学位論文要旨



No 123552
著者(漢字) 中谷,祐介
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,ユウスケ
標題(和) 害虫駆除を指向した生物活性天然物の合成研究
標題(洋)
報告番号 123552
報告番号 甲23552
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3256号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,秀典
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 准教授 鈴木,義人
 東京大学 講師 石神,健
内容要旨 要旨を表示する

天然には有用な活性を持つ化合物が数多く存在しており、有機合成化学者にとって非常に興味深い標的物質となっている。しかし、生物活性天然物は天然からは微量にしか得ることができないものが多く、その生物活性研究の発展には有機合成化学による大量供給が必須である。また、生物活性物質はその鏡像体によって活性が大きく異なることが多く、天然物の絶対立体配置の決定が不可欠である。

筆者は本論文にて、害虫制御活性を持った2つの天然有機化合物に着目して合成研究を行った。いずれも活性が注目されているものの、天然からは微量にしか得られず、また絶対立体配置が未決定な化合物である。

1つはデングウイルスを媒介するネッタイシマカの幼虫に対して殺虫活性をもつピペリジンアルカロイドの合成研究であり、全合成を達成すると共に、未決定であった天然物の絶対立体配置を決定した。

2つ目はジャガイモの害虫であるジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するソラノエクレピンAの合成研究であり、最も合成困難な構造の一つであると予想されるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の構築に成功した。

ピペリジンアルカロイドの合成研究

天然にはアルカロイドと呼ばれる化合物群が数多く存在する。アルカロイドはその多くが強い生理活性作用を持ち、植物毒や薬用植物の有効成分となっていることが多い。そのため医薬品の創製において最も期待できる先導化合物のソースとして重要な存在である。

今回新規に単離されたピペリジンアルカロイドN-Methyl-6b-(deca-1',3',5'-trienyl)-3b-methoxy-2b-methylpiperidine (1) はシナノキ科の低木、Microcos paniculataより単離され、デング熱を媒介するネッタイシマカの幼虫に対して強力な殺虫活性を持つとの報告がなされている化合物である。ピペリジンアルカロイド1はその相対立体配置は決定されているが、絶対立体配置の決定には至っていない。そこで、天然物の絶対立体配置を決定することを目的とし全合成に着手した。

ピペリジンアルカロイド1は3つの不斉点を持つピペリジン環とトリエン側鎖からなる化合物である。合成計画としては、トリエン側鎖は不安定なことが予想されるので、最終段階にカップリング反応で導入することにした。ピペリジン環部の立体の構築は、イミンAを水素添加に付すことで、より空いた紙面下側から還元が進行することにより可能と考えた。出発物質としては安価に光学純度良く入手可能なD-アラニンを選択した。

D-アラニン (2) をアルデヒド3に導き、臭化ホモアリルとのGrignard反応を行った。この際、キレーションコントロールで反応が進行することにより、syn体のアミノアルコール4を立体選択的に合成することができた。アミノアルコール4をヨウ化メチルで処理してメチルエーテル5とした後、OsO4を用いてジオールへと酸化し、続いて一級水酸基のみ選択的にPiv保護して化合物6とした。次にPDC酸化によりピペリジン環前駆体のケトン7を得た。TFAで処理してBoc基を除去し、溶液を重曹水で塩基性にすることにより閉環させイミン8とした。これを水素添加すると、より空いている紙面下側より還元が進行し、望む立体化学を有する3置換ピペリジン環の構築に成功した。以後の変換の際に、ピペリジン環のアミン部分が遊離だと化合物が分解しやすく、各工程において収率が低下した。そこでBoc基で保護することにより化合物の安定化を図り、酸化反応を経て、側鎖部分とのカップリング前駆体であるアルデヒド11へと導いた。側鎖とのカップリングは各種条件を検討した結果、18-crown-6存在下、塩基としてKHMDSを用いた Julia反応が、収率、EZ選択性共に良好にトランス体13を与えることが判明した。最後にBoc基を除去し、アミン部分をメチル化することにより、目的化合物N-Methyl-(2R, 3R, 6R, 1'E, 3'E, 5'E)-6-(deca-1',3',5'-trienyl)-3-methoxy-2-methylpiperidine (1)の合成を達成した。

続いて未決定であった天然物の絶対立体配置を決定した。合成品と天然物との比旋光度の符号を比較することにより、天然物は今回合成した合成品と同じ2R,3R,6Rの絶対立体配置を持つことが判明した。

本合成において、ピペリジンアルカロイド1の全合成を達成し、未決定であった天然物の絶対離対配置を決定することができた。また、本合成経路を利用することで相対立体配置及び側鎖が異なる様々な類縁体も合成可能であり、今後の類縁体合成や生物活性試験にも応用できると考える。

ソラノエクレピンAの合成研究

ジャガイモシストセンチュウはジャガイモの根に寄生して養水分の吸収を妨げることで、収量の低下や枯死をもたらす病害虫である。大きな特徴として卵が「シスト」と呼ばれる殻に覆われた形態で越冬することが挙げられる。このシスト内の卵は寄生植物がない状態でも10年以上生息でき、シストは乾燥、低温、薬剤に強い耐性を持っている。そしてシストセンチュウに感受性を示すジャガイモを生育させると孵化し増殖するため、輪作などにより数年間ジャガイモを植えなくてもシストの状態でその土地に生き続けてしまう。防除法としてこれまでに輪作、抵抗性ジャガイモの開発と栽培、殺線虫剤の処理などを用いているが、目立った効果を挙げられていないのが現状である。

この様な状況の中、1993年にMulderらがジャガイモの水耕栽培液中よりソラノエクレピンA (14)を単離し、ジャガイモシストセンチュウに対して顕著な孵化促進活性を示すことを報告した。この報告を受け、近年ソラノエクレピンAを新たな生態学的農薬として利用し、シストセンチュウの防除に対して用いるための研究が進められている。

ソラノエクレピンAは天然からは極微量にしか得られないため有機合成による大量供給が期待されている。しかし、その非常に複雑な構造のために未だ全合成達成はなされていない。筆者はソラノエクレピンAの全合成に向けて、立体的歪みが大きいために合成困難な構造であるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の構築を目的として合成を開始した。

合成計画としてケトアルデヒドEとホスホネートFとのジアニオンカップリングを発案し、これにより短工程で中央7員環部分を構築できると予想した。ホスホネートFの前駆体であるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格を持つ化合物Gは、ジアゾケトンHのWolff転位反応によって合成できると考え、ジアゾケトンHはジアゾケトンIの分子内マイケル付加反応によって立体選択的に合成可能であると予測した。

実際の合成であるが、出発原料として光学活性なHajos-Wiechertケトン15を選択し、不飽和ケトンのみをジチオアセタールで保護した化合物16へと導いた。続いてHorner-Emmons反応により高収率で不飽和エステルとし、得られたエチルエステルを還元してアルコール17を合成した。アルコール17と別途調製したヨードメチルトリメチルスタナンによりWittig転位前駆体18へと導き、続いてヘキサン溶媒中、過剰量のブチルリチウムを作用させることによりWittig転位が進行した望むアルコール19を2:1のジアステレオ選択性で合成することができた。ジアステレオマーは分離困難であったため、分離することなく混合物のまま続く変換を行った。

ジチオアセタール保護を硝酸タリウムを用いて除去して不飽和ケトン20とし、水酸基のJones酸化によりカルボン酸21へと変換した。得られたカルボン酸21をオキザリルクロリドで処理することで酸クロリドへと導き、精製することなく速やかにジアゾケトンと反応させ、マイケル付加前駆体であるジアゾケトン22を合成することができた。

続いて鍵反応となるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の構築を行った。合成したジアゾケトン22のトルエン溶液にDBUを添加して加熱することにより、反応速度は遅いものの分子内マイケル付加反応が進行し、Wolff転位前駆体であるジアゾケトン23を合成することができた。またWittig転位反応後の望まないジアステレオ異性体は、分子内マイケル付加反応が全く進行しなかった。そのため、この時点で23を単一異性体として得ることができた。続いてジアゾケトン23のメタノール溶液に対してUVを照射したところ、期待通りにWolff転位反応が起こり、目的のトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格を有する化合物24を合成することに成功した。

本合成において、ソラノエクレピンAの全合成に向けて鍵となるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の構築を、ジアゾケトンの分子内マイケル付加反応と、続くWolff転位反応を用いることで効率的に合成することができた。

今後は、本合成法を用いて右側ユニットであるホスホネートFの調製を検討し、ソラノエクレピンAの全合成へとつながることが期待される。

まとめ

以上の様に、2種の害虫制御物質について合成研究を行った。ネッタイシマカの幼虫に対して殺虫活性をもつピペリジンアルカロイド1については、世界初の立体選択的合成により、不明であった天然物の絶対立体配置を決定した。本法を応用すれば様々な類縁体合成も可能であると考えられる。

またジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するソラノエクレピンAに関しては、最も合成困難と考えられるトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格の合成に成功した。今後は本合成法を用いてソラノエクレピンAの全合成を達成したいと考えている。

こうした合成研究により、害虫制御に対して少しでも寄与できればと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

天然には有用な活性を持つ化合物が数多く存在しており、有機合成化学者にとって非常に興味深い標的物質となっている。しかし、生物活性天然物は天然からは微量にしか得ることができないものが多く、その生物活性研究の発展には有機合成化学による大量供給が必須である。本論文では、未だ全合成の達成されていない、害虫制御活性を有する生物活性天然有機化合物の合成研究に関して論じたものであり、二部より構成されている。

第一部では、ネッタイシマカの幼虫に対して殺虫活性を有するピペリジンアルカロイドの合成研究を行っている。ネッタイシマカはデング熱を媒介することが知られており、デング熱は特効薬が存在しないため、防除のためには媒介するネッタイシマカの駆除が非常に重要である。そこで光学活性体のピペリジンアルカロイドの全合成達成と、未決定である天然物の絶対立体配置の決定を目的として研究を行った。D-アラニンを出発原料として、イミンに対する水素添加により6位の立体化学の構築に成功しており、続く側鎖の導入を経ることで、光学活性体のピペリジンアルカロイドの全合成を達成している。また、合成品と天然物との比旋光度の比較により、天然物の絶対立体配置を2R,3R,6Rであると決定している。この結果、効率的で類縁体合成に応用可能な合成方法を確立すると共に、未決定であった天然物の絶対立体配置を決定するに至った。

第二部ではジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有するSolanoeclepin Aの合成研究を行っている。Solanoeclepin Aはジャガイモの水耕栽培液中より単離された化合物で、ジャガイモの害虫であるジャガイモシストセンチュウに対して孵化促進活性を有することが報告されており、新たな生態学的農薬として期待される化合物である。Solanoeclepin Aは、そのユニークな構造から合成化学的にも大きな関心がもたれているが、その複雑な構造のために未だ全合成は達成されていない。そこでSolanoeclepin Aの効率的な全合成を目的として研究を行い、主に、合成を進める上で最も問題となるトリシクロデカン骨格の構築に関して、合成研究を行った。

光学活性なHajos-Wiechertケトンを出発原料として、Wittig転位反応により望む立体を構築している。その後、α-ジアゾケトンを用いた分子内Michael付加反応と、Wolff転位反応により、立体的歪みの大きな光学活性体のトリシクロ[5.2.1.01,6]デカン骨格を、効率的に構築することに成功している。

本合成方法を用いることで、Solanoeclepin Aの右側ユニットを、他の競合グループと比較しても、より効率的に合成できると期待でき、全合成に向けた基礎を築いた。

以上本論文は、「害虫制御活性を有する生物活性天然有機化合物の合成研究」を目的として、光学活性ピペリジンアルカロイドの全合成および天然物の絶対立体配置の決定と、Solanoeclepin Aの効率的な合成に向けたトリシクロデカン骨格の構築に関する研究をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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