学位論文要旨



No 123588
著者(漢字) 佐藤,行人
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ユクト
標題(和) 魚類特異的ゲノム倍化によって重複した遺伝子の進化
標題(洋) Evolution of genes duplicated through fish-specific genome doubling
報告番号 123588
報告番号 甲23588
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3292号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 河村,正二
内容要旨 要旨を表示する

新規の遺伝子やタンパク質がどのような過程で進化して,新しい機能や特性を獲得してきたのかを探究することは,生物進化を理解するうえで本質的な課題である.新しい遺伝子は,主に遺伝子重複を通じて生じると考えられる.重複した遺伝子の新しい機能の進化(新機能獲得)は,有益な変異によってもたらされると考えられるが,有益な変異が起こることは概して稀である.このことから,遺伝子機能を部分的に損なう変異がもたらす重複遺伝子間の機能の分割(機能分化)が,新機能獲得の前段階として重要だと考えられてきた.この機能分化を経ることで,重複した遺伝子は偽遺伝子化せずに存続するようになり,新機能を獲得する機会が増加する.しかしながら,実際に機能分化を経た遺伝子の進化の実態を解明した知見は乏しい.そこで本研究では,機能分化を経た遺伝子において新しい特性が進化してきた過程を詳細に解析し,その背後にある分子進化メカニズムを探求することを目的とした.こうした研究を進めるための枠組みとして,信頼性の高い系統関係が推定されており,魚類特異的ゲノム倍化(fish-specific genome doubling, FSGD)を経験している魚類に着目した.

FSGDによって重複した遺伝子は,現在の魚類ゲノム中に多く存続していると期待されるが,詳細はよくわかっていない.そこで全ゲノム配列が決定された魚類4種(ゼブラフィッシュ,メダカ,イトヨ,ミドリフグ)に着目し,それらのゲノムの遺伝子レパートリーを,FSGDを経ていない四足類ゲノムの遺伝子レパートリーと比較検討することで,FSGDによって重複した遺伝子群が,その後にどのような欠失または存続過程を経て,現在の魚類ゲノムにどの程度維持されているのか,また,維持されてきた重複遺伝子が機能分化を経てきたのかを検討した.次に,FSGDに由来すると考えられる重複遺伝子Pgiに着目し,それらがコードするタンパク質(phosphoglucose isomerase, EC 5.3.1.9)の新しい特性,とくに電荷が進化してきた過程を,魚類の系統枠に立脚して詳細に解析した.さらに,Pgiの解析から明らかになった分子進化様式の普遍性を検討するために,脊椎動物に特異的な重複遺伝子Aldを解析した.これらの結果を比較検討し,新しいタンパク質特性が進化する際の分子進化様式と選択圧の強さとの関連を議論した.

1.魚類特異的ゲノム倍化に由来する重複遺伝子の存続と進化

FSGDによって重複し,その後現在まで魚類ゲノム中に存続してきた遺伝子の割合を推定するために,記憶と学習,環境情報処理および基礎代謝に関わる遺伝子群に着目し,それらから,シナプス伝達の長期増強,味覚伝達,嗅覚伝達,クエン酸回路に関与する130個のヒト遺伝子を解析の立脚点とした.これらに相同な遺伝子を,ゼブラフィッシュ,メダカ,イトヨ,ミドリフグ,ニワトリ,ネッタイツメガエル,カタユウレイボヤ,キイロショウジョウバエの全ゲノム配列から探索した.

得られたデータをもとに,最尤法による厳密な分子系統解析を個々の遺伝子ファミリーについて行った結果,130個のヒト遺伝子のうち14個はヒトもしくは四足類に特異的であったが,残りの116個で魚類の相同遺伝子が同定された.同定された相同遺伝子群の系統関係から,FSGDによる重複イベントが45個検出された.魚類の推定分岐年代と併せて検討すると,FSGDが起きてから上記の魚類の共通祖先が登場するまでの約3千万年の間に,重複遺伝子の61.2% (71/116) が失われてきた一方で,この共通祖先ゲノムに残っていた重複遺伝子の平均61.1% (27.5/45) が,その後約3億年間存続して現在の魚類ゲノムに含まれていることがわかった.このことは,FSGDの直後は重複遺伝子が急速に失われる一方で,残った重複遺伝子は比較的長期間,ゲノムに維持されてきたことを示唆する.

FSGDで重複した後に長期間維持されてきた遺伝子群がどのような特性をもつものであるのかを,コードするタンパク質に着目して解析したところ,タンパク質のサイズ,および相互作用パートナー数が,FSGDの直後に失われた重複遺伝子群と比べて有意に高い値を示した(前者: 大・中・小3群間の x2 test, P=0.0052; 後者: Welch's t test, P=0.0288).タンパク質のサイズ(大きなタンパク質ほど多くのドメインやモチーフをもつと期待される),および相互作用パートナー数は,遺伝子の多機能性を反映していると考えられる.このことから,あらかじめ多くの機能をもっていた遺伝子が,FSGDによって重複した後により高い確率で機能分化を経た結果,長期間維持されてきたものと考えられた.この結果は,重複遺伝子が進化的に存続する一次過程として,機能分化が重要な役割を果たすことを示す新たな証拠を提供する.FSGDで重複し,機能分化を経て維持されてきた遺伝子が,その後,系統特異的に新機能を獲得することで魚類間の遺伝的差異をもたらし,魚類が示す多様性にさまざまな形で関与してきたことが推察される.

2.魚類特異的な重複遺伝子 Pgi における新しいタンパク質特性の進化

次に,新しいタンパク質特性が進化してきた過程を解析するために,魚類特異的な重複遺伝子Pgiに着目した.まずPgiがFSGDによって重複したのかどうかを検討するために,コチョウザメやヨーロッパウナギなど7種の魚類のPgiの塩基配列を決定し,既存のデータと併せて分子系統解析を行うとともに,魚類のPgiについてシンテニー解析を行った.その結果,PgiがFSGDによって重複したことが確認された.次に,重複Pgi間の機能分化の有無を明らかにするためにRT-PCRによる発現解析を行った.その結果,四足類などがもつ重複していないPgiが全身で発現する一方で,魚類のPgi-1は内臓系器官,Pgi-2は骨格筋で強く発現しており,このことから魚類のPgiは,重複後に発現組織を違えるという形で機能分化したことが明らかになった.

魚類で重複しているPGI-1およびPGI-2の間では,酵素の活性中心を構成するアミノ酸残基が全て保存されている一方で,酵素の熱安定性や耐塩性,至適pHに影響し,活性中心とは独立に機能を左右する特性である電荷が異なっていた(等電点推定値; 前者: 6.21-6.36; 後者: 6.75-7.36; U test, P=0.0040).このことからPGI-1とPGI-2は,発現組織の機能分化に起因する外環境の違いに応じて,電荷が異なる方向へ進化したものと考えられた.この電荷の差異をもたらしてきたプロセスは,新しいタンパク質特性の進化様式を知るうえで興味深い.そこで魚類6種のPGIのアミノ酸配列を比較したところ,PGI-1とPGI-2の電荷の差異は合計76個のアミノ酸サイトに担われていたが,PGI-1あるいはPGI-2のみに共通して保有される荷電アミノ酸サイトは1つしかなかった.

上のようなアミノ酸配列の状態が,どのような分子進化過程を経て生じてきたのかを検討するために,魚類の系統枠に立脚し,系統分岐点の間でそれぞれ起きてきたアミノ酸置換を最尤推定した.その結果,PGI-1とPGI-2の電荷の違いは,上述の魚類6系統の間で独立して平行的に進化してきたことが示唆された.平行進化の結果,PGI-1とPGI-2がそれぞれ類似の電荷を獲得したにも関わらず,上述のようにアミノ酸配列上の荷電アミノ酸サイトの位置が互いに一致しないということは,電荷の違いをもたらしてきた選択圧が少数の特定のアミノ酸サイトに強く作用してきたのではなく,PGIの電荷を構成する多数のアミノ酸サイトに対して,個々には比較的緩やかに作用してきたことを示唆している.一次配列レベルでのこうした選択様式が,結果として,タンパク質全体の電荷に対する着実な方向性選択をもたらしてきたものと考えられる.

3.分子レベルでの適応進化様式と選択圧の強さとの関連

上で明らかになった分子進化様式は,PGI以外の多くのタンパク質進化にも当てはまる可能性がある.そこでその普遍性を検討するために,脊椎動物のALD(fructose-1,6-biphosphate aldolase, EC 4.1.2.13)の電荷の進化を解析した.脊椎動物で重複しているALDaとALDcの電荷の違いは95個のアミノ酸サイトに担われていたが,ALDaまたはALDcに特異的な荷電アミノ酸残基は1つしかなく,電荷の違いがPGIと類似の様式で進化してきたことが確認された.このことから,多くのアミノ酸サイトに対する個々には比較的緩やかな自然選択が,タンパク質の新しい特性の進化において重要な役割を果たしていることが,PGIとALDという複数のタンパク質の証拠から明らかになった.このような分子進化様式は,現行の分子進化解析法,例えばあるタンパク質グループに特異的なアミノ酸残基や非同義置換速度を検討する方法からは,認識されてこなかったものであった.

本研究は,FSGDで重複したタンパク質の進化過程の解析を通じて,多くのアミノ酸サイトに対する比較的緩やかな自然選択という分子進化様式の存在を明らかにし,タンパク質進化に対する見方を広めることに貢献した.本研究の成果は,新規遺伝子やタンパク質の進化について理解を深めるだけではなく,魚類のゲノム進化への理解にも貢献し,魚類資源の適切な保全・管理などを考えるうえで重要な情報を提供するものであると期待される.

審査要旨 要旨を表示する

新規の機能をもった遺伝子やタンパク質は、遺伝子重複によって生じた余剰な遺伝子を出発点として進化すると考えられる。しかしながら、重複を経た遺伝子が、新しい機能あるいは特性を獲得するプロセスについては、よく分かっていない点が多い。本論文は、魚類(厳密にはそのうちの真骨類)の祖先が、すべての遺伝子の重複をもたらす「ゲノム倍化」を経験したという点に着目し、全ゲノム配列が詳しく解読・公表された4種の魚類(ゼブラフィッシュ、メダカ、イトヨ、ミドリフグ)のゲノムデータを軸に、魚類で推定されている信頼性の高い系統枠を土台として、遺伝子やタンパク質の新しい特性が進化するプロセスおよびメカニズムを明らかにすること、またそれを通じて、魚類の特質をもたらしているゲノム上の特徴についての理解を深めることを目的に行われた研究結果をとりまとめたものである。

本論文は5章からなる。まず第1章で上記のような研究の背景と目的を述べたあと、第2章でゲノム倍化によって重複した遺伝子群の存続・消失過程を定量的に分析している。分析の対象として、脊椎動物の進化に重要な役割を果たしてきたと期待される学習、嗅覚・味覚伝達、および基礎代謝に関わる遺伝子群を取りあげた。ヒトにおけるこれらの遺伝子に対応する魚類の相同遺伝子を、全ゲノムデータを活用して探索し、これによって収集した100を超える遺伝子ファミリーのデータを、最尤法による分子系統解析を適用して1つ1つ詳細に検討し、ゲノム倍化で生じた魚類の重複遺伝子を高い信頼度で検出した。その結果、上記4種の魚類の共通祖先では、遺伝子の約57%が魚類特異的ゲノム倍化で重複した状態を留めていたことが明らかになった。このような多数の重複遺伝子が、その後の系統分岐後にそれぞれで特異的に進化することによって、魚類の多様性が生じた可能性を論じている。

第3章では、ゲノム倍化によって重複した魚類のphosphoglucose isomerase (PGI: EC 5.3.1.9) 遺伝子に焦点を絞り、重複の後に、PGIタンパク質の新しい特性が進化してきた過程を解析している。まず、新たに10種の魚類について、PGI遺伝子の配列決定、系統解析、発現解析を行い、重複によって生じた魚類のPGI-1とPGI-2が、重複後に発現組織を違えるという形で機能分化したらしいことを確認した。ついで、PGI-1とPGI-2は同じ酵素機能を保持する一方で、酵素の熱安定性や至適pHなどを左右するタンパク質電荷が異なっていること、この電荷の差異は特定のアミノ酸サイトに還元されず、合計76個のアミノ酸サイトに担われていることを明らかにした。その上で、上記のようなアミノ酸配列の状態を生みだしてきた分子進化過程を、魚類の系統枠に基づいて各系統分岐点の祖先配列を最尤推定するとともに、変異の起こったサイトが酵素の立体構造上でどのような位置にあるかについて詳細な分析をおこなった。その結果、PGI-1とPGI-2の電荷の差異は、特定のアミノ酸サイトの荷電状態が強く選択されて進化してきたのではなく、PGI分子の表面に位置する多数のアミノ酸サイトの荷電状態が、個々には比較的弱い選択を受けて進化してきたことを明らかにした。このような進化様式は、現行の分子進化解析法、すなわちタンパク質の進化に寄与した特定のアミノ酸置換を探索する方法からは認識されてこなかったものである。

第4章では、脊椎動物のfructose-1,6-biphosphate aldolase (ALD: EC 4.1.2.13) の電荷の進化について分析を行い、前章で明らかにされた分子進化様式が、PGI以外のタンパク質にも当てはまる一般性のあるものであることを確認した。さらに、特定のアミノ酸残基が選択されて電荷が進化したと考えられる数種のタンパク質も検討に加え、それらにおいては、分子の表面部位を構成するアミノ酸サイトの数、およびそこに含まれる電荷の進化に関与するアミノ酸残基の数が少ないことを明らかにした。これらのことから、タンパク質が含む進化的に変化可能なアミノ酸残基の量が、タンパク質特性が進化する際に個々のアミノ酸置換に働く選択圧の強弱を規定する可能性を論じている。

以上のように、本論文は魚類特異的なゲノム倍化で生じた重複遺伝子の存続もしくは欠失の過程を明らかにし、そのゲノム倍化の魚類進化への寄与の程度を初めて推定した。また、魚類特異的な重複遺伝子の分子進化解析から、遺伝子やタンパク質の進化に関する理解を深める上で重要な普遍性の高い知見も提出している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた。

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