学位論文要旨



No 123559
著者(漢字) 池,遠哉
著者(英字)
著者(カナ) チ,ウォンチェ
標題(和) 放射菌の形態分化に関連する遺伝子群の解析
標題(洋)
報告番号 123559
報告番号 甲23559
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3263号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 大西,康夫
内容要旨 要旨を表示する

グラム陽性細菌である放線菌は、GC含量が70%以上と極めて高く、地球上でも最も高い GC含量を有する生物の1つである。Streptomyces属放線菌の染色体は直線状であり、両末端の欠失や環状化を生じる動的な構造をもつ。抗生物質をはじめとする種々の二次代産物を生産すること、および複雑な形態分化を行うことがStreptomyces属放線菌の二大特徴である。寒天培地上でのStreptomyces属放線菌の形態分化は、胞子の発芽に始まり、培地表面及び培地中への栄養菌糸(基底菌糸)の伸長へと続く。1本の基底菌糸には複数の染色体が存在する。次に基底菌糸から空中に向かう気中菌糸が形成され、その先端に規則的に胞子が着生する。この時、基底菌糸中の多くの細胞の死滅が起こり、分解された菌糸構成成分は気中菌糸の成長に再利用されると考えられる。近年、所属研究室を中心に数年前から行われてきたストレプトマイシン生産菌Streptomyces griseusのゲノム解読が完了した。本研究では、ゲノム情報に基づいたアプローチにより、S. griseusの複雑な形態分化の制御機構に新たな知見をもたらすことを目的とした。

I. 形態分化に関与する転写抑制因子DasRに関する解析

1. DasR は dasA プロモーターに協調的に結合する

UV 変異により取得された S. griseus NP4 はグルコースを含む培地上において、しわ状のコロニーを形成するとともに基底菌糸が気中菌糸形成を経ずに直接胞子を形成するというESP (ectopic sporulation) 形質を示す。以前、NP4株のESP形質を抑制する遺伝子として、dasRが取得された。DasRは N-末端にhelix-turn-helixモチーフからなるDNA結合ドメインを、C末端にUTRA (UbiC Transcription Regulator-Associated) というリガンド結合及びオリゴマー形成に関与するドメインもつGntRファミリーの転写制御因子である。一方、NP4株のESP形質を活性化する遺伝子として、ABCトランスポーターの基質結合タンパク質をコードするdasAが取得されたが、dasAはdasRのすぐ上流逆向きに位置しており、DasRはdasAの転写を抑制することが示唆されていた。そこで、DasRのdasAプロモーター領域への結合に関して解析を行った。

まず、大腸菌で過剰生産、精製したDasRを用いて、ゲル濾過及びグルタルアルデヒドを用いたchemical cross linking 実験を行い、DasRが多くのGntR ファミリーの転写制御因子と同様にダイマーを形成することを示した。次に、ゲルシフトアッセイおよびDNase I footprintingにより、DasR がdasAプロモーター周辺の2カ所に結合することを示し、この結合部位をオペレーター 1(O1)、オペレーター 2(O2)と命名した。GntR ファミリーの結合コンセンサス配列は GTNT*ANAC(* は inverted repeat の中心を表す)であるが、O1およびO2には、これと類似した配列 [O1: GGTCT*AGGCC(-22 to -13、転写開始点を +1とする)、O2: GGTCT*AAACC (+3 to +12) ] が見い出された。O2はこのコンセンサス配列と完全に一致するが、O1は1塩基のミスマッチがあった。O1およびO2に変異を導入したDNA断片を用いたゲルシフトアッセイにより、低濃度のDasRダイマーはO2にのみ結合すること、より高濃度のDasRを用いた場合は、O2に結合したDasRダイマーが存在しているときにのみ、O1にもDasRダイマーが結合することが示された。これらの結果は、DasRダイマーがdasAプロモーター領域に存在する2ヵ所のオペレーター配列に協調的に結合することを示している。

2. DasRはGlcNAc関連化合物の代謝に関するグローバルレギュレーターである

本実験を行っている過程において、Streptomyces coelicolor A3(2)において、DasRホモログが、N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)の取り込みに関するトランスポーターをコードする遺伝子群や、キチン分解酵素などキチン代謝に関連する遺伝子群を制御するグローバルな転写因子であるとともに、炭素源に応答した形態分化制御に関わる重要な転写因子であることが相次いで報告された。そこで、S. griseusにおけるDasRの機能をさらに解析するため、S. griseusゲノム配列中、DasR結合コンセンサス配列(TGGT(C/G)TAGACC)を上流にもつ遺伝子を検索した。この検索によって、3つのキチン結合タンパク質(SGR2956, SGR4707, SGR4740)、2つのキチン分解酵素(ChiC = SGR3400, SGR3401)、PTS糖取り込み系のGlcNAc特異的酵素IIB(MalX2 = SGR4637)およびIIC(NagE2 = SGR4635)、ABCトランスポーターの基質結合タンパク質(SGR4057)をそれぞれコードする遺伝子が、DasRの標的遺伝子候補として得られた。一方、S. coelicolor A3(2)で最初にDasRの標的遺伝子として報告されたPTS糖取り込み系の酵素IIA(Crr = SGR6139)およびHPr(PtsH = SGR1684)、先にあげた3つ以外のキチン結合タンパク質(SGR6855)をそれぞれコードする遺伝子に関してもDasRによる制御の有無を調べた。ゲルシフトアッセイによって、DasRはcrr以外のすべての遺伝子上流に結合することが示された。また、crr以外の遺伝子の転写は、野生株に比べてdasR破壊株で著しく強くなっており、これらの遺伝子の転写がDasRによって抑制されていることが強く示唆された。S. griseusでは、S. coelicolor A3(2)とは異なり、PTS糖取り込み系の酵素IIAをコードする遺伝子crrはDasRの標的ではなかったが、これはcrrの上流にある制御配列に1塩基の変異があるためであると考えられる。

3. DasRのDNA結合はGlcNAc代謝中間産物によって阻害される

S. coelicolor A3(2)では培地中のGlcNAcにより気中菌糸形成が阻害される。一方、DasRのDNA結合能がGlcNAcの代謝中間体であるGlcNAc-6リン酸によって阻害されることなどから、DasRはGlcNAcによる気中菌糸形成阻害において中心的な役割を果たしていると報告された。S. griseusにおいても、GlcNAcによる気中菌糸形成阻害が観察されたが、GlcNAc存在下では、DasRの標的遺伝子であるnagE2、ptsH、malX2、及び dasAの転写が誘導されていることをS1マッピングにより確認した。また、ゲルシフトアッセイにより、GlcNAc-6リン酸に加え、グルコサミン-6リン酸にもDasRのDNA結合能を阻害する効果があることを明らかにするとともに、ゲル濾過を用いた結合アッセイにより、GlcNAc-6リン酸がDasRに結合していることを示した。

II. DasA過剰発現によるESP形質の原因遺伝子の解明へ向けた取組み

自身のプロモーターをもつdasAを保持する高コピープラスミド(pES1)を野生株に導入することにより、グルコースを含む培地上でESP形質が引き起こされることが報告されていた。しかし、恒常的に活性があるhrdBプロモーターの下流に配置したdasAをもつ高コピープラスミドによっては、ESP形質が引き起こされないことを明らかにした。この結果は、ESP形質にはDasAの過剰生産だけでなく、マルチコピー導入されたdasAプロモーターに細胞内のDasRが奪われてしまうことによってDasRの標的遺伝子群が高発現することが必要であることを意味している。

そこで、pES1を野生株に導入したことによる遺伝子発現変化を、固体培養と液体培養の両方において、ベクターのみを保持する株を対照としたDNAマイクロアレイによって網羅的に解析した。一方、S. griseusの形態分化・二次代謝を誘導するA-ファクター制御カスケードにおいて中心的な役割を担う転写活性化因子AdpAの欠損株(adpA株:気中菌糸形成能なし)においても、pES1の導入によりESP形質が引き起こされる。そこで、pES1をadpA株に導入したことによる遺伝子発現変化も同様にDNAマイクロアレイによって解析した(固体培養のみ)。DNAマイクロアレイ解析は3連で行い、T検定でp < 0.05の再現性があった遺伝子で転写量に2倍以上の差があったものを有意な発現変化とした。

その結果、DasRの標的遺伝子であるnagE2、malX2に加えて、SGR1502、SGR2418(いずれもABCトランスポーター基質結合タンパク質をコードする)の転写が、野生株(液体培養)とadpA株という全く異なるバックグランドにもかかわらず、共通してpES1の導入により活性化されることが明らかになった。SGR1502の下流には、ABCトランスポーターの膜輸送タンパク質をコードする2つの遺伝子(SGR1501, 1500)が存在するが、SGR1502-1500は同一の転写単位をなすことをRT-PCRにより確認した。同様に、SGR2418-2414が同一の転写単位をなすことを確認したが、SGR2418-2414はオリゴペプチドABCトランスポーターをコードすると考えられる。一方、野生株においてのみpES1の導入により活性化される遺伝子として10個が検出されたが、その中でも、SGR794(L-乳酸パーミアーゼ)、SGR795(酸化還元関連タンパク質)、SGR2378(ECFファミリーRNAポリメラーゼシグマ因子)、SGR3657(Streptomyces属に特異的な膜タンパク質)、SGR6997(二成分制御系のセンサ-キナーゼ)に注目し、これらの転写変動をS1マッピングにより確認した。

nagE2、malX2に関しては、野生株とadpA株の両方において、pES1の導入により転写が活性化されていることはすでに述べたが、これら以外のDasRの標的遺伝子に関しても、ptsH、SGR4707、SGR4740、SGR6855がいずれかの条件のDNAマイクロアレイにおいて、pES1の導入により転写が活性化される遺伝子として検出された。この結果は、pES1の導入により、dasAの過剰発現のみならず複数のDasRの標的遺伝子の高発現が引き起こされていること示している。今後、DasRの直接の標的遺伝子だけでなく、pES1の導入により間接的に発現が誘導されていると考えられる遺伝子に関して、遺伝子破壊などによる機能解析を行うことで、ESP形質がどのような機構によって引き起こされているかについて新たな知見が得られるものと期待される。

図 1.DasR による dasA 転写抑制のモデル

1) DasR ダイマー形成

2) dasA のプロモーターへ協調的に結合

i) オペレーター 2 に結合

ii) オペレーター 1 親和性増加

iii) オペレーター 1 に結合

3) 結合完了

4) dasA 転写抑制

審査要旨 要旨を表示する

放線菌 Streptomyces griseus の形態分化は、胞子の発芽に始まり、培地表面へ基底菌糸を伸長し、栄養状態の変化に応答して基底菌糸から気中菌糸が分化し、気中菌糸の先端に胞子が着生する。このように野生株では、胞子は必ず気中菌糸から形成される。

しかし、UV 変異により取得された S. griseus NP4はしわ状のコロニーを形成するとともに基底菌糸が気中菌糸形成を経ずに直接胞子を形成するというESP (ectopic sporulation) 形質を示す。このESP形質を抑制する遺伝子として、dasRが取得された、ESP形質をより強める遺伝子として、dasAが取得されたが、DasRはdasAの転写を抑制することが示唆されていた。そこで、DasRのdasAプロモーター領域への結合に関して解析を行った。

まず、大腸菌で過剰生産、精製したDasRを用いて、ゲル濾過及びchemical cross linking 実験を行い、DasRがダイマーを形成することを示した。次に、ゲルシフトアッセイおよびDNase I footprintingにより、DasRがdasAプロモーター周辺の2カ所に結合することを示し、この結合部位に変異を導入したDNA断片を用いたゲルシフトアッセイにより、DasRダイマーがdasAプロモーター領域に存在する2ヵ所のオペレーター配列に協調的に結合することを示した。

報告されたStreptomyces coelicolor A3(2)のDasRホモログの情報により、S. griseusゲノム配列中、DasR結合コンセンサス配列を上流にもつ遺伝子を検索した。この検索によって、キチン結合タンパク質、キチン分解酵素、PTS糖取り込み系の酵素、ABCトランスポーターの基質結合タンパク質をそれぞれコードする遺伝子が、DasRの標的遺伝子候補として得られた。ゲルシフトアッセイ及びS1マッピングによって、S. griseusのDasRは得られた遺伝子の上流に結合し、これらの遺伝子の転写を抑制することが強く示唆された。

S. griseusにおいて、GlcNAcによる気中菌糸形成阻害が観察されたが、GlcNAc存在下では、DasRの標的遺伝子であるPTS糖取り込み系に関与する遺伝子群及びdasAの転写が誘導されていることをS1マッピングにより確認した。また、ゲルシフトアッセイにより、GlcNAc-6リン酸に加え、GlcN-6リン酸にもDasRのDNA結合能を阻害する効果があることを明らかにするとともに、ゲル濾過を用いた結合アッセイにより、GlcNAc-6リン酸がDasRに結合していることを示した。

自身のプロモーターをもつdasAを保持する高コピープラスミド(pES1)を野生株に導入することにより、ESP形質が引き起こされるが、dasAのみをもつ高コピープラスミドによっては、ESP形質が引き起こされないことを明らかにした。この結果は、ESP形質にはDasAの過剰生産だけでは引き起こされず、dasAプロモーターのコピー数の増加による細胞内のDasRのタイトレーションアウットが起こるため、dasA以外DasRの標的遺伝子の転写も活性化されることが示唆された。pES1による引き起こされるESP形質に関与する遺伝子の探索のため、pES1を野生株に導入したことによる遺伝子発現変化を、固体培養と液体培養の両方において、DNAマイクロアレイを用いたトランスクリプトーム比較を行った。一方、AdpAの欠損株においても、遺伝子発現変化を同様にトランスクリプトーム比較を行った(固体培養のみ)。このように異なったculture condition(固体培地と液体培地)や、異なったgenetic background(野生株とAdpAの欠損株)でも、pES1の導入により、共通してESP形質が引き起こされるため、3つのトランスクリプトーム比較(固体培養の野生株のみ、固体培養の野生株と液体培養の野生株、液体培養の野生株と固体培養のAdpAの欠損株)の結果から、pES1の導入によって、転写が増大したものをESP形質に関与する可能性のある遺伝子として選んだ。これらの遺伝子の転写変動を定量RT-PCR及びS1マッピングにより確認した。

DasRの標的遺伝子であるGlcNAc取り込みやキチン代謝に関する遺伝子群がいずれかの条件のトランスクリプトーム比較において、pES1の導入により転写が活性化される遺伝子として検出された。この結果は、pES1の導入により、dasAの過剰発現のみならず複数のDasRの標的遺伝子の高発現が引き起こされていること示している。

以上のように本論文は、放線菌の形態分化、二次代謝に関する制御タンパク質DasRの基礎的知見について述べている。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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