学位論文要旨



No 123551
著者(漢字) 中島,健一朗
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ケンイチロウ
標題(和) 甘味タンパク質ネオクリンの発現生産とその味覚修飾活性機構の解析
標題(洋)
報告番号 123551
報告番号 甲23551
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3255号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

甘味を呈する物質には、ショ糖などの糖類、D-トリプトファンなどのアミノ酸、ステビオサイドなどの配糖体、アスパルテームなどのペプチド性化合物からサッカリンなどの人工甘味料、モネリンなどのタンパク質まで化学類型の異なる化合物が多種多様に存在する。これらの甘味物質はGタンパク質共役型受容体TIR2とTlR3のヘテロマーからなる甘味レセプターにより受容される。これまでに、レセプター上には複数の甘味物質作用部位の存在が報告され、そのbroadhmeなリガンド認識機構については非常に興味がもたれている。

ごく最近、同様のレセプターが腸管においても発現し、グルコースセンサーとして機能してペプチドホルモンの分泌の制御に関与するとの報告があり、肥満や糖尿病などの治療のターゲットとしてもその活性化機構が注目されている。

これまでに先進国での糖の過剰摂取による疾病への対策として、味覚科学と食品産業の分野が長年に亘って興味を示してきたものに甘味タンパク質があり、すでに、8種類のタンパク質の存在が知られている。その多くは、重量比率あたりショ糖の数百から数千倍もの強い甘味を示し、糖に替わる低カロリー甘味料としての使用が期待されている。なかでも、1960年代にアフリカ産のミラクルフルーツの果実から発見されたミラクリンと1980年代にマレーシア産のクルクリゴの果実から発見されたクルクリン、そして我々のグループが発見したネォクリン(NCL)は酸味を甘味に変換する活性(味覚修飾活性)を持つユニークなタンパク質である。

NCLは、糖鎖の付加した酸性サブユニットNASと塩基性サブユニットNBSがジスルフィド結合で架橋された約22kDaのヘテロダイマーである。そのもの自身も甘味を呈するうえ、口に含んだあとに酸を味わうと強烈な甘味が生じる。また、この活性は30分から1時間程度持続する。一方、ミラクリンは塩基性サブユニットがジスルフィド結合で架橋された約50kDaのホモダイマーで、そのもの自身は無味であるがNCLと同様に味覚修飾活性を持つ。この活性は1時間から2時間程度持続する。生物行動学的には、どちらのタンパク質もヒト(およびヒト近縁のサル)によってのみ甘味が認識されると考えられている。したがって、味覚評価に通常の実験動物は使用できない。

両者の活性は非常に類似しているものの、アミノ酸配列の相同性は低いことから、構造と機能の関係はほとんどわかっていなかった。さらに、味覚修飾タンパク質がどのように受容されることによってユニークな活性を示すのかに関する、分子機構も不明であった。

本研究ではNCLの受容、特に酸によって増強する甘味がどのような機構によって生じるのかを、独自に作出したNCL変異体をツールとして用い、官能試験およびヒト甘味レセプター発現細胞を用いた評価系により解析した。

NCLのヒト甘味レセプターへの作用の検証

NCLも他の甘味物質と同様に、ヒト甘味レセプター(hTlR2-hTlR3)に作用すると予想し、その作用を培養細胞にhTIR2-hTIR3を発現させた系を用いて評価した。hTIR2、hTIR3、キメラ変異体Gαタンパク質(Gl6Gust25)の3者をhunlan emblyonic kidney (HEK) 293T cellに一過的に導入し、IP3-Ca++シグナリング系たよる細胞内カルシウムイオン濃度の増加をFura2-AMを用いたカルシウムイメージングによりモニターしたところ、アスパルテームやサッカリシといった低分子量甘味物質に応答する細胞はNCLにも応答した。また、この応答はhTIR2-hTIR3の阻害剤であるラクチゾールによって抑制された。このことからNCLはhTlR2-hTIR3を介して受容されると考えられる。しかし、この系ではNCLに対する細胞応答が酸を添加しても変化しなかった(この問題は後述のように解決した)。そこで、当面、官能試験により甘味の強度とpHの関係を評価した。NCLを味わった後に、pHの異なる酢酸緩衝液を味わうことで生じる甘味の強度をアスパルテーム当量で評価したところ、酸により生じる甘味がpHの低下に依存して増強することを確認した。また、この甘味はラクチゾールを味わうことで阻害された。以上の結果から、NCL自身の甘味および鯵を味わうことで増強される甘味はいずれもhTIR2-hTIR3を介することを明らかにした。

を宿主とした組換えNCLの発現生産系の構築

NCLの構造・機能相関の解明のためには、その変異体を用いた解析が有効である。このため、次に組換えNCLの発現系の構築を行った。NCLは糖鎖の付加したNASとNBSがジスルフィド結合で架橋されたヘテロダイマーであることから、本研究ではジスルフィド結合の架橋や糖鎖の付加などの翻訳後修飾が可能なうえ、大量の分泌生産が期待できる麹菌(Aspergillus oryzae)を宿主として用いた。

NASとNBSのcDNAをそれぞれ、麹菌が大量分泌する酵素であるα-amylaseの遺伝子とKEX2プロテアーゼ切断配列の間に挿入した発現プラスミドを構築した。組換えNCLはα-amylaseとの融合タンパク質として翻訳された後、宿主のタンパク質分泌経路を輸送され、ゴルジ体内に局在するKEX2プロテアーゼによりα・amylaseと切り離され、培地中に分泌生産される。発現プラスミドを麹菌へ共導入する際には、サブユニットのアミノ末端にトリグリシン配列を付加してKEX2プロテアーゼの切断精度を向上させる、2つの発現プラスミドの比率を検討して両サブユニットの発現量を揃えるなどの改良を行った。NCL生産株は小規模培養を行い、抗NCL抗体を用いた上清のウエスタン解析で選抜した。組換えNCLの生産量は培地1.3mg/L程度であった。NCL生産株を大量培養後、培地上清を回収し、硫酸アンモニウム沈殿、フェニル疎水クロマトグラフィー、ゲルろ過クロマトグラフィーの順に精製を行った。クルクリゴ果実から精製したNCLと組換えNCLのタンパク質化学的な性質はSDS-PAGE、ウエスタン解析、糖タンパク質染色により比較し、両者とも同等の構造をもつ、糖鎖の付加したヘテロダイマーであることを確認した。また、組換えNCLの甘味活性と味覚修飾活性をhTIR2-MIR3発現細胞を用いた評価系と官能試験により評価した結果、その活性が果実由来のNCLに匹敵することを確認した。

NCLの酸≡導性の甘味の定量的評価系の構とそれに基づく味覚修飾活性機構の解明

NCLのpH依存的な甘味の増強を客観的・定量的に評価するため、細胞評価系の改良を行った。hTIR2.hTIR3と共に導入するキメラ変異体Gαタンパク質を検討した結果、NCLのpH依存的な味覚修飾活性を培養細胞評価系により測定することに成功し、前述の問題を解決した。すなわち、hTIR2-hTIR3とキメラ変異体Gαタンパク質をHEK293T細胞に機能的に発現させ、異なるpH条件でNCLを培養細胞に投与したところ、pHが8.0から4.7に低下するにつれて細胞応答の増加が観察された。また、この系により計測したpH・応答のシグモイド曲線の50%応答値はpH7.1にあり、ヒスチジンのイミダゾール基のプロトン化一脱プロトン化の曲線(pKa6.5)に近いことから、NCLのヒスチジン残基がpH依存的な甘味の増強に関与すると予想した。そこで、NCL分子に存在する5つのヒスチジン残基全てをアラニンに置換したNCL変異体(HAバリアント)を麹菌による生産系を用いて生産して、精製した。HAバリアントの活性を細胞評価系・官能試験により評価したところ、酸性pHでも中性pHでも強い甘味を示した。このことから、NCLの味覚修飾活性にヒスチジン残基の関与することが示唆された。

次に、NCLの濃度応答曲線を異なる3つのpH条件(pH5.5,pH6.2,pH72)で作成したところ、最大応答の値は一定であったが、EC50値はpHの低下により小さくなる傾向にあった。一方で、HAバリアントはpH7.6でも、NCLのpH5.5の場合に類似したEC50値を示した。この結果をもとに、NCLおよびHAバリアントが同じ中性pH条件で、それぞれ弱い甘味および強い甘味を呈することに注目し、両者を異なる割合で混合して細胞応答を計測した。その結果、中性pHではNCLはHAバリアントによるヒト甘味レセプターの活性化を競合的に阻害することを見出した。これらの結果から、NCLは中性pHではhTIR2-hTIR3のアンタゴニストとして作用する一方、酸性pHではアゴニストとして作用すること、またNCLは甘味活性型と不活性型のpH依存的な平衡状態にあるという、新たな味覚修飾活性の分子モデルを提唱した(図1・図2)。

まとめ・展望

本研究では、ヒト甘味レセプターに対するネオクリンの作用様式がpHによって変化するという結果を得た。この結果は、酸によって甘味が増強するというネオクリンの大変興味深い性質を説明できるだけでなく、複数の作用部位を持つhTIR2-hTlR3の活性化機構を理解する上でも役立つ可能性がある。今後、hTIR2-hT1R3とNCLの作用部位の詳細な解析および酸味抑制へのNCLの関与を解析することで、味の新たな受容機構の一端を解明し得るであろう6また、長年にわたって食品生産に利用され、GRAS(generally recognized as safb)指定を受けている麹菌を宿主としてNCLおよびその変異体の生産を行い得ることは、実用的観点からも意義深いと考える。

発表1 Yukako Shirasuka*, Ken-ichiro Nakaiima*, Tomiko Asakura, Haruyuki Yamashita, Atsuko Yamamoto,shoji Hata,Shinji Nagata, Mitsuru Abo, Hiroyuki Sorimachi and Keiko Abe. Neoculin as a New Taste-modifying Protein Occurring in the Fruit of Curculigo latifolia. Biosci. BiotechnoL Biochen:. 68, 1403-1407. (2004) (*YS.and K.N.contributed equally)2 Ken-ichiro Nakaiima, Tomiko Asakura, Hideaki Oike, Yuji Morita, Akiko Shimizu-Ibuka, Takumi Misaka,Hiroyuki Sorimachi and Keiko Abe. Neoculin, a taste-modifying protein is recognized by human sweet taste receptor. Neuroreport, 17, 1241-1244. (2006)3 Ken-ichiro Nakaiima, Tomiko Asakura, Jun-ichi Maruyama, Yuji Morita, Hideaki Oike, Akiko Shimizu-Ibuka, Takumi Misaka, Hiroyuki Sorimachi, Soichi Arai, Katsuhiko. Kitamoto, and Keiko Abe. Extracellular Production of Neoculin, a Sweet-Tasting Heterodimeric Protein with Taste-modifying Actvity, by Aspergillus otyzae.AppL Environ MicrobioL 72, 3716-3723. (2006)4 Akiko Shimizu-Ibuka, Yuji Morita, Tohru Terada, Tomiko Asakura, Ken-ichiro Nakaiima, So Iwata,Takumi Misaka, Hiroyuki Sorimachi, Soichi Arai and Keiko Abe. Crystal Structure of Neoculin: Insights into its Sweetness and Taste-modifying Activity. J. MoL BioL 359, 148-158. (2006)5 Ayako Koizumi, Ken-ichiro Nakaiima, Tomiko Asakura, Yuji Morita, Keisuke Ito, Akiko Shimizu-Ibuka,Takumi Misaka, and Keiko Abe. Taste-modifying protein, neoculin, is received at human T1R3 amino terminal domain. Biochena Biophys. Res. Commun. 358, 584-589. (2007)6 Keisuke Ito, Tomiko Asakura, Yuji Morita, Ken-ichiro Nakaiima, Ayako Koizumi, Akiko Shimizu-Ibuka,Katsuyoshi Masuda, Masaji Ishiguro, Tohru Terada, Jun-ichi Maruyama, Katsuhiko Kitamoto, Takumi Misaka,and Keiko Abe. Microbial Production of sensory-active miraculin. Biochem Biophys. Res. Conunun. 360, 407-411.(2007)7 Akiko Shimizu-Ibuka, Yuji Morita, Ken-ichiro Nakaiima, Tomiko Asakura, Tohru Terada, Takumi Misaka,and Keiko Abe. Neoculin as a New Sweet Protein with Taste-modifying Activity: Purification, Characterization,and X-ray Crystallography" In Sweetness and Sweeteners: Biology, Chemistry, and Psychophysics, Deepthi K.Weerasinghe and Grant E. Dubois Eds., American Chemical Society, Washington, D. C., in press.8 Ken-ichiro Nakaiima, Yuji Morita, Ayako Koizumi, Tomiko Asakura, Tohru Terada, Keisuke Ito, Akiko Shimizu-Ibuka, Jun-ichi Maruyama, Katsuhiko Kitamoto, Takumi Misaka, and Keiko Abe. Acid-induced sweetness of neoculin is ascribed to its pH-dependent agonistic-antgonistic interaction with human sweet taste receptor.FASEB J., in press.

図1.甘味活性型一不活性型ネオクリンのpH依存的平衡

図2.ネオクリンのヒト甘味レセプターとの作用モデル

審査要旨 要旨を表示する

味覚科学と食品産業の分野が先進国の糖の過剰摂取による疾病への対策として長年に亘って興味を示してきたものに甘味タンパク質がある。8種類の存在が知られ、いずれも重量比率あたりショ糖の数百から数千倍もの強い甘味を示す。なかでも、西マレーシア産のクルクリゴの果実に含まれるネオクリンは自身が甘いだけでなく、その後に酸や水を味わうと強い甘味を呈するユニークな性質(味覚修飾活性)を持つため注目されている。しかし、この性質がどのようなメカニズムで生じるのかは不明であった。そこで、本論文ではネオクリンの味覚修飾活性のうち、特に酸誘導性の甘味の分子機構の解明を試みた。

本論文は3章からなり、1章にてネオクリンがヒト甘味レセプターに受容されることを示し、2章にて麹菌を宿主とした組換えネオクリンの発現系を構築し、3章にて麹菌発現系により作出したネオクリン変異体をツールとして、培養細胞系により酸誘導性の甘味活性の分子機構の解析を行っている。

ネオクリンのヒト甘味レセプターへの作用の検証

近年、ヒト甘味レセプターがGタンパク質共役型受容体(GPCR)であるT1R2とT1R3のヘテロマー(hT1R2-hT1R3)からなり、糖類、アミノ酸、タンパク質など化学類型の異なる物質を受容することが明らかになった。そこで、ネオクリンも他の甘味物質と同様、hT1R2-hT1R3に受容されるかどうか検証した。その結果、hT1R2、hT1R3、キメラ変異体Gαタンパク質の3者を導入した培養細胞を用いたカルシウムイメージング解析により、ネオクリンがヒト甘味レセプターに受容されることを確認した。

麹菌を宿主とした組換えネオクリンの発現系の構築

次に、構造機能相関の解析に役立つネオクリン変異体を取得するため、組換えネオクリンの発現系を構築した。ネオクリンが糖鎖の付加した酸性サブユニットNASと塩基性サブユニットNBSがジスルフィド結合で架橋された約22 kDaのヘテロダイマーであることから、宿主には、翻訳後修飾された組換えタンパク質を分泌生産できる麹菌を用いた。

NASとNBSをそれぞれ、麹菌の分泌タンパク質α-アミラーゼとKEX2プロテアーゼ切断配列を間にはさんで融合した。KEX2プロテアーゼ切断配列の周辺配列の改良を行った後、両発現プラスミドの量を検討してから麹菌に導入したところ、組換えネオクリン生産株の取得に成功した。生産量は培地1.3 mg/L程度であった。タンパク質化学的な解析から、組換えネオクリンが天然ネオクリン同様、糖鎖の付加したヘテロダイマーであることを確認した。また、細胞および官能評価により組換えネオクリンの甘味と酸誘導性の甘味活性は天然ネオクリンの活性に匹敵することを示した。

ネオクリンの酸誘導性の甘味を定量的に測定できる培養細胞評価系の構築とそれに基づく酸誘導性の甘味性機構の解析

最後に、酸誘導性の甘味を客観的・定量的に測定できる細胞評価系の構築を行った。その結果、hT1R2-hT1R3発現細胞のネオクリンへの応答はpHが中性から酸性に低下するにつれ増加し、応答の50%値はpH 7.1であった。そこで、このpH付近でヒスチジンのイミダゾール基(pKa 6.5)がプロトン化されることが酸誘導性の甘味活性に関与すると予想し、ネオクリンの5つのヒスチジン残基全てをアラニンに置換したHA変異体を麹菌発現系で作出した。その結果、この変異体はネオクリンとは異なり酸性、中性いずれのpHでも強い甘味を呈し、酸誘導性の甘味活性にヒスチジン残基が重要な役割を果たすことが示された。また、ネオクリンとHA変異体が同じ中性pHでは、それぞれ弱い甘味と強い甘味を示すことに注目し、両者を異なる割合で混合して細胞に投与した。その結果、中性pHではネオクリンはhT1R2-hT1R3を活性化せず、HA変異体を競合的に阻害することを見出した。これらの結果から、ネオクリンは甘味活性型と不活性型のpH依存的な平衡状態にあり、中性pHではhT1R2-hT1R3のアンタゴニストとして作用するが、酸性pHではアゴニストに変化して強い甘味を引き起こすという新たな酸誘導性の甘味活性のモデルを提唱した。

以上のように、本論文では、ネオクリンのヒト甘味レセプターへの作用様式がpHによって変化するため、酸誘導性の甘味が生じることを明らかにした。この結果は、甘味受容機構の解析だけでなく、他のGPCRのリガンド認識機構や活性化機構を理解する上でも役立つものである。また、長年にわたって食品生産に利用され、GRAS(generally recognized as safe)指定を受けている麹菌を宿主としてネオクリンとその変異体の生産を行い得ることは、実用的観点からも意義深い。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての水準を十分に満たしたものであると認めた。

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