No | 123568 | |
著者(漢字) | 鈴木,絵里子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スズキ,エリコ | |
標題(和) | 分子遺伝学的手法を用いた新規クロマチン高次構造調節機構の解明 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 123568 | |
報告番号 | 甲23568 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第3272号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 第一章 序論 転写反応は遺伝子プロモーター上に結合するDNA結合性転写因子群や基本転写因子群、さらにこれらと協調的に働く転写共役因子群を介することが知られている。さらにこれら転写反応はクロマチン高次構造(higher-order chromatin structure)が規定することが知られており、その高次構造は時空制御を受けている。クロマチン構造はクロマチンが弛緩し転写が活性化しているユークロマチン(euchromatin)とクロマチンが凝集し転写が不活性化しているヘテロクロマチン(heterochromatin)の大きく2つの状態に分類され、ユークロマチンとヘテロクロマチンの境界はクロマチンバウンダリーと定義されている。クロマチンバウンダリー構造は特定のDNA配列であるインシュレーター(insulator)やそのDNAを取り巻くヒストンの修飾状態により形成されている。インシュレーターは種間を越えてヘテロクロマチン領域近隣に多く見出されている。一般にヘテロクロマチンは周辺領域に伝播するが、インシュレーターはヘテロクロマチン依存的境界調節機能を発揮することでクロマチンバウンダリー構造を維持する。 近年、分裂酵母ではセントロメア由来siRNAを介したヘテロクロマチン形成誘導機構が提唱され、ショウジョウバエではRNAサイレンシング装置の遺伝子変異によってヘテロクロマチン構造による遺伝子発現抑制が解除されることが報告されており、non-coding RNAを基質としたRNAサイレンシング装置がヘテロクロマチン形成を導くことが示唆されている。一方で、インシュレーターには特異的DNA結合性因子が結合し、凝集体を形成し、機能することでクロマチン高次構造調節を行うことが示唆されているが、ショウジョウバエgypsyインシュレーターでは、この凝集体形成にRNAサイレンシング装置が必要であることが示されている。また、gypsyインシュレーター領域内にはnon-coding RNAが転写されている可能性が推測されている。従って、クロマチンバウンダリー制御にはRNAサイレンシング経路を介したヘテロクロマチン化誘導が関与すると考えられるが、インシュレーターはヘテロクロマチン依存的境界調節機能を有することから、両者は相反する。そのため、RNAサイレンシング機能を介した新たなインシュレーター機能が考えられる。 そこで、本研究では、クロマチン高次構造調節機構解明のため、インシュレーターによるクロマチンバウンダリー形成機能に着目した。まず、クロマチン高次構造を評価するのに適し、容易に分子遺伝学的解析可能なショウジョウバエを用い、インシュレーターによる新たなクロマチン高次構造評価系(インシュレーターショウジョウバエ)の構築を試みた。さらに、作出したインシュレーターモデルショウジョウバエを用い分子遺伝学的手法で新規クロマチン高次構造調節因子の取得を試みた。つぎに、取得した候補因子の機能解析として内因性インシュレーターへの調節機構及び遺伝学的相互作用ならびに高次生命機能を解析した。 第2章 新規インシュレーターモデルショウジョウバエの作出 一般的にインシュレーターに挟まれた外来遺伝子がゲノム内に挿入された際、周辺のクロマチン環境によらず外来遺伝子は一定の発現量を示すことが知られている。この性質を利用し、新たなインシュレーターモデルショウジョウバエの作出を行った。インシュレーターはショウジョウバエ唾液腺染色体において染色体番地87Aに位置するインシュレーター配列scs及びscs'を使用した。インシュレーターの外側にはGFP及びYFP遺伝子を、インシュレーター内側にはmRFP遺伝子を配置し、これら発現した蛍光タンパク量をクロマチン状態の指標とした。この人工遺伝子配列をショウジョウバエゲノムに挿入し、人工遺伝子がユークロマチン、ヘテロクロマチン、クロマチンバウンダリーにそれぞれ挿入された系統を数種取得した。次に、これら系統において3種の蛍光強度を比較したところ、インシュレーター外側のGFP及びYFPはユークロマチンでは蛍光強度が強く、ヘテロクロマチン及びクロマチンバウンダリーでは蛍光強度が減弱していた。一方、インシュレーター内側のmRFPはどの系統においても蛍光強度に変化は認められなかった。したがって、インシュレーターによるクロマチン高次構造評価系を構築できたと判断し、これらショウジョウバエ系統を用いてクロマチン高次構造調節因子の探索に着手した。 第3章 クロマチン高次構造調節因子の同定と機能解析 次に、scs,scs'インシュレーター機能に対するRNAサイレンシング装置の制御機構を明らかにする目的で、構築したインシュレーターモデルショウジョウバエと複数のRNAサイレンシング装置遺伝子変異体とをかけ合わせた。その結果、siRNA経路に関与するDcr-2及びAgo2の遺伝子欠損によりインシュレーター内側のmRFP蛍光強度が増加した。Dcr-2はRNase IIIドメインを持ち、dsRNAを切断する活性を有する。Ago2はDcr-2で切断された21ntのsiRNAと結合し、標的RNAの分解を行うRISC complexに取り込まれる因子である。これらの報告より、scs及びscs'インシュレーターはDcr-2及びAgo2を介したsiRNA経路によってインシュレーター間のクロマチン状態を抑制化していることが推測された。 第4章 siRNA経路を介したクロマチン高次構造調節機構の解析 次に内因性scs,scs'インシュレーターのクロマチン高次構造調節機能がDcr-2,Ago2により制御されるかを唾液腺染色体で検討した。染色体番地87Aではheat shock依存的なpuffが形成されるため、scs,scs'インシュレーターがHS puff形成に構造制御する可能性が考えられた。一般的にHS puffはユークロマチン状態として定義されている。Wild typeでは37℃、30分のheat shockで形成されたpuffは、室温で30分経過すると委縮していく。この際、Dcr-2に対する抗体を用いて、唾液腺染色体を免疫染色したところ、HS puff領域に局在が認められた。一方、Dcr-2遺伝子欠損変異体は、HS puffの委縮が遅いことが判明した。また、Ago2過剰発現変異体では、HS puff形成が阻害されることが判明した。次にDcr-2及びAgo2遺伝子欠損変異体よりRNAを抽出し、 HS puff内に位置するhsp70遺伝子のmRNA発現量をNothern blottingによって検討した。その結果、Wild typeにおいてheat shock後、室温2時間経過するとhsp70 mRNAは減少するが、Dcr-2及びAgo2遺伝子欠損変異体はともにheat shock後、室温2時間経過してもhsp70 mRNAの減少は認められなかった。以上の結果より、内因性scs,scs'インシュレーターはDcr-2、Ago2によるsiRNA経路を介してHS puff内のユークロマチン化を阻害し、hsp70発現を抑制することが示唆された。 第5章 クロマチンバウンダリー領域におけるnon-coding RNAの同定とその機能解析 インシュレーターによるクロマチン高次構造調節機構にsiRNAが機能する可能性が強く示唆されたことより、scs,scs'インシュレーターの機能に関与するsiRNAの探索を試みた。そこで、インシュレーターよりnon-coding RNAが転写されsiRNAとなり機能する可能性を考え、scs及びscs'由来転写産物の同定を試みた。ショウジョウバエ培養細胞および3齢幼虫よりRT-PCRを検討した結果、scs及びscs'由来転写産物が検出された。scs由来転写産物は恒常的に転写されているのに対し、scs'転写産物はheat shock依存的に増加することが確認された。次に、RACE法を用いて、それら転写産物の配列を決定した。scs由来転写産物は350bp、scs'由来転写産物は420bpであり、ともにnon-coding RNAであった。また、siRNAはdsRNAから産生されることを考慮し、dsRNAのみから作成したcDNAを用いてRT-PCRを行ったところ、scs及びscs'由来dsRNAが検出された。よって、scs及びscs'よりsiRNA前駆体であるdsRNAが産生されることが示唆された。さらに、scs' dsRNAを過剰発現するトランスジェニック系統を作出し、その個体においてHS puffの形成について検討したところ、scs' dsRNA過剰発現によってHS puffの形成が抑制されることが判明した。この際、scs'dsRNAはDcr-2,Ago2によりsiRNAになると予測される、scs'インシュレーターはheat shock依存的にsiRNA経路を介しheat shockによるユークロマチン化を抑制することが考えられた。 第6章 総合討論 本研究では、新規インシュレーターモデルショウジョウバエを用いた分子遺伝学的探索ならびに内因性インシュレーターの遺伝学的機能解析を試みた。その結果、Dcr-2,Ago2を介してインシュレーター両者間の領域において抑制的にクロマチン高次構造を調節することが判明した。通常、インシュレーター間の領域は転写反応が起きており、ユークロマチンと考えられる。従って、インシュレーターがユークロマチン化に対して抑制的に機能することが示唆された。また、内因性scs'インシュレーターが87A HS puff領域においてユークロマチン化を解消することが示唆された。NHS状態においても、87A HS puff領域に存在するhsp70遺伝子プロモーターにはRNAPIIがポージングしていることから、NHS状態において87A HS puff領域はユークロマチン化していると考えられる。従って、内因性scs'インシュレーターはHSによる積極的なユークロマチン化を解消し、通常のユークロマチン状態にする機能があると推測される。これらを踏まえると、ユークロマチンは転写活性化の程度別にさらに分類することが可能であり、インシュレーターはそのように分類されるユークロマチン状態を時期特異的に調節すると考えられた。従って、インシュレーターはユークロマチン依存的境界調節機能を有していると考えられる。 さらに、scs'インシュレーターのユークロマチン依存的境界調節機能はscs'由来dsRNAがトランスに働き発揮されることが示唆された。これまでnon-coding RNAやsmall RNAの一種であるpiRNA結合因子piwiによるヘテロクロマチン形成・維持機構の解析により、non-coding RNAのゲノム内特定DNA領域認識がヒストン修飾酵素やヘテロクロマチン形成因子のリクルートを規定することが示唆されている。従って、scs'インシュレーター由来dsRNAがヒストン修飾酵素や既知クロマチン構造調節因子をインシュレーター領域へ呼び込むことで、scs'インシュレーターのユークロマチン依存的境界調節機能が発揮されると推測される。 以上、本研究ではインシュレーターモデルショウジョウバエを用いた分子遺伝学的探索によりクロマチン高次構造調節機構を担う新たな因子を同定し、最終的にインシュレーターによるユークロマチン依存的境界調節機能という新たな概念を提唱した。 | |
審査要旨 | クロマチン高次構造は転写反応を時空間的に制御することが知られている。クロマチン構造はユークロマチン、ヘテロクロマチン、両者の境界であるクロマチンバウンダリーの3種類に大別される。現在までに、クロマチン高次構造調節因子が多く知られているが、これら因子のみでは、クロマチン高次構造調節機構全貌を理解することは不可能である。本論文では、クロマチンバウンダリーを規定するDNA配列インシュレーターに着目し、ショウジョウバエ分子遺伝学的手法を用いることで、新規クロマチン高次構造調節因子の探索を試みている。 第一章の序論に続き、第二章では、ショウジョウバエを用いて新規インシュレーターモデルショウジョウバエの作出を試みている。この新規インシュレーターモデルショウジョウバエは、蛍光タンパク質の発現強度を指標にクロマチン状態が評価可能な系である。作出したインシュレーターモデルショウジョウバエにおいて、外来性インシュレーターがクロマチンバウンダリーを構築することを確認している。この新規インシュレーターモデルショウジョウバエの特徴として、二点挙げられる。第一の特徴はインシュレーター配列として、scs,scs'を用いていることである。scs,scs'はショウジョウバエ唾液腺染色体で観察されるユークロマチン領域heat shock puffの境界領域に位置する。従って、新規インシュレーターモデルショウジョウバエを用いて分子遺伝学的手法により見出された未知クロマチン高次構造調節因子の生体内解析が、heat shock puffの形態観察により可能となっている。第二の特徴は既存の系では評価できないクロマチンバウンダリーに隣接したヘテロクロマチン状態を評価できることである。このことにより、インシュレーターのユークロマチン及びヘテロクロマチンに対する制御を同時に評価することが可能となった。 第三章では、作出された新規インシュレーターモデルショウジョウバエを用い、新規クロマチン高次構造調節因子の分子遺伝学的探索を試みている。特に近年、ヘテロクロマチン調節機構との関与が示唆されているRNAサイレンシング装置に着目することで、新規クロマチン高次構造調節因子Dcr-2及びAgo2を見出すことに成功している。ショウジョウバエ唾液腺染色体でのheat shock puffを用いた解析により、Dcr-2はheat shock puffに存在し、Dcr-2及びAgo2がheat shock刺激後のpuff弛緩を促進することが示された。また、heat shock puff領域に存在するhsp70遺伝子mRNAの経時的変化の検討により、heat shock後、Dcr-2及びAgo2がhsp70遺伝子発現を抑制することが示している。従って、Dcr-2及びAgo2がインシュレーターによるクロマチンバウンダリー制御を介して、HS後のpuff弛緩を促進することを示唆した。 第四章では、scs,scs'インシュレーター配列よりnon-coding RNA (ncRNA)が転写されていることを見出している。scs ncRNAは恒常的に発現する。一方、scs' ncRNAはheat shock依存的に発現量が増加していることを見出した。また、RT-PCR及びin situ法によりこれらncRNAは二本鎖RNAであることが示された。次に、Ago2抗体を用いた免疫沈降によって、scs' ncRNAはlong form RNAとして存在することが示されている。さらに、scs' ncRNAのトランスジェニックショウジョウバエを作出し、唾液腺染色体でのheat shock puff形成を観察した結果、scs' ncRNAはheat shock puff形成を阻害し、puffの境界にヘテロクロマチン領域が出現することが示された。以上の知見から、scs' ncRNAはインシュレーターのクロマチンバウンダリー形成を抑制化し、HS後のpuff弛緩を促進することが推察している。 第五章では、上述の結果を踏まえ、scs' ncRNAによるクロマチンバウンダリー構造調節の分子機構について議論している。 本論文では、インシュレーターによるクロマチンバウンダリー制御機構に着目し、ショウジョウバエ分子遺伝学的手法を駆使し、インシュレーター由来ncRNAを見出すことに成功している。従って、これらの成果は、新規クロマチン高次構造調節機構の存在を示唆するものであった。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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