現状や課題についてまとめている.また,電気式人工喉頭のウェアラブル化に関連する従来研究を整理し,その中での本研究の位置づけを明確にしている.

第3章では,これまでの基礎研究の経過についてまとめると共に,喉頭摘出者が望む電気式人工喉頭の改善点について,独自に調査・分析した結果について述べている.

第4章では,電気式人工喉頭の実用化に欠かせない振動子や制御回路等の研究開発に取り組み,基盤技術の確立を図っている.また,人工喉頭音声の不自然さを解消するため,基礎研究で有効性が確認された抑揚制御手法を具体化している.さらに,国産の電気式人工喉頭を待ち望むユーザの要望に早期に応えるために,抑揚制御機能を備えた把持式人工喉頭の実用化に取り組み,その製品化を果たしている.

第5章では,ユーザへのアンケート調査を通じて,製品化した抑揚制御型電気式人工喉頭の評価を行い,さらに解決が必要な課題の抽出を行っている.また,評価により明らかになった抑揚制御機能の改良点等について考察し,その結果をウェアラブル人工喉頭の研究開発へと反映させている.

第6章では,前章までの成果をさらに発展させることにより,会話中も両手が自由に使える電気式人工喉頭の研究に取り組み,薄型振動子とその装着具,小型無線スイッチ,コントローラから構成されるウェアラブル人工喉頭の第一次試作器を開発している.また,喉頭摘出者を被験者として発声試験や操作試験を実施し,その有用性と問題点を明らかにしている.

第7章では,手を使わずに抑揚制御機能を利用できるようにするための高感度呼気センサの研究に取り組んでいる.さらに,第6章の成果と組み合わせることによって,手による操作を全く必要とせず,より自然な音声で,意図したときに直ちに発声できる呼気制御型ウェアラブル人工喉頭の実用化を達成している.

第8章では,課題と展望として,ウェアラブル人工喉頭の製品化に向けた今後の取り組みについて述べ,さらに,残された課題やその解決方向などについて考察を行っている.また,本研究から派生した新たな研究課題として,口腔や舌などの構音器官の機能を代行する音声生成インタフェースについての基礎研究と試作を行っている.

第9章では,これまで国内に存在しなかった電気式人工喉頭という福祉機器が基礎から実用に至るまでの過程において産学官が果たした役割についてまとめている.とくに,製品化する上で考慮すべき市場性,流通形態,公的支援,アフターケアなどを考察している.

第10章では,結論として本研究の内容をまとめている.

以上のように,本論文では,喉頭摘出者に自然な音声コミュニケーション手段を提供することを目標として研究開発に取り組み,会話中に両手や姿勢が制約されること無く,抑揚のある自然な声で発声できるウェアラブル人工喉頭を実用化している.本研究は,喉頭摘出者の社会復帰を支援する上で多大な貢献をなすとともに,音声に関する福祉工学,音響工学に資するところが大きい。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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