学位論文要旨



No 123596
著者(漢字) 齋藤,継之
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,ツグユキ
標題(和) 天然セルロースのTEMPO触媒酸化に関する研究
標題(洋) TEMPO-mediated oxidation of native cellulose
報告番号 123596
報告番号 甲23596
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3300号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 准教授 岩田,忠久
 東京大学 准教授 江前,敏晴
内容要旨 要旨を表示する

近年、天然高分子の有効利用が求められる中で、セルロースやデンプンをはじめとする多糖類の化学改質は、再生産可能で豊富な資源の更なる機能化に向けた重要なアプローチと言える。しかし、従来の多糖類の化学改質は、多くの場合プロセスの環境負荷が高く、生成物の生物分解性も低下してしまう。

環境調和性を備え、簡便かつ低コストである、TEMPO(2,2,6,6-テトラメチルピペリジン-1-オキシラジカル)等の有機ニトロキシラジカル種を触媒とするアルコール類の酸化プロセスが、90年代半ばより糖化学分野で精力的に検討されている。

多糖類のTEMPO触媒酸化は、一般的に以下のような特徴を有している。

1.水系媒体かつ穏和な条件下(室温・弱アルカリ性)で反応が行える

2.選択的に1級水酸基を酸化して、カルボキシル基にできる

3.反応は定量的であり、生成物の収率も高い

4.生成物は生物分解性だけでなく、代謝性も示す

このようにプロセスと生成物の両特性から見ても、TEMPO触媒酸化は多糖類の優れた化学改質法といえる。

再生セルロース、アルカリ膨潤セルロース(マーセル化セルロース)に対してTEMPO触媒酸化を適用すると、セルロース分子のC6位の1級水酸基が全てカルボキシル基に酸化し、均一な化学構造を有する水溶性のβ-1,4ポリグルクロン酸(セロウロン酸)が定量的に得られる。しかし、木材漂白パルプやコットンリンター等の天然セルロース試料にTEMPO触媒酸化を適用した場合には、ほとんどの生成物が水に不溶のままであり、上記したようなポリグルクロン酸は得られないため、天然セルロースは「TEMPO酸化に抵抗性のある」多糖と見なされ、十分に検討されてこなかった。

そこで、逆にこの「生成物が固体のままである」という性質に着目し、新しいセルロース系機能材料の創製に向けて、天然セルロースのTEMPO酸化物を「表面改質物」として改めて解析することを本研究の目的とした。まず、由来の異なる天然セルロース試料(木材、コットン、麻等)にTEMPO触媒酸化を適用し、酸化によって導入される官能基(カルボキシル基とアルデヒド基)の定量と固体構造の解析(顕微鏡観察、X線回折法、固体NMR法等)により、天然セルロースのTEMPO酸化物の基礎特性を明らかにした。

天然セルロースのTEMPO触媒酸化

木材漂白パルプやコットンリンター等の天然セルロース試料にTEMPO触媒酸化を適用した場合、セルロース繊維の形態を維持したまま、一定量以内のカルボキシル基とアルデヒド基を任意に導入できる。このとき、繊維を構成する結晶性フィブリル(セルロースミクロフィブリル)の構造や形態も維持され、フィブリルの表面に露出している1級水酸基(C6位)が、アルデヒド基を経由してカルボキシル基へと酸化する。

いくら酸化してもカルボキシル基の導入量は一定値を超えないが、その値は理論的に算出されたフィブリル表面の1級水酸基量(約3.4基/nm2)と良く対応している。つまり、TEMPO酸化された天然セルロース繊維は、その構成単位である結晶性フィブリルの表面にカルボキシル基を高密度に有しながら、全体としてバルクの状態を保っていると考えられる。

TEMPO触媒酸化と微細化処理による天然セルロースのナノファイバー化

天然セルロースのTEMPO酸化では、上記したように、セルロース繊維を構成する結晶性フィブリルの表面にカルボキシル基(ナトリウム塩型)を導入できる。本研究ではこの酸化物の特性に着目し、TEMPO酸化した天然セルロース繊維を水中で機械的に微細化することにより、結晶性フィブリルの透明水分散体の調製に成功した(図2)。

天然セルロース繊維の微細化はこれまでにも検討されており、ミクロフィブリル化セルロース(MFC)等のように、増粘剤、ゲル化剤、糊料、安定剤用途に工業化されている。しかし、化学改質されていない天然セルロース繊維では、フィブリル間に多数の水素結合が存在するため、微細化には高エネルギーの機械的な処理が必要であり、その生成物は数百から数万本のフィブリルの束である。本研究における微細化は、市販のミキサー程度の軽微な処理で十分に進み、ほぼ全試料を太さ約4 nmで長さ数μmのフィブリル(ナノファイバー)として水中で安定に分散させることができる。

TEMPO触媒酸化による天然セルロース繊維の機能化

金属イオンの吸着:天然セルロース繊維は、太さ数ナノメートルの結晶性フィブリルから構成されるため、大きな比表面積を有している。TEMPO触媒酸化を天然セルロース繊維に適用した場合、繊維の形態を維持したまま、微細な表面にカルボキシル基を高密度(~1.8meq/g)に導入できる。

この特徴を活かした応用展開として、水中の金属イオンに対するTEMPO酸化繊維の吸着能を評価したところ、多種の金属イオンについて非常に効率的かつ安定な吸着を示した。特に鉛イオン、銀イオン、カルシウムイオン等の吸着性は高く、対イオンとしてカルボキシル基と等モル比で吸着した。市販の繊維状カルボキシメチルセルロース(CMC)と比べても、TEMPO酸化繊維の吸着能は大きく上回っており、新たなセルロース系イオン交換材料として期待できる。

湿潤紙力の増強:セルロース繊維表面のアルデヒド基量が大幅に増加するようなTEMPO酸化条件を見出したため、この条件で処理した木材漂白パルプからシート(紙)を作製して強度物性を評価したところ、親水性の高いシートが湿潤状態でも強度を発現した。これは繊維表面のアルデヒド基が、シートの作製時に繊維間でヘミアセタール結合を形成するため、シートとしての耐水性が増加した結果と考えられる。さらに、この繊維表面のアルデヒド基を基点として各種水溶性高分子で繊維間を架橋することにより、湿潤シートの強度は大きく増加した。これらの成果は、湿潤紙力の増強に関して現在急務とされている環境調和型の新しいメカニズムとして、十分に従来法の代替となりえる。

図1 TEMPO触媒酸化によるセルロースC6位の1級水酸基の選択的酸化機構

図2 TEMPO触媒酸化による木材パルプのナノファイバー化

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、TEMPO触媒酸化という新規反応を天然セルロースに適用し、酸化条件の詳細な検討と酸化生成物の構造解析を進めるとともに、研究の過程でセルロースシングルナノファイバーという新規ナノ素材の調製方法を見出し、関連する応用展開研究も進めることができた。以下にその概要を示す。

TEMPO(2,2,6,6-テトラメチルピペリジン-1-オキシラジカル)等の有機ニトロキシラジカル種を触媒とするアルコール類の酸化プロセスが、90年代半ばより糖化学分野で精力的に検討されている。このTEMPO触媒酸化は、(1)水系媒体かつ穏和な条件、(2)選択的に1級水酸基を酸化して、カルボキシル基に変換する、(3)反応は定量的であり、生成物の収率も高い、(4)生成物は生物分解性だけでなく、代謝性も示す等の特徴を有し、酵素反応に類似した反応選択性、低エネルギー反応という優位性を持つ。

本TEMPO触媒酸化を木材セルロースや純度の高いコットンリンター等の天然セルロース試料に適用した場合には、ほとんどの生成物が水に不溶のままであり、視覚的な変化はない。そこで、この「生成物が固体のままである」という性質に着目し、新しいセルロース系機能材料の創製に向けて、天然セルロースのTEMPO酸化物を「表面改質物」として改めて解析することを目的として検討を進めた。

まず、由来の異なる天然セルロース試料(木材、コットン、麻等)にTEMPO触媒酸化を適用し、酸化によって導入される官能基(カルボキシル基とアルデヒド基)の定量と固体構造の解析(顕微鏡観察、X線回折法、固体NMR法等)により、天然セルロースのTEMPO酸化物の基礎特性を明らかにした。その結果、各種天然セルロース試料にTEMPO触媒酸化を適用した場合、セルロース繊維の形態を維持したまま、一定量以内のカルボキシル基とアルデヒド基を任意に導入できる。このとき、繊維を構成する結晶性フィブリル(セルロースミクロフィブリル)の構造や形態も維持され、フィブリルの表面に露出している1級水酸基(C6位)が、アルデヒド基を経由してカルボキシル基へと酸化する。

酸化条件を進めてもカルボキシル基の導入量は一定値を超えないが、その値は理論的に算出されたフィブリル表面の1級水酸基量(約3.4基/nm2)と良く対応している。つまり、TEMPO酸化された天然セルロース繊維は、その構成単位である結晶性フィブリルの表面にカルボキシル基を高密度に有しながら、全体としてバルクの状態を保っていると考えられる。

天然セルロースのTEMPO酸化では、上記のように、セルロース繊維を構成する結晶性フィブリルの表面にカルボキシル基を導入できる。本研究ではこの酸化物の特性に着目し、TEMPO酸化した天然セルロース繊維を水中で機械的に微細化することにより、結晶性フィブリルの透明水分散体の調製に世界で初めて成功した。本研究における微細化は、市販のミキサー程度の軽微な処理で十分に進み、ほぼ全試料を太さ約4 nmで長さ数μmのフィブリル(ナノファイバー)として水中で安定に分散させることができる。

天然セルロース繊維は、太さ数ナノメートルの結晶性フィブリルから構成されるため、大きな比表面積を有している。TEMPO触媒酸化を天然セルロース繊維に適用した場合、繊維の形態を維持したまま、微細な表面にカルボキシル基を高密度(1.8meq/g)に導入できる。この特徴を活かした応用展開として、水中の金属イオンに対するTEMPO酸化繊維の吸着能を評価したところ、多種の金属イオンについて非常に効率的かつ安定な吸着を示した。特に鉛イオン、銀イオン、カルシウムイオン等の吸着性は高い。市販の繊維状カルボキシメチルセルロース(CMC)と比べても、TEMPO酸化繊維の吸着能は大きく上回っており、新たなセルロース系イオン交換材料として期待できる。

セルロース繊維表面のアルデヒド基量が大幅に増加するようなTEMPO酸化条件を見出したため、この条件で処理した木材漂白パルプからシート(紙)を作製して強度物性を評価したところ、親水性の高いシートが湿潤状態でも強度を発現した。これは繊維表面のアルデヒド基が、シートの作製時に繊維間でヘミアセタール結合を形成するため、シートとしての耐水性が増加した結果と考えられる。さらに、この繊維表面のアルデヒド基を基点として各種水溶性高分子で繊維間を架橋することにより、湿潤シートの強度は大きく増加した。これらの成果は、湿潤紙力の増強に関して現在急務とされている環境調和型の新しいメカニズムとして、十分に従来法の代替となりえる。

以上のように、天然セルロースのTEMPO触媒酸化によって、多くの基礎的な知見が得られたとともに、新規ナノ素材である「セルロースシングルナノファイバー」の開発に世界で初めて成功した。これらの成果は、セルロース科学の新しい基礎科学の構築および応用が期待される展開技術として高く評価されている。従って、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク