学位論文要旨



No 123535
著者(漢字) 上田,実
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ミノル
標題(和) 高等植物におけるオルガネラから核への遺伝子転移に関する分子遺伝学的解析
標題(洋) Molecular genetic analysis of gene transfer from organelles to the nucleus in higher plant
報告番号 123535
報告番号 甲23535
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3239号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 准教授 草場,信
 東京大学 准教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアと葉緑体は核ゲノムと独立して各々が独自のゲノム、転写、翻訳系を備えるオルガネラである。この2つのオルガネラは細胞内共生によって誕生したと考えられている。共生が成立して以降、自身のゲノムがコードしていた遺伝子は核ゲノムへ転移(遺伝子転移)したか、もしくは消失したものと考えられている。そして、現在ではミトコンドリアや葉緑体を構成するタンパク質の大部分が核ゲノム上の遺伝子にコードされている。オルガネラから核ゲノムへの遺伝子転移は生物が進化の過程で経た現象の中で興味深い現象のうちの一つであるが、この遺伝子転移機構の詳細については未だ謎が多い。

高等植物ミトコンドリアゲノムにおいては未だに多くの遺伝子が残存し、特に脊椎動物のミトコンドリアゲノムにはコードされていないリボソームタンパク質遺伝子が数多くコードされている。また、高等植物においては種間においてミトコンドリアゲノムにコードされる遺伝子に多様性が見られることからも、高等植物のミトコンドリアゲノムから核ゲノムへの遺伝子転移は現在も活発に行われていることが示唆されている。一方で、葉緑体ゲノムにコードされている遺伝子数は種間で高度に保存されていることが知られていた。しかし、近年40種以上の植物の葉緑体ゲノムが明らかになり、例外的に核ゲノムへ転移している例が知られてきた。このように高等植物ではオルガネラゲノムから核への遺伝子転移が現在も進行中であり、核ゲノムへ転移した遺伝子には遺伝子転移の形跡が数多く残されている。

多数のオルガネラゲノムの配列が核ゲノム内に存在していることから、ゲノムの移動は頻繁に起こっていることが知られている。実際に筆者は、イネ12番染色体上に約190 kbの巨大ミトコンドリアゲノム断片を同定した。しかし、遺伝子転移が成立するためには、単に核ゲノムにミトコンドリアゲノムが組み込まれるだけではなく、核ゲノムへ組み込まれる際、もしくはその後にプロモーター配列やもとのオルガネラへ輸送されるための移行シグナルを獲得する必要がある。本研究はこれらの獲得機構について明らかにすることを目標に行った。

1.イネミトコンドリアrpl27のプロモーター配列獲得機構

ミトコンドリアの祖先と考えられているα-proteobacteriaの一種、Rickettsia prowazekiiゲノムにコードされるリボソームタンパク質遺伝子54個についてイネ核ゲノム中に存在する相同遺伝子をイネゲノムや完全長cDNAデータベース(http://cdna01.dna.affrc.go.jp/cDNA/)より抽出した。

このうち、ミトコンドリアリボソーム大サブユニットを構成するタンパク質の遺伝子であるrpl27について解析した。イネゲノムデータベース(http://riceblast.dna.affrc.go.jp/)よりrpl27はイネ8番染色体にマップされることが判明した。この遺伝子がミトコンドリアRPL27タンパク質をコードしていることを確認するため、抽出した遺伝子から予想されるアミノ酸配列のうち、移行シグナルと考えられるN末端の40アミノ酸残基に該当する塩基配列とGFP遺伝子を融合した。一過的にこの遺伝子産物を発現させた結果、GFP融合タンパク質がミトコンドリアに局在することを確認した。次に、rpl27の周辺配列について解析したところ、rpl27のプロモーター領域は4番染色体と8番染色体の染色体間での重複、更に8番染色体内での縦列重複という二度の重複を経て獲得されていたことが明らかとなった。そして、この新たに獲得されたプロモーター配列は、かつて自身の遺伝子の下流に存在していた遺伝子であるOsspt16 (Oryza sativa yeast spt16 homolog)のプロモーター配列に由来することが判明した。rpl27は染色体間と染色体内で起こった重複によって、完全長cDNA がマップされた配列の他に4番染色体に1コピー、8番染色体上の完全長cDNAがマップされた領域の上流に1コピー、計2コピーのrpl27相同配列が存在するので、それぞれのrpl27相同配列における転写の有無について解析を試みた。まず、rpl27とrpl27相同配列それぞれのプロモーター配列をβ-Glucuronidase(GUS)をコードするレポーター遺伝子に連結して転写活性を比較した。この結果、染色体間と染色体内で起こった重複により、rpl27の転写活性が7倍に上昇していたことが判明した。次に、4番染色体上のrpl27相同配列はORF内に完全長cDNAと3塩基の置換が見られる事を利用して、ORFをターゲットにしたRT-PCRを行い、PCR産物をクローニングして30クローンについてDNAシーケンスを明らかにした。その結果4番染色体由来の配列は得られなかった。また、完全長cDNAの上流に存在するrpl27相同遺伝子については完全長cDNAとORF内の配列が一致するため、完全長cDNAと塩基配列の構造が異なる5'領域について任意のプライマーを設計し、RT-PCRを行ったが転写産物は検出できなかった。このことから、少なくとも大部分のrpl27の転写産物は8番染色体に由来することが判明した。Osspt16は基本転写因子であることが知られており、rpl27と同様に植物体内で恒常的に発現する遺伝子と考えられる。上記に示したプロモーター獲得機構はミトコンドリアから核へ転移した遺伝子が核ゲノム内で適切に発現するための有効な手段であったと考えられる。

2. ポプラ葉緑体rpl32におけるエキソンシャッフリングによる移行シグナルの獲得

高等植物において、rpl32は葉緑体ゲノムにコードされていることが知られているが、例外的にポプラ(Populus alba)ではrpl32が葉緑体ゲノムから消失していることが報告されている。まずPopulus albaからTotal DNAを抽出し、PCRによりrpl32が葉緑体ゲノムから抜け落ちていることを確認した。次に、NCBI ESTデータベースにより、タバコ葉緑体ゲノムにコードされているrpl32の予想アミノ酸配列をもとに核へ転移したrpl32を探索したところ、183アミノ酸残基をコードする完全長cDNAが得られた。この183アミノ酸残基に対応する塩基配列とGFP遺伝子を融合し、この遺伝子産物を一過的に発現させた。その結果このGFP融合タンパク質が葉緑体へ局在することを確認した。更に、ESTデータベースより、葉緑体rpl32の葉緑体移行シグナルに該当する配列と高い相同性を示すESTを探索したところ、葉緑体に局在する活性酸素消去酵素の一種Cu-Zn superoxide disumtase (sod-1)をコードするESTが得られた。この結果から、ポプラ葉緑体rpl32は遺伝子転移成立の際、葉緑体sod-1の葉緑体移行シグナルをexon-shufflingにより獲得することで葉緑体へのタンパク輸送を可能にしたことが判明した。このexon-shufflingによる移行シグナルの獲得はミトコンドリアから核へ転移した遺伝子について多数報告例があり、葉緑体から核へ転移した遺伝子でも既存の移行シグナルを利用することにより、遺伝子転移した例が明らかとなった。

3.フレームシフトによる葉緑体移行シグナルの成立

ミトコンドリアの祖先と考えられているα-proteobacteriaの一種、Rickettsia prowazekiiゲノムにコードされるrpl13から予想されるアミノ酸配列を用いてイネゲノム内の相同配列の探索を行った。その結果、rpl13の相同配列が2コピー存在し、それぞれに対応する完全長cDNAを抽出した。これらの完全長cDNAから予想されるORFの下流にGFP遺伝子を融合したコンストラクトを作製し、この遺伝子産物の一過的な局在を観察した。その結果、一方がミトコンドリアへ、他方が葉緑体へ局在することが判明した。このことからそれぞれが ミトコンドリアrpl13、葉緑体rpl13であると示唆された。ミトコンドリア rpl13について更に解析を行ったところ、ミトコンドリア rpl13の下流には、ミトコンドリアrpl13遺伝子自身のN末端60アミノ酸残基部分の相同配列をC末端に含む160アミノ酸残基をコードする遺伝子(orf160)が存在した。このorf160の完全長cDNAが単離されていることから,この遺伝子も転写されていることを確認した。興味深いことに、このorf160についても翻訳産物の局在を解析したところ、葉緑体に局在することが判明した。また、イネゲノム情報から、このorf160の葉緑体移行シグナル部分はorf160が存在する5番染色体とは別の1番染色体に存在するppr564の一部の配列が重複し、変異が蓄積しフレームシフトが起こったことにより誕生したことが判明した。今回の結果は、オルガネラから核への遺伝子転移成立のために必要な移行シグナルは、ゲノム内で移行シグナルとして機能しない配列が重複や変異を経て移行シグナルとして機能し得ることを示す興味深い現象である。

本研究において、染色体間と染色体内で起こった重複によるプロモーター配列の獲得、フレームシフトによる葉緑体移行シグナルの成立というこれまで報告されていない遺伝子転移機構に関する新規知見を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

細胞内共生によって誕生したミトコンドリアと葉緑体(オルガネラ)は、共生以降にオルガネラゲノム上の遺伝子を核ゲノムへ転移(遺伝子転移)したか、もしくは消失したものと考えられている。オルガネラから核ゲノムへの遺伝子転移は、生命進化の過程において興味深い現象のうちの一つであるが、その詳細については未だ謎が多い。

高等植物オルガネラゲノムには多くの遺伝子が残存し、コードされている遺伝子が種間で多様である。つまり、高等植物のオルガネラから核ゲノムへの遺伝子転移は現在も活発に行われており、核ゲノムには遺伝子転移の形跡が数多く残されていることを示唆している。遺伝子転移成立の際は、プロモーター配列やもとのオルガネラへ輸送されるための移行シグナルを獲得する必要がある。本論文では、まずイネのミトコンドリアゲノムの核ゲノムへの大規模な移行が現在も進行中であることを示した上で、プロモータ配列および移行シグナルの獲得機構の解明を目指して行った研究の成果がまとめられている。

1.イネミトコンドリアrpl27のプロモーター配列獲得機構

ミトコンドリアの祖先と考えられているα-proteobacteriaの一種、Rickettsia prowazekiiゲノムにコードされるリボソームタンパク質遺伝子についてイネ核ゲノム中に存在する相同遺伝子をイネゲノムや完全長cDNA情報を元に抽出した。このうち、8番染色体上にコードされているミトコンドリアリボソーム大サブユニットを構成するタンパク質の遺伝子であるψ127について解析した。まずGFPを用いてこの遺伝子産物がミトコンドリアに局在することを確認した。そして、イネゲノム情報からrpl27のプロモーターは、かつて自身の遺伝子の下流に存在していた遺伝子であるOssptl6 (Oryza stativa yeast sptl6 homolog)のプロモーターを、4番と8番染色体間での重複、8番染色体内での縦列重複という二度の重複を経て獲得していたことが判明した。

2.ポプラ葉緑体rpl32におけるエキソンシャッフリングによる移行シグナルの獲得

ポプラ(Populus alba)ではrp132が葉緑体ゲノムから消失していることが報告されている。そこで、NCBI EST情報から核へ転移したrpl32を探索し、183アミノ酸残基をコードする完全長cDNAが得られた。GFPを用いてこの遺伝子産物の局在を観察したところ、葉緑体へ局在することが確認できたことから、この遺伝子が核へ転移した葉緑体rpl32であることが強く示唆された。そして、転移後に葉緑体rpl32が獲得した葉緑体移行シグナルに該当する配列と高い相同性を示すESTを探索したところ、葉緑体に局在する活性酸素消去酵素の一種Cu-Zn superoxide disumtase(sod-1)をコードするESTが得られた。この結果から、ポプラ葉緑体rpl32は遺伝子転移成立の際、葉緑体sod-1の葉緑体移行シグナルをexon-shufflingにより獲得することで葉緑体へのタンパク輸送を可能にしたことが判明した。つまり、既存の移行シグナルを利用することで遺伝子転移が成立した例を明らかにした。

3.フレームシフトによる葉緑体移行シグナルの成立

rp127の場合と同様、イネゲノム情報からミトコンドリアrpll3を抽出し、GFPを用いて実際にこの遺伝子産物が実際にミトコンドリアへ局在することを確認した。そして、ミトコンドリアrpl13の下流には、ミトコンドリアrpl13自身のN末端60アミノ酸残基部分の相同配列をC末端に含む160アミノ酸残基をコードする遺伝子(orf60)が存在していた。このorf160についても翻訳産物の局在を解析したところ葉緑体に局在した。このorf160の葉緑体移行シグナル部分はppr564の一部の配列が重複し、変異が蓄積しフレームシフトが起こったことにより誕生したことが判明した。今回の結果は、オルガネラから核への遺伝子転移成立のために必要な移行シグナルが、移行シグナルとして機能しない配列が重複や変異を経て移行シグナルとして誕生し得ることを示す興味深い現象である。

以上本論文は、オルガネラゲノムから核ゲノムへの遺伝子転移が成立するためのプロモーター配列の獲得機構およびオルガネラ移行シグナルの獲得機構を新たに示したものである。これらの成果は、遺伝子転移の成立に関する重要な知見を与えるとともに、オルガネラ工学の基礎となるものであり、学術上また応用上極めて価値あるものである。したがって、審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク