学位論文要旨



No 123560
著者(漢字) 秋本,千央
著者(英字)
著者(カナ) アキモト,チヒロ
標題(和) 雄性生殖組織におけるY染色体遺伝子群の機能解析
標題(洋)
報告番号 123560
報告番号 甲23560
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3264号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 准教授 金井,克晃
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

哺乳類の雌雄において、生殖器官、骨格系をはじめとする様々な組織に性差が存在する。性差を規定する現象は、胎児期における性決定と、性成熟期における性差形成の二つに大別される。性決定は、Y染色体遺伝子Sryの有無により生殖器官において性の方向性が規定される現象である。一方、性差形成は、性決定後に性特異的に発達した生殖器官で合成される性ステロイドホルモンが、性成熟期に各組織で作用することで完成する。その作用は、雄性においては男性ホルモンであるアンドロゲンが、雌性においては女性ホルモンであるエストロゲンが、核内受容体アンドロゲン受容体 (AR) およびエストロゲン受容体 (ERα,β) を介し、標的遺伝子群の転写制御を行うことで発揮される。

一方哺乳類において性染色体は最も顕著な遺伝的差異といえる。ヒトY染色体は27種類のタンパク質コード遺伝子と25種類のnon-coding遺伝子を有する雄性特異的な性染色体である。Y染色体は、進化の過程で元来の相同染色体対であるX染色体の原型から、減数分裂での相同組換えの過程で領域欠損や逆位、転座が起こり、現在のサイズへと縮小したため、配列に多様性があることが報告されている。臨床の観点からは、領域欠損、転座による遺伝疾患の報告がなされており、Y染色体短腕に性腺芽腫関連領域 (GBY) 、セントロメア近傍に雄性特異的成長遺伝子 (GCY) 、長腕に精子形成責任領域 (AZFa~d) の存在が確認され、生理機能への関与が示唆されてきた。しかしながら雄性特異的生理機能を決定づけるY染色体上の責任遺伝子はほぼ未同定である。

このような背景から、本研究ではY染色体遺伝子群による雄性特異的生理機能の制御機構の解明を試みた。これまで遺伝子欠損マウスを用いた解析から、哺乳動物における時期組織特異的な生体内高次機能が明らかにされてきた。しかしながらY染色体遺伝子領域欠損モデルマウスは精巣に重篤な機能不全を呈するため、個々の遺伝子の生体内機能は明らかではない。そこで遺伝子自体の分子機能からの生理機能へのアプローチが必要であると考え、最も特徴的な雄性特異的組織である精巣に着目してY染色体遺伝子の分子機能の解明を試みた。まず、ヒトY染色体長腕、精子形成責任領域AZFに存在する遺伝子であるSMCY遺伝子に着目し、精子形成におけるエピジェネティック制御における分子機能の解析を試みた。続いて、ヒトY染色体短腕GBY領域内に存在するTSPY遺伝子に着目し、性ステロイドホルモン作用との協調作用という視点から雄性特異的癌として知られる精巣胚細胞腫瘍 (TGCT: Testicular germ cell tumor) における機能解析を行った。

第二章 精子形成におけるY染色体遺伝子SMCYの機能解析

SMCY遺伝子は、領域欠損により精子形成不全を呈するヒトY染色体長腕AZF領域およびマウスY染色体短腕Spy領域に保存された遺伝子であるため、精子形成への機能的関与が推測されてきた。またSMCYがヒストン脱メチル化酵素活性を担うJmjドメインを有するJARIDファミリータンパク質に属することから、精子形成において巧みに制御されている生殖細胞でのクロマチン修飾制御との関与に着目し、SMCYの機能解析を行った。

まずマウス精巣におけるSMCYの発現パターンを免疫組織化学的手法により解析した。生後の精巣発達の各段階における切片を用いてSMCYの発現解析を行ったところ、生後15日以降から精母細胞での染色が観察され始め、精巣がほぼ成熟する生後28日では、精母細胞から精細胞に渡ってSMCYの発現が検出された。同時に、精子形成ステージに伴うメチル化ヒストンH3K4の発現変動も見いだされ、SMCY発現パターンとの関連が示唆された。

そこで次に生化学的手法によりヒト精巣胚細胞腫瘍由来NEC8細胞株におけるSMCYの機能的相互作用因子の取得を試みた。NEC8細胞株においてSMCYがH3K4脱メチル化酵素活性を有する事を確認した上で、精巣特異的なSMCY複合体の取得を試みた。NEC8細胞より調製した核抽出液に対し、リコンビナントFLAGタグ融合SMCY全長タンパク質をベイトとしてアフィニティー精製を行った。抗FLAGアフィニティー精製後、グリセロール密度勾配によるサイズ分画を行い、TOF-MS解析を行った。その結果、精子形成に必須である減数分裂特異的タンパク質MSH5を複合体構成因子として取得した。

MSH5は減数分裂前期での染色体対合と組換えに必須なDNA修復因子である。ヒト精巣細胞株からSMCY/MSH5複合体が取得できたことから、マウス精巣における両者の発現を共焦点蛍光顕微鏡で観察した。その結果、MSH5は初期レプトテン期の細胞では凝集DNAとの共局在を示さず、SMCYの発現が始まるレプトテン/ザイゴテン期の細胞において、凝集したDNA上でのSMCYとの共局在が観察された。さらに、連続切片を用いた免疫組織化学解析により、SMCYおよびMSH5が共発現するレプトテン/ザイゴテン期の細胞において、強いジ、トリメチル化H3K4と弱いモノメチル化H3K4が観察された。以上の結果から、SMCYは精母細胞第一減数分裂前期においては、H3K4脱メチル化を介してクロマチン状態を制御することによってMSH5の凝集DNA上へのリクルートに寄与すると推測された1。

第三章 Y染色体遺伝子TSPYとアンドロゲン受容体転写活性との機能的相互作用の解析

TSPY遺伝子は、精巣特異的に発現し、約30コピーのクラスターからなるヒトY染色体多コピー遺伝子であり、そのコピー数に人種差が存在する事が知られている。未分化生殖腺に発症する性腺芽腫の症例においてTSPYを含むY染色体GBY領域のX染色体への転座が見られることが知られていた。正常精巣ではTSPYは精細胞にのみ発現し、一方ARは支持細胞であるセルトリ細胞、間質ライディッヒ細胞に発現する。ところが前述のNEC8細胞においてTSPYおよびARが共に発現した。NEC8細胞が雄性特異的組織癌である精巣胚細胞腫瘍由来であることから、その細胞株を正常組織では別の細胞で機能するはずの両者が異所性に共発現する場として、TSPYとARの機能的相互作用について解析を行った。

まず、転写因子であるARの転写活性化能へのTSPYの効果をルシフェラーゼアッセイにより検討した結果、NEC8細胞においてリガンドであるジヒドロテストステロン(DHT) 依存的な AR転写活性化をTSPYが抑制することが示された。そこでその転写抑制機構を解明する目的でTSPYとARとの相互作用を検討したところ、TSPYとARがDHT非依存的に直接相互作用することが示された。ARおよびTSPYの細胞内局在を観察した結果、ARがDHT投与後経時的に細胞質から核への移行を示したのに対し、TSPYはDHTに依存せず常に細胞質での発現が見られ、両者の共局在が細胞質においてのみ観察された。また、TSPY安定発現NEC8細胞を細胞質および核抽出液画分に分画して免疫沈降を行ったところ、TSPYとARの相互作用は細胞質画分でのみ検出された。そこで、TSPYタンパク量の変化がARの核移行や転写活性に与える影響を検討した。ARタンパク量はDHT添加後経時的に増加し、細胞質画分ARの減少と核画分ARの増加が確認された。TSPYのノックダウンにより、DHT添加後の細胞質画分AR量が増加したことから、TSPYが核へのAR移行を阻害すると推測された。以上の結果から、TSPYは雄性特異的癌細胞において異所性に共発現したARへの転写活性化抑制作用を示し、その分子機構は、TSPYが細胞質にARを留め、核移行AR量を減少させることに由来する間接的転写抑制機構であると考えられた。

第四章 精巣胚細胞腫瘍におけるアンドロゲン依存性増殖とTSPY機能の解析

前立腺癌は男性ホルモン依存性増殖亢進を示すことから、抗アンドロゲン作用を治療標的とした化学療法が広く用いられている。精巣胚細胞腫瘍は、組織像からセミノーマと非セミノーマに大別される。前者が予後良好であるのに対し、後者において転移を伴う予後不良例が多く見られる。しかしながら精巣がアンドロゲン産生の場であるにも関わらず、精巣腫瘍におけるアンドロゲン作用については不明な点が多い。前章よりNEC8細胞でAR転写活性が見られたことから、まず精巣腫瘍において細胞増殖へのアンドロゲン応答性が存在するか検討したところ、NEC8細胞がアンドロゲン依存性に細胞増殖促進を示す事が明らかとなった。そこでTSPYによるAR機能制御がアンドロゲン依存性増殖に及ぼす影響を検討した結果、TSPY安定発現NEC8細胞ではアンドロゲン依存性増殖亢進が抑制された。

続いて精巣腫瘍細胞増殖におけるARの分子標的の網羅的探索を行った。発現アレイを用い、野生型NEC8細胞およびTSPY安定発現NEC8細胞でのDHT添加有無による発現比較を行ったところ、DHT投与による細胞増殖関連遺伝子群の変動と、TSPY発現株での逆応答が認められた。定量的RT-PCRにより、野生型NEC8細胞と比べTSPY安定発現NEC8細胞において細胞周期抑制因子群が高発現を示すことが見いだされた。これらの結果から、AR転写抑制を介して二次的に増殖抑制因子の発現を促したことによりTSPYが精巣腫瘍でのアンドロゲン依存性増殖を抑制したと考えられた。

前章からTSPY発現量の差が機能制御に関与すると推測されたため、ヒト精巣腫瘍検体を用いてTSPYおよびARの発現量解析を行った。その結果、それぞれ異なった発症年齢、病期由来の日本人精巣腫瘍癌組織検体12例のうち、悪性度の高い非セミノーマ由来検体群3例においてARが高発現を示し、セミノーマ検体群9例において逆にAR発現量が低い傾向が見られた。一方、TSPY発現量はARとは逆に非セミノーマ群で高く、セミノーマ群で低い傾向が得られた。TSPYおよびAR発現量の逆相関の結果から、AR/TSPY比はセミノーマ群に対し非セミノーマ群で高値を示し、精巣腫瘍増悪速度の目安として捉えられる可能性が示された。

第五章 総合討論

本研究では、生化学的、細胞生物学的手法を用いた分子機構解析アプローチにより、Y染色体遺伝子群の発現制御、そして遺伝子固有の分子機能という二つの観点から雄性特異的生理機能におけるY染色体遺伝子群機能解明を試みた。

まず、SMCYは精子形成の進行に伴った発現変動を示し、ステージによって刻一刻と核構造が変換する精子形成において機能のタイミングが調節されていることが示唆された。またSMCYはヒト精巣由来細胞においてヒストン修飾変換活性を示し、時期特異的な機能を示す精子形成制御因子を含む複合体を構成することが見いだされた。腎臓由来293T細胞においてSMCYが転写抑制に関与する複合体を形成することが報告されている。本研究において、SMCYは時期、組織特異的な複合体を形成する事で、自身の酵素活性を介した雄性特異的な生理機能を発揮すると考えられた。

次に、TSPYは異所性に共発現したARに対して転写活性抑制作用を示し、精巣胚細胞腫瘍で初めて見られたアンドロゲン依存性増殖への抑制作用を持つことを見いだした。さらに精巣腫瘍検体での遺伝子発現解析からは、ARおよびTSPYという雄性特異的腫瘍における内因性の癌制御因子の発現レベルによって増悪速度が制御される可能性が示された。細胞骨格タンパク質とARの相互作用による核移行能制御を介した転写調節機構が知られており、本研究で示されたTSPYによるARの細胞質へのトラップ機構は細胞骨格を介する可能性が示唆された。さらにTSPYの発現量の変動によってAR機能が調節されたことから、腫瘍内のTSPY発現量の個人差によって個体間でのAR活性の差が生じる可能性が推測された。

本研究では、これまで分子機能、また担う生理機能ともに未知であったY染色体遺伝子群において、クロマチン構造のエピジェネティック制御あるいは核内転写因子との協調作用に着目し、分子機能の一端を明らかにした。性差の遺伝的基盤としてのY染色体は、雄性において精巣だけでなく骨成長、代謝など多くの組織での機能が推測される。Y染色体遺伝子群が生理機能に重要な鍵因子との協調作用を介して機能発揮することから、時期、組織といった状況に応じて、一般的な機能因子群からパートナーを使い分け各々の組織での雄性化を規定する切り換え因子としてのY染色体遺伝子群の役割が示唆された。

1 Akimoto, C., Kitagawa, H., Matsumoto, T. & Kato, S. (2007) Sermatogenesis-specific association of SMCY and MSH5 Genes to Cells, submitted
審査要旨 要旨を表示する

哺乳類の雌雄には明確な性差が存在し、これまで性決定後の性差形成は性ステロイドホルモン作用によって完成すると考えられている。しかしながら、Y染色体遺伝子の領域欠損などによる遺伝的疾患症例から、精子形成といった生理機能へのY染色体遺伝子機能の関与が示唆されてきた。そこで本論文では、雄性特異的生理機能におけるY染色体遺伝子群の機能的役割の解明を目的とし、細胞生物学、生化学的手法を用いてY染色体遺伝子群の分子機能解析を行っている。

一章の序論に続き、二章では、ヒトおよびマウスのY染色精子形成責任領域に保存されるSMCY遺伝子の分子機能解析を行った。具体的には、まずヒト精巣胚細胞腫瘍由来NEC8細胞株NEC8細胞株においてSMCYがH3K4脱メチル化酵素活性を有する事を確認した上で、生化学的手法により精巣特異的なSMCYの機能的相互作用因子の取得を試みている。NEC8細胞より調製した核抽出液に対し、リコンビナントFLAGタグ融合SMCY全長タンパク質をベイトとしてアフィニティー精製を行い、TOF-MS解析によって、精子形成に必須である減数分裂特異的タンパク質MSH5を複合体構成因子として取得した。マウス精巣における両者の発現を共焦点蛍光顕微鏡で観察した結果、MSH5は初期レプトテン期の細胞では凝集DNAとの共局在を示さず、SMCYの発現が始まるレプトテン/ザイゴテン期の細胞において、凝集したDNA上でのSMCYとの共局在が観察された。さらに、連続切片を用いた免疫組織化学解析により、SMCYおよびMSH5が共発現するレプトテン/ザイゴテン期の細胞において、強いジ、トリメチル化H3K4と弱いモノメチル化H3K4が観察された。以上の結果から、ヒストン脱メチル化酵素として知られるJmjドメインを有するSMCYが減数分裂制御因子MSH5との相互作用を示し、減数分裂前期の精母細胞においてヒストンH3K4の脱メチル化を介してDNA凝集に作用する可能性を示す事ができた。

次に三章では、男性ホルモン受容体ARと精巣特異的遺伝子TSPYの機能的相互作用の解析を行っている。まずレポーターアッセイによりARの転写活性化能をTSPYが抑制する事を見いだした。さらにTSPYとARのリガンド非依存的な相互作用を検出できたことから、両者の細胞内相互作用を検討した結果、TSPYが細胞質タンパク質であり、ARとの相互作用は細胞質においてのみ見られる事を示した。さらに、TSPYのノックダウンによってARの細胞質から核への移行が促進した事から、TSPYがARの核移行を阻害することでARの転写活性化能を抑制することを見いだした。以上より、精巣胚細胞腫瘍において、TSPYは異所性にARと共発現すると、ARと細胞質で結合することで、ARの核内でのホルモン作用を抑制することを見いだしている。

続く四章では、まず精巣胚細胞腫瘍NEC8細胞においてアンドロゲンによる細胞増殖亢進を見いだした。一方TSPYは抑制的に作用した。続いて、分子標的をマイクロアレイで探索し、リアルタイムRT-PCRにより確認することでPTEN遺伝子がこの制御に関与する可能性を示した。

さらに、ヒト精巣胚細胞腫瘍症例の組織検体を用いてTSPYおよびARの発現量解析を行った。その結果、ARはセミノーマに対し悪性度の高い非セミノーマ群において高発現を示すことを見いだした。一方TSPYの発現量が逆に非セミノーマ群で低く、セミノーマにおいて高いことが示された。これら二者の発現の逆相関の結果から、AR/TSPY比は精巣腫瘍増悪速度の目安として捉えられる可能性が示された。以上より、TSPY とARの機能的相互作用が精巣胚細胞腫瘍の細胞増殖を制御することを示し、精巣腫瘍組織における予後マーカーとして臨床応用できる可能性を示している。

本論文では、生化学的手法、細胞生物学的手法を用いた分子機能解析によって、Y染色体遺伝子の担う精巣における生理機能の一端を明らかにすることができた。これらの成果は、雄性のみに存在するY染色体上の遺伝子群による雄性特異的生理機能の制御機構の理解に大きく貢献するものと期待される。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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