学位論文要旨



No 123567
著者(漢字) 髙妻,篤史
著者(英字)
著者(カナ) コウヅマ,アツシ
標題(和) Pseudomonas putida DS1株のスルホン代謝に関与する新規硫酸飢餓応答機構の解析
標題(洋)
報告番号 123567
報告番号 甲23567
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3271号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 田中,寛
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

細菌の生育においても必須な元素である硫黄は,様々な硫黄源から同化される.細菌が最も利用しやすい硫黄源は硫酸イオン(SO42-)であるが,土壌中では硫酸イオンは硫黄分全体の5%を占めるに過ぎない.その他の硫黄分は硫酸エステル(R-OSO3H),スルホン酸(R-SO3H)やアミノ酸といった有機硫黄化合物として存在する.揮発性の有機硫黄化合物であるジメチルスルフィド(CH3-S-CH3)も海洋,淡水堆積物,土壌から放出されており,環境中に豊富に存在する.したがって細菌(特に土壌に生息する細菌)はこのような様々な有機硫黄化合物から硫黄を獲得する能力を発達させることで,硫酸飢餓環境においても生存を図ってきたものと考えられる.

有機硫黄化合物の代謝に関わる遺伝子は硫酸飢餓応答を示し,硫酸イオン欠乏時に誘導的に発現することが知られている.硫酸飢餓応答の分子機構は大腸菌のスルホン酸代謝系において解析されてきた.しかし,実際に硫酸飢餓環境中で生息する土壌細菌がどのように硫酸飢餓条件を感知して,多様な有機硫黄化合物代謝能を発揮するのかについてはほとんど知られていなかった.特に,ジメチルスルフィドからの硫黄獲得機構に関する知見はほぼ皆無であった.

Pseudomonas putida DS1株は以前筆者の所属研究室により単離された土壌細菌であり,ジメチルスルフィド(DMS)を唯一の硫黄源として生育可能である.DS1株は連続的酸化反応によりDMSをジメチルスルホキサイド(DMSO),ジメチルスルホン(DMSO2),メタンスルホン酸(MSA)を経て亜硫酸イオン(SO32-)へと変換する(図1).

DMSO2からMSAへの変換は,FMNH2依存性monooxygenase(SfnG)が触媒する.sfnGを含むsfnFGオペロンの発現にはσ54依存性の(NtrC typeの)転写因子SfnRが必要である.細菌の有機硫黄化合物代謝にσ54依存性転写因子が関与する例は他に知られておらず,SfnRの発見はDS1株のスルホン代謝系sfn遺伝子群が既知のものとは全く異なる硫酸飢餓応答機構を備えていることを示すものであった.しかし,sfnR自身(sfnECRオペロンに含まれる)の発現制御機構はほぼ未解明であった.また,細胞内の硫酸イオン濃度認識におけるSfnRの役割は不明であった.

そこで本研究ではこのsfn遺伝子群の新規硫酸飢餓応答機構を分子レベルで明らかにすることを目的とし,以下に示す解析を行った.

1. ジメチルスルホン代謝に必要な遺伝子の単離と解析

既に単離されていたもの以外にもsfn遺伝子群の転写調節に関与する遺伝子を単離するため,DS1株に対しトランスポゾン(Tn)変異導入を行った.その結果,PTSNtr familyに属するリン酸基転移酵素遺伝子と相同性を示す遺伝子ptsPをDMSO2代謝に必要な遺伝子として単離した.相同性組換えにより作製したptsP破壊株もTn挿入株と同様にDMSO2資化能が欠損した.またその資化能の欠損はptsPをプラスミドにより相補することで回復可能であった.

PTS(Ntr) familyのリン酸基転移酵素はσ(54)依存性転写因子による発現制御に関係することが報告されている.したがってptsPの破壊はSfnR(σ(54)依存性転写因子)によるsfnFGの発現制御に影響を与えていることが予想された.定量的RT-PCR解析によりsfnFG発現量を測定した結果,ptsP破壊株では野生株と比較して有意に発現量が減少していることが明らかとなった.したがってptsP破壊によるDMSO2資化能欠損はsfnFG発現量の減少に起因していると考えられた.本研究はPTS(Ntr) familyのリン酸基転移酵素が有機硫黄化合物代謝に関与していることを示した最初の報告となった[1].

2. ジメチルスルホン代謝系オペロン(sfnオペロン)の転写調節機構

SfnRはsfnオペロンの硫酸飢餓応答において鍵となる役割を果たしていると予想されたが,sfnR遺伝子自身がどのような発現制御を受けるのかは不明であった.そこで筆者はsfnRを含むsfnECRオペロンの転写調節機構を詳細に解析した.

最初にsfnECRの転写開始点をプライマー伸長法により決定した.その際,SfnR自身によるautoregulationの可能性も考慮して,野生株と同時にsfnR破壊株においても解析を行った.sfnECRの転写開始点は開始コドンの189 bp上流に見出されたが,予想に反し,野生株よりもsfnR破壊株において,プライマー伸長産物の量が多いという結果となった.この結果から,SfnRが自身の遺伝子を含むsfnECRオペロンの発現を抑制していることが示唆された.転写開始点下流+28から+45までの領域には,sfnFGオペロンの転写開始点上流にも存在するSfnRの結合モチーフが見出された.したがって,SfnRがこのモチーフに結合することで,sfnECRのmRNA伸長を阻害していることが予想された.

この仮説を証明するため,SfnR結合モチーフを含むDNA領域のdeletion解析を行った.その結果,野生株ではdeletionによりsfnECRの発現量が有意に増加した.一方,sfnR破壊株においては発現量の増加は認められなかった.また,この結合モチーフを含むDNA領域にSfnRが結合することをゲルシフトアッセイにより確認した.以上の結果から,転写開始点の下流にSfnRが結合することで,sfnECRの発現が抑制されていることが明らかとなった.

次に,sfnECRの転写活性化に必要な領域を絞り込むため,sfnECR上流の5'-deletion解析を行った.その結果,転写開始点上流-63までの領域が硫酸飢餓時の転写活性化に必要であることが明らかとなった.

sfnECRの転写活性化には,広くグラム陰性細菌の硫酸代謝に関与するLysR-typeの転写因子CysBが必要であることが既に明らかとなっていた.しかし,CysBがsfnECRのプロモーター領域に結合することで,直接その転写を制御しているかどうかは不明であった.そこで筆者は精製CysBタンパク質とsfnECR上流配列をプローブとして用いたゲルシフトアッセイ及びDNase I footprintingを行い,CysBがsfnECRのプロモーター領域(転写開始上流-71から-32まで)に直接結合することを明らかにした.大腸菌のCysBは,O-acetylserineをinducerと認識した場合に標的となるプロモーター領域に適切に結合し,転写を活性化することが報告されている.しかし,大腸菌の場合とは異なり,ゲルシフトアッセイにおいて反応系にO-acetylserineを添加した場合でも,DS1株のCysBのDNA結合能は変化しなかった.したがってDS1株のCysBは大腸菌のものとは異なる制御様式を備えていることが示唆された.

3. sfnオペロンの転写抑制を引き起こすシグナル分子の絞り込み

sfnECR,sfnFG両オペロンの転写はいずれも硫酸イオンが豊富に存在する条件下では抑制される.しかしその転写抑制を引き起こすシグナル分子(硫酸イオンもしくはその代謝産物と予想される)はこれまで未同定であった.したがって,両オペロンで転写抑制を引き起こすシグナル分子は共通しているのか,それともCysBとSfnRが異なるシグナル分子を認識することで両オペロンの制御様式に違いがあるのかは不明であった.筆者はそのことを明らかにするため,硫酸イオン代謝系遺伝子の破壊株を用いた発現解析を行った.

まず,硫酸イオン代謝経路(図2)に関わる遺伝子の中でcysNCとcysIの破壊株を相同性組換えにより作製した.代謝経路から予想される通り,cysNC破壊株は硫酸イオン(SO(42-))を,cysI破壊株は亜硫酸イオン(SO(32-))を硫黄源として生育することができなかった.次に,各破壊株を硫酸イオン存在下で培養し,細胞内で蓄積する硫酸イオンもしくはその代謝産物により,sfnFG,sfnECRの発現量が抑制されるかどうかを定量的RT-PCRにより解析した.

その結果,sfnFGの転写量はcysNC破壊株に硫酸イオンを添加した場合でも減少したことから,sfnFGの発現は硫酸イオン自身によって抑制されることが明らかとなった.一方,sfnECRの転写量はcysNC,cysI破壊株のいずれに硫酸イオンを添加した場合でも減少しなかった.この結果からsfnECRの発現は亜硫酸イオン以降の代謝産物,つまりスルフィドイオン(S2-)もしくはシステインにより抑制されることが示唆された.以上の結果から,CysBとSfnRがそれぞれ異なるシグナル分子を認識することにより,階層的にsfnオペロンの発現を制御していることが示唆された.

4. 総括と展望

本研究により推定されたsfnオペロンの転写制御機構モデルを図3に示した.硫酸イオン代謝経路の下流代謝産物(S2-もしくはシステイン)が欠乏した場合は,CysBが硫酸イオン代謝系cys遺伝子に加え,sfnECRの転写を活性化する.下流代謝産物に加え,硫酸イオン自身も欠乏した場合には,SfnRがsfnFGの転写を活性化し,DMSO2からの硫黄分の獲得が促進される.SfnRはsfnECRの発現を抑制する働きもしており,その結果sfnRの発現量は適切なレベルに抑えられていると考えられる.詳細な分子機構は不明であるが,PTSNtr familyのタンパク質PtsPもsfnFGの転写活性化に関与する.

本研究により,SfnRが硫酸イオンを認識している可能性が考えられた.SfnRは他の多くのσ54依存性の転写因子と異なり,N末端側のエフェクター認識ドメインが無いという珍しい特徴を持つ.したがってSfnRが硫酸イオンを認識しているならば,その認識機構は非常に新規性が高い.今後硫酸イオンの認識にSfnR,さらにはPtsPがどのように関係しているかを解析していくことで,細菌における新しい硫酸飢餓応答機構の詳細が明らかになっていくものと期待される.

1. Kouzuma et al., 2007. FEMS Microbiol. Lett. 275, 175-181.
審査要旨 要旨を表示する

土壌では硫黄元素の大半が有機硫黄化合物として存在するため,環境中の様々な有機硫黄化合物から硫黄を獲得するための機構は土壌細菌の生存戦略上重要となる.有機硫黄物を分解し硫黄源を獲得するための遺伝子群は硫酸飢餓応答を示し,硫酸イオンが欠乏した条件下で誘導的に発現することが知られている.しかし,その制御機構については大腸菌のスルホン酸/タウリン代謝系をモデルとして研究が行われているものの,土壌細菌がどのように硫酸飢餓を感知して多様な有機硫黄化合物代謝系遺伝子を発現させているのかについては未解明の部分が多いのが現状であった.

本論文では,土壌細菌Pseudomonas putida DS1株のスルホン代謝に関与する硫酸飢餓応答機構について解析が行われた.DS1株において,ジメチルスルホンの酸化に関与するsfnFGオペロンの発現はsfnECRオペロン内にコードされるσ(54)依存性の転写因子SfnRにより正に制御され,これらsfn遺伝子群の発現は硫酸飢餓時に誘導的に発現することが明らかとなっていた.これまでに硫酸飢餓応答にσ(54)依存性の転写因子が関与するといった報告はなく,SfnRの発見はsfn遺伝子群が既知のものとは全く異なる硫酸飢餓応答機構を備えていることを示していた.しかし,sfnR自身(sfnECRオペロンに含まれる)の発現制御機構はほぼ未解明であった.また,細胞内の硫酸イオン濃度認識におけるSfnRの役割は不明であった.よって本論文では新規転写因子SfnRが関与するsfn遺伝子群の硫酸飢餓応答機構を分子レベルで明らかにすることを目的とし,以下に示す解析が行われた.

本論文は5章から構成され,実験内容は第2章から第4章に記述されている.第2章では,既に単離されていたもの以外にもsfn遺伝子群の転写調節に関与する遺伝子を単離するため,DS1株に対しトランスポゾン(Tn)変異導入が行われた.その結果,PTS(Ntr) familyに属するリン酸基転移酵素遺伝子と相同性を示す遺伝子ptsPがDMSO2代謝に必要な遺伝子として単離された.PTS(Ntr) familyのリン酸基転移酵素はσ(54)依存性転写因子による発現制御に関係することが報告されていた.したがってptsPの破壊はSfnR(σ(54)依存性転写因子)によるsfnFGの発現制御に影響を与えていることが予想された.定量的RT-PCR解析によりsfnFG発現量を測定した結果,ptsP破壊株では野生株と比較して有意に発現量が減少していることが明らかとなった.したがってptsP破壊によるDMSO2資化能欠損はsfnFG発現量の減少に起因していると考えられた.本研究はPTS(Ntr) familyのリン酸基転移酵素が有機硫黄化合物代謝に関与していることを示した最初の報告となった.

第3章ではsfnRがどのように発現するのかを明らかにするため,sfnRを含むsfnECRオペロンの転写調節機構について詳細な解析が行われた.in vivoでの転写解析及びin vitroでのタンパク質-DNA結合解析の結果,SfnRがsfnECRの転写開始点下流に結合することでその転写を抑制していることが明らかとなった.また,sfnECR転写開始点上流には広くグラム陰性細菌の硫黄代謝に関与する転写因子CysBが結合し,その転写を活性化していることが明らかとなった.

第4章においてはsfnオペロンの転写抑制を引き起こすシグナル分子の探索が行われた.sfnECR,sfnFG両オペロンの転写はいずれも硫酸イオンが豊富に存在する条件下では抑制されるが,その転写抑制を引き起こすシグナル分子(硫酸イオンもしくはその代謝産物と予想される)はこれまで未同定であった.そこで本章では,硫酸イオン代謝系遺伝子の破壊株を用いた発現解析によって,転写抑制を引き起こすシグナル分子の絞込みが行われた.硫酸イオンが全く代謝されない遺伝子破壊株,及び亜硫酸イオンまでは代謝されるが,それより下流の化合物には代謝されない遺伝子破壊株を硫酸イオン存在下で培養し,細胞内で蓄積する硫酸イオンもしくはその代謝産物により,sfnFG,sfnECRの発現量が抑制されるかどうかの解析が行われた.その結果,sfnFGの転写量は硫酸イオンが全く代謝されない株においても減少したことから,sfnFGの発現は硫酸イオン自身によって抑制されることが強く示唆された.一方,sfnECRの転写量は,硫酸イオンが亜硫酸イオンまで代謝される株において減少しなかった.この結果からsfnECRの発現は亜硫酸イオン以降の代謝産物,つまりスルフィドイオンもしくはシステインにより抑制されることが示唆された.以上の結果から,CysBとSfnRがそれぞれ異なるシグナル分子を認識することにより,階層的にsfnオペロンの発現を制御していることが示唆された.

以上,第2章から第4章までの結果から,総括にあたる第5章において,次のsfn遺伝子群の転写制御のカスケードモデルが提唱された.硫酸イオン代謝経路の下流代謝産物(スルフィドイオンもしくはシステイン)が欠乏した場合は,CysBがsfnECRの転写を活性化する.下流代謝産物に加え,硫酸イオン自身も欠乏した場合には,SfnRがsfnFGの転写を活性化し,DMSO2からの硫黄分の獲得が促進される.SfnRはsfnECRの発現を抑制する働きもしており,その結果sfnRの発現量は適切なレベルに抑えられていると考えられる.詳細な分子機構は不明であるが,PTS(Ntr) familyのタンパク質PtsPもsfnFGの転写活性化に関与する.

本論文で提唱された上記のカスケードモデルは既知の大腸菌のスルホン酸代謝系の硫酸飢餓応答機構と機能的には類似していた.しかし,両者には硫酸イオンの存在を示すシグナル分子,およびその認識機構に違いが存在すると考えられ,土壌細菌であるPseudomonas属細菌が大腸菌とは異なる硫酸飢餓応答の分子機構を発達させてきたことが示唆された.本研究は土壌細菌の転写制御機構及びストレス応答機構について新たな知見を与えたという点で学術上寄与するところが大きい.また産業利用への発展が期待されるスルホン代謝系酵素遺伝子の発現制御系を解析したという点で応用的にも貢献すると考えられる.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた.

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