学位論文要旨



No 123573
著者(漢字) 寺島,農
著者(英字)
著者(カナ) テラシマ,ミノル
標題(和) 酵母浸透圧応答経路の新規活性化機構の解析
標題(洋)
報告番号 123573
報告番号 甲23573
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3277号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 准教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

細胞は、自身の恒常性を維持するために、外部環境からのストレスに対してさまざまな適応反応を有している。なかでも浸透圧ストレス応答は、あらゆる細胞に普遍的に認められるストレス応答反応である。酵母においても、浸透圧ストレスに応答して活性化される情報伝達経路が存在する。それがHOG(High Osmolarity Glycerol)経路である。HOG経路には、MAPキナーゼ(MAPK)であるHog1p、およびMAPKキナーゼ(MAPKK)であるPbs2pという、中心的な役割を担う2つの因子が存在する。高浸透圧ストレス下でHog1pはPbs2pによりチロシンおよびスレオニン残基のリン酸化を受けて活性化する。活性化したHog1pは核へ移行し、浸透圧ストレス耐性に必要な遺伝子群の転写を制御する。

一方、Pbs2pを活性化する機構は2つの独立した経路が担う(図)。一方のSln1p経路はMAPKKキナーゼ(MAPKKK)であるSsk2p、およびSsk2pと機能が重複したSsk22pが、His-Aspリン酸基リレー系の構成因子であるSsk1pに活性化されることにより、Pbs2pを活性化する。もう一方のSho1p経路はMAPKKKであるSte11pが、細胞膜アンカーSho1pにリクルートされることによりPbs2pを活性化する。

これまでHOG経路の活性化機構はこれら2つの経路以外は存在しないと考えられていた。なぜならこれら2つの経路が両方とも機能しない変異株であるssk1D ste11D二重破壊株は高浸透圧ストレス下で生育不良となり、さらにHog1pのリン酸化(活性化)が検出できなかったからである。本研究で私はHog1pの活性化を高感度に検出することにより、ssk1D ste11D二重破壊株でも高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pが活性化されることを見出した。そこで、この活性化がどのようにして起こっているのか、その活性化機構を解析した。

HOG経路の新たな活性化機構「Input」の発見

これまでにssk1D ste11D二重破壊株では、高浸透圧ストレス刺激に依存したHog1pの活性化は検出されていなかったものの、活性化されたHog1pによって転写誘導される浸透圧応答遺伝子群が誘導されることが知られていた。そこでssk1D ste11D二重破壊株では本当に高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pが活性化されないのかどうか確かめるため、レポーターアッセイおよび高感度な発光試薬を用いたウェスタン解析により、Hog1pの活性化の検出を試みた。その結果、野生株より一過的で弱いものの、活性化されたHog1pがはっきりと検出された。さらにssk1D ste11D二重破壊株は、野生株より生育は悪いものの、hog1D破壊株が全く生育できない高浸透圧培地で生育できた。よってssk1D ste11D二重破壊株では高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pが活性化され、その活性化が細胞の高浸透圧耐性に寄与することが示唆された。ssk1D ste11D二重破壊株において高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pを活性化する機構を以後「Input」、ssk1D ste11D二重破壊株をInputのみによってHog1pが活性化される株という意味で「Input株」と呼ぶ。

次にSsk1pおよびSte11pより下流に位置するHOG経路の構成因子Ssk2p、Ssk22pおよびPbs2pがInputによるHog1pの活性化に必要であるかどうか調べた。Input株のSSK2またはPBS2を破壊すると高浸透圧ストレス刺激に依存したHog1pの活性化は検出されず、かつ高浸透圧培地で生育できなかった。また、Input株のSSK22を破壊しても高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pの活性化が検出され、かつ高浸透圧培地で生育できた。以上より、InputによるHog1pの活性化にSsk22pは必要なく、Ssk2pおよびPbs2pが必要であることが示された。しかし、InputによるHog1pの活性化に必要なSsk2pの機能はSsk22pの過剰発現により抑圧されることから、Inputに対するSsk2pとSsk22pの機能の違いは定量的なものであることが示唆された。

Inputの分子機構の解析

これまでの結果からInputが高浸透圧ストレス刺激に依存してHog1pを活性化する機構として2つの可能性が考えられた。1つはSsk2pおよびPbs2pを介してHog1pを活性化する機構、もう1つは通常の浸透圧条件下ではHog1pの活性を低く抑えている負の制御因子を高浸透圧ストレス刺激依存的に不活性化することによりHog1pを活性化する機構である。高浸透圧ストレス刺激にさらされたInput株より精製したPbs2pのキナーゼ活性が亢進していたことから、前者の機構が存在することが示唆された。さらに恒常的活性化型であるPbs2DDpもしくはSsk2DNpを発現させたInput株でも、高浸透圧ストレス刺激に依存したHog1pの活性化が検出できたことから、後者の機構も存在することが示唆された。以後、前者の機構を「Input 1」、後者の機構を「Input 2」と呼ぶこととする(図)。

Inputの分子機構を明らかにするため、InputによるHog1pの活性化がおこらない「Input欠損株」を以下のようにして探索した。Input株に変異原EMS処理した約40,000クローンより、高浸透圧培地で生育できない409クローンの変異株を取得した。さらにこれらの変異株より高浸透圧ストレス刺激に依存したHog1pの活性化がおこらないInput欠損株4クローンを得た。これら4クローンのうち3クローンの原因遺伝子は、取得されると予想されたSSK2およびPBS2であった。もう1クローンは二重変異株で、原因遺伝子の1つはユビキチンリガーゼであるRsp5pであった。よってRsp5pがInputに関与している可能性が示唆された。

恒常的活性化型変異体であるPbs2DDp によるHog1pのリン酸化が、高浸透圧ストレス刺激に応答して亢進することから、Input 2の分子機構にはHog1pの主な負の制御因子であるチロシンホスファターゼPtp2p、またはセリン/スレオニンホスファターゼPtc1pが関与していると考えられた。そこでInput株のPTP2もしくはPTC1を破壊した株でInputによるHog1pの活性化に影響があるかを調べたが顕著な差は見られなかった。よって他のホスファターゼの不活性化がInput2によるHog1pの活性化に関与している可能性が示唆された。

まとめおよび今後の展望

以上より、新たなHog1pの活性化機構、Inputが存在することを示した。またInputによるHog1pの活性化にSsk2pおよびPbs2pが必要であることが示された。さらにその機構はSsk2pおよびPbs2pを介してHog1pを活性化する機構であるInput 1と、通常の浸透圧条件下ではHog1pの活性を低く抑えているホスファターゼを高浸透圧ストレス刺激依存的に不活性化することによりHog1pを活性化する機構であるInput 2の2つが存在することが示唆された。HOG経路に関する既知の情報を考え合わせると、Inputの生理的意義として2つのモデルが予想される。1つは未知の浸透圧センサーが高浸透圧を検知し、Hog1pを活性化するというモデル、もう1つはHOG経路以外のMAPK経路が経路同士の混線を防ぐためにHog1pを活性化するというモデルである。今後、Inputの分子機構の詳細を解明することで、その生理的意義を明らかにすることができると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

細胞は、自身の恒常性を維持するために、外部環境からのストレスに対してさまざまな適応反応を有している。単細胞生物である酵母において、浸透圧ストレスに応答して活性化される情報伝達経路としてHOG(High Osmolarity Glycerol)経路が知られている。HOG経路においては、MAPキナーゼ(MAPK)であるHog1pが中枢の構成因子として機能し、その活性化は浸透圧ストレス下における酵母の生育に必須である。これまでにHOG経路の活性化機構は既知の2つの機構以外は存在しないと考えられてきた。本研究ではHog1pの活性化を従来よりも高感度に検出することにより、新たな活性化機構を見出し、その活性化がどのようにして起こっているのかを調べている。

序論では、研究の背景と目的を述べている。まず、HOG経路における既知の2つの活性化機構であるSln1p経路およびSho1p経路に関して分かっていることを述べた後、経路の活性化がどのようにして浸透圧ストレス下における酵母の生育に寄与しているのかについてその分子機構に触れている。次に、細胞が浸透圧ストレスに適応した後の経路の不活性化について、プロテインホスファターゼによる機構を中心に説明している。さらに、経路が特異的に機能するためにそれを保障する機構がいくつか知られているが、それらに関して述べている。最後に、本研究の目的である新たな活性化機構を調べることになった経緯を述べている。

結果では、まず既知の2つの活性化機構が機能しない変異株であるSSK1 STE11二重破壊株でも、浸透圧ストレス依存的にHog1pが活性化されることを示している。これはこの変異株が浸透圧ストレス耐性を示し、さらにHog1pの活性をモニターするためのレポーター遺伝子、および従来よりも高感度な検出試薬を用いたウエスタン解析により、Hog1pの活性化を検出できたという結果に基づいている。続いて、この活性化にMAPKキナーゼ(MAPKK)であるPbs2pおよびMAPKKキナーゼ(MAPKKK)であるSsk2pが必要であることを示した後、2つのモデルを提案し、検証している。1つは、浸透圧ストレスに応答したSsk2pおよびPbs2pの活性化を介してHog1pが活性化されるとするモデルで、これを支持する結果として、in vitroキナーゼアッセイによりPbs2pがストレス依存的に活性化されることを見出している。もう1つは、Hog1pを不活性化するプロテインホスファターゼが、浸透圧ストレスに依存して阻害されることによりHog1pが活性化されるとするモデルで、このモデルを支持する結果として、浸透圧ストレス依存的に活性が変化しない活性化型Pbs2p変異体を導入しても、Hog1pの活性化が浸透圧ストレスに依存して起こることを見出している。これらの結果は、これら2つのモデルに相当する活性化機構がいずれも存在していることを示唆している。

次に、この新たに見出した活性化機構の構成因子を探索している。まず、HOG経路の構成因子や浸透圧応答関連因子から候補となる因子を推定して、それらが活性化機構に必要かどうかを各遺伝子の破壊株を作製して調べている。1つめのモデルに関しては、既知の活性化機構においてSsk2pを活性化するために必要なドメインと相同な領域をもつSln1p、もしくはSkn7pを候補因子として考えている。さらにこれまでの知見からSsk2pの活性化に関与している可能性が考えられたpolarisomeの構成因子も1つめのモデルの候補因子として考えている。また2つめのモデルのプロテインホスファターゼに関してはHog1pの主な負の制御因子であるチロシンホスファターゼPtp2p、またはセリン/スレオニンホスファターゼPtc1pを候補因子として考えている。しかし、いずれも活性化機構には必要ではなかった。

そこで、浸透圧ストレス依存的にHog1pが活性化されない変異株を、高浸透圧感受性とHog1p活性化の消失を指標にスクリーニングし、約40,000クローンから新規遺伝子の変異株を1クローン取得している。この変異株は多重変異によるものであることを明らかにし、その原因遺伝子をクローニングすることにより、原因遺伝子の一つがユビキチンリガーゼRsp5pをコードするものであったと結論付けている。

最後に考察で、浸透圧ストレスに依存したHog1pの活性化にRsp5pが関与する機構と、このHog1pの活性化の生理的意義に関して考えられることをいくつか提案し、論じている。

以上、本研究では、これまでに報告されていないHog1pの新たな活性化機構を見出している。この機構は、真核生物で高度に保存されているストレス応答性MAPK経路の活性化機構に関してより深い知見を提供するものと考えられ、学術上または応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものとして認めた。

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