学位論文要旨



No 123534
著者(漢字) 嵐田,亮
著者(英字)
著者(カナ) アラシダ,リョウ
標題(和) ファイトプラズマの転移性遺伝子クラスターの構造に関する研究
標題(洋)
報告番号 123534
報告番号 甲23534
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博工第3238号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 准教授 中園,幹生
 東京大学 客員准教授 濱本,宏
内容要旨 要旨を表示する

ファイトプラズマは植物の篩部細胞内に寄生して病気を引き起こす植物病原細菌である.昆虫(ヨコバイ)を介して植物から植物へと伝搬され,700種以上の植物に萎縮・叢生・黄化・葉化等の特徴的な病害を引き起こし,農業上大きな被害を与えている.人工培養が出来ないことからその研究は困難であったが,分子生物学的手法の導入により研究は急速に進み,近年 'Candidatus Phytoplasma asteris' OY (onion yellows) 系統の弱毒株 (OY-M) の全ゲノム配列が解読された.その結果,ファイトプラズマのゲノムにはDNA複製や転写,翻訳に関与する基本的な遺伝子はコードされていたものの,TCA回路,酸化的リン酸回路,アミノ酸合成系などの代謝系遺伝子がほとんどコードされておらず,最少遺伝子セットを持つ生物のモデルとされているMycoplasma genitaliumと比較しても代謝系遺伝子が少ないことが明らかとなった.これは,ファイトプラズマが植物や昆虫の細胞内という特殊な環境に生息し,代謝産物を宿主に依存することで退行的進化が進み,多くの代謝系遺伝子を失ったためと考えられた.このように代謝系遺伝子が少ない一方で,ファイトプラズマのゲノムには他の細菌ゲノムでは1コピーしか認められないdnaB, dnaG, ssb等の遺伝子が複数コピー存在していた.このような重複遺伝子が OY-Mゲノム全体の約30%を占めていたが, その役割はこれまで不明であった.そこで本研究では,ファイトプラズマゲノムに存在する重複遺伝子の役割を明らかにすることを目的として以下の解析を行った.

1. OY-Mゲノムにおける重複遺伝子群の分布と遺伝子構造解析OY-Mゲノムに認められる754個の遺伝子それぞれをクエリ配列として用いて,自身のゲノムに対して相同性検索を行うことで重複遺伝子を同定し,ゲノム内における分布を調べた.その結果, 重複遺伝子は主に4カ所のゲノム領域に認められた.また,重複遺伝子群の遺伝子構成を調べたところ,5'- fliA - ssb - himA - hflB ・・・ tmk - dnaB - dnaG - tra5 -3' のような約10 ~ 20 kbpの遺伝子クラスターを形成している場合が多く,このような重複遺伝子から構成される遺伝子クラスターはゲノム中に少なくとも7カ所認められた.

また,重複遺伝子の遺伝子クラスターには挿入配列IS (Insertion sequence) の転移酵素をコードするtra5が含まれていた.相同性検索および系統解析の結果,tra5がコードするタンパク質のアミノ酸配列はBacillus anthracisのIS1627がコードする転移酵素と高い相同性を示し,IS3 familyと呼ばれるグループに分類されるISであることが示唆された.

これらの結果より,重複遺伝子はゲノム内においてランダムに散在しているわけではなく,重複遺伝子が集合した遺伝子クラスターの単位で重複していることが示唆された.また,この中には転移酵素をコードする遺伝子が存在していたことから,この転移因子の働きによって重複遺伝子の遺伝子クラスターがゲノム内で転移している可能性が考えられた.以下,本研究ではtra5を含む重複遺伝子の遺伝子クラスターのことを転移性遺伝子クラスターと呼ぶ.

2. OY-Wゲノムにおける転移性遺伝子クラスターの転移の痕跡

'Candidatus Phytoplasma asteris' OY 系統の強毒株 (OY-W)は, OY-Mと近縁なファイトプラズマであるが, OY-WのゲノムはOY-Mのゲノム(約860 kbp)よりも約140 kbp大きいことがパルスフィールドゲル電気泳動の解析から示唆されており,両者のゲノム構造の差異が推測されている.このようなゲノム構造の差異と転移性遺伝子クラスターとの関連を調べるため,以下の解析を行った.

まずtra5をプローブとして用いてOY-MおよびOY-Wゲノムに対してサザンブロット解析を行った.その結果,両者では異なるバンドパターンが観察され,tra5のコピー数や分布が異なっていることが示唆された.またOY-WのDNAライブラリーを作製し, tra5を含むクローンを探索したところ,tra5の下流にlipoate-protein ligase A遺伝子 (lplA)がコードされた約6 kbpのクローンが得られた.一方,OY-MゲノムにおけるlplAの上流領域にはtra5は認められなかった.lplAはOY-M,OY-W共に1コピーのみ存在する遺伝子であることがサザンブロット解析から示唆されており,OY-WのlplA上流にtra5を含む転移性遺伝子クラスターが挿入されたことによってこのような遺伝子構造の差異が生じたのではないかと考えられた.

OY-MとOY-WのlplAの上流領域について塩基配列のアラインメントを行ったところ,OY-Wのtra5の下流約350 bp付近を境に配列の相同性が大きく変化しており,この付近でDNAの組換えが起こったことが示唆された.またOY-Mゲノム中の複数のtra5下流領域について塩基配列のアラインメント解析を行ったところ,全てのtra5について終止コドンから約350 bp下流の領域まで塩基配列が保存されていた.これらの結果は,tra5の約350 bp下流が,転移する際の組換えサイトであることを示唆している.

以上の結果より,OY系統のゲノム内ではtra5を一端とした転移性遺伝子クラスターの転移が起こっていたことが示唆された.

3. 重複遺伝子の系統解析

OY-Mゲノム中の重複遺伝子は,全てが転移性遺伝子クラスター上にコードされていたわけではなく,保存性の高いゲノム領域にコードされているものも認められた.保存領域にコードされる重複遺伝子の周囲の遺伝子構成を見ると,リボソームタンパク質遺伝子等のハウスキーピング遺伝子に囲まれていた.そこで,本研究では周囲の遺伝子構成から判断し,保存領域にコードされた重複遺伝子をFUG (fundamental gene),転移性遺伝子クラスター上にコードされた重複遺伝子をMUG (mobile unit gene) と定義した.

重複遺伝子が遺伝子クラスターの転移によって生じたパラログであることを確認する目的で,dnaG, dnaB, tmk, uvrD, ssb, himA, hflB, rpoDの8種類の重複遺伝子について系統解析を行った.その結果, 全体的に以下のような傾向が認められた:(1) FUG同士,MUG同士はそれぞれ単一のクレードを形成した (2) FUGとMUGのクレードは離れていた (3) MUGクレード内の進化距離は短かった (4) FUGはMycoplasma等のMollicutes綱細菌とクラスターを形成する傾向にあった.これらの結果から, FUGは他の細菌が持つ遺伝子のオーソログであり,MUGは転移性遺伝子クラスターがゲノム内で複製したことで生じたパラログであることが示唆された.また,MUGが進化距離の短い単一のクレードを形成したことから,転移性遺伝子クラスターの重複はファイトプラズマの進化の中で比較的最近生じた出来事であると考えられた.

4. 近縁なファイトプラズマ系統間における転移性遺伝子クラスターの分布の比較

OY-Mに続き,米国において'Candidatus Phytoplasma asteris' AY-WB (Aster yellows witches' broom) 系統の全ゲノムが2006年に決定された.AY-WBはOY-Mと同種であるが,宿主植物や媒介昆虫が異なり,ゲノムサイズもOY-Mよりも約150 kbp小さい.そこで, OY-MとAY-WBの比較ゲノム解析を行い,両ゲノムにおける転移性遺伝子クラスターの分布およびゲノム構造の差異について解析した.

相同性検索を用いた手法によりAY-WBゲノム上の重複遺伝子を探索したところ,シングルコピー遺伝子の数はAY-WBとOY-Mでほぼ一致しており,AY-WBとOY-Mの遺伝子数の差は重複遺伝子の数の差によるものであることが示唆された.

OY-MとAY-WB間におけるオーソログを相同性検索を用いた手法で同定し,遺伝子の並び順を比較した.その結果, OY-MとAY-WBとは同一種でありながら,両ゲノム間には遺伝子の並び方の保存されていない,多様性に富んだ約300 kbpの領域が認められた.この領域は転移性遺伝子クラスターが多数存在する領域と一致しており,転移性遺伝子クラスターがゲノムの多様性を生み出す原因の一つである可能性が示唆された.

5. まとめ

本研究により,ファイトプラズマゲノムにコードされる重複遺伝子群は,転移性遺伝子クラスターの形でゲノム内を転移・重複していることが示唆された.また,OY-Wゲノムに転移性遺伝子クラスターが挿入された痕跡が認められたことや,OY-MゲノムとAY-WBゲノムとでは転移性遺伝子クラスターの分布が大きく異なっていたことは,ファイトプラズマが各系統に分化した後にも,転移性遺伝子クラスターが頻繁に転移したことを示唆している.

転移性遺伝子クラスターには機能未知な遺伝子が多数存在しており,生物学的な役割には未だ不明な点が多く残されているが,本研究により転移性遺伝子クラスターにはゲノムの可塑性を増大させる効果があるのではないかと考えられた.ファイトプラズマは同種であっても各系統間で宿主や病原性が異なる場合が多いが, 転移性遺伝子クラスターによってもたらされるゲノム可塑性が,宿主範囲などの多様性を生じさせる原因の一つなのかもしれない.

審査要旨 要旨を表示する

ファイトプラズマは植物の篩部細胞内に寄生して病気を引き起こす植物病原細菌であり,植物に萎縮・叢生・黄化・葉化等の特徴的な病害を引き起こし,大きな被害を与えている.近年'Candidatus Phytoplasma asteris' OY (onion yellows)系統の弱毒株(OY-M)の全ゲノム配列が解読された.その結果,ファイトプラズマのゲノムにはTCA回路,酸化的リン酸回路,アミノ酸合成系などの代謝系遺伝子がほとんどコードされていないことが明らかとなった.しかし,代謝系遺伝子が少ない一方で,ファイトプラズマのゲノムには他の細菌ゲノムでは1コピーしか認められないdnaB, dnaG,ssb等の遺伝子が複数コピー存在していた.このような重複遺伝子の役割はこれまで不明であった.本研究は,'その役割を明らかにすることを目的として行われたものである.

1.OY-Mゲノムにおける重複遺伝子群の分布と遺伝子構造解析

OY-Mゲノムに認められる各遺伝子についてゲノムに対して相同性検索を行い、重複遺伝子を同定しゲノム内における分布を調べた.その結果,重複遺伝子は主に4カ所のゲノム領域に認められた.また,重複遺伝子群の遺伝子構成は約10~20kbpの遺伝子クラスターを形成している場合が多く,このようなクラスターはゲノム中に少なくとも7カ所認められた.また,遺伝子クラスターには挿入配列IS(Insertion sequence)の転移酵素をコードするtra5が含まれていた.これらの結果より,重複遺伝子は遺伝子クラスターの単位で重複し,転移因子の働きによって重複遺伝子の遺伝子クラスターがゲノム内で転移している可能性が考えられた(転移性遺伝子クラスター).

2.OY-Wゲノムにおける転移性遺伝子クラスターの転移の痕跡

OY系統の強毒株(OY-W)は,OY-Mと近縁なファイトプラズマであるが,そのゲノムはOY-Mのゲノム(約860kbp)よりも約140kbp大きい.ゲノム構造の差異と転移性遺伝子クラスターとの関連を調べるため,まずサザンプロット解析を行い,tra5のコピー数や分布が両者で異なっていることを示した.OY-WのDNAライブラリーを作成しtra5を含むクローンを探索したところ,tra5の下流にlipoate-protein ligase A遺伝子(lplA)がコードされた約6kbpのクローンが得られた.一方,OY-Mゲノムのlplaの上流領域にはか05は認められなかった.lplAの上流領域について両株間の塩基配列のアラインメントを行ったところ,OY-Wのtra5の下流約350bp付近を境に配列の相同性が大きく変化しており,この付近でDNAの組換えが起こったことが示唆された.またOY-Mゲノム中の複数のtra5下流領域についてのアラインメント解析によってもこのことが示された.以上の結果より,OY系統のゲノム内ではtar5を一端とした転移性遺伝子クラスターの転移が起こっていたことが示唆された.

3.重複遺伝子の系統解析

OY-Mゲノム中の重複遺伝子には,保存性の高いゲノム領域にコードされているものも認められた.その周囲は,リボソームタンパク質遺伝子等のハウスキーピング遺伝子であった.そこで,本研究ではこのような保存領域にコードされた重複遺伝子をFUG(fundamental gene),転移性遺伝子クラスター上にコードされた重複遺伝子をMUG(mobile unit gene)と定義し,FUG,MUGの8種類の重複遺伝子について系統解析を行った.その結果,FUGは他の細菌が持つ遺伝子のオーソログであり,MUGは転移性遺伝子クラスターがゲンム内複製したパラログであること,転移性遺伝子クラスターの重複はファイトプラズマの進化の中で比較的最近生じた出来事であること,が示唆された.

4.近縁なファイトプラズマ系統間における転移性遺伝子クラスターの分布の比較

OY-Mに続き,米国においてAY-WB(Aster yellows witches' broom)系統の全ゲノムが2006年に決定された.AY-WBとOY-Mは宿主植物や媒介昆虫が異なる。両ゲノムにおける転移性遺伝子クラスターの分布およびゲノム構造の差異について解析したところ,シングルコピー遺伝子の数はAY-WBとOY-Mでほぼ一致しており,重複遺伝子の数に差があることが示された,また、オーソログ遺伝子の並び順を比較したところ,並び方の保存されていない,多様性に富んだ約300kbpの領域が認められた.この領域は転移性遺伝子クラスターが多数存在する領域と一致しており,転移性遺伝子クラスターがゲノムの多様性を生み出す原因の一つである可能性が示唆された。

以上を要するに、ファイトプラズマゲノムにコードされる重複遺伝子群は,転移性遺伝子クラスターの形でゲノム内を転移・重複し、このことによってもたらされるゲノム可塑性が,宿主範囲などの多様性を生じさせる原因の一つである可能性が示された。ファイトプラズマの病原性の分子機構に関する知見はこれまでに非常に少なく、従って、本論分の成果は学術上また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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