学位論文要旨



No 123577
著者(漢字) 若尾,正示
著者(英字)
著者(カナ) ワカオ,セイジ
標題(和) Azorhizobium caulinodansリポ多糖の構造が根粒形成に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 123577
報告番号 甲23577
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3281号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 日高,真誠
 東京大学 准教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

序章

根粒菌は、マメ科植物に根に共生し根粒を形成し、大気中に含まれる分子状窒素をアンモニアへと還元し植物へと供給している。窒素は作物を栽培する上で重要な肥料成分であるが植物は根を通して土壌中からのみ吸収する。そのため、窒素肥料の農地への施用は必要不可欠である。しかし一方で、窒素肥料の化学合成には多大な化石エネルギーが消費されており、二酸化炭素の増加の一因となっている。また、土壌に施用された窒素肥料が河川や海水に流出し環境汚染を引き起こしている。このような現状において、根粒菌-マメ科植物が行っている共生窒素固定能を有効利用し、イネや小麦などのマメ科植物への共生窒素固定能の付与することは持続可能な農業システムを開発していく上で非常に重要な課題である。そのためには、根粒形成メカニズムの分子機構を明らかにすることが必要である。近年、根粒菌によって放出されるシグナル分子であるNodファクターの受容やそのシグナル直下にある伝達系など「共生初期過程」に位置づけられる初期シグナル伝達に関しては研究が進められてきた。一方で、初期シグナル伝達に引き続いて起こる根粒菌を植物細胞へと誘導する感染糸の形成、根粒組織形成、根粒菌の植物細胞内への感染、共生特異的オルガネラ(シンビオソーム)形成、植物細胞内での根粒菌の窒素固定体であるバクテロイドへの形態変化、窒素固定能の発現など「共生成熟過程」における共生メカニズムの分子機構はほとんど解明されていない。そこで、本研究では共生成熟過程を微生物側の因子から解明していくことを目的とし、Azorhizobium caulinodans - Sesbania rostrata 共生系を用いて共生成熟過程における変異株のスクリーニングをし、そこから得られたリポ多糖 (LPS)変異株に着目して研究を行った。

1.A.caulinodans-S.rostrata 共生系を用いた共生成熟過程における根粒菌変異株のスクリーニング

本研究では、熱帯性マメ科植物であるS.rostrataとその共生菌であるA. caulinodansを実験材料とした。A. caulinodans-S.rostrata 共生系は、根だけではなく茎にも根粒様の茎粒という共生体を形成する。そのため、共生体が形成される過程を観察することに優れ、また、共生体が他のマメ科植物よりも大きいため、共生成熟過程で共生が破綻している変異株をスクリーニングするには適している。10,080株のA. caulinodans Tn5挿入変異株から数回のスクリーニング過程を経て108株のTn5 挿入変異株を選別した。その中から、リポ多糖 (LPS) 合成遺伝子にTn5が挿入されたと推定されたAo13-C11、Ao77-C9、Ao80-F4の3株が得られた。リポ多糖は、近年、根粒形成においてシグナル分子として働くことが報告されているが、その詳細な機能はほとんど解明されていない。そこで、本研究ではAo13-C11、Ao77-C9、Ao80-F4の3株とリポ多糖変異株としてすでに報告されているORS571-oac2の4株を比較することで、根粒菌リポ多糖の共生成熟過程への関与について研究を進めた。

2.LPS変異株の表現型解析

LPSは、グラム陰性細菌の膜表層に存在する糖脂質である。細胞膜状に存在するリピド A と呼ばれる脂質、外界に向けて存在している糖鎖であるO-抗原、リピドAとO-抗原をつなぐコア多糖の三つの部位からなる。さらに、コア多糖は、O-抗原につながるアウターコアとリピドAに結合しているインナーコアに分けられる。Ao13-C11、Ao77-C9、Ao80-F4のTn5挿入部位は、それぞれインナーコアの合成に関与する遺伝子、rfaF、rfaD、rfaE であると推定された。

光学顕微鏡を用いて変異株の茎粒切片を観察したところ、Ao13-C11は根粒菌感染細胞数が野生株よりも若干減少していた。一方、Ao77-C9、Ao80-F4の茎粒は、感染細胞が極端に減少し、感染細胞も野生型株のような感染細胞の伸長が観察されなかった。また、各変異株の形成する茎粒の窒素固定能を調べたところ、Ao13-C11は野生株と比較して約50%になっており、77-C9、80-F4の茎粒は窒素固定能をほとんど示さなかった。このことから、いずれの変異株も植物細胞には感染できるが、植物細胞への感染以降の根粒の成熟過程において共生が破綻していることが分かった。また、ORS571-oac2は、根粒菌を植物細胞へと誘導する感染糸の形成をするが、植物細胞には感染できないことがすでに報告されている。

一般的にグラム陰性細菌のリポ多糖インナーコアはヘプトースで構成されており、rfaD、rfaEはインナーコアのヘプトースの生合成、rfaFはインナーコアへのヘプトース付加に関与している。そのため、Tn5 変異株のリポ多糖は、インナーコアのヘプトースが欠損し、O-抗原及び、コア多糖が欠損したリポ多糖を有していると予測した。変異株のリポ多糖を抽出し、DOC-PAGEによってリポ多糖を解析した。野生株のリポ多糖はフェノール層からのみ抽出され、変異株に関しては水層からのみ抽出された。DOC-PAGE解析から変異株のリポ多糖は、野生株とは異なるバンドパターンを示し変異株のリポ多糖の構造が変化していることが分かった。ORS571-oac2を含め変異株のラフ型リポ多糖(コア多糖とlipid A部位)は、野生株のそれよりも分子量が小さくなっていることから変異株は、コア多糖の一部が欠損していることが分かった。しかし、予測とは異なり、Tn5変異株は、変異株の野生株に見られた最長鎖のO抗原をもつリポ多糖はなくなったが、ラダーバンドが見られ、糖鎖のついたリポ多糖が存在していることが分かった。また、各変異株は、それぞれ異なるリポ多糖をもつことが分かり、茎粒表現型が類似していたAo77-C9、Ao80-F4は同様なリポ多糖構造を持つことが分かった。

以上の結果から、リポ多糖の構造変化と茎粒形成過程の変異がリンクしていることが推定された。

3.変異株のリポ多糖構成糖の解析と電子顕微鏡による変異株の感染細胞内の観察

一般的に、大腸菌やサルモネラでは、rfaD、rfaE、rfaFに変異が入るとO抗原及び、コア多糖が欠損する。それに対して、Ao13-C11、Ao77-C9、Ao80-F4はコア多糖の一部が欠損したものの、なんらかの糖鎖を有したリポ多糖を持つことが分かった。そこで、さらに詳細に変異株のリポ多糖を解析した。

精製したリポ多糖に含まれる中性糖を、ガスクロマトグラフィーを用いて分析した。その結果、Tn5挿入変異株のリポ多糖のヘプトース含量が著しく減少していた。さらに、野生株で検出されたグルコース等が変異株では著しく減少していた。

これらの結果とDOC-PAGEの結果を踏まえると、A. caulinodans のリポ多糖は、一般的なグラム陰性細菌同様に、インナーコア部位にヘプトースを有していると考えられる。変異株のリポ多糖の構造を推察すると、Tn5変異株は、インナーコアのヘプトースが欠損していると考えられる。ORS571-oac2のリポ多糖はヘプトース含量に変化はないが、ラフ型リポ多糖の分子量が減少していることからアウターコア部位の糖が欠損していると考える。さらに、いずれの変異株も異常をきたしたO抗原を有していると考えられる。

これらの結果からTn5変異株及び、ORS571-oac2の植物細胞への感染能とリポ多糖構造を比較すると、リポ多糖のアウターコアが植物細胞への感染の際に、重要な役割を果たしていることが示唆された。

さらに、Ao13-C11の感染した植物細胞が、野生株に近い表現型を示したのに対して、Ao77-C9、Ao80-F4が感染した感染細胞は数も少なく、野生株のような伸長が見られない為、Ao13-C11とAo77-C9、Ao80-F4が形成する茎粒の差異を、電子顕微鏡を用いて解析した。その結果、Ao13-C11の感染細胞内には、正常な菌と肥大化し異常な形態をしたものが混在していた。Ao77-C9、Ao80-F4の感染細胞内には、正常なバクテロイドが観察されず、萎縮した菌や肥大化した菌に観察された。また、死滅した菌や巨大な液胞が観察された。これらは、Ao77-C9、Ao80-F4が植物細胞内で植物からの防御応答を受けている可能性を示唆しており、植物細胞内に侵入した後もリポ多糖が重要な働きをしている可能性が考えられる。一方で、Ao13-C11も含めTn5変異株は、ストレス状態に弱くなっていることから、植物細胞内で菌体を維持できない為に死滅している可能性も考えられる。

まとめ

本研究では、A.caulinodans変異株の大規模スクリーニングから得られた3株の変異株とリポ多糖変異株として報告されているORS571-oac2を比較することで、リポ多糖構造が根粒形成に及ぼす影響に着目して研究を行った。

A. caulinodans - S. rostrata 共生系においては、根粒菌が植物細胞内に感染する際に、リポ多糖のアウターコアが重要な役割を果たしていることが示唆された。また、細胞内でもリポ多糖が共生を成熟させる上で機能している可能性が見出された。

今後、A.caulinodansのリポ多糖構造を決定し、さらに詳細なリポ多糖の機能解析が必要である。また、他植物への窒素固定能の付加を実現するためにも根粒菌リポ多糖の植物側の認識機構を明らかにし、植物のリポ多糖受容体の発見が重要である。

審査要旨 要旨を表示する

マメ科植物と根粒菌の共生によって形成される根粒の窒素固定は、地球レベルの窒素循環においてきわめて重要な反応である。マメ科植物による根粒形成能は他の植物も共通に保有する系を利用し、これを進化の過程で改変したものであり、この能力を他の植物に付与することは近い将来可能になるものと考えられる。本論文は、マメ科植物による根粒形成のメカニズムをSesbania rostrata - Azorhizobium caulinodans共生系を用いて、根粒菌の細胞外膜に存在するリポ多糖(LPS)の構造の違いがどのように根粒形成に影響を与えるかを解明したものである。

本論文は3章よりなり、序論に続く第1章では根粒菌Azorhizobium caulinodans ORS571株のTn5挿入変異株約10000株を用いて、根粒形成に関与する遺伝子で根粒の成熟および維持に関与すると考えられる変異株をスクリーニングし、約100株の変異株を選抜した。つぎに、選抜した変異株のTn5挿入領域の塩基配列解読およびそれぞれの根粒形状、窒素固定能などを調べ、これらのデータに基づいて7つのグループに分けた。最終的に、これらの中からLPS合成系の遺伝子であるrfaD、rfaE、rfaFにTn5が挿入された変異株3株を選んだ。これらの変異株は根粒菌が感染細胞に侵入する段階前後で根粒形成がブロックされている変異株と考えられた。第2章では、まずこれらの変異株の原因遺伝子がそれぞれのTn5挿入遺伝子であることを遺伝子破壊と相補試験により確認した。つぎに、3株の変異株およびO抗原部位の構造に欠損が見られる変異株oac2を用い、LPSを抽出・精製し、構造の違いを確認し、それぞれのLPSが遺伝子機能から推定される構造であることを確認した。これらの4株によって形成される根粒の性状を確認したところ、LPSのアウターコア部位の存在が根粒菌の植物細胞への侵入に必須である可能性を示唆した。第4章では、LPSのインナーコア部位の構造に欠損の見られる変異株(rfaD、rfaE、rfaFに変異が入った3株)を用いて、根粒内部の電子顕微鏡観察、感染後の植物側の遺伝子発現などを調べた。その結果、インナーコア部位の欠損は感染細胞への侵入は起こすが、その後、植物細胞の老化を誘導することを確認した。

以上、本論文では根粒菌のLPSの構造が根粒菌の感染細胞への侵入と感染細胞内でのバクテロイドの維持に関係することを示したものであり、審査委員一同は学術上、応用上価値あるものと認め、博士(農学)の学位論文として十分な内容を含むものと認めた。

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