学位論文要旨



No 123590
著者(漢字) ,壮一
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ソウイチ
標題(和) 魚類の浸透圧変化感知機構に関する分子生理学的研究
標題(洋) Molecular physiological studies on osmosensing mechanisms in fish
報告番号 123590
報告番号 甲23590
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3294号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 准教授 渡邉,俊樹
 東京大学 准教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

水圏に生息する硬骨魚類では、体表を介して外界と体内との間で各種のイオンや水が濃度勾配に従って移動する。このような生息環境においても、淡水、海水を問わず、体液の浸透圧は海水の約1/3に保たれている。これを担う機構についての研究は主にイオン調節に着目して進められ、魚類の浸透圧調節機構における詳細なイオン輸送モデルが提唱されている。浸透圧調節機構は常に最適化されていなければ逆に体内環境の不安定化要因となることから、体液浸透圧情報によるフィードバック制御を受けていると考えられる。しかし浸透圧変化感知機構に関する知見は極めて乏しいのが現状である。近年、浸透圧調節上皮や下垂体プロラクチン(PRL)細胞が浸透圧変化感知能を持ち、自らの機能を調節している可能性が示されている。これらの機構はイオン濃度変化ではなく浸透圧変化を感知する可能性が高いことが示され、浸透圧差による細胞内外での水移動およびそれに伴う細胞体積変化がこの機構に関与していることが考えられる。そこで本研究では魚類における浸透圧変化感知機構の詳細を明らかにすることを目的に浸透圧調節に関する知見が豊富な広塩性魚モザンビークティラピアを用いて実験を行なった。

第1章 鰓における水チャネル分子、アクアポリン-3の発現およびその局在

魚類の鰓は効率的な呼吸のために表面積の増大が図られ、しかも常に環境水の水流に晒されており、非常に大きな環境浸透圧ストレスを受ける場である。近年、鰓において水チャネル分子、アクアポリン-3 (AQP3)の発現が報告された。このような環境水に接する器官において、水の受動的移動を促進するチャネルが存在することの生理学的意義を検討した。まず淡水飼育ティラピアの鰓からAQP3を同定、組織別発現解析を行なったところ、AQP3は淡水、海水両飼育魚において鰓、下垂体を含む広範な組織において発現が確認された。またAQP3の機能解析を行なった結果、ティラピアAQP3は機能的な水チャネルであり、その機能は水銀により阻害され、その阻害はβ-メルカプトエタノール(BME)処理によって無効化することが示された。従って、ティラピアAQP3は生体内において実際に機能している水チャネルであると言える。

次に免疫組織化学的手法により鰓におけるAQP3の局在を淡水および海水ティラピアにおいて観察した。その結果、淡水、海水両方において塩類細胞の側底膜(体内側細胞膜)にAQP3が局在することが示された。このことはAQP3が塩類細胞内液と体液間の水の移動に関わることを示唆している。塩類細胞は鰓における浸透圧調節で中心的役割を果たすイオン輸送細胞の総称であり、その頂端部は環境水に開口している。またナトリウムポンプを豊富に発現させているため、その判別、同定は容易である。近年、塩類細胞は開口部に発現するイオン輸送体によって、イオン輸送能が異なる少なくとも4つのタイプに分類できることが判明した。AQP3の局在はナトリウムポンプの局在と完全に一致するが、このことはすべてのタイプの塩類細胞において側底膜を介した受動的水移動が起こっていることを示している。AQPの水輸送は受動的なものであり、水分子を能動的に輸送することはできないことから、外界に直接面している細胞において浸透圧勾配に逆らって水の排出および取り込みを行なうとは考えにくい。このことからAQP3は塩類細胞と体液間での浸透圧差による水の移動を促進することで、塩類細胞における浸透圧変化感知機構や体積調節に関与することが考えられる。

第2章 プロラクチン細胞の浸透圧変化感知機構におけるAQP3の関与

前章の結果から、AQP3は下垂体においてもその発現が確認された。硬骨魚類において下垂体は浸透圧調節機構の内分泌的中枢を担う器官であり、淡水適応ホルモンであるPRLを産生することが知られている。PRL細胞は細胞外浸透圧の低下に伴い、自発的にPRLの分泌を促進する。またこの反応には細胞体積の増大とそれに伴うstretch-activated calcium channelのgatingによる細胞内Ca2+濃度上昇が関わることが報告されている。しかし脂質二重膜はほとんど水を透過させないため、体液の僅かな浸透圧変化によって水移動を起こし、細胞体積を変化させるには水チャネル分子の存在が必要と考えられる。そこで次にAQP3の発現とPRL細胞の浸透圧変化感知機構との関連を検討することとした。まず淡水および海水個体よりPRL細胞を採取し、AQP3とPRLについて発現量解析を行なった。その結果、AQP3、PRLともに淡水飼育ティラピアでの発現量が有意に高いことが示された。またPRL細胞におけるAQP3の局在を観察したところ、細胞膜上に局在していることが明らかとなった。次に、淡水および海水飼育ティラピアから単離したPRL細胞を等張培養液中で初代培養し、培養液の浸透圧を低下させた際の細胞体積変化を顕微鏡下で経時的に解析した。その結果、淡水飼育個体由来のPRL産生細胞の方がより小さな浸透圧低下によって細胞体積を増大させることが明らかとなり、AQP3の発現量と細胞体積変化に相関関係があることが示された。次にAQP3の阻害剤である水銀が淡水個体由来PRL細胞の低浸透圧刺激時細胞体積変化に及ぼす影響を検討したところ、水銀処理群では細胞体積変化量や細胞膜の水透過性が有意に低下した。また水銀による細胞体積変化抑制は、BME処理によって無効化される傾向があり、細胞死につながる水銀の不可逆的細胞毒性による阻害でないことが示された。このことは淡水個体由来PRL細胞の浸透圧変化に対する反応性にAQP3が関与することを示唆している。以上の結果を踏まえて、低浸透圧刺激によるPRL分泌促進機構への水銀の影響を検討したところ、水銀処理群では有意にPRLの分泌が抑えられた。またこの水銀による阻害は体積変化と同様にBME処理によって無効化される傾向を示した。また高カリウム刺激により細胞内Ca2+を人為的に上昇させた際には、水銀処理にも関わらずPRL分泌が促進された。よって水銀はPRLの自発的分泌に重要なCa2+シグナル伝達カスケードを阻害していないことが示された。

これらの一連の実験結果は、AQP3が淡水個体中のPRL細胞において僅かな浸透圧変化の受容を可能し、PRLの分泌調節を速やかに行なうことで、低浸透圧適応能を最適化する機構に関与することを示している。

第3章 低浸透圧適応としてのPRL発現調節機構の検討

まず、生体での外界浸透圧変化に伴う下垂体PRL発現変化を解析するため、移行実験を行なった。その結果、海水個体淡水移行群、淡水個体海水移行群においてPRL発現量が移行後1日以内に顕著に変化した。このことからPRL分泌だけでなく発現量調節においても浸透圧変化感知機構の関与が示された。前章では淡水個体PRL細胞でのPRL分泌調節にAQP3を介した細胞体積変化が関与することが示されたが、細胞体積変化は淡水、海水両個体由来PRL細胞で観察され、浸透圧低下が激しいと変化率はほぼ同等であった。このことを踏まえ、PRL細胞が浸透圧変化を感知し、自発的にPRL発現調節を行なうかを検討した。淡水および海水個体PRL細胞を等浸透圧および低浸透圧環境で培養した際のPRL の発現量変化を測定した結果、いずれの環境においてもPRLの発現量に変化はみられなかった。このことはPRL発現調節を司る浸透圧変化感知機構はより上位の中枢に存在することを示唆している。また単離培養期間中でも、PRL発現レベルは海水個体由来細胞よりも淡水個体由来細胞で常に高かった。このことはPRL発現調節は恒常的な刺激を必要とせず、PRL発現誘起および抑制シグナルが一旦作用するとエピジェネティックな制御が行なわれている可能性を示している。一方、近年、哺乳類のPRL分泌ペプチド(PrRP)のホモログが硬骨魚類の脳で同定され、PRL発現上昇への関与が示唆されている。そこで淡水および海水個体のPRL細胞をPrRP添加培養液で培養したところ、海水個体由来細胞でのPRLの発現量がPrRP添加2日後に有意に上昇した。この結果は海水適応魚が淡水環境に移行した際、PrRPが直接PRL細胞に作用し、PRL発現活性化を誘発する可能性を示唆している。また淡水および海水飼育ティラピア脳におけるPrRP mRNAの発現量を測定したところ、両者の間に差は見られなかった。このことから、ティラピアのような広塩性魚においては外界浸透圧変化による急激な体液の低張化に対応するために、常にPrRPの発現を維持し、PrRPの転写、翻訳といった過程によるタイムラグなしにPRLの発現を上昇させる機構が存在することが示唆された。次にPrRPレセプターを下垂体より同定し、PRL細胞での発現量解析を行なったところ、脳でのPrRPと同様に淡水、海水で差は見られなかった。また免疫組織化学により下垂体における局在を観察した結果、PrRPレセプターはPRL細胞および神経下垂体組織に豊富に局在していることが示された。このことから、PrRPは淡水、海水両個体PRL細胞に何らかの直接的作用を持ち、また未知の神経修飾・神経伝達物質様作用を持つことが考えられる。

以上の一連の結果を踏まえると、浸透圧調節担当細胞は浸透圧変化感知機構を持つことが示唆され、細胞外浸透圧変化に伴う細胞体積変化による浸透圧変化感知機構は水チャネル分子の存在によりその感度を向上させていることが示された。また、それぞれの場に即した浸透圧調節機構の微調整を行なうことで、個体全体としての浸透圧調節を最適化していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では広塩性魚モザンビークティラピアを用いて、浸透圧調節機構の制御を司る浸透圧変化感知機構の解明を目指した。

1.鰓におけるアクアポリン-3(AQP3)の役割

近年、魚類の鰓で水チャネル分子、AQP3の発現が報告されている。鰓は外界と隣接している器官であり、外界浸透圧の影響を受けやすい。このような組織における受動的水移動を促進するチャネルの存在は、体液恒常性維持の観点から非常に興味深い。そこで鰓におけるAQP3の役割を解明を目指した。まず淡水飼育魚の鰓よりAQP3を同定した。さらにこのAQP3分子はXenopus卵母細胞を用いた機能解析より、機能的な水チャネルであると示された。また、この機能は水銀により阻害されることも明らかにした。また、鰓におけるAQP3は、淡水および海水飼育魚両方において、鰓での浸透圧調節機構を担う塩類細胞の体内側細胞膜上への局在が明確に示された。

以上の結果からAQP3は適応環境に依らず塩類細胞の体内側細胞膜を介した受動的水移動に関わることが示された。これまで報告されている知見も合わせて、AQP3は塩類細胞における細胞体積変化に基づく浸透圧変化感知機構に関与しているという仮説を提唱するに至った。

2.下垂体プロラクチン(PRL)細胞の浸透圧変化感知機構へのAQP3の関与

ティラピア下垂体PRL細胞は細胞体積変化に基づく浸透圧変化感知機構を有することが示唆されており、下垂体において発現が確認されたAQP3のこのメカニズムへの関与を検証した。まずPRL細胞におけるAQP3の発現動態を定量PCRによって解析したところ、PRLと同様、淡水飼育魚において高いことが示され、両者の間に何らかの関係があることが示された。またPRL細胞において細胞膜上および核周辺部にAQP3の局在が確認された。また反応も淡水固体において強く、これらより淡水個体のPRL細胞の方が高い水透過性を有する細胞膜を持つことが示唆された。このことは淡水および海水個体PRL細胞の低浸透圧刺激時細胞体積変化の解析によって示され、PRL細胞の浸透圧変化に対する細胞体積変化の応答性にAQP3が関与していることが示唆された。さらにAQP3の阻害剤である水銀処理によって淡水PRL細胞の低浸透圧刺激時細胞体積変化は抑制され、低浸透圧刺激時PRL分泌促進も阻害された。またこの際、PRL分泌促進に重要なカルシウムシグナル経路は阻害されておらず、AQP3の機能阻害により起こった細胞体積増大の抑制がPRL分泌促進を阻害したことが考えられる。

以上の結果からAQP3がPRL細胞の浸透圧変化感知機構の高感度化に寄与していることが強く示唆された。

3.PRL細胞の活性制御メカニズム

PRL細胞におけるPRL発現量は外環境の変化に伴い、迅速に変化した。このことは何らかの浸透圧変化感知機構によって発現を調節されていることを示している。まずPRL細胞の浸透圧変化感知機構の関与を検討したが、この機構はPRL発現制御には関与しないことが示された。また単離培養条件下で淡水と海水個体間のPRL発現活性の差は保たれることからPRL発現調節は継続的な制御を必要としないことも示された。次にPRL分泌ペプチド(PrRP)の関与を検討した結果、十分ではないものの、PRL発現上昇作用を海水個体由来PRL細胞において示した。またPrRPレセプターをPRL細胞より同定したところ、下垂体を含む様々な組織に発現が確認され、PRL細胞においてはその発現量は飼育環境によって変動しないことも示された。さらにこの分子は下垂体において、PRL細胞と神経下垂体に局在することが免疫組織化学により確認された。

これらより、PrRPが海水個体においてPRL発現活性の上昇に関与し、またPRL細胞に対する何らかの作用を持ち、神経伝達物質や神経修飾物質としても働くことが示唆された。

以上、様々な器官において浸透圧変化感知機構の存在が考えられ、この機構の高感度化にAQP分子種が関与する可能性がPRL細胞において強く示唆され、他の細胞においてもAQP分子が高感度な浸透圧変化感知機構の存在の指標となることが考えられる。また、これまで考えられてきた中枢神経系に端を発する統合的浸透圧調節制御カスケードに加えて、浸透圧調節に関与する個々の細胞における体液浸透圧を共通のパラメータとした自己機能の調整が存在することは、より適切で迅速な体内恒常性維持を行なうことを可能にしていると考えられる。

以上のように、本論文で魚類での浸透圧変化感知機構の一端が明らかになり、未だ不明な点が非常に多いこのメカニズムの解明に大きく貢献することが期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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