学位論文要旨



No 123531
著者(漢字) 大野,修司
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,シュウジ
標題(和) 鉛ビスマスと放射性不純物の蒸発特性に関する実験研究
標題(洋)
報告番号 123531
報告番号 甲23531
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6847号
研究科 工学系研究科
専攻 原子力国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 准教授 陳,迎
 東京大学 准教授 鈴木,晶大
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

鉛ビスマス共晶合金(44.5wt%Pb-55.5wt%Bi)は、加速器駆動核変換システム(ADS)の核破砕ターゲット材や冷却材または高速増殖炉(FBR)の冷却材として利用が検討されている。鉛ビスマスを原子炉システムで利用する場合、通常運転時の放射化、核破砕、また異常・事故時の燃料破損に起因して、液体中には放射性不純物が混在する。このため、鉛ビスマス冷却型の原子炉システムを設計・評価するには、放射性不純物が冷却材からカバーガス相へ移行する挙動を把握することが必要である。

蒸発挙動は、液相から気相への物質移行挙動の中で最上流に位置する基本現象のひとつである。しかし現状では、実験測定を必要とする鉛ビスマス中不純物の蒸発挙動は解明に至っておらず、さらに鉛ビスマス自体の基礎的な蒸発物性すら十分なデータは整備されていない。

そこで本研究では、鉛ビスマス及び鉛ビスマス中の放射性不純物の蒸発特性を解明し、プラント設計や安全性評価に役立つデータを提供することを目的として、蒸発挙動の基礎を支配する気液平衡蒸発に着目した実験研究を行うこととした。以下が研究課題である。

・鉛ビスマスを対象とした気液平衡蒸発実験手法の確立

・鉛ビスマスの蒸発挙動の解明

・鉛ビスマス中に混ざり込む重要な放射性不純物の蒸発挙動の解明

対象とした放射性不純物は、毒性と揮発性の高い放射化生成物ポロニウム(210Po)、原子炉の安全性評価で重要元素とされるセシウム(Cs)、同じく重要元素であると同時にPoと類似の化学的性質を有するテルル(Te)である。

2.実験手法

実験には、気液平衡状態において溶媒と溶質の蒸気を定量できる「動的流通法」(Tran -spiration法)を用いた。等温容器内の飽和蒸気を不活性キャリアガスで下流の細管へ移送し、凝縮捕集して定量する手法である。鉛ビスマス及び鉛ビスマス中のTeまたはCsを対象とした蒸発実験は、非放射性の安定同位体を使用するコールド実験とした。

実験装置は、内容積約720 cm3のステンレス製円筒型蒸発容器、電気加熱炉、ガス供給系、蒸気捕集系及びデータ収録系で構成される。鉛ビスマス及びCs等の試料は純度低下防止の工夫を凝らしつつ蒸発容器に充填した。概略の実験手順は、(1)試料入り蒸発容器の加熱、(2)ガス流通による飽和蒸気の捕集、(3)実験後の細管内凝縮物の回収・分析である。蒸気凝縮物は酸に溶かした後、誘導結合プラズマ質量分析にて定量した。

本実験手法では、蒸気飽和度を保つために、容器内の温度分布に対する留意や適切なキャリアガス流量設定を要する。また、飽和蒸気を漏れなく捕集し、かつ実験前後等に凝縮付着する蒸気は極力排除することが要点である。このため、予備的な実験を行い誤差要因の影響度を確認した。温度・流量測定及び分析の誤差を合わせると、本実験で得る蒸気量に付随する誤差は、最大で-30~+60%と見積もられた。

実験では、蒸気飽和度を確認する目的でガス流量と実験時間を測定ごとに変えるほか、蒸発特性を把握するために温度をパラメータとした。鉛ビスマス冷却型原子炉の通常運転時から事故時までカバーするよう、450℃~750℃の温度範囲とした。

3.鉛ビスマスの蒸発挙動

鉛ビスマス単体を対象とした実験では、ガス流量や実験時間を変えてもほぼ一定の捕集蒸気濃度が得られることから、飽和蒸気を定量する本実験手法の妥当性を確認した。

実験結果をもとに、気相中の蒸気成分質量比[Bi/Pb]は液相中の比(1.25)よりも大きく3.0±0.6であることを明らかにし、それが二量体Bi2蒸気の生成に対応するものと推定した。鉛ビスマスの蒸気がPb, Bi, Bi2の3成分で構成されると仮定し、Bi2解離反応の化学平衡計算からBiとBi2の存在割合を算定して、鉛ビスマス飽和蒸気圧を求めた(図1)。本実験で算出した蒸気圧は、比較的低温領域の既往研究結果と整合する。鉛ビスマス飽和蒸気圧は、Clausius-Clapeyron型の温度相関式として定式化した。

logPLBE[Pa] = 10.2-10100/T[K](適用温度は550~750℃)

この式を高温側へ外挿すると沸点は1671℃となり、文献値(1670℃)に良く一致する。蒸発潜熱は相関式の温度勾配から193kJ/molと算定した。

同様に、鉛ビスマス飽和蒸気中の鉛の蒸気分圧に関する相関式を導出した。

logP(Pb-LBE)[Pa] = 9.37-9800/T[K] (適用温度は450~750℃)

さらに、本実験で得た鉛ビスマス上の鉛及びビスマスの蒸気量測定値を理想溶液上の蒸気量計算値と比較し、鉛ビスマス中における鉛及びビスマスの活量係数を見積もった。鉛ビスマス中の鉛及びビスマスの蒸気圧はラウール則よりも負の方向へシフトしており、液体合金中で鉛とビスマスの間に引付け合う力が作用することが示唆された。

4.鉛ビスマス中の放射性不純物の蒸発挙動

鉛ビスマス中のTe、Cs、Poを対象とした平衡蒸発測定実験は、基本的に鉛ビスマス蒸発実験と同じである。TeとCsの場合は非放射性の安定核種を使用した。Poの実験では、中性子照射によって放射性210Poを生成させた鉛ビスマス試料を使用した。また、Po蒸発実験にはコールド実験装置と同じ機能を有する石英ガラス製の小型装置を使用し、210Poはα液体シンチレーション計測によって定量した。

Te実験では液相Te分率(xTe)をパラメータとした。その結果、Te蒸気濃度はxTeが0.002以下の条件でxTeに比例する傾向が認められ、ヘンリー則の成立する(理想希薄溶液と見做せる)範囲を同定できた。これによりPo実験でもヘンリー則成立の確信が得られ、実験結果の原子炉条件への適用性が示された。Cs実験はxCsが高くヘンリー則成立の証拠は無いが、Te実験及び既往研究からの類推により妥当性を評価した。

不純物溶質の蒸発量測定値に基づき、鉛ビスマスと同様に蒸気分圧の相関式を求めたほか、[気相蒸気中の溶質分率]/[液相中の溶質分率]で定義する「気液平衡分配係数(Kd)」の形でまとめた(図2左)。Kdの整備により、異なる不純物溶質同士での揮発性比較が容易となり、液相における不純物溶質分率を入力条件として気相の不純物蒸気量を算出することが可能となった。また、溶質がラウール則に従う状態を基準とした活量係数γを実験結果から求め(図2右)、不純物溶質の揮発性の高低を特徴付ける有用なデータを得た。

鉛ビスマス中Teの蒸発実験では、鉛ビスマスへのTe添加によって鉛蒸気量が増大する傾向をもとに、Teは気相中でPbTe(g)の形態で振舞っていることを示した。また、化学的性質に類似性を有するPoについても、鉛ビスマスからの蒸発時にPbPo(g)として存在する可能性が高いと推定した。

5.鉛ビスマス中の不純物の蒸発挙動に関する考察と評価

鉛ビスマス中の放射性不純物の蒸発挙動について理解を深めるために、本研究で取得・整備してきた蒸発特性量を用いて評価・検討を行った。

(1)ナトリウム環境における蒸発特性との比較

液体ナトリウム中の微量のCsまたはTeに関する蒸発実験研究の報告を参照し、本研究で得た鉛ビスマス中の不純物蒸発特性と比較検討した。

ナトリウムを溶媒とした既往研究で得られた気液平衡分配係数Kdi-Naと本研究で提示したKdi-LBEを使い、Cs及びTeが溶媒中に同じ割合で混入する条件において、それら不純物の蒸発量をナトリウム環境と鉛ビスマス環境で比較した。その結果、Csはナトリウム中よりも鉛ビスマス中に混入する場合に揮発性が低下すること、一方Teは鉛ビスマス中に混入する場合の方が高い揮発性を示すことを明らかにした。そして、揮発性変動の程度は溶媒と溶質の組合せに応じた活量係数によって定量化されることを実データを使って示した。さらに、活量係数の大小関係は溶媒と溶質の電気陰性度の差によって概ね説明できることを示した。

(2)冷却材カバーガス中の放射性不純物蒸気量の評価

(210)Poは鉛ビスマス冷却型原子炉の代表的な放射化生成物とされるが、長期運転後には(210m)Biが冷却材中の残留放射能を支配するとの報告例がある。そこで、冷却材中の(210)Poと(210m)Biの蓄積量に文献値を採用し、本研究で得た両核種の蒸気圧相関式を適用して、等温条件にあるカバーガス空間での蒸気量を見積もった。カバーガス中において、質量濃度では(210m)Biの方が、放射能では(210)Poの方が高濃度であることがわかり、規制値との比較から(210)Poの移行評価の重要性を定量的に示した。

6.結論

鉛ビスマス及びその中に蓄積する安全上重要な放射性不純物の気液平衡蒸発について定量的に調べる実験手法を確立した。

鉛ビスマスの蒸発実験から、その飽和蒸気圧の温度依存性を表現する相関式を提案した。また、鉛ビスマス蒸気の組成、蒸発潜熱、液相中における各成分の活量係数など、基礎的な蒸発特性を明らかにした。

鉛ビスマス中のTe、Cs、Poに着目した蒸発実験から、蒸気分圧、気液平衡分配係数、活量係数の温度依存性を表す実験式群を導出するとともに、気相におけるTeの化学形態を推定した。既往研究との比較から、溶媒に応じてCsやTeの揮発性が変動することを示した。

以上のように、原子炉冷却材としての鉛ビスマス及びその放射性不純物の蒸発挙動について、現象の理解を深める有意義な基礎知見を提供した。

図1 鉛ビスマスの飽和蒸気圧

図2 鉛ビスマス中のCs、Te、Poの気液平衡分配係数Kd及び活量係数γ

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、原子炉冷却材としての鉛ビスマス共晶合金及び関連する放射性不純物の平衡蒸発特性を実験により調べたものであり、論文は6章で構成されている。

第1章は序論であり、鉛ビスマスを原子炉システムで冷却材等として利用する場合の課題について述べている。物質が液相から気相へ移行する挙動の中でも最上流に位置する気液平衡蒸発挙動の基礎データを取得することの重要性を示し、鉛ビスマス中に存在する放射性不純物としてポロニウム、セシウム、テルルの平衡蒸発挙動を把握することが必要としている。また、先行研究では鉛ビスマス自体の平衡蒸発データについても十分な基礎データが整備されていなかったとしている。

第2章では、本研究の全体に使用される、鉛ビスマスを対象とした気液平衡蒸発実験の手法について述べている。実験には古典的な蒸気圧測定法である動的流通法を用いている。容器内に生成させた飽和蒸気を下流の細管にて凝縮捕集し定量する本手法を鉛ビスマス系に適用するにあたり、実験測定値に見込まれる誤差の把握と低減に工夫を凝らしたものであるとしている。鉛ビスマス冷却型原子炉の通常運転時から事故時までカバーするよう、実験温度を450℃~750℃の範囲としている。

第3章では、鉛ビスマスを対象とした気液平衡蒸発実験と結果について述べている。実験を進めながら蒸気の飽和度や捕集定量の妥当性に関する確認を行い、実験手法の妥当性を補強したとしている。実験結果の分析検討により、鉛ビスマス蒸気の成分比と組成を示し、鉛ビスマスの飽和蒸気圧の温度相関式を提案している。また、蒸発潜熱、合金中における鉛とビスマスそれぞれの活量係数など蒸発基礎特性を理解するための情報が示されている。

第4章は、鉛ビスマス中のテルル、セシウム、ポロニウムを対象とした気液平衡蒸発実験と結果について述べている。テルル実験では鉛ビスマス液相中のテルル分率を実験パラメータとし、溶質の蒸発に関するヘンリー則の成立範囲を同定している。また、鉛ビスマスヘテルルを添加することで鉛の蒸気量が増大する傾向から、テルルが気相中でPbTeの化学形態となっている実証データを得たとしている。ポロニウムの実験では、中性子照射によって鉛ビスマス中に放射性ポロニウムを生成させた試料を用いて蒸発測定を行っている。実験に供したテルル、セシウム、ポロニウムの3種類の不純物元素について、鉛ビスマス溶媒の蒸発量を基準とした時の不純物蒸発量の程度を表す気液平衡分配係数を求め、その実験式を作成している。これによって、異なる不純物溶質同士で揮発性を比較することが容易になったとしている。さらに、溶質がラウール則に従う状態を基準とした活量係数を求め、その温度相関式を作成している。各不純物溶質が鉛ビスマス中に溶け込む場合の揮発性の高低を特徴付ける熱力学的データであるとしている。

第5章では、本実験研究で取得した蒸発特性値を用いて、評価と考察を実施している。1つめの評価として鉛ビスマス中の不純物蒸発特性をナトリウム中のそれと比較検討し、セシウムとテルルの揮発性が溶媒に応じていかに変動するかを示している。また、揮発性変動度の指標となる活量係数が溶媒元素と溶質元素の電気陰性度差に関連すると考察している。2つめとして、鉛ビスマス冷却型原子炉で重要視される放射性のポロニウム(210Po)とビスマス(210mBi)について、冷却材カバーガス中の蒸気量を見積もり比較している。カバーガス中の蒸気質量では210mBiが、放射能では210Poが多いことを示し、規制値との比較から210Poの揮発性の高さが重要であることを定量的に示すものであるとしている。

第6章は結論であり、本研究のまとめが述べられている。

以上を要するに、本論文は原子炉冷却材としての鉛ビスマス及び鉛ビスマス中の代表的放射性不純物に関する気液平衡蒸発挙動を実験によって研究し、それらの蒸発現象を特徴付ける基礎的知見を提供するとともにプラント設計検討に活用される実験相関式を提示している。この成果は工学の進展に寄与するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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