学位論文要旨



No 123536
著者(漢字) 粥川,
著者(英字)
著者(カナ) カユカワ,タクミ
標題(和) タマネギバエの耐寒性に関する分子生物学的研究
標題(洋) Molecular biological studies on cold hardiness in the onion maggot, Delia antiqua
報告番号 123536
報告番号 甲23536
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3240号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 中園,幹生
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 准教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

タマネギバエ(Delia antiqua)は北半球の冷涼な地域に生息し,タマネギ,ネギ,ニラ,などのネギ属植物の害虫として知られている.本種は高温の夏季,および低温の冬季を耐えるために休眠蛹として過ごす.夏休眠,冬休眠,非休眠の蛹にそれぞれ低温処理(-20℃,非凍結温度)を施し耐寒性を調査したところ,冬休眠蛹だけではなく夏休眠蛹でも高い生存率を示し,ほとんどの休眠前,休眠後,非休眠蛹で生存が観察されなかった.また非休眠蛹に低温順化(5℃)処理を施すと,囲蛹殻形成後の一定期間に限り,順化日数の増加に伴う生存率の増加が観察された.

非凍結条件における低温障害の1つとして,タンパク質の変性が考えられる.Heat shock proteins (HSPs) はシャペロン機能を有し,さまざまなストレス条件下で誘導され変性したタンパクのrefoldingを担う.低温ストレスにおいてもHSPsの誘導は多くの生物種で報告されている.2つ目として,生体膜の液晶相(liquid phase)からゲル相(gel phase)への相転移(phase transition)による膜の流動性損失が挙げられる.ゲル相では,脂質分子の炭化水素鎖が秩序正しく配列し,流動性が乏しく物質の透過性はきわめて低い.多くの生物種において,温度変化に伴い生体膜の組成を変化させ,膜の流動性を保つ現象(homeoviscous adaptation,HVA)が報告されている.

本研究はこれらの耐寒性メカニズムに関与する遺伝子をクローニングすると共に,differential display法による新たな耐寒性遺伝子のスクリーニングを行った.

1.耐寒性におけるHSPsの関与

昆虫におけるHSPsは分子量によってsmall HSP,HSP60,HSP70,HSP90の 4つに分類される.そこで,タマネギバエのHSP70とHSP90をクローニングし,mRNAの発現量と耐寒性の関係性を調査した.その結果,耐寒性の低い個体ではHSP70とHSP90の mRNA発現量が非常に低いが,耐寒性の高い夏休眠,冬休眠,非休眠において非常に高いmRNAの誘導が見られた.またこれらの蛹に低温ストレスもしくは高温ストレス処理を施し,mRNAの発現量を調査した.その結果,発現量が高い休眠蛹では,HSPs のさらなる誘導がみられ,また非休眠蛹においても誘導が観察された.

これらの結果から,タマネギバエの耐寒性にはHSPsが関与していることが示唆された.またHSPsの誘導には,休眠による誘導と温度ストレスによる直接的な誘導の2つが見出された.温度ストレスによる直接的な誘導はheat shock transcroption factors (HSFs)による制御が考えられるが,休眠によるHSPsの誘導機構は不明であり興味がもたれる.

2.低温に対するHVA

タマネギバエのΔ 9-acyl-CoA desaturase(Dadesat)をクローニングした結果,2つのホモログ(Dadesat1, Dadesat2)が得られた.real-time PCRにより耐寒性と2種類のDadesat mRNAの発現量の推移を測定した結果,Dadesat1では発現量の差はみられなかったが, Dadesat2では耐寒性の増加に伴い多くの組織においてmRNA発現量の増加が観察された.Dadesat2と最も高い相同性を示すイエバエMusca domesticaのΔ 9-acyl-CoA desaturaseはpalmityl-CoAとstearoyl-CoAを基質とすることが報告されている.これらの結果からタマネギバエにおいてもDadesat2は両基質を不飽和化し,生体膜を構成するリン脂質炭化水素鎖の不飽和度を高めることによって耐寒性を増強していることが示唆された.

Dadesat mRNA発現量の推移変化をもとに,耐寒性の高い蛹(低温順化蛹,冬休眠蛹)と耐寒性の低い蛹(非休眠蛹,冬休眠前期蛹)の脳を用いて,リン脂質を構成するphosphatidylethanolamine(PE)とphosphatidylcholine(PC)における脂肪酸の側鎖をGC解析により調査した.耐寒性の上昇と共にDadesat2のmRNA発現量が増加していた脳において,PEでC16:1(C16は炭素の長さを,コロンの後の数字は二重結合数を示す)が増加し,PCではC18:1が増加していた.これらの結果からDadesat2がmonoenesを増加させ,低温に対するHVAに関与していることが示唆された.

また,それぞれの組織における低温に対するHVAを調査するため,リン脂質側鎖の炭素鎖長・不飽和度を解析した.その結果,|tm-th|値(tm: gel/ liquid transition temperatures, th: liquid/ hexagonal transition temperatures)が増加する傾向の脂質変化が観察された.休眠蛹は耐寒性と耐熱性の両方を持ち備えているため,このような脂質変化をおこしていることが示唆された.

3.低温ストレスにおけるCCTの働き

Differential display法により耐寒性に関与する遺伝子のスクリーニングを行った結果,耐寒性の増加に伴い発現量が増加する遺伝子として,T-complex polypeptide-1(TCP-1)遺伝子が見出された.TCP-1は真核生物のシャペロニンであるCCT(chaperonin containing the TCP-1)を構成するαサブユニットである.CCTは8つのサブユニットから構成され,新生タンパク質のfoldingやassemblyに関与する分子シャペロンの1つとして知られている.そこで,CCTを構成するαサブユニット以外の7つのサブユニット(β~θ)をクローニングし,real-time PCRによって耐寒性に伴う発現量の推移を測定した.その結果,調査したすべての組織において,耐寒性の増加に伴い全サブユニットのmRNA発現量が同調して増加していた.これらのことから,CCTが耐寒性獲得に寄与していることが示唆された.

CCTは基質特異性が高く,細胞骨格を構成するアクチンとチューブリンが主な基質と考えられている.アクチンの低温条件下における特性は,動物細胞ではラットの肝臓シヌソイド内皮細胞で唯一報告がなされている.低温によりCa(2+)ATPaseの活性が低下し細胞内のCa(2+)濃度が上昇すると,Ca(2+)依存性細胞内プロテアーゼであるカルパインが活性化されアクチンのdepolymerizationを引き起こす.そこで,タマネギバエのマルピーギ管における低温処理後のアクチンの構造を共焦点レーザー顕微鏡で観察した.その結果,耐寒性の低い個体ではアクチンのdepolymerizationが観察されたが,耐寒性の高い個体では観察されなかった.また同時にトリパンブルー染色により細胞膜の構造を観察した結果,低温により生じたアクチンのdepolymerizationの後に細胞膜が損傷を受けることが観察された.マルピーギ管のアクチンは細胞膜付近に局在することと,アクチンのdepolymerizationの後に細胞膜の崩壊が起こることから,低温条件下でアクチンが細胞膜を保護することが示唆された.そこで幼虫期にアクチンの重合阻害剤であるLatrunculin B(LatB)を摂食させた蛹を用いて耐寒性試験を行った.その結果LatBを摂食した蛹において有意に耐寒性の低下が観察された.

これらの結果から,耐寒性の高い蛹ではCCTが細胞内に多く存在するためアクチンの増強,もしくは低温によってdepolymerizationが生じても迅速にアクチンの再重合を誘発し,その結果アクチンが細胞膜を保護することで耐寒性を獲得していることが示唆された.

以上,本研究ではタマネギバエの耐寒性に,heat shock proteinsにおけるタンパク質のrefoldin,Δ 9-acyl-CoA desaturase によるhomeoviscous adaptaionが関与していることを明らかにした.また昆虫 において,actinのdepolymerizationが低温ストレスによって誘導されることをはじめて証明し,CCTがactinのdepolymerizationを抑制することで細胞膜を保護するという新たな耐寒性獲得のメカニズムを解明した.

審査要旨 要旨を表示する

タマネギバエ(Delia antiqua)は北半球の冷涼な地域に生息するネギ属植物の害虫である.本種は高温の夏季,および低温の冬季を蛹で休眠して過ごす.休眠,非休眠の蛹を-20℃に曝すと,冬休眠と夏休眠の蛹は高い生存率を示したが,非休眠蛹ではほとんど生存できなかった.しかし非休眠蛹を低温順化(5℃)すると,順化日数の増加に伴い生存率が増加した.

非凍結条件における低温障害の原因にはタンパク質の変性と生体膜の液晶相からゲル相への相転移がある.Heat shock proteins (HSPs) は分子シャペロン機能を有し,高温,低温などストレス条件下で誘導されて変性したタンパクのrefoldingを担う.生体膜の相転移に対しては生体膜の脂質組成を変化させ,膜の流動性を保つ働き(homeoviscous adaptation,HVA)がある.本研究ではこれらの耐寒性メカニズムに関与する遺伝子をクローニングすると共に,differential display法により新たな耐寒性遺伝子を探索した.

1.耐寒性におけるHSPsの関与

タマネギバエのHSP70とHSP90をクローニングし,mRNAの発現量と耐寒性の関係を調査した.耐寒性の低い蛹では両遺伝子のmRNA発現量が非常に低いが,耐寒性の高い休眠蛹では非常に高いmRNAの誘導が見られた.これらに低温ストレスを施したところ,mRNAの発現量が高い休眠蛹ではHSPs のさらなる誘導がみられ,また非休眠蛹においても誘導が観察された.これらから,本種の耐寒性にはHSPsが関与していることが示唆され,HSPsの誘導には休眠によるものと温度ストレスによるものの2つが見出された.温度ストレスによる誘導はheat shock transcription factors (HSFs)による制御が考えられるが,休眠による誘導の機構は不明である.

2.低温に対するHVA

Δ9-Acyl-CoA desaturase(Dadesat)をクローニングした結果,RT-PCRにおいて耐寒性の高い休眠蛹で強く発現するホモログが得られた.Real-time PCRによると多くの組織において耐寒性の増加に伴うDadesat mRNA発現量の増加がみられた.これらから,Dadesatは基質と考えられるpalmitoyl-CoAとstearoyl-CoAを不飽和化し,生体膜を構成するリン脂質炭化水素鎖の不飽和度を高めて耐寒性を増強していることが示唆された.Dadesat mRNA発現量の変化をもとに,耐寒性の高い低温順化蛹と冬休眠蛹,および耐寒性の低い非休眠蛹,冬休眠前期蛹の脳を用いて,リン脂質を構成するphosphatidylethanolamine(PE)とphosphatidylcholine(PC)における脂肪酸の側鎖をGC解析により調査したところ,耐寒性とDadesat2のmRNA発現量が共に増加していた脳では,PEではC16:1が,PCではC18:1が増加しており,Dadesatが不飽和度を高めることによるHVAが示唆された.さらに,各組織における低温に対するHVAを調査したところ,|tm-th|値(tm: gel/ liquid transition temperature, th: liquid/ hexagonal transition temperature)が増加する傾向の脂質変化が観察され,休眠蛹が耐寒性と耐熱性の両方を持ち備えている事実とよく符合した.

3.低温ストレスにおけるCCTの働き

Differential display法により耐寒性に関与する遺伝子のスクリーニングし,耐寒性の増加に伴い発現量が増加する遺伝子として,T-complex polypeptide-1(TCP-1)を見出した.TCP-1は真核生物のシャペロニンであるCCT(chaperonin containing the TCP-1)を構成単位(αサブユニット)である.CCTは8つのサブユニットから構成され,新生タンパク質のfoldingやassemblyに関与する分子シャペロンの1つである.αサブユニット以外の7つのサブユニット(β~θ)もクローニングし,real-time PCRによって耐寒性に伴う発現量の変化を測定した.その結果,すべての組織で耐寒性の増加に伴い全サブユニットのmRNA発現量が同調して増加しており,CCTの耐寒性獲得への寄与が示唆された.CCTは細胞骨格を構成するアクチンを基質とし,低温によりCa2+ATPaseの活性が低下し細胞内Ca2+濃度が上昇すると,Ca2+依存性細胞内プロテアーゼであるカルパインが活性化され,アクチンが脱重合される.そこで低温処理したタマネギバエでマルピーギ管のアクチンの構造を共焦点レーザー顕微鏡で観察した.その結果,耐寒性の低い個体ではアクチンの脱重合が見られたが,耐寒性の高い個体では観察されなかった.マルピーギ管のアクチンは細胞膜付近に局在することとアクチンの脱重合後に細胞膜の崩壊が起こることから,低温条件下でアクチンが細胞膜を保護することが示唆された.耐寒性の高い蛹ではCCTが細胞内に多く存在するためアクチンの増強,もしくは低温による脱重合が生じても迅速にアクチンの再重合を促し,その結果としてアクチンが細胞膜を保護することで耐寒性を獲得しているのであろう.

以上,本研究ではタマネギバエの耐寒性に,heat shock proteinsによるタンパク質のrefolding,Δ9-acyl-CoA desaturase によるhomeoviscous adaptationが関与していることを明らかにした.また昆虫 において,アクチンの脱重合が低温ストレスによって誘導されることをはじめて示し,CCTがアクチンの脱重合を抑制することで細胞膜を保護するという新たな耐寒性獲得のメカニズムを解明した.審査委員一同はこれらの成果が学術的にも応用的にも大いに貢献しうるものであり,博士(農学)の学位を授与するに十分な価値を有することを認めた.

UTokyo Repositoryリンク