学位論文要旨



No 123527
著者(漢字) 後藤,佑樹
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,ユウキ
標題(和) 特殊構造含有ペプチドの翻訳合成
標題(洋) Ribosomal Synthesis of Peptides Containing Unusual Structures
報告番号 123527
報告番号 甲23527
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6843号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

翻訳とは生体内で普遍的に行われているタンパク質合成系であり、遺伝情報をコードしたmRNAを設計図としてリボソームが20種類の天然アミノ酸を順に繋ぎ合わせていくことでタンパク質を正確に合成している。この様に多種類のビルディングブロックを正確な配列制御を伴って重合させられるシステムは他に例が無く、翻訳系は超精密な化合物合成システムと言える。特に、ペプチドライブラリーの合成及び機能性ペプチドの探索を行う場合、有機合成的なペプチド合成法と比べ、翻訳合成系は優れた特徴を持つ。まず、ランダムな配列を持つmRNAを翻訳するだけで非常に多様性の高いペプチドライブラリーを簡単に構築することが可能だ。また、コンビナトリアルライブラリーからの活性種のデコンボリュ0ションも、分子生物学的手法を用いることで簡便に行うことができる。さらに、進化分子工学的な実験法で機能性ペプチドをスクリーニングすることも可能である。

一方、微生物代謝産物や海洋天然物の中にはN末端アシル基・D-アミノ酸・α,β-不飽和構造・大環状骨格などの特殊骨格を含有するペプチド性の生理活性物質が多く見受けられる。これら特殊骨格はべプチダーゼ耐性・高次構造の安定化・膜透過性の向上などに影響し、高い生理活性の由来となっている。これら特殊骨格を含むペプチドのライブラリーを翻訳系で構築できれば、新規生理活性物質の効率的開発が期待できるが、翻訳系では天然の蛋白質とかけ離れた構造を含むこのようなペプチドを、通常は合成する事ができない。翻訳系を改変する試みが近年行われているが、非天然型側鎖アミノ酸を導入したペプチドを合成するにとどまるものが中心で、上記の様な特殊骨格含有ペプチドの合成はほとんど行われていない。

本論文では、無細胞翻訳系を人工的に改変する事で、特殊骨格含有ペプチドを効率的に翻訳合成する手法について報告する。ここでは大きく分けて、二つの戦略を利用することで特殊骨格含有ペプチドの翻訳合成を達成した。1・2・3章では、翻訳の開始反応を改変することでN末端に特殊骨格をもつペプチドの合成を行った。4・5章では、翻訳完了後に自発的に化学反応をおこす官能基をペプチド中に組み込むことで、翻訳後に特殊骨格を形成させることに成功した。

〈1・2・3章〉

これまで行われてきた、特殊骨格を翻訳合成に組み込もうとした研究では、全て翻訳伸長反応の改変に注目していた。一方、我々は、伸長反応と開始反応とでは基質アミノ酸の認識機構が全く異なるため、伸長反応では導入できない骨格でも開始反応においては導入可能ではないかという仮説のもと、開始反応の改変を試みた。生理活性ペプチドのN末端構造にはアセチル基、ピログルタミン酸、ヘキサノイル基等の多様な修飾が見られ、またアミノ酸側鎖もバリエーションに富むが、大腸菌由来の無細胞翻訳系を用いた場合、翻訳産物のN末端は、通常はホルミルメチオニンに限られてしまう。開始反応を改変することができれば、N末端にホルミルメチオニン以外の様々な骨格をもつペプチドの合成が可能になる(図1)。

1章では、伸長反応の改変法の一つとして知られていた遺伝暗号のリプログラミングの概念を開始反応に適用することに成功した(図2)。つまり、様々なアミノ酸を結合させた開始tRNAを網羅的に調製し、メチオニンを除いた翻訳系に加えることで、翻訳反応を開始できることを解明した。この手法を用いることで、メチオニンのみに限定されず、様々なアミノ酸(20種類の天然アミノ酸全て)をN末端に持つペプチドの翻訳合成に成功した。また、脂肪酸・ピログルタミン酸・翻訳後修飾可能な官能基などの多種多様なアシル基修飾を持ったアミノ酸でも開始反応の開始が可能であることも明らかにした。これらの手法は、天然に見られるN末端に修飾基を持つ生理活性ペプチドを直接翻訳合成する新規技術となる。

2章においては、1章で確立した開始反応のリプログラミングを利用し、D-アミノ酸が翻訳開始反応の基質になるかどうかを網羅的に調査した(図2)。その結果、用いた19種類のD-アミノ酸全てが、翻訳開始反応において、開始残基として受け入れられることを見出した。天然アミノ酸の光学異性体であるD-アミノ酸が翻訳系に受け入れられた報告はこれまでになく、全く新規な発見である。D-アミノ酸は生理活性ペプチドに多く見受けられる特殊骨格であり、ここで得られた成果は科学的にも応用的にも非常にインパクトが大きい。また、D-アミノ酸はメチオニルtRNAホルミル転移酵素(MTF)の基質にならず、得られる翻訳産物のN末端はホルミル化されないことも発見した。

3章では、通常アミノ酸が結合したtRNA(アミノアシルtRNA)が働く開始反応において、短鎖ペプチドが結合したtRNA(ペプチジルtRNA)でも機能するか調べた研究について報告する(図2)。本章ではまず、アミノアシルtRNA合成リボザイムであるフレキシザイムが、様々なペプチドを基質とでき、ペプチジルtRNA合成の汎用技術としても利用できることを実証した。本技術はベプチジルtRNAを合成する一般的な手法として応用可能であり、今後の翻訳系研究の有用なツールとなる。さらに、ここで合成したべプチジル開始tRNAを用いた場合でも、開始反応が進行することを見出した。特殊骨格を含むペプチドを用いれば、翻訳産物に複数の特殊骨格を一挙に導入することができる点から、応用面が広がる技術である。実際、本章ではD-アミノ酸・βアミノ酸・N-メチルアミノ酸・アミノ安息香酸などの各種特殊骨格を複数含むペプチドの翻訳合成に成功した。

〈4・5章〉

大環状骨格・α,β-不飽和構造といった特殊骨格は通常の翻訳系では合成することができない。しかし、高次構造を安定させたり、特徴的な化学反応性を持つ事から生理活性ペプチドによく見られる構造であり、こうした構造を含むペプチドを翻訳合成する意義は大きい。ここでは、翻訳後に化学的な変換を行う事で翻訳産物のペプチドにこれらの特殊骨格を組み込む事を目指した。これまでにも化学的に修飾反応を行う試みは行われてきたが、翻訳後に反応剤を加えなければならない・骨格変換反応において、目的以外の副反応も伴ってしまう、などの欠点があった。そこで我々は、翻訳後に自動的に進行する化学反応を用いることでこの問題を解決した。本手法では特別な試薬を加える必要はなく、翻訳反応終了と同時に目的の特殊骨格形成は完了するため、操作が簡便であり、大規模なペプチドコンビナトリアルライブラリーを構築する場合に非常に大きなメリットをもたらす。また、その自発的な化学反応のため副反応も抑えられ、質の良いライブラリーが得られることが期待できる。

4章では生理的条件下で安定な大環状骨格をとるペプチドの翻訳合成について述べる(図3)。通常の翻訳産物は、システイン残基間のジスルフィド結合で閉環した大環状骨格を形成することができるが、生体内の生理的条件下では速やかに還元され開環してしまう。そこで、生理的条件下で安定なチオエーテル結合で閉環したペプチドの翻訳合成に取り組んだ。1章で開発した技術を利用すれば、N末端にクロロアセチル基を導入したペプチドを合成する事ができる。この時、ペプチド配列中にシステイン残基を存在させると、翻訳反応条件下で速やかに求核置換反応が進行しチオエーテル結合で閉環した大環状骨格が構築された。実際に、本技術を用いて抗癌性ペプチドとして知られるG7-18NATEを翻訳合成することに成功した。さらに、本技術の実用性を実証するため、チオエーテル環状ペプチドのライブラリ0の構築も行った。

5章においては、α,β一不飽和アミノ酸の一種であるデハイドロブチリン(Dhb)を含有するペプチドの翻訳合成について報告する(図4)。ここでは、非天然アミノ酸であるビニルグリシンを前駆体として、翻訳後にDhb骨格を形成させる戦略を用いる。我々は、ビニルグリシンが翻訳の伸長反応に効率良く取り込まれ、その後翻訳反応条件下で容易に不可逆的異性化を起こし、翻訳反応後にDhbへと変換されることを発見した。さらにペプチド中にシステイン残基を配置すれば、マイケル付加反応を経て、4章の場合とは異なる構造の大環状骨格へと変換可能であった。この場合に形成される環状骨格は抗菌性天然物として知られる1antibiotic系ペプチドに見られる骨格と全く同一であり、当技術で合成可能となるペプチドは新規抗菌化合物として高い可能性を秘める。

図1翻訳開始反応のリプログラミング。(a)メチオニンを翻訳系から除くことで、開始コドンが見かけ上、空になる。(b)アミノアシルtRNA合成リボザイム(フレキシザイム)は多種多様なアミノ酸を任意のtRNAに結合させることが可能である。(c)フレキシザイムを用いて合成したアミノアシル開始tRNAをメチオニンを除いた翻訳系に加えることで、開始残基をメチオニンから望みのものへとリプログラミングできる。その結果、N末端に様々な特殊骨格をもつペプチドが合成可能になる。

図2本論文で用いた様々な開始残基。1章では多様な側鎖およびN-アシル修飾をもったアミノ酸、2章ではD-アミノ酸、3章では特殊骨格を含有する短鎖ペプチドで、翻訳反応を開始可能であることをそれぞれ解明した。

図3生理的条件下で安定な大環状ペプチドの翻訳合成。開始反応のリプログラミング法を用い、N末端にクロロアセチル基を導入したペプチドを合成すると、翻訳反応液中で自発的に環化反応が進行し、チオエーテル結合で閉環したペプチドが合成される。

図4Dhb含有ペプチドの翻訳合成。(i)、(ii)Dhbは水中で速やかに分解されるため、翻訳合成に組み込むことができない。(iii)ビニルグリシンは翻訳合成でペプチドに導入され、(iv)その後速やかに異性化することでDhbへと変換される。

審査要旨 要旨を表示する

翻訳反応は生体内で普遍的に行われているタンパク質合成系であり、遺伝情報をコードしたmRNAを設計図としてリボソームがアミノ酸を順につなぎ合わせていくことでタンパク質が正確に合成される。この合成系はその精密な配列制御から、優れたペプチド合成法であると考えられるが、通常の翻訳反応では20種類の天然アミノ酸からなるペプチドしか合成できず、特にD-アミノ酸に代表されるような特殊骨格は基質とならないといった欠点も併せ持つ。本論文では翻訳合成系を改変することでこの問題を克服し、特殊骨格含有ペプチドの翻訳合成を可能にした新技術を報告している。

序論では、有機化合物の合成ツールとしての翻訳合成系、特殊骨格含有ペプチドの医薬品としての可能性、及び以前までの翻訳合成系で特殊骨格含有ペプチドを合成しようと試みた場合の限界について概観している。

1章では、翻訳産物のN末端への様々な骨格の導入を可能にする、開始反応のリプログラミング法を新たに開発している。つまり、様々なアミノ酸を結合させた開始tRNAを網羅的に調製し、メチオニンを除いた翻訳系に加えることで、翻訳反応を開始できることを解明している。この手法を用いることで、メチオニンのみに限定されず、様々なアミノ酸(20種類の天然アミノ酸全て)をN末端に持つペプチドの翻訳合成に成功している。また、脂肪酸・ピログルタミン酸・翻訳後修飾可能な官能基などの多種多様なアシル基修飾を持ったアミノ酸でも開始反応の開始が可能であることも明らかにしている。これらの手法は、天然に見られるN末端に修飾基を持つ生理活性ペプチドを直接翻訳合成する新規技術となる。

2章においては、1章で確立した技術を利用し、D-アミノ酸が翻訳開始反応の基質になるかどうかを網羅的に調査している。その結果、用いた19種類のD-アミノ酸全てが、翻訳開始反応において、開始残基として受け入れられることを見出している。天然アミノ酸の光学異性体であるD-アミノ酸が翻訳系に受け入れられた報告はこれまでになく、全く新規な発見である。D-アミノ酸は生理活性ペプチドに多く見受けられる特殊骨格であり、ここで得られた成果は科学的にも応用的にも非常にインパクトが大きい。

3章では、通常アミノ酸が結合したtRNAが働く開始反応において、短鎖ペプチドが結合したtRNAでも機能するか調べた研究について報告している。本章ではまず、アミノアシルtRNA合成リボザイムであるフレキシザイムが、様々なペプチドを基質とでき、ペプチジルtRNA合成の汎用技術としても利用できることを実証している。さらに、ここで合成したペプチジル開始tRNAを用いた場合でも、開始反応が進行することを見出している。これにより、D-アミノ酸・β-アミノ酸・N-メチルアミノ酸・アミノ安息香酸などの各種特殊骨格を複数含むペプチドの翻訳合成に成功している。

4章では生理的条件下で安定な大環状骨格をとるペプチドの翻訳合成について述べている。1章で開発した技術を利用し、N末端にクロロアセチル基を導入したペプチドを合成している。この時、ペプチド配列中にシステイン残基を存在させることで、翻訳反応条件下で速やかに求核置換反応が進行しチオエーテル結合で閉環した大環状骨格が構築させる新技術を開発している。実際に、本技術を用いて抗癌性ペプチドとして知られるG7-18NATEを翻訳合成することに成功している。さらに、チオエーテル環状ペプチドのライブラリーの構築を行うことでも、本技術の実用性を実証している。

5章においては、α,β-不飽和アミノ酸の一種であるデハイドロブチリン(Dhb)を含有するペプチドの翻訳合成について報告している。ここでは、ビニルグリシンが翻訳の伸長反応に効率良く取り込まれた後、前駆体ペプチドが翻訳反応条件下で容易に不可逆的異性化を起こし、翻訳反応後にDhbへと変換されるという方法を確立している。さらにペプチド中にシステイン残基を配置することで、マイケル付加反応を経て、抗菌性天然物として知られるlantibiotic系ペプチドに見られる環状骨格を形成することに成功している。

6章においては、新概念の翻訳合成系である「dual genetic code expression法」を開発している。AUG以外の複数のコドンが開始コドンとして機能すること、さらにそれら改変開始コドンに利用されたコドン配列が同一翻訳系中で改変伸長コドンとしても機能することを実証している。本手法は翻訳系の制御系に関する新たな知見を見出すための研究ツールとして利用可能であるだけでなく、多様なN末端構造を持つペプチドライブラリーを効率よく構築する工学的な応用も可能である点に言及している。

結論では、本論文の総括と意義、今後の展望について述べている。

以上、本論文では、翻訳合成系を利用し特殊骨格含有ペプチドを合成するための、独創性の高い複数の新規技術が提案・実証されている。これらの成果が、今後のバイオテクノロジー及びケミカルバイオロジーの発展に与える意義は非常に大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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