学位論文要旨



No 123546
著者(漢字) 伊藤,圭祐
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ケイスケ
標題(和) 味覚修飾タンパク質ミラクリンの発現系構築と構造生物学的解析
標題(洋)
報告番号 123546
報告番号 甲23546
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3250号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

目的

甘味は人類がその長い歴史を通じて常に求めてきた味であり、食品の嗜好性に寄与する最も重要な因子の一つである。また、近年では、肥満、糖尿病の誘因となるメタボリックシンドロームのリスク低減の観点から、健康指向の甘味料の開発が食品医療産業上きわめて大きな注目を集めている。そのような重要性にも関わらず、ヒトがどのように甘味を受容し、甘味感覚を発現するかの甘味受容機構の詳細は未知の部分を多く残す。

ミラクリン(MCL)は、西アフリカ原産の果実Synsepalum dulcificumに含まれるホモ二量体糖タンパク質であり、MCLを口に含んでから酸を味わうと強い甘味を呈するユニークな味覚修飾活性を持つ。同様な活性を有するネオクリンはそのもの自身も甘味を呈するが、MCLとの一次構造上の相同性はないことから、両者の間での機能発現機構の共通性の有無の検証は興味深い。MCLはそれ自身が無味であることから、甘味受容の有無をスイッチon/offとして捉えることもできる。その作用機構の解析を通じて、甘味受容機構解明へ新たな切り口を見出し得ると期待される。

タンパク質の分子レベルでの解析には発現系構築が不可欠である。しかし、MCLは約40年前に発見されて以来、多くの研究者が大腸菌や酵母での発現を試みてきたにもかかわらず、発現系構築に成功したとの報告はない。そのため、機能発現機構に関する分子レベルでの知見は現在までほとんど得られていない。

そこで筆者は、MCL発現系を構築して十分量の試料を取得し、構造生物学的手法によるMCLの機能発現機構の解析を可能とした。以下にその経緯を述べる。

1.タンパク質化学的研究

Synsepalum dulcificum果実より活性本体を精製し、同定を行なった。活性画分には少なくとも3種類の分子量の異なるタンパク質MCL-I、II、IIIが検出された。それらのN末端および内部アミノ酸配列解析は既知のMCLのデータと同一であったことから、付加した糖鎖に若干の分子量の違いはあるものの、基本的にMCLと同等であると結論した。MCLの機能発現機構として、酸で構造変化した糖鎖が甘味受容体と相互作用するモデルが提唱されているが、実験的証拠はない。これらMCL-I、II、IIIの3種タンパク質間で味覚修飾活性に差がみられなかったことから、味覚修飾活性には糖鎖構造そのものは不可欠ではないことが示唆された。

精製MCLの円二色性(CD)スペクトル解析の結果、β-sheatに富んだ構造であり、β-IIタンパク質と総称される一連のタンパク質と、一次構造の相同性のみならず、高次構造上も類似性していることが示唆された。また、MCLのスペクトルがpH変化に伴って変化することを見出した。これは味覚修飾活性のpH依存性を反映した構造変化と考えられるが、β-IIタンパク質のCDスペクトル解析は困難であり、詳細な構造解析には至っていない。より多くの構造情報の集積により、味覚修飾活性と構造変化の相関解析が可能となるであろう。

2.MCL発現系の構築

Synsepalum dulcificum果実よりMCL遺伝子のクローニングを行い、Escherichia coli、Bacillus brevis、Saccharomyces cerevisiae、Pichia pastoris、Aspergillus oryzaeを宿主とした発現系構築を試みた。E.coliを宿主とした発現系において、各種ベクターを用いて発現を試みた結果、マルト-ス結合タンパク質との融合タンパク質として発現した場合、菌体破砕後の可溶性画分にMCL二量体が得られることを見出した。しかし、精製後のタンパク質には活性は検出できなかった。B. brevisを宿主とした発現系では、細胞壁タンパク質由来であるP2プロモーター下流にMCL遺伝子のクローニングを行い、B. brevisを形質転換した。発現誘導の結果、培養液上清中にMCL単量体のみが検出された。S. cerevisiaeを宿主とした発現系では、ガラクトース添加によって発現誘導されるGAL1 プロモーター下流に、分泌シグナルとしてα-ファクターを融合したMCL遺伝子を導入されるようにPCR法によって設計し、S. cerevisiae菌体内での相同組み換えによって形質転換を行った。発現誘導の結果、菌体破砕後の可溶性画分にMCL単量体のみが検出された。P. pastorisを宿主とした発現系では、メタノールによって強力に発現誘導されるAOX1 プロモーター下流に、分泌シグナルとしてα-ファクターを融合し、N末端にFLAG-tag、C末端にHis-tagを付加したMCL遺伝子を合成し、P. pastoris菌体内での相同組み換えによって形質転換を行なった。発現誘導後、培養液上清中にMCL単量体と二量体の両方が検出された。His-tag精製によってMCL単量体のみが得られ、FLAG-tag精製によってMCL単量体と二量体の両方が得られたことから、C末端に付加したtagは二量体化によって機能できず、N末端に付加したtagがMCL二量体の精製に有効であると結論した。しかし、この方法で精製したMCL二量体の収量は非常に低く、活性測定には至らなかった。

A. oryzaeを宿主とした発現系構築では、分泌キャリアータンパク質としてα-アミラーゼを用い、その下流にKEX 2プロテアーゼ切断配列を挟んでMCL遺伝子を導入した。このコンストラクトによりA. oryzaeを形質転換した。発現誘導後、培養液上清中にMCL単量体と二量体の両方が検出された。培養条件の検討後、大量培養を行った。培養液上清からタンパク質を回収し、精製後、N末端近傍一次構造解析、CDスペクトルによる二次構造解析によって天然MCLと同等であることを確認した。さらに特性解析を行った結果、天然MCLと同等の味覚修飾活性をも有しており、活性を有するMCL二量体の発現系構築に初めて成功した。培養液中の発現量は2 mg/L、精製後の収量は0.8 mg/Lであった。また、MCL自身に無味であることから、味覚修飾活性の受容分子は不明であったが、ラクチゾールによって阻害されることから、ヒト甘味受容体hT1R2/hT1R3を介したものであることが判明した。

3.機能発現機構の構造生物学的解析

構築した発現系を用い、変異体解析を行った。MCLに存在する糖鎖付加部位Asn42、Asn186へ変異導入し、麹菌発現MCLの糖鎖付加について解析したところ、付加部位は天然MCLと同一であった。さらに、活性残基の特定を行った。MCLの味覚修飾活性が弱酸性pH領域で発現することから、その分子中に2つ存在するHis残基に着目し、Alaへ置換した変異体を作出した。結果、H30, 60A二重変異体の味覚修飾活性は消失した。続いてH30A変異体を作出したところ、同様に活性が消失したことから、His30が活性残基の一つであると結論した。

MCLの構造は未知であるため、シミュレーションモデリングによる構造予測を行なったところ、MCL二量体におけるサブユニット間の境界面は、シミュレーションモデリングの鋳型として用いたアミラーゼインヒビターのアミラーゼ結合領域と同一であった。この領域はβ-IIタンパク質において機能発現に寄与する領域と考えられる。MCL単量体には味覚修飾活性が検出されなかったことと合わせ、MCLの味覚修飾活性には二量体であることが必須であり、特にサブユニット間の境界面が活性に重要であることが示唆された。さらに、構築したモデルにおいて、His30残基はMCLのサブユニット境界に位置したことから、His30はpH変化の受容を通じ、サブユニット間の相互作用へ寄与していることが推察された。

まとめ

本研究により、過去40年以上も成し遂げられなかったMCLの発現系構築に成功し、構造生物学的解析のための基盤の確立に至った。さらに、構築した系を用いて、味覚修飾活性にHis残基が関与していることを明らかにし、シミュレーションモデリングによって作用機構を推察した。これは、味覚修飾タンパク質の活性残基についてのはじめての成果である。

今後さらなる解析により、詳細な味覚修飾活性の機能発現機構が明らかとなると期待される。

発表論文

Ito K, et al. Microbial production of sensory-active miraculin. Biochem. Biophys. Res. Commun. 360, 407-411(2007)

Ito K, et al. Val326 of Thermoactinomyces vulgaris R-47 amylase II modulates the preference for alpha-(1,4)- and alpha-(1,6)-glycosidic linkages. Biochim. Biophys. Acta 1774, 443-449(2007)

図 MCLのシミュレーション・モデル(His30を空間重点モデルで示す)

審査要旨 要旨を表示する

目的

甘味は食品の嗜好性に寄与する最も重要な因子の一つであるが、ヒトがどのように甘味を受容し、甘味感覚を発現するかの甘味受容機構は未知の部分を多く残す。

ミラクリン(MCL)は、西アフリカ原産の果実Synsepalum dulcificumに含まれるホモ二量体糖タンパク質であり、MCLを口に含んでから酸を味わうと強い甘味を呈するユニークな味覚修飾活性を持つ。その作用機構の解析を通じて、甘味受容機構解明へ新たな切り口を見出し得ると期待される。

タンパク質の分子レベルでの解析には発現系構築が不可欠である。しかし、MCLは約40年前に発見されて以来、発現系構築に成功したとの報告はない。申請者は、MCL発現系を構築し、構造生物学的手法によるMCLの機能発現機構の解析を可能とした。以下にその経緯を述べる。

1.タンパク質化学的研究

Synsepalum dulcificum果実より活性本体を精製し、同定を行なった。活性画分には少なくとも3種類の分子量の異なるタンパク質MCL-I、II、IIIが検出された。それらのN末端および内部アミノ酸配列解析は既知のMCLのデータと同一であったことから、付加した糖鎖に若干の分子量の違いはあるものの、基本的にMCLと同等であると結論した。MCLの機能発現機構として、酸で構造変化した糖鎖が甘味受容体と相互作用するモデルが提唱されているが、これらMCL-I、II、IIIの3種タンパク質間で味覚修飾活性に差がみられなかったことから、味覚修飾活性には糖鎖構造そのものは重要ではないことが示唆された。また、MCLの受容分子は不明であったが、ラクチゾールによって味覚修飾活性が阻害されることから、ヒト甘味受容体hT1R2/hT1R3を介したものであることを明らかにした。

精製MCLの円二色性(CD)スペクトル解析の結果、β-sheetに富んだ構造であり、Kunitz型トリプシンインヒビターと、一次構造のみならず、高次構造上も類似していることが示唆された。また、MCLのスペクトルがpH変化に伴って変化することを見出した。これは味覚修飾活性のpH依存性を反映した構造変化と考えられる。

2.MCL発現系の構築

Synsepalum dulcificum果実よりMCL遺伝子のクローニングを行い、Escherichia coli、Bacillus brevis、Saccharomyces cerevisiae、Pichia pastoris、Aspergillus oryzaeを宿主とした発現系構築を試みた。E.coliを宿主とした発現系において、各種ベクターを用いて発現を試みた結果、マルト-ス結合タンパク質との融合タンパク質として発現した場合、菌体破砕後の可溶性画分にMCL二量体が得られることを見出した。しかし、精製後のタンパク質には活性は検出できなかった。B. brevisを宿主とした発現系では、培養液上清中にMCL単量体のみが発現した。S. cerevisiaeを宿主とした発現系では、菌体破砕後の可溶性画分にMCL単量体のみが発現した。P. pastorisを宿主とした発現系では、培養液上清中にMCL単量体と二量体の両方が発現した。しかし、発現量、および精製収量が低く、活性測定には至らなかった。

A. oryzaeを宿主とした発現系構築では、分泌キャリアータンパク質としてα-アミラーゼを用い、その下流にKEX 2プロテアーゼ切断配列を挟んでMCL遺伝子を導入した。このコンストラクトによりA. oryzaeを形質転換した。発現誘導後、培養液上清中にMCL単量体と二量体の両方が検出された。培養条件の検討後、大量培養を行った。培養液上清からタンパク質を回収し、精製後、N末端近傍一次構造解析、CDスペクトルによる二次構造解析によって天然MCLと同等であることを確認した。さらに特性解析を行った結果、天然MCLと同等の味覚修飾活性をも有しており、活性を有するMCL二量体の発現系構築に初めて成功した。培養液中の発現量は2 mg/L、精製後の収量は0.8 mg/Lであった。

3.機能発現機構の構造生物学的解析

構築した発現系を用い、変異体解析を行った。MCLに存在する糖鎖付加部位Asn42、Asn186へ変異導入し、麹菌発現MCLの糖鎖付加について解析したところ、付加部位は天然MCLと同一であった。さらに、活性残基の特定を行った。MCLの味覚修飾活性が弱酸性pH領域で発現することから、その分子中に2つ存在するHis残基に着目し、Alaへ置換した変異体を作出した。結果、H30, 60A二重変異体の味覚修飾活性は消失した。続いてH30A変異体を作出したところ、同様に活性が消失したことから、His30が活性残基の一つであると結論した。

シミュレーションモデリングの結果、His30残基はMCLのサブユニット境界に位置したことから、His30はpH変化の受容を通じ、サブユニット間の相互作用へ寄与していることが推察された。MCL単量体には味覚修飾活性が検出されなかったことと合わせ、MCLの味覚修飾活性には二量体であることが必須であり、特にサブユニット間の境界面が活性に重要であることが示唆された。

以上、過去40年以上も成し遂げられなかったMCLの発現系構築に成功し、構造生物学的解析のための基盤の確立に至った。さらに、構築した系を用いて、味覚修飾活性にHis残基が関与していることを明らかにした。これは、ミラクリンの基盤研究として非常に重要な成果であり、学術的に高く評価できる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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