学位論文要旨



No 123561
著者(漢字) 東,美由紀
著者(英字)
著者(カナ) アズマ,ミユキ
標題(和) シアノバクテリアにおける糖異化遺伝子群の発現制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 123561
報告番号 甲23561
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3265号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田中,寛
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

第一章序論

代謝は、細胞の生存に必要な物質合成やエネルギー獲得の手段であり、細胞の生育環境に合わせて厳密な調節を受けている。生物が生存するためには様々な栄養源が必要とされるが、窒素はアミノ酸や核酸、ビタミンなど多くの生体物質中に含まれ、光合成生物の生産性の鍵を握る元素である。そこで本研究では、光合成生物のモデル系であるシアノバクテリアSynechocystis sp.PCC6803(以下Synechocystis)を用い、窒素栄養欠乏下での代謝調節機構を、特に転写制御機構を中心に解析した。

Synechocystisにおいては、窒素欠乏時に糖代謝が同化から異化に切り換わることがこれまでの研究により示唆されている(Osanai et al.,2006)。また、この代謝のスイッチングには窒素欠乏のセンサータンパク質PIIや転写因子NtcA、PII相互作用タンパク質PamA、RNAポリメラーゼシグマ因子SigEなどを介したシグナル伝達機構があることが明らかになっている(OsanaietaL,2007)。本研究では、新たに窒素欠乏時に誘導される二成分制御系レスポンスレギュレーターRre37が糖異化遺伝子群の発現誘導に関与することを見いだし、以下の解析により新規因子の機能の解明と、糖異化遺伝子群の発現調節ネットワークの詳細を明らかにした。

第二章窒素誘導性レスポンスレユレーターRre37の発現解析

シアノバクテリアが窒素欠乏にさらされると、その状況に対応するために遺伝子発現を大きく変化させる。その際に、遺伝子の発現制御の中心的な役割を果たしているのが転写因子NtcAである。

NtcAは、シアノバクテリアおよび紅藻葉緑体に保存されており、窒素関連遺伝子群の転写を幅広く制御している。NtcAによる転写の活性化/抑制は、遺伝子のプロモーター領域に存在するコンセンサス配列(GTAN8TAC)にNtcAが結合することで起こり、その結合は窒素飢餓のシグナル物質である2-オキソグルタル酸によって促進されることが知られている。最近のバィオインフォマティクスの解析により、二成分制御系のレスポンスレギュレーターrr837のプロモーターにNtcA結合配列があることが予測され(Su et al.,2005)、舵37発現量が窒素欠乏下で著しく増加することが、マイクロアレイ解析により明らかにされている(Osanai et al.,2006)。そこで本研究では、Rre37が窒素欠乏下で重要な役割を果たしていると考え、その機能を詳しく調べることにした。

まず初めに、rre37の発現がNtcAによって調節されることを実験的に証明するため、ntcAノックダウン変異株(ntcA遺伝子は生育に必須であることから、多コピーの染色体にコードされた遺伝子のコピー数を減少させ、発現量を抑制した変異株)におけるrre37の発現量を解析した。その結果、野生株では窒素欠乏によりrre37の発現がmRNA量、タンパク質量の双方で増加するのに対し、ntcAの変異株ではその誘導が大幅に減少していた。さらにゲルシフトアッセイにより、NtcAがrre37上流のプロモーター領域に結合することや、その結合が2-オキソグルタル酸の濃度依存的に強まることが明らかとなった。これらの結果より、窒素欠乏下でのrre37の発現はNtcAによって直接正に制御されていることが示された。

第三章Rre37の制御標的遺伝子群の同定

Rre37はOmpR型のレスポンスレギュレーターであり、DNAに結合して遺伝子の転写を制御する転写因子であることが予想された。そこで、その制御下にある遺伝子群についてマイクロアレイを用いて網羅的に探索した。初めに通常条件下でマイクロアレイ解析を行ったところ、野生株とrre37変異株における遺伝子発現プロファィルに変化が見られなかったため、Rre37は窒素が充足した条件では、遺伝子発現調節にほとんど寄与していないことが示唆された。一方、窒素飢餓条件で野生株とrre37変異株における遺伝子発現量の変化を比較したところ、発現量'が2分の1以下に減少していた遺伝子には、呼吸鎖電子伝達系でシトクロムcオキシダーゼのサブユニットをコードするctaCl(slrll36)、ctaDl(slrll37)、ctaEl(slrll38)や、解糖系酵素であるgapl(slr0084;グリセルアルデヒド3リン酸デヒドロゲナーゼ)、pfkA(sll1196:ホスホフルクトキナーゼ)、グリコーゲン異化酵素のglgX(slr1857;グリコーゲンイソアミラーゼ)、glgP(sir1367:グリコーゲンボスホリラーゼ)が含まれていた。このことから、Rre37は糖異化に関わる多くの酵素の発現を正に制御している可能性が示唆されたため、以後は特に糖異化遺伝子群に着目して解析を進めた。

これまでにRNAポリメラーゼのサブユニットであるシグマ因子SigBも上記の遺伝子群の転写を正に制御することが明らかとなっているため(Osanai et al.,2006)、sigEとrre37の関係を調べるためにrre37変異株、sigE変異株、rre37/sigE二重変異株を使用して遺伝学的にこれらの関係を調べた。ノーザン解析により、それぞれの株における窒素欠乏条件下での糖異化遺伝子群の発現誘導を観察した結果、Rre37とSigEはそれぞれ独立して糖異化遺伝子の発現を制御していることが示唆された。

第四章Rre37依存性プロモーターの解析

窒素欠乏時にRre37によって転写量が制御されるgapl、pfka、glgX、glgPの発現制御機構をさらに詳しく解析するために、プライマー伸長法を用いて各遺伝子の転写開始点を解析した。その結果、それぞれの遺伝子に対して複数箇所の転写開始点が同定された。それを基にプロモーター配列の予測を行ったところ、構成的に発現しているプロモーターは、シグマ70型の-10、-35配列を持つのに対し、窒素誘導性のプロモーターは一10配列を有するが-35配列が必ずしも存在しないという傾向が見られた。しかしこれまでのところ、Rre37依存的に発現するプロモーター周辺に特定の保存配列は同定できていない。さらに、Rre37依存的なプロモーターの中にはSigEによっても発現制御を受けるものもあり、これら2つの因子が同一プロモーターを介して発現を制御している場合があることが明らかとなった。

第五章rre37変異株の表現型

最後に、SynechocystisにおけるRre37の役割をさらに明確にするため、rre37変異株の表現型について解析を行った。まずグルコース存在下での光非依存的な増殖について調べた結果、rre37変異株では増殖速度が顕著に低下していることを見いだした。暗所での生育には糖異化が必須であり、この表現型はRre37が糖異化遺伝子群の発現を正に制御していることを裏付けるものである。

次に、Rre37は窒素欠乏により発現誘導を受けるため、rre37変異株を用いて窒素に関連した表現型を探索した。まず、窒素欠乏条件下で野生株とrre37変異株の生育を比較したところ、吸光度変化により測定した増殖曲線は双方の株の間で同じであった。しかし、rre37変異株は窒素欠乏後のブリーチングが遅れる表現型が観察された。プリーチングとは、窒素欠乏後2日ほどで細胞が緑から黄色に変化する現象であり、集光装置のフィコビリソームの分解とクロロフィルの減少によって引き起こされることが知られている。フィコビリソームの構成タンパク質フィコシアニンとクロロフィルの細胞当たりの含量を計測したところ、クロロフィル量の減少に関しては野生株とrre37変異株の間で違いが見られなかったが、rre37変異株では野生株に比べてフィコシアニンの分解速度が遅れることが明らかになった。ブリーチングは、集光装置のフィコビリソLムを分解することで不足している窒素源を手に入れ、過剰な光エネルギーを避ける意義があると考えられている。第三章で同定したRre37の標的遺伝子群の中にはフィコビリソームの分解に関わる遺伝子が含まれていなかったことから、この表現型をもたらす直接の原因は不明であるが、Rre37が窒素欠乏下で生存するための応答反応に関与することが生理学的に明らかになつた。

総括

本研究では、様々な環境ストレスにおける光合成生物の応答の一側面として、モデル生物であるシアノバクテリアSynechocystis sp. PCC6803を用いて、窒素飢餓状況における糖異化経路の活性化のシグナル伝達について解析を行った。特に、窒素欠乏により発現が誘導されるレスポンスレギュレーターRre37が、NtcAの制御下で糖異化酵素の発現を正に制御している新規因子であることを明らかにし、すでに同定さ典ている窒素一糖代謝を結ぶ因子であるSigEとともに多面的に糖代謝経路を調節していることを示した。今後は、上記因子のさらなる機能解析を通じて、糖異化遺伝子群の発現制御機構のネットワークの詳細を明らかにしていくことが期待される。

細胞がどのように栄養ストレスを感知し、応答しているのかを理解することは、生物の基本機構を理解するという基礎学問の観点だけでなく、将来的にストレス耐性を付与して生産性を上げるという応用面でも重要である。光合成能を持つシアノバクテリアの代謝機構は高等植物とも類似しており、代謝酵素にも保存されているものが見られる。そのため、シアノバクテリアで得られた細胞、分子レベルの知見は高等植物に応用する上でも、大いに貢献するものと考えられる。

Osanai, T., Imamura, S., Asayama, M., Shirai, M., Suzuki, 1., Murata N. and Tanaka, K. (2006) DNA Res.13: 185-195.

Su, Z., Olman, V., Mao, F. and Xu, Y. (2005) Nucleic Acids Res. 33: 5156-5171.

Osanai, T., Azuma, M. and Tanaka, K. (2007) Photochem. Photobiol. Sci. 6: 508-514.

審査要旨 要旨を表示する

代謝は、細胞の生存に必要な物質合成やエネルギー獲得の手段であり、生育環境に合わせて厳密な調節を受けている。生物が生存するためには様々な栄養源が必要とされるが、中でも窒素はアミノ酸や核酸、ビタミンなど多くの生体物質中に含まれ、光合成生物の生産性の鍵を握る元素である。本論文では、光合成生物のモデル系であるシアノバクテリアSynechocystis sp.PCC6803(以下Synechocystis)を用い、窒素栄養欠乏下での代謝調節機構を、特に転写制御機構を中心に解析している。

第一章の序論においては、シアノバクテリアにおける窒素制御系の背景や転写制御系の概略が述べられるとともに、本研究の目的が解説されている。Synechocystisにおいては、窒素欠乏時に糖代謝が同化から異化に切り換わる。また、この代謝のスイッチングには窒素欠乏のセンサータンパク質PIIや転写因子NtcA、PII相互作用タンパク質PamA、RNAポリメラーゼシグマ因子SigEなどを介したシグナル伝達機構があることが既に明らかになっていた。本研究は、新たに窒素欠乏時に誘導される二成分制御系レスポンスレギゴレーターRre37が糖異化酵素遺伝子の発現誘導に関与することを見いだし、この新規因子の機能の解明と、糖異化酵素遺伝子の発現調節ネットワークの詳細を明らかにしたものである。

本研究以前のバイオインフォマティクスを用いた解析により、レスポンスレギュレーターをコードするrre37遺伝子の発現がNtcA制御下にあることが予測されていた。そこで第二章では、rre37の発現がNtcAによって調節されることを実験的に証明するため、ntcA部分変異株におけるrre37の発現量を解析した。その結果、野生株では窒素欠乏によりrre37の発現がmRNA量、タンパク質量の双方で増加するのに対し、η'oAの破壊株ではその誘導が大幅に減少することを見いだした。さらにゲルシフトアッセイにより、NtcAがrre37上流のプロモーター領域に結合することを明らかにし、窒素欠乏下でのrre37の発現はNtcAによって直接正に制御されていることを示した。

第三章では、マイクロアレイを用いてRre37の制御標的遺伝子の探索を行い、Rre37が糖異化に関わる多くの酵素の発現を正に制御していることを示している。本研究以前に、RNAポリメラーゼのシグマ因子SigEも糖異化酵素遺伝子の転写を正に制御することが明らかとなっていた。そこで、sigEとrre37の関係を調べるためにrre37変異株、sigE変異株、rre37/sigE二重変異株を構築し、窒素欠乏下での糖異化酵素遺伝子の発現を観察している。その結果、Rre37とSigEが、それぞれ別の経路で糖異化酵素遺伝子の発現を制御していることを示唆している。

第四章では、窒素欠乏時にRre37によって転写量が調節される糖異化酵素遺伝子の発現制御機構を調べる目的で、プライマー伸長法を用いて各遺伝子の転写開始点を決定している。同定された転写開始点を基に、各遺伝子のプロモーター配列の予測を行ったが、Rre37依存的に発現するプロモーター周辺に特定の保存配列を見つけることはできなかった。さらに、Rre37依存的なプロモータ胃の中にはSigEによっても発現制御を受けるものもあり、これら2つの因子が同一プロモーターを介して発現を制御している場合があることを明らかにしている。

第五章ではSynechocystisにおけるRre37の役割を明確にするため、rre37変異株の表現型について解析を行っている。まずグルコース存在下での光非依存的な増殖について調べ、rre37変異株では増殖速度が低下していることを見いだした。暗所での生育には糖異化が必須であり、この表現型はRre37が糖異化酵素遺伝子の発現を正に制御しているためであると考えることができる。さらに、Rre37は窒素欠乏により発現誘導を受けることから、rre37変異株を用いて窒素に関連した表現型の探索を行った。その結果、rre37変異株では細胞が緑から黄色に変化するブリーチングが遅れることを見いだしている。この表現型をもたらす直接の原因を明らかにすることはできていないが、Rre37が窒素欠乏下における応答反応に関与することが示された。

以上、光合成生物にとって重要な糖代謝、特に糖異化経路について、本論文はシアノバクテリアを材料としてその制御機構を解析したものである。本研究の内容は、その全体像の理解に向けて学術的・応用的に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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