学位論文要旨



No 123537
著者(漢字) 中野,亮
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,リョウ
標題(和) アワノメイガにおける超音波による雌雄間交信 : 発音メカニズムと求愛歌としての機能
標題(洋) Studies on sound-producing mechanism and significance of male courtship song in ultrasonic sexual communication of the Asian corn borer moth, Ostrinia furnacalis
報告番号 123537
報告番号 甲23537
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3241号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 宮下,直
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 准教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

ガ類は配偶行動において性フェロモンを用いた化学交信を発達させているが,一部の種は雌雄間で音響交信している.大部分の夜行性ガ類は食虫性コウモリによる捕食の脅威にさらされており,これらのコウモリは超音波を用いた反響定位によりエサの位置・動きを把握し捕食する.この捕食圧に対してガ類の多くはコウモリの発する超音波を検出するために超音波対応の聴覚器官を獲得したと考えられており,コウモリの超音波に対して歩行・飛翔の中止や螺旋飛翔などの捕食者回避行動を示す.また,コウモリによる捕食の危険性を聴覚情報から認知すると,みずからコウモリに対して超音波を発するガ類もいる.一方,雌雄間で超音波を用いた音響交信をしているものは,その聴覚器官を配偶行動時に副次的に用いるよう進化したと考えられている.ガ類の配偶行動におけるオスの発音は,メスに対する誘引歌として機能することがこれまでに報告されている.しかしながら,性フェロモンを放出するメスに誘引されたのち,オスがメスの近傍で超音波を発する事例に関してはその機能は解明されていない.以上のように,ガ類による超音波を利用した生存戦略は捕食者であるコウモリとの相互作用から生じ,ガ類の分類群間で独立に進化したと言われている.聴覚器官の位置は科レベル,発音器官の位置・形態および発音の機能は種レベルで異なるものの,収斂進化の結果としてガ類の種内音響交信が発達したと推測される.アワノメイガは典型的なガ類の配偶様式を示し,メスの放出する性フェロモンによりオスの定位飛翔・求愛ダンスが解発される.また,アワノメイガはアジアにおけるトウモロコシの重要害虫であり,害虫管理の観点からメスの性フェロモンに関する研究がこれまで積極的になされてきた.しかしながら,多くのガ類において性フェロモン以外の配偶行動因子となりうる音響を利用した交信は未検討であり,研究の余地が十分にあると思われた.そこで,本研究ではアワノメイガの配偶行動における音響交信の可能性を検討後,発音メカニズムと発音の機能の解明を目指して研究を進めた.

1. アワノメイガのオスによる超音波の発音

アワノメイガの配偶行動連鎖を解析したところ,オスはメスの性フェロモンに反応して定位飛翔したのち,メスの近傍で羽ばたきをし,さらに左右の両翅を背側に直立させ細かく振動させていた.その行動に引き続き,腹部末端にある生殖器をメスの生殖器の方向に曲げて交接を試みる行動を繰り返していた.これに対し,ほとんどのメスはオスの求愛を受け入れ交尾に至ったが,ごく一部のものはオスの交尾試行に対して飛翔により逃避をした.この一連の配偶行動の際に超音波検出器にて発音を確認した結果,オスによる翅の直立・振動時にのみ25-100 kHzの超音波が発音されていた.この超音波は約6 msのパルスが9つほど連続したパルス群から構成されており,40 kHz付近に音圧のピークがあった.メスの鼓膜器官を破壊すると交尾成功率が有意に低下したことから,オスの超音波はメスの配偶者受入れに関する信号であると考えられた.

2. 低音圧な超音波の発音メカニズム

オスの発する超音波は1 cmの距離で最大音圧が46 dB SPL(0 dB SPL = 20μPa)であり,これまで報告されているガ類の誘引歌と比べてはるかに小さい音であった.また,アワノメイガの聴覚神経の応答閾値は40-60 kHzの音刺激に高い感受性を示し,38 dB SPL以上の超音波に応答可能であった.このことは,交尾時に発せられるオスの超音波はメスにとって可聴音であり,メスとの1-2cm程度の近距離でのみ効果を持つことを示した.

ガ類の発音メカニズムはセミのような振動膜による振動,ヤスリとヘラによる摩擦,翅の衝突による打撃などの多様性を示す.これらの発音器官は,腹部や肩板と呼ばれる翅の基部,生殖器で形成されているが,アワノメイガにはこのような発音器官が発達していなかった.超高速度カメラを用いた発音時の行動観察から,翅のアップストローク・ダウンストロークそれぞれで交互にパルスが発生することが分かった.そこで,翅の直立と振動に関連するオス特異的な部位を中心に発音器官を探索した結果,中胸と前翅に性的二型を示す鱗粉を発見した.これらの鱗粉を物理的に除去するだけでなくワセリンを塗布することでも発音を阻害することができたため,これらが発音器官であると思われた.また,鱗粉の表面構造を観察したところ,発音器官は他の部位およびメスのものと比較して微細な溝を有していた.すなわち,胸と翅の鱗粉表面は摩擦係数が高く,これらが擦れ合うことで効率的に高周波の振動が発生すると推測された.次に,これらの鱗粉における共鳴装置としての妥当性を検討するため,外部から与えた高周波の音刺激に対する振動加速度をレーザードップラー変位計により計測した.胸と翅にあるオス特異的鱗粉の振動振幅を比較したところ,胸側はバックグラウンドの振幅と違いはなく,共鳴していないことが示された.一方,翅の鱗粉は胸よりも10倍以上振動しやすく,さらに翅の鱗粉を除去したものでも十分に揺れていた.翅の鱗粉の下にもオス特異的な膜状のクチクラが存在することから,この膜が共鳴・音の増幅に重要な役割を果たすものと考えられた.以上のことから,アワノメイガは中胸と前翅にあるオス特異的な鱗粉を摩擦させることで超音波を発音することが明らかになった.このような鱗粉による発音はこれまでどの生物においても報告はなく,新奇の発音器官であった.

3. オスの超音波に対するメスの潜在的反応

メスの聴覚器官,オスの発音器官を破壊した際の交尾実験の結果より,オスの求愛歌が交尾成功に必須でないことは明らかである.しかし,このような無音状態の求愛の際,メスは有意に交尾試行回数の少ないオスを受入れ,回数の多いオスを逃避により拒否していた.一方,オスは一回目より二回目以降の交尾試行で大きな音圧の求愛歌を発するだけでなく,把握器を破壊したオスを用いた交尾実験はオスの発音がメスの逃避行動を抑制することを示した.したがって,オスの超音波には,オス交尾器による捕捉が失敗した際のメスの逃避を抑制することでオスの繁殖成功度を上げる役割を持つことが考えられた.

4. メスによる聴覚認識能

ガ類の配偶行動における音響交信の進化的起源は,コウモリによる捕食対策で獲得した聴覚器官の感覚的便乗であると考えられている.しかし,これまで研究されてきたガ類ではオス音とコウモリ音に対するメスの行動反応が逆方向(誘引効果と抑制的効果)であるため,上記の進化プロセスは実証されていなかった.アワノメイガの音響交信において,オスの発音がコウモリの超音波と構造的類似点を持つことを考慮すると,1)メスがオスの発音をコウモリのものと誤認識する結果,捕食者回避行動として逃避を抑制する可能性と2)配偶者として認識する結果,メスがその場にとどまる可能性が考えられた.そこで,メスが,オスの音とコウモリの音を聞き分けて交尾行動と捕食者回避行動を示すかを調査した.その結果,どちらの音に対してもメスは逃避が抑制されただけではなく,オスの求愛時にコウモリの音をメスに聞かせても配偶者として交尾を受け入れた.そこで,今度はオスの発音によりメスに捕食者回避行動を引き起こせるかを確かめた.先行研究により,アワノメイガの近縁種のメスは,コウモリの音に対してフェロモン腺の露出行動を中止することが分かっている.その結果,オスの音でもコウモリ音と同程度にフェロモン腺の露出を中止した.これらのことから,オスの発音によるメスの逃避抑制は捕食者回避行動の結果であり,メスはオスの発音とコウモリの発音を識別していない可能性が高い.すなわち,オスの発音はメスに感覚的に便乗しているのであろう.

本研究は,世界的にも研究例の少ないガ類の超音波を利用した音響交信に着目し,今まで不明であった音響交信の機能を解明した.本種における発音の機能はこれまでものと異なっており,ガ類の音響交信が独立に進化したことを支持する.近距離での雌雄間音響交信は適応的であり,このことは実際にアワノメイガ以外の様々な分類群において求愛時の超音波発音を確認できたことと矛盾しない.また,アワノメイガにおけるオス音とコウモリ音に対するメスの同等な反応性は,捕食者であるコウモリに由来する聴覚器官の発達がガ類の種内音響交信に利用されるようになった進化モデルを実証するものである.

審査要旨 要旨を表示する

ガ類は性フェロモンを用いた化学交信を発達させているが,一部の種は雌雄間で音響交信している.夜行性ガ類はコウモリの捕食圧に対し,コウモリの発する超音波を検出する超音波対応の聴覚器官を獲得したと考えられ,コウモリの超音波に対して捕食者回避行動を示す.雌雄間音響交信は,配偶行動時にも聴覚器官を用いるよう副次的に進化したと考えられる.ガ類の配偶行動におけるオスの発音は「誘引歌」として機能する例もあるが,性フェロモンに誘引されたオスがメスの近傍で出す超音波の機能は不明である.アワノメイガでは,メスの性フェロモンによりオスの定位飛翔・求愛ダンスが解発される.本種はトウモロコシの重要害虫であり,害虫管理の観点からメス性フェロモンに関する研究は蓄積があるが,音響を利用した交信は未検討である.本研究では,まず本種の配偶行動における音響交信の可能性を示し,さらに発音のメカニズムと機能の解明を試みた.

1. アワノメイガのオスによる超音波の発音

本種の配偶行動を観察した.オスはメスの性フェロモンに定位飛翔してメスの近傍に着地して羽ばたいた後,左右の翅を背側に直立させ細かく振動させ,それに続いて,腹部末端をメスの方に曲げて交接を試みる行動(交尾試行)を繰り返した.多くのメスはこれを受入れ交尾に至ったが,一部は飛翔して逃避した.この一連の行動中,オスによる翅の直立・振動時にのみ25-100 kHzの超音波が検出された.これは約6 msのパルスが約9個連続したパルス群から構成されており,40 kHz付近に音圧のピークがあった.メスの鼓膜を破壊すると交尾成功率が有意に低下したので,この超音波はメスの配偶者受入れを促進する「求愛歌」と考えられた.

2. 低音圧の超音波発音メカニズム

オスの発する超音波は1 cmの距離で最大音圧が46 dB SPL(0 dB SPL = 20 μPa)であった.また,聴覚神経は38 dB SPL以上の超音波に応答可能であったので,交尾時に発せられるオスの超音波はメスと1-2cm程度の至近距離でのみ効果を持つことが示された.

ガ類で知られる発音メカニズムは,振動膜による振動,ヤスリとヘラによる摩擦,翅の衝突による打撃など多様であるが,アワノメイガにはこれらに該当する発音器官はなかった.超高速度カメラを用いた発音時の観察から,翅の上げ・下げそれぞれで交互にパルスが発生することが分かった.そこで,翅の直立と振動に関連する部位を探索し,中胸と前翅に性的二型を示し互いに表面微細構造の似た鱗粉を発見した.これらの鱗粉の除去,ワセリン塗布が発音を阻害したのでこれらを発音器官と結論した.鱗粉の表面には他の部位やメスの鱗粉にはない微細な溝があり,表面の摩擦係数を高めており,これらが擦れ合うと効率的に高周波振動を発生すると推測された.次に,共鳴装置を検討するためレーザードップラー変位計により外部から与えた高周波音に対する振動加速度を計測した.胸と翅の発音鱗粉で比較したところ,翅は胸より10倍以上振動しやすく,さらにこの鱗粉の下に,音の共鳴・増幅に重要な役割をもつと考えられるオス特異的な膜状クチクラを見出した.以上から,本種は中胸と前翅にあるオス特異的な発音鱗粉を摩擦して超音波を発生することが明らかになった.鱗粉による発音はこれまで報告はなく,新奇の発音器官である.

3. オスの超音波に対するメスの潜在的反応

聴覚器官,発音器官を破壊した個体を用いた交尾実験から,オスの求愛歌が交尾成功に必須ではないことが示された.しかし,「無音状態」の求愛では,メスは交尾試行回数の有意に少ないオスを受入れ,回数の多いオスを逃避により拒否した.オスは一回目の交尾試行より二回目以降でより大きな音圧の求愛歌を発した.把握器を破壊したオスを用いた交尾実験はオスの発音がメスの逃避行動を抑制することを示した.これらから,オスの求愛歌には,オス交尾器による捕捉が円滑に進まない場合にメスの逃避を抑制する機能があり,これによりオスの繁殖成功度を上げると考えられた.

4. メスによる聴覚認識能

ガ類の配偶行動における音響交信の進化的起源は,コウモリの捕食を回避するため獲得した聴覚器官の「感覚的便乗」であると考えられているが,このプロセスを実証した研究はない.アワノメイガでは,オスの求愛歌がコウモリの超音波と構造的に似ていることから,メスが,1)オスをコウモリと誤認識して生じる捕食者回避行動が逃避を抑制する,および,2)配偶者として認識してその場にとどまる,二つの可能性が考えられた.そこで,オスとコウモリを聞き分けるかどうかを調べたところ,どちらの音もメスの逃避を抑制し,さらに,オスの求愛時にコウモリの音を聞かせてもメスは交尾を受け入れた.次にオスの発音がメスの捕食者回避行動を引き起こすかを調べたところ,オスの音でもコウモリ音と同程度にフェロモン腺の露出が中断された.これらから,オスの発音によるメスの逃避抑制は捕食者回避行動の結果であり,メスはオスとコウモリの発音を識別していない可能性が高い.すなわち,オスの発音はメスの感覚に便乗しているのであろう.

本研究は,不明の点が多かったガ類の超音波音響交信の機能を解明し,ガ類の音響交信が独立に進化したことを支持した.近距離での雌雄間音響交信は適応的であり,実際に本種以外の様々な分類群のガ類においても存在が示された.また,オス音とコウモリ音に対するメスの同等な反応性は,ガ類の雌雄間音響交信が聴覚器官の「感覚的便乗」によるとする進化モデルを実証する.審査委員一同はこれらの成果が学術的にも応用的にも大いに貢献しうるものであり,博士(農学)の学位を授与するに十分な価値を有することを認めた.

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