学位論文要旨



No 123575
著者(漢字) 馬場,敦史
著者(英字)
著者(カナ) ババ,アツシ
標題(和) 胆汁酸受容体を介した絶食シグナル伝達を担う新規転写制御複合体の解析
標題(洋)
報告番号 123575
報告番号 甲23575
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3279号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 教授 後藤,由季子
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

高等真核生物における遺伝子発現制御は、DNA結合性の転写制御因子と、ヒストン修飾酵素複合体やATP依存性クロマチンリモデリング因子複合体等の転写共役因子複合体群との協調的な作用によるクロマチン構造変換を介して行われる。

このようなクロマチン制御機構の中で、ヒストンN末端配列の可逆的な翻訳後修飾は転写活性化状態・抑制状態の形成・維持において重要である。このような翻訳後修飾として、アセチル化、メチル化、リン酸化、ユビキチン化が知られており、中でも、H3リジン残基4番目(H3K4)のメチル化は遺伝子発現を活性化、H3K9やH3K27のメチル化は遺伝子発現を抑制する。これまでヒストンメチル化は不可逆的な修飾であると考えられてきたが、近年、JmjC domainがヒストン脱メチル化酵素活性を有する事が報告された。これらヒストン修飾を担う酵素群は一般に単一分子ではなく複合体として機能する事が知られている。複合体構成因子の違いがヒストン修飾の標的遺伝子特異性、基質特異性、組織特異性を規定していると考えられている。しかし、これら複合体群を介したヒストン修飾のシグナル依存的制御機構及び生物現象における意義に関しては不明な点が多く残されている。

遺伝子発現制御は代謝調節や飢餓応答といった生物現象において重要な役割を果たしている。代謝調節に関わる転写制御因子として胆汁酸受容体(FXR ; Farnesoid X Receptor)が知られている。FXRは胆汁酸等をリガンドとする核内受容体型転写制御因子であり、リガンド依存的に認識配列に結合、転写共役因子複合体をリクルートする事で、標的遺伝子群の発現を誘導する。胆汁酸はコレステロールの主要な排出形態であり、胆汁酸・コレステロール代謝恒常性はFXRにより厳密に制御されている。すなわち、FXRは肝細胞内胆汁酸濃度が上昇すると、抑制型の転写因子SHP (Small Heterodimer Partner)の発現を誘導する事で、コレステロールからの胆汁酸合成の律速酵素CYP7A1の発現を抑制する。

FXRの転写活性化能は胆汁酸濃度のみならず、栄養状態によっても制御される事がマウス個体において示されている。すなわち、FXRは絶食時に活性化し、肝臓においてSHPの遺伝子発現を誘導する。しかしながら、絶食シグナル依存的なFXRの機能を仲介する転写共役因子複合体はこれまでに知られていない。

そこで、本研究では、生化学的な手法を用いてFXR新規転写共役因子複合体の精製、同定を行い、FXRによる絶食シグナル依存的なクロマチン転写制御機構の解明を試みた。

第二章 FXR新規転写共役因子複合体の精製

代謝調節系において中心的な役割を果たす組織である肝臓細胞におけるFXR相互作用因子複合体の同定を試みた。その為の材料として肝臓癌由来細胞株HepG2を用いる事とし、その細胞核抽出法を確立した。FXR相互作用因子複合体を精製する為のbaitとして、GST融合FXR (DE領域)再構築タンパク質を用いた。HepG2細胞核抽出液をGST-FXR(DE)とコンタクトする事でFXRと相互作用する複合体群を得た。更に、これら複合体群をグリセロール密度勾配遠心法を用いて、分子量により分離した。その結果、GST-FXR(DE)が分子量約500 kDaの複合体を形成している事が判明した。MALDI-TOF/MSによる解析の結果、この複合体の中から、新規因子PHF2 (plant homeodomain finger protein 2)、及びARID5Bα/β (AT rich interactive domain containing protein 5B α/β)を同定した。PHF2は、ヒストン脱メチル化活性を有する可能性のあるJmjC domain、タンパク質間相互作用domainでありメチル化ヒストン認識が報告されているPHD fingerを有するが、その機能は不明である。また、ARID5Bα/βは、DNA結合性のAT rich interactive domain (ARID)を有する機能未知因子である。両者は肝臓を含む広範な組織において発現が確認された。

免疫沈降及びGST pull-down assayにより、FXR、PHF2、ARID5Bが直接結合により複合体を形成する事が明らかとなった。更に、luciferase assay及びRT-PCRの結果、PHF2はリガンド非依存的にFXRの転写活性化能を促進した。

以上の結果より、PHF2/ARID5BがFXRの転写活性化能を促進する新規転写共役活性化因子複合体である事が判明した。

第三章 PHF2/ARID5B複合体の機能解析

(第一節) PHF2/ARID5B複合体はglucagon依存的ヒストン脱メチル化酵素である

PHF2の転写共役活性化因子としての分子機構解明を試みた。PHF2がJmjC domainを有している事から、ヒストン脱メチル化活性を検討した。その結果、in vitro系、及びin vivo系においてPHF2がヒストンH3K9-Me2の脱メチル化酵素活性を有している事を見出した。更に、JmjC domainを欠いた変異体PHF2を用いた解析から、PHF2によるFXR活性化はヒストン脱メチル化活性を介している事が示された。

PHF2がリガンド非依存的にFXR転写活性化能を促進した事から、PHF2が胆汁酸以外のシグナルを受けてFXRを活性化する可能性が考えられた。そこで、絶食時に放出されるホルモンであるglucagonの影響について検討した。luciferase assayの結果、glucagonによりFXR転写活性化能は促進され、この作用はRNAi法を用いたPHF2又はARID5Bのknock downにより消失した。また、細胞内でglucagon依存的にPHF2/ARID5B/FXR複合体が形成される事、PHF2/ARID5Bのヒストン脱メチル化活性がglucagonにより増強される事が示された。更に、ChIP assayにおいて、この複合体がglucagon依存的にFXR標的遺伝子であるSHP及びPEPCK (Phosphoenolpyruvate Carboxykinase) promoterにリクルートされ、それに伴いヒストンH3K9-Me2が消失する事が見い出された。以上の結果より、PHF2/ARID5Bがglucagon依存的に複合体を形成し、ヒストン脱メチル化を介してFXR転写活性化能を促進する事が示された。

(第二節) PHF2/ARID5B複合体のglucagonシグナル受容分子機構の解析

PHF2/ARID5B複合体がglucagonに応答する分子機構の解明を試みた。glucagonの下流シグナルとしてcAMP/PKAシグナルが知られている。実際に、glucagonによるFXR転写活性の促進作用はPKA阻害剤により消失した。そこで、PKAに着目して検討したところ、PHF2のC末端領域の4箇所のSer残基がPKAによりリン酸化される事を見出した。このPKAリン酸化部位点変異体を用いた解析から、glucagon/PKAによるPHF2のリン酸化が、PHF2/ARID5B複合体のpromoter結合及びFXR転写活性促進能に必須である事が示された。

更に、PHF2の脱メチル化酵素活性がPHF2/ARID5B複合体のSHP promoter結合に必須である事が明らかとなった。ARID5BのDNA結合ドメインであるARIDドメイン内の保存されたK336周辺配列がヒストンH3K9に類似していた為、PHF2がARID5Bを脱メチル化する可能性についてARID5B K336点変異体及び抗メチル化リジン抗体を用いて検討した。その結果、ARID5B K336が細胞内においてメチル化されており、PHF2及びglucagon依存的に脱メチル化される事を見出した。更に、ARID5B K336の脱メチル化がPHF2/ARID5B複合体のSHP promoter結合を誘導する事が示唆された。

以上の結果より、以下のモデルが提唱された。glucagon/PKAによりリン酸化されたPHF2はARID5Bと会合してそのK336を脱メチル化し、PHF2/ARID5B/FXRの標的遺伝子promoter結合を誘導する。PHF2/ARID5BはヒストンH3K9-Me2の脱メチル化を介して、FXR標的遺伝子の発現を誘導すると考えられる。

第四章 PHF2高次機能解析の試み

次に、PHF2の生体内における機能を検討した。マウスを絶食後、肝臓における遺伝子発現をRT-PCRにより調べたところ、FXR標的遺伝子SHP及びPEPCKの発現が絶食によりリガンド投与と同様に上昇する事が確認された。また、マウス肝臓を用いたin vivo ChIP assayの結果、これら遺伝子promoterにPHF2が絶食依存的にリクルートされる事が示された。以上の結果から、絶食時における胆汁酸代謝制御にPHF2が関与している事が示唆された。

最後に、PHF2の生体内における機能を解析する為、PHF2遺伝子欠損マウスの作出を試みた。全身性の遺伝子欠損マウスが胎生致死となる可能性がある為、組織特異的な遺伝子欠損マウスの作出が可能なCre-loxPシステムを用いたコンディショナル遺伝子欠損マウスの作出を目指した。機能domainであるJmjC domainを含むexon6-exon9の両端にloxP配列を挿入したtargeting vectorを作製する事とした。BACを用いた大腸菌内での相同組み換え法により、3'側のloxP配列の挿入及びretrievingに成功した。現在、最終段階の5'側のloxP配列の挿入を行っている。今後、相同組み換え体を取得して遺伝子欠損マウスを作出し、機能解析する予定である。

第五章 総合討論

本研究において、FXRと相互作用する核内複合体精製系を確立し、肝臓由来細胞からFXR転写共役活性化因子複合体として、新規ヒストン脱メチル化酵素PHF2/ARID5B複合体を生化学的に同定した。これまでに単一分子としてのみ報告されていたヒストン脱メチル化酵素が複合体として機能する事を証明した。更に、ヒストン脱メチル化酵素活性がシグナル依存的な複合体構成因子間の機能制御を介し発揮される事を明らかにした。

本研究において、絶食応答という生理現象の分子機構を、転写共役因子複合体によるエピジェネティック制御という視点から明らかにした。近年、絶食・摂食等の栄養応答機構が遺伝子発現制御レベルで解析されているが、このような栄養応答を仲介するクロマチン制御因子複合体に関しては不明な点が多い。本研究では、絶食応答時の胆汁酸代謝制御におけるFXR活性化シグナルとしてglucagonシグナルを見出した。更に、glucagonシグナル依存的なFXR転写共役活性化因子としてPHF2/ARID5B複合体を同定し、この複合体がglucagonシグナルと胆汁酸シグナルのクロストークを仲介する事を明らかにした。

更に、本研究ではPHF2/ARID5Bがglucagon依存的ヒストン脱メチル化酵素である事を見出した。近年、ヒストン脱メチル化が、核内受容体の転写活性のリガンド依存性を規定する事が報告され、その重要性が明らかになりつつある。しかしながら、ヒストン脱メチル化酵素のシグナル依存的な制御に関してはこれまで不明であった。PHF2/ARID5Bの複合体形成及び標的遺伝子におけるヒストンH3K9-Me2脱メチル化酵素活性はglucagon依存的である事を示した。本研究は、シグナル依存性ヒストン脱メチル化酵素を初めて報告するものである。

また、本研究では、PHF2/ARID5B複合体のシグナル受容機構として、PHF2が複合体構成因子ARID5Bを脱メチル化するという、複合体内での脱メチル化反応による活性調節がglucagonシグナルセンサーとなっている事を見出した。本研究は、JmjC domainを有する脱メチル化酵素のヒストン以外の基質を初めて報告するものである。ヒストン脱メチル化酵素群の中には、JmjC domainとARID domainの両者を同一分子内に有するタンパク質が多く存在する。考え合わせると、PHF2/ARID5B複合体は、これらdomainを別々のタンパク質内に有する事により、複合体形成を介したシグナル応答性を獲得したと考えられる。

以上、本研究では、シグナル依存的なヒストン脱メチル化酵素複合体を同定し、絶食シグナル応答という生物現象の分子基盤の一端を転写制御複合体レベルで明らかにした。

1)Ohtake, F., Baba, A., Takada, I., Okada, M., Iwasaki, K., Miki, H., Takahashi, S., Kouzmenko, A., Nohara, K., Chiba, T., Fujii-Kuriyama, Y., and Kato, S. Nature, 446, 562-566 (2007)
審査要旨 要旨を表示する

生物は、絶食・摂食等の栄養状態変化に応答し、代謝を調節する。このような絶食・摂食応答の一端は遺伝子発現レベルで制御されるが、クロマチン構造調節レベルでの分子基盤に関しては不明な点が多い。胆汁酸代謝調節を担う転写制御因子である胆汁酸受容体FXRのリガンドは胆汁酸であり、絶食時においてその機能が活性化される事が知られている。しかし、絶食によるFXR機能亢進を仲介する転写共役因子複合体は未だ同定されていない。本研究では、FXR新規転写共役因子複合体を生化学的手法により精製、同定し、FXRによる絶食シグナル依存的なクロマチン構造調節を介した転写制御機構の解明を試みている。

第一章の序論に続き、第二章では、肝臓由来細胞株(HepG2)からFXR新規相互作用因子複合体の同定を試みている。HepG2細胞株の細胞核抽出液より、GST-FXR及びグリセロール密度勾配遠心法を用いた精製を行い、機能未知因子PHF2及びARID5Bから成るFXR新規複合体を同定した。PHF2はヒストン脱メチル化酵素活性を有する可能性のあるJmjCドメイン、またARID5BはDNA結合性のARIDドメインを有する。両者は肝臓を含めた広範な組織において発現している事が示された。また、PHF2、ARID5B、FXRはリガンド非依存的に直接結合を介して複合体を形成し、更に、PHF2はリガンド非依存的にFXR転写活性化能を促進する事が見出された。

第三章では、PHF2/ARID5B複合体の機能解析を行っている。まず、PHF2のヒストン脱メチル化活性を、in vitro及びin vivoでのassay系を構築し検討している。その結果、PHF2がヒストンH3K9me2脱メチル化活性を有している事を明らかにした。更に、PHF2によるFXR転写活性の促進は、ヒストン脱メチル化活性を介している事を示している。

次に、PHF2/ARID5Bを制御する上流シグナルについて検討している。その結果、glucagonによりFXR転写活性が促進される事が見出され、PHF2又はARID5Bのknock downによりこの効果が消失する事が示された。また、細胞内でglucagon依存的にPHF2/ARID5B/FXR複合体が形成される事、PHF2/ARID5Bのヒストン脱メチル化活性がglucagon依存的である事が示されている。更に、PHF2/ARID5Bはglucagon依存的にFXR標的遺伝子プロモーター上にリクルートされ、それに伴ってヒストンH3K9me2が消失する事が見出された。

次に、PHF2/ARID5Bによるglucagonシグナル受容機構に関して検討している。その結果、glucagonによるFXR活性化はPKAシグナルを介している事が示された。また、PHF2がPKAによりリン酸化される事、このリン酸化がPHF2/ARID5Bのpromoter結合及びFXR転写活性の促進に必須である事が明らかとなった。

更に、PHF2の脱メチル化活性が複合体のpromoter結合に必須であった事から、PHF2がARID5Bを脱メチル化する可能性について検討している。その結果、ARID5B K336が細胞内においてメチル化されており、PHF2及びglucagon依存的に脱メチル化される事が示された。更に、ARID5B K336の脱メチル化がPHF2/ARID5Bのpromoter結合を誘導する事が明らかとなった。以上の結果より、glucagon/PKAによりPHF2がリン酸化されるとARID5Bと複合体を形成し、そのリジン残基を脱メチル化する事で複合体によるプロモーター結合が誘導される事が示された。

第四章においては、PHF2の生体内における機能について検討している。絶食下のマウス肝臓ではFXR標的遺伝子SHP及びPEPCKの発現が誘導される事が示された。更に、これら遺伝子プロモーター上にPHF2がリクルートされる事が明らかとなった。

最後に、PHF2遺伝子欠損マウスの作出を試みている。組織特異的な遺伝子欠損が可能なCre-loxPシステムを用いたコンディショナル遺伝子欠損マウスの作出を目指している。BACを用いた大腸菌内での相同組み換え法によりtargeting vectorを作製し、最終段階の前段階まで完了している。

本論文では、肝臓由来細胞からFXR転写共役活性化因子複合体として、新規ヒストン脱メチル化酵素PHF2/ARID5B複合体を生化学的に同定した。更に、絶食応答という生理現象の分子基盤の一端を、転写共役因子複合体によるエピジェネティック制御という視点から明確化している。従って、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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