学位論文要旨



No 123549
著者(漢字) 鈴木,道生
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ミチオ
標題(和) アコヤガイの貝殻形成に関与する有機基質の構造および機能解析
標題(洋)
報告番号 123549
報告番号 甲23549
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3253号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 鈴木,義人
 東京大学 准教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

序論

生物は無機物と有機物から構成されている。無機物のほとんどがイオンの形で、生体内における浸透圧調節、シグナル伝達、神経伝達等に利用されている。一方、生物は無機物を硬組織として固体の形で利用している。無機硬組織は、原核生物から高等動物に至る多くの生物に見られ、体の保持、外敵からの防御、ミネラルの貯蔵など様々なことに利用している。このような生物が鉱物を作る作用をバイオミネラリゼーションといい、生物が作る鉱物をバイオミネラルと呼ぶ。バイオミネラルは人工では作り得ない非常に精密な構造をしたものが多く、その形成メカニズムは鉱物学、材料科学、生命科学、環境科学等の様々な観点から興味が持たれている。これまでの研究から、バイオミネラルに含まれる少量の有機基質が結晶の形態、多形、配向、核形成の制御を行うことで、単なる無機結晶とは異なるバイオミネラルに特有の構造の形成に寄与しているのではないかと考えられてはいるが、実際に具体的な分子の機能を証明した研究はきわめて少なく、バイオミネラルの詳細な形成メカニズムは未だ不明な点が多い。

本研究において筆者が研究対象にしたアコヤガイ (Pinctada fucata) は、日本で真珠養殖に利用される貝として知られており、アコヤガイのバイオミネラルである真珠および貝殻の研究は盛んである。アコヤガイの貝殻は、内側は真珠と同じ構造を有する真珠層、外側は稜柱層と二層構造をしている。真珠層は炭酸カルシウムの準安定なアラゴナイト結晶を内部に含むレンガ状のコンパートメントが積層した構造であるのに対し、稜柱層は炭酸カルシウムの最安定なカルサイト結晶を含む稜柱状の構造であり、性質の異なる2つの層が1つの貝殻に存在するのが特徴的である。このような特徴的な構造を有するアコヤガイの貝殻形成メカニズムを解明するため、本研究では、貝殻から有機基質を単離・精製し、構造・機能解析を行うことで、アコヤガイ貝殻の石灰化、ひいては軟体動物全体の貝殻形成機構を明らかにすることを目的とした。

第1章 稜柱層特異的基質タンパク質Prismalin-14の機能・発現解析

真珠層に含まれる有機基質については既にいくつか研究報告が存在するが、稜柱層はあまり注目されず、そこに含まれる有機基質の報告もほとんどなされてこなかった。筆者は修士課程において、アコヤガイ稜柱層特異的新規基質タンパク質Prismalin-14の単離・精製、構造・機能解析を行った1)。本章では、このPrismlain-14の構造と機能のより詳細な関係を解析するため、Prismalin-14の構造活性相関研究を行った。Prismalin-14はNおよびC末端にアスパラギン酸に富む酸性領域、配列中央付近にPIYR repeatおよびGY-rich regionの4つのドメインから構成されている。そこで、4つのドメイン全てを有するrPrismalin-14、PIYR repeat、GY-rich regionおよびC末端酸性領域を有するΔN、PIYR repeatとGY-rich regionを有するΔNΔC、N末端酸性領域とPIYR repeatを有するPIYR、GY-rich regionとC末端酸性領域を有するGYの合計4種類の組換え体を作製し、それぞれについて炭酸カルシウム結晶との相互作用を評価する炭酸カルシウム結晶形成阻害活性およびキチン結合活性を測定した。その結果、N末端とC末端の酸性領域が炭酸カルシウム結晶との相互作用に重要であり、GY-rich regionがキチンとの結合に重要であることが示された。また、抗Prismalin-14抗体を用いて稜柱層を免疫染色したところ、Prismlain-14は有機基質の枠組み部分に存在することが明らかになった2)。

第2章 貝殻内のキチンおよびキチン合成酵素の同定

キチンは貝殻の基盤を形成する因子として重要であるにも関わらず、キチンに関する研究はこれまでほとんどなされていなかった。筆者は第1章でPrismalin-14のGY-rich regionがキチン等の有機基盤に結合することを証明したが、実際に稜柱層にキチンが含まれているという報告はなされていない。本章では有機基盤の重要な因子であるキチンのアコヤガイ貝殻稜柱層からの同定と、貝がキチンを形成する最も初期に関与すると思われるキチン合成酵素 (PfCHS1) のアコヤガイ外套膜からの同定を行った。まず、脱灰後の稜柱層をcalcofluor染色したところ、枠組み全体が蛍光染色された。次に、稜柱層由来不溶性成分のIRスペクトルを測定したところ、標品キチンのスペクトルとほぼ一致した。続いて、稜柱層由来不溶性成分の加水分解産物の1H NMRスペクトルを測定したところ、キチン標品の加水分解産物およびグルコサミン塩酸塩のスペクトルと一致した。以上の結果から、稜柱層にキチンが存在することが示された。

アコヤガイのキチン合成酵素 (PfCHS1) を昆虫のキチン合成酵素の配列を基にホモロジークローニングを行った。pfchs1の全長は約7.7 kbpであり、N末端にはタイラギ (Atrina rigida) のキチン合成酵素と同様、myosin head domainを有することが判明し、アクチンと連動して働いているのではないかと考えられた。活性部位は他のキチン合成酵素との相同性が高く、特に活性に重要だと考えられているQRRRW配列は完全に保存されていた。これらのことから今回同定したPfCHS1が確かにアコヤガイのキチン合成酵素であることが示された。発現解析の結果、PfCHS1は貝殻外側に面する外套膜および筋肉に発現していることが判明した3)。

第3章 真珠層特異的基質タンパク質Pifの構造・機能解析

序論でも述べたように、アコヤガイの貝殻は結晶の安定性の異なる2つの層から構成されているのが最大の特徴である。特に真珠層は準安定なアラゴナイト結晶(結晶多形制御)を含んでいるが、真珠層のアラゴナイト結晶は通常の無機的なアラゴナイト結晶とは異なり、結晶のc軸が貝殻面に対して垂直方向に揃い (結晶配向制御) 、またレンガ状のコンパートメント構造 (結晶形態制御) から成るという特徴的な構造を有する。これは無機的な作用によってアラゴナイト結晶が形成されたのではなく、何らかの有機基質の働きにより積極的にc軸が垂直に配向し、形態の整ったアラゴナイト結晶が形成されたものと考えられる。そこで本章では、真珠層に含まれる真珠層のアラゴナイト結晶形成を誘導するアラゴナイト結晶多形・配向・形態制御物質を探索し、その構造・機能解析を行った。

まず、アラゴナイト結晶に特異的に結合する基質タンパク質がアラゴナイト結晶誘導能を有する可能性があると考え、真珠層から抽出した不溶性有機基質をアラゴナイト結晶とカルサイト結晶それぞれに結合させた。その結果、SDS-PAGE上で分子質量80 kDaのバンドがアラゴナイト結晶に特異的に結合することが判明した。このバンドのN末端アミノ酸配列および内部アミノ酸配列を解析し、これらの配列を元に80 kDaのバンドのタンパク質のcDNAをクローニングしたところ、全長約3.0 kbpであることが判明した。演繹アミノ酸配列について相同性検索した結果、配列全体として有意に相同性のある分子は見出せなかったことから、新規のタンパク質であることが判明し、この分子をPifと命名した。Pifには、SDS-PAGE上で80 kDa付近に観察されたアラゴナイト結晶結合タンパク質 (以下Pif 80) の他に、翻訳後に切断されると予想されるdibasic siteを挟んで上流にPif 97がコードされていることが判明した。Pif 80はアスパラギン酸を28.5%、リジンを18.7%、アルギニンを10.9%も含む、非常に親水性に富む配列を有していた。Pif 97はコラーゲン等が有するタンパク質相互作用ドメインであるVWA domainとキチンに結合するchitin-binding domainを有していた。

Pif分子の貝殻内での機能を知るため以下の実験を行った。まず、免疫SEMによる手法を用いてPifの局在解析を行った。Pifは真珠層全体と真珠層形成の起点となる真珠層と稜柱層との境目の有機膜に存在することが判明したことから、Pifが真珠層形成を誘導し真珠層の重要な構成成分になっていることが示唆された。次にRNAiを用いたPifのノックダウンを行った。Pif dsRNAを30μg投与した個体においてPBS注射個体、GFP dsRNA 30μg投与の個体と比較して、PifのmRNAが有意に減少していることが確認された。Pif dsRNAを30μg投与した個体の真珠層表面をSEM観察したところ、正常な個体に比べて真珠層表面が乱れ、真珠層の成長が停止している様子が観察された。さらにゲルろ過カラムクロマトグラフィーを用いて粗精製したPifを含む画分をキチン薄膜上に添加し、炭酸カルシウム過飽和溶液内で結晶形成させたところ、真珠層のアラゴナイト結晶と類似したc軸が基盤に対して垂直なアラゴナイト結晶が観察された。

第4章 貝殻基質タンパク質の相同分子の探索

これまで様々な種の貝殻から、多くの基質タンパク質が同定されているが、お互いに相同性を有する分子はほとんど存在しない。これは、これまで同定された基質タンパク質は貝殻形成には関与しているが、その種に特異的なタンパク質であり、貝殻形成に関して普遍的に存在するものではないためであると考えられる。それが貝殻形成機構に重要なタンパク質であるならば、種を超えてその分子が存在するはずであると考え、Pifの相同分子をアコヤガイの近縁種で探索した。その結果、クロチョウガイ (Pinctada margaritifera)、マベガイ (Pteria penguin) においてその存在が確認された。アコヤガイと同属であるクロチョウガイではPif 80、Pif 97ともに非常によく似ていたが、近縁ではあるが属が異なるマベガイではPif 80の配列がかなり異なっていることがわかった。

総括

以上、アコヤガイ貝殻から有機基質を同定し、その構造・機能解析を行い、貝殻形成メカニズムの解明を試みた。第1章では稜柱層特異的基質タンパク質Prismalin-14の構造活性相関を明らかにし、稜柱層形成機構の一端を明らかにした。第2章では稜柱層のキチンおよびキチン合成酵素の存在を明らかにした。第3章、第4章では真珠層特異的新規基質タンパク質Pifを見出し、機能・局在解析の結果、Pifが真珠層のアラゴナイト結晶形成に重要な役割を果たしていることが示唆された。

1) Suzuki, M., Murayama, E., Inoue H., Ozaki N., Tohse, H., Kogure, T. and Nagasawa, H. Biochem. J., 382, 205-213 (2004).

2) Suzuki, M. and Nagasawa, H. FEBS J., 274, 5158-5166 (2007).

3) Suzuki, M., Sakuda, S. and Nagasawa H. Biosci. Biotechnol. Biochem., 71, 1735-1744 (2007).

審査要旨 要旨を表示する

生物は無機鉱物を硬組織として利用している。無機硬組織(バイオミネラル)は、原核生物から高等動物に至る多くの生物に見られ、体の保持、外敵からの防御、ミネラルの貯蔵などに利用されている。バイオミネラルに含まれる少量の有機基質が結晶の形態、多形、配向、核形成の制御を行っていると考えられてきたが、詳細な形成メカニズムは未だ不明な点が多い。本論文はアコヤガイ(Pinctada fucata)を研究対象としている。アコヤガイの貝殻は内側が炭酸カルシウムのアラゴナイト結晶がレンガ状に積層した構造である真珠層、外側が炭酸カルシゥムのカルサイト結晶を含む稜柱層の二層構造をしている。本論文は、アコヤガイの貝殻形成メカニズムを解明することを目的にしたもので、序論と4章から成る。

序論で背景を述べた後、第1章では、稜柱層特異的基質タンパク質Prismalin-14の構造活性相関研究を行っている。Prismalin-14はNおよびC末端にアスパラギン酸に富む酸性領域、配列中央付近にPIYRrepeatおよびGY-rich regionの4つのドメインから構成されている。そこで、4つのドメインのうち1つあるいは2つを欠失した変異体を調製し、炭酸カルシウム結晶形成阻害活性およびキチン結合活性を測定した結果、N末端とC末端領域が炭酸カルシウム結晶との相互作用に重要であり、GY-rich regionがキチンとの結合に重要であることが示された。

第2章では、貝殻内のキチンの同定およびキチン合成酵素のクローニングを行っている。まず、脱灰後の稜柱層をCalconuor染色したところ、枠組み全体が蛍光染色された。次に、稜柱層由来不溶性成分のIRスペクトルを測定したところ、標品キチンのスペクトルとほぼ一致した。さらに、稜柱層由来不溶性成分の加水分解産物の1H NMRスペクトルを測定したところ、ギチン標品の加水分解産物およびグルコサミン塩酸塩のスペクトルと一致した。以上の結果から、稜柱層にキチンが存在することが示された。

アコヤガイのキチン合成酵素(PfCHS1)cDNAをクローニングしたところ、pfchs1の全長は約7.7kbpであり、N末端にはmyosin headd omainを有し、活性に重要と考えられているQRRRW配列は保存されていた。発現解析の結果、pfchslは貝殻外側に面する外套膜および筋肉に発現していることが判明した。

第3章では、真珠層特異的基質タンパク質の構造・機能解析を行っている。まず真珠層から抽出した不溶性有機基質をアラゴナイト結晶とインキュベートし、上清をSDS-PAGEで分析したところ、80kDaのバンドがアラゴナイト結晶に特異的に結合することが判明した。このタンパク質をコードするcDNAをクローニングしたところ、新規であることがわかったので、Pifと命名した。Pifは、上述の80kDaのアラゴナイト結晶結合タンパク質(以下Pif80)の上流に、Pif97をコードしていた。Pif97はタンパク質相互作用ドメインであるWA domainとキチンに結合するchitin-binding domainを有していた。

Pif分子の機能を知るため、まず、免疫sEMによるPifの局在解析を行った結果、Pifが真珠層形成を誘導し真珠層の重要な構成成分になっていることが示唆された。次にRNAlを用いたPifのノックダウンを行ったところ、pifのmRNAが有意に減少していることが確認された。その個体の真珠層表面をSEM観察したところ、正常な個体に比べて表面が乱れ、真珠層の成長が停止していた。さらに、ゲルろ過カラムクロマトグラフィーを用いて粗精製したPifを含む画分をキチン薄膜上に添加し、,炭酸カルシウム過飽和溶液内で結晶形成させたところ、c軸が基盤に対して垂直なアラゴナイト結晶が観察された。

第4章では貝殻基質タンパク質の相同分子を近縁の貝で探索している。Pifの相同分子をクロチョウガイ(Pinctada margaritiera)、マベガイ(Pteria genguin)において探索した結果、その存在が確認された。アコヤガイと同属で昂るクロチョウガイではPif80、pif97ともに非常によく似ていたが、近縁ではあるが属が異なるマベガイではPif80の配列がかなり異なっていることがわかった。

以上、本論文はアコヤガイ貝殻から有機基質を同定し、その構造・機能解析を行い、貝殻形成メカニズムの一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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