学位論文要旨



No 123542
著者(漢字) 亀井,飛鳥
著者(英字)
著者(カナ) カメイ,アスカ
標題(和) 食餌タンパク質・アミノ酸が皮膚機能に及ぼす影響のニュートリゲノミクス解析
標題(洋)
報告番号 123542
報告番号 甲23542
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3246号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 特任准教授 中井,雄治
 東京大学 准教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

身体の表面を覆っている皮膚は、体内からの水分蒸発や外部からの異物の侵入を防ぐバリア(表皮層)としての機能、さらにクッション(真皮層)としての機能を持つ重要な器官である。皮膚の正常な機能はQOLの向上において重要であり、それは外見や感触としては張りや弾力、しわ、潤い等の様々な肌質の指標として、常に人類の大きな関心事となってきた。医療面でも、創傷や火傷の治癒、褥瘡の予防、その他の皮膚機能異常や紫外線障害からの回復など、皮膚の再生や増殖の状態を維持することが重要な局面が多く存在する。こうした皮膚の機能を維持する上で、食事からの適切な栄養素の供給が不可欠であり、とりわけ代謝回転を維持するためのタンパク質摂取の役割は大きいと考えられる。これは、タンパク質栄養失調症であるKwashiorkorに見られる皮膚の鱗状の剥離や萎縮、潰瘍化などからも明らかである。体内のタンパク質代謝全体において皮膚は特に重要な組織であり、例えば無タンパク質摂取時に失われるタンパク質の3割程度が皮膚由来であるとされる。本研究は以上の問題意識に基づき、タンパク質栄養状態に応じた皮膚の遺伝子発現プロファイル変化より、未知の点が多いタンパク質栄養と皮膚機能の関係について体系的な情報を得ることを目指した。また近年生体の材料としての役割以外のアミノ酸の機能も注目され、個々のアミノ酸を摂取することの効果の研究報告も相次いでいる。そこで、皮膚の状態改善に効果が期待されるアミノ酸についてトランスクリプトミクスに基づく機能解明を、さらにアミノ酸の新規機能解明の一環として、肝臓や筋肉、脂肪組織をターゲットとした解析も試みた。

1. タンパク質栄養状態が皮膚の遺伝子発現プロファイルに及ぼす影響

タンパク質栄養が皮膚での遺伝子発現に及ぼす影響に関して、当研究室では特にコラーゲン、ヒアルロナンといった細胞外マトリックス代謝に着目して解析を行い、これらに関しては無タンパク質食やグルテン食の摂取が顕著な影響を及ぼすことを明らかにしている。また、肝臓においてこれらの食餌が遺伝子発現プロファイルに及ぼす影響についても報告してきた。タンパク質栄養が皮膚の機能に及ぼす影響をより広範に明らかにする目的で、6週齢のWistar系雄ラットに以下の4種の食餌を摂取させ、各群4個体に対してDNAマイクロアレイ解析を行い、得られた結果について統計的な解析を行った。アミノ酸バランスが良好とされるカゼインを用いた12%カゼイン食(12C)、無タンパク質食(PF)、Lys、Thrを制限アミノ酸とするタンパク質であるグルテンを用いた12%グルテン食(12G)、12GにLysとThrを添加した12%GLT食(12GLT)を1週間摂取させたラット背面皮膚よりtotal RNAを抽出し、1個体あたり1枚のDNAマイクロアレイ(Affymetrix社、Rat Genome 230 2.0)に供し、データを取得した。

解析を始めるにあたり、まずアレイデータの正規化の検討を行った。Affymetrix GeneChip(R)Operating Software(GCOS)に適用されている正規化アルゴリズムであるMicro Array Suite(MAS)、さらにRobust Multiarray Average(RMA)、Factor Analysis for Robust Microarray Summarization(qFARMS)、Distribution Free Weighted method(DFW)による正規化を検討し、qFARMSのアルゴリズムによる正規化データをその後の解析に用いることにした。

12CとPFをRankProductにて比較した結果、False Discovery Rate(FDR)<0.05という条件で、アクチン脱重合、脂質合成抑制、分解促進、プロスタグランジン合成促進、解糖促進、グルタチオン合成抑制、翻訳の抑制、アポトーシス誘導の可能性を示す変動がPFで見出された。PFでは摂食量低下に伴うエネルギー不足状態であることも、脂質代謝、糖代謝の変動の一因であることが考えられる。また、皮膚中グルタチオン量を測定したところ、総グルタチオン量、還元型グルタチオン量がいずれもPFで有意に減少しており、皮膚における抗酸化能が低下していることが予想された。これに加え、タンパク質栄養不良時の皮膚の炎症傾向には、プロスタグランジンの合成系の増加も関与していることが示唆された。またInsulin-like growth factor binding protein 3(IGFBP-3)の顕著な増加が見られたが、IGFBP-3は、アポトーシス関連遺伝子発現を制御する転写因子としての機能も知られていることから、生体防御機能のひとつとしてアポトーシスの誘導が起こることも考えられる。

一方、12C、12G、12GLTをTukeyの方法にて多群間比較した結果、P<0.05の条件では12GではPFと類似した変化がみられたが、その多くは12GLTでは解消されていた。このことから、12Gで誘導される変化の多くは、グルテンというタンパク質特有の変化ではなく、タンパク質栄養悪化による影響であったことが判明した。

2. アミノ酸添加食摂取が皮膚の遺伝子発現プロファイルに及ぼす影響の解析

非タンパク質性アミノ酸であるオルニチン(Orn)は、ヒト試験における肌質改善効果が報告されている。そこで本研究では、OrnおよびOrn同様尿素サイクル構成アミノ酸であるシトルリン(Cit)とアルギニン(Arg)に着目した。Arg、Cit、Ornにはそれぞれ摂取による創傷治癒促進効果が報告されている。また、代謝産物であるヒスタミンがコラーゲン合成促進作用を持つことが知られているヒスチジン(His)、表皮角質細胞内の水分維持に働く天然保湿因子の40%を占めるアミノ酸のうち、最も含量の多いセリン(Ser)の効果を解析することとした。一方、コラーゲンを経口摂取することで肌質の改善作用があることは巷間注目されているが、これに関して遺伝子レベルでの裏付けを得ることが可能かどうかも同時に検討する目的で、コラーゲン部分分解ペプチド(CP)およびコラーゲン分解産物であるヒドロキシプロリン(HyP)についても対象とした。

12%カゼインをタンパク質源とする食餌に、各アミノ酸またはペプチドを1%含む食餌を調製した。対照群として13%カゼイン群を設定した。これらの餌で一週間飼育した6週齢のWistar系雄ラットより、血漿、背面皮膚、肝臓、後脚腓腹筋、精巣周囲脂肪組織を得た。皮膚より抽出したtotal RNAを各群1つにプールし、1群あたり1枚のDNAマイクロアレイ(Affymetrix社、Rat Genome 230 2.0)に供し、GCOSで正規化したデータを用い、解析を行った。

その結果、コラーゲン代謝関連遺伝子の動きがHyP群、His群、Ser群、Cit群、Orn群で、糖代謝関連遺伝子の動きがすべての添加食群で、脂質代謝関連遺伝子の動きがHP群、Ser群で見出された。

コラーゲンは皮膚の乾燥重量の75%を占める細胞外マトリックスタンパク質である。コラーゲン代謝系は、皮膚コラーゲンに占める割合が大きいI型、III型、V型コラーゲンの約2倍の増加が、上記の群で見出された。また、コラーゲン分解の第一段階を担うMatrix Metalloproteinase 13(MMP-13)の発現減少傾向、MMP-13の阻害因子であるTissue Inhibitor of Matrix Metalloproteinase 2(TIMP-2)の発現増加傾向が見出された。そこで皮膚タンパク質を合成後間もないトロポコラーゲンと線維性コラーゲンとに分画し、それぞれの画分におけるI型コラーゲンタンパク質量をWestern Blotting法にて測定した。その結果、両画分とも13C群と比べ増加傾向はあるものの有意差はなく、コラーゲンはその量ではなくむしろ代謝回転速度が上昇している可能性が示唆された。

3. アミノ酸添加食摂取が肝臓、骨格筋、脂肪組織の遺伝子発現プロファイルに及ぼす影響の解析

2.で飼育したラット肝臓のトランスクリプトーム解析を行ったところ、His群、Ser群、Arg群、Cit群、Orn群で脂質合成の促進と分解の抑制を示唆する結果が得られた。また、血漿中TG含量が、Arg群、Cit群、Orn群で有意に低いことも見出したため、脂質代謝に関わる臓器である筋肉、脂肪組織についてもトランスクリプトーム解析を行ったところ、筋肉で脂質取り込み促進、合成促進を示唆する結果を見出した。脂肪組織については、全体的に変動が少なく、特徴の抽出が困難であった。しかし動物飼育を繰り返し行ったところ、これら脂質代謝関連遺伝子に対する再現性は低く、アミノ酸摂取の脂質代謝に対する効果について動物レベルで一貫した結果を得ることは困難であることがわかった。

皮膚、肝臓、筋肉、脂肪組織のアレイデータを得たので、組織間での発現パターンの違いを見出すべく、各組織のアレイデータをDFWで正規化し、クラスター解析および主成分分析を行った。その結果、本実験の条件下では、皮膚と筋肉の発現パターンが最も近く、次いで脂肪組織、肝臓の順に類似していることが明らかになった。また、アミノ酸添加食により群間の発現パターンが最も異なって現れる臓器が皮膚であることも明らかになった。

4. アミノ酸添加食の、より長期間の摂取が皮膚遺伝子発現プロファイルに及ぼす影響の解析

2.で見出した、アミノ酸添加食摂取による皮膚機能への影響は一週間摂取によるものであった。より長期間摂取した場合の効果を、CP、HyP、His、Ser、Arg、Ornを30日間に渡りラットに実験食を摂取させることで検討した。ラット背面皮膚を採取し、real time PCRにてmRNA発現レベルの比較を行ったところ、2.で変化のあったコラーゲン代謝、脂質代謝、糖代謝関連遺伝子に関しては長期間ではむしろ差が消失する場合が多かった。

5. 総括

本研究は、トランスクリプトミクスを利用した皮膚の状態や機能の解析という新分野に踏み込んだものであり、特に食餌成分と皮膚機能との関連の解明におけるDNAマイクロアレイ解析の有効性を示すものである。タンパク質栄養悪化に伴い、皮膚の防御機能が著しく低下することの分子的裏付けを得ることができ、タンパク質栄養を良好に保つことの重要性が皮膚の遺伝子発現プロファイルからも明確になったといえる。また主に成長を指標として定められている従来の必須アミノ酸必要量は、皮膚という単独の器官においても同様に反映されることが示された。

一方、アミノ酸1%添加食を一定期間摂取することで、皮膚におけるコラーゲンの代謝回転が亢進する可能性を見出した。すなわち非必須アミノ酸を巧妙に食生活に取り入れることで皮膚機能の改善や創傷治癒の促進が期待される。近年、機能性食品成分としてのアミノ酸の利用が増しているが、それらの作用メカニズムを明確にし、さらに未知の機能を発見する上で、トランスクリプトーム解析などのニュートリゲノミクス技術の適切な利用を進めることの重要性が確認された。

審査要旨 要旨を表示する

身体の表面を覆っている皮膚は、体内からの水分蒸発や外部からの異物の侵入を防ぐバリア(表皮層)としての機能、クッション(真皮層)としての機能を持つ重要な器官である。皮膚の機能を維持する上で、食事からの適切な栄養素の供給が不可欠であり、とりわけ代謝回転を維持するためのタンパク質摂取の役割は大きいと考えられる。これは、タンパク質栄養失調症であるKwashiorkorに見られる皮膚の鱗状の剥離や萎縮、潰瘍化などからも明らかである。一方、近年生体の材料としての役割以外のアミノ酸の機能も注目され、個々のアミノ酸を摂取することの効果の研究報告も相次いでいる。本研究は、DNAマイクロアレイを用いたトランスクリプトーム解析を中心に行うことで、未知の点が多いタンパク質栄養と皮膚機能の関係について体系的な情報を得ること、アミノ酸添加食摂取と皮膚機能の関係の解明、さらに肝臓、筋肉、脂肪組織を対象としたアミノ酸の新機能解明を目指したものである。

タンパク質栄養が皮膚の機能に及ぼす影響をより広範に明らかにする目的で、6週齢のWistar系雄ラットに以下の食餌を一週間摂取させ、各群4個体の皮膚に対してDNAマイクロアレイ解析を行い、得られた結果について統計的な解析を行った。食餌はアミノ酸バランスが良好とされるカゼインを用いた12%カゼイン食(12C)、無タンパク質食(PF)、Lys、Thrを制限アミノ酸とするタンパク質であるグルテンを用いた12%グルテン食(12G)、12GにLysとThrを添加した12%GLT食(12GLT)とした。初めに12CとPFを比較し、PFにおいてアクチン脱重合、脂質合成抑制、分解促進、プロスタグランジン合成促進、解糖促進、グルタチオン合成抑制、翻訳の抑制、アポトーシス誘導の可能性を示す変動が顕著であることを明らかにした。また、皮膚中グルタチオン量を測定し、総グルタチオン量、還元型グルタチオン量がいずれもPFで有意に減少し、皮膚における抗酸化能が低下していることを見出した。続いて、12C、12G、PFを比較し、12GではPFと類似した変化がみられること、12C、12G、12GLTを比較し、12Gの変化の多くは12GLTでは解消されていることを明らかにした。これらの解析結果より、防御機能を中心とする皮膚の代謝変動は、食餌タンパク質のアミノ酸バランスという「質」に対する感受性が高いことが示された。

一方、アミノ酸の新機能解明を目的として、経口摂取による皮膚への影響が大きいと考えられるアミノ酸を中心とし、ヒドロキシプロリン(HyP)、ヒスチジン(His)、セリン(Ser)、アルギニン(Arg)、シトルリン(Cit)、オルニチン(Orn)について、さらに経口摂取することで肌質の改善作用があると巷間注目されていながらその科学的根拠が立証されていないコラーゲン部分分解ペプチド(CP)について経口摂取による影響の解析を行った。12%カゼインをタンパク質源とし、各アミノ酸またはペプチドを1%添加した食餌を調製し、対照群として13%カゼイン群を設定した。これらの餌で一週間飼育した6週齢のWistar系雄ラットより、血漿、背面皮膚、肝臓、後脚腓腹筋、精巣周囲脂肪組織を得た。

アミノ酸添加食摂取と皮膚機能の関係を解明するため、皮膚に対してDNAマイクロアレイ解析を行った。その結果、皮膚乾燥重量の75%を占めるコラーゲンの代謝関連遺伝子の発現変動がHyP群、His群、Ser群、Orn群で、糖代謝関連遺伝子の発現低下がすべての添加食群で、脂肪酸合成関連遺伝子の発現増加がHyP群、Ser群で見出された。脂肪酸合成促進は皮膚のバリア機能向上を示唆するものと考えられた。コラーゲン代謝関連遺伝子の発現変動はコラーゲンタンパク質の蓄積を示唆するものであったが、Western Blotting法にて定量した結果、コラーゲンタンパク質量は群間で差がなかった。また、上記の発現変動は、食餌摂取期間を30日間にした場合には解消することを見出し、アミノ酸摂取が皮膚に及ぼす効果は、摂取期間により異なることを明らかにした。

一方、肝臓、脂肪組織、筋肉でも同様にトランスクリプトーム解析を行い、脂質代謝の変動を見出した。しかし、動物飼育を繰り返し行ったところ、再現性は低く、アミノ酸摂取の脂質代謝に対する効果について動物レベルで一貫した結果を得ることは困難であることがわかった。

また、皮膚、肝臓、筋肉、脂肪組織のアレイデータを用いて組織間比較を行い、本実験の条件下では皮膚と筋肉の発現パターンが最も近く、次いで脂肪組織、肝臓の順に類似していることを明らかにした。また、アミノ酸添加食により群間の発現パターンが最も異なって現れる臓器が皮膚であることも明らかにした。

以上、本論文はタンパク質栄養が皮膚に及ぼす影響について、またアミノ酸の機能についての新しい知見をDNAマイクロアレイを用いたトランスクリプトーム解析により見出したものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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