学位論文要旨



No 123598
著者(漢字) 田,穣
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ユタカ
標題(和) 新規ポリマーブラシ型セルロースβ-ケトエステル類の調製と特性解析に関する研究
標題(洋) Preparation and characterization of new polymer-brush-type cellulose β-ketoesters
報告番号 123598
報告番号 甲23598
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3302号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 准教授 竹村,彰夫
 東京大学 准教授 岩田,忠久
 東京大学 准教授 江前,敏晴
内容要旨 要旨を表示する

合成高分子系材料は広い用途で使われているが、主に枯渇危惧資源である化石資源から生産されていること、分解されずに自然界に蓄積されていくこと、および地球温暖化の一因であることなどの問題点が指摘されている。これらの観点から、最も多量に存在し再生産可能なバイオマスであるセルロースを有効利用することは、次世代の循環型社会構築への一つの方策であると言える。本研究では、主に高機能材料・ナノ材料設計の観点からセルロースの化学修飾についての検討を行ってきた。反応試薬としては脂肪酸由来で安全・安価なアルキルケテンダイマー類(AKD)を選択し、一方セルロース溶剤および反応媒体は安全で無害な塩化リチウム/1,3-ジメチル-2-イミダゾリジノン(LiCl/DMI)系を適用した。AKDは1分子で同時に2本の長鎖アルキルを導入可能なことから、新規の物性発現が期待された。本研究では、これらの試薬・媒体を用いた反応条件の詳細な評価、および得られたセルロース/AKD β-ケトエステルの固体および溶液特性を解析した。さらに、無溶剤条件における固体セルロースとAKDの反応条件を検討し、得られた生成物の構造・撥水性・加工性などを評価した。以下に各項目の結果の概要を示す。

ポリマーブラシ型セルロース β-ケトエステル類の調製条件の検討

詳細な調製条件を検討するため、通常のAKD(融点50~60 °C)よりも融点の低いシス-9-オクタデセニルケテンダイマー(OKD: 融点-2.5 °C)を反応試薬として選択し、分岐アルケニル鎖を持つセルロース β-ケトエステルの調製を行った(図1)。その際に、攪拌温度・攪拌時間・添加試薬量および得られたセルロース/OKD β-ケトエステルの置換度(DS)の関係を詳細に評価し、最適な反応条件を検討した。反応条件を選択する事でDSは最大2.1に達する事が明らかになった。さらに、得られた最適反応条件をアルキル鎖形状の異なる各種AKDおよび脂肪酸無水物に適用したところ、高置換度のセルロース/AKD β-ケトエステル(DS 1.9~2.9)およびセルロース/脂肪酸エステル(DS 2.5~2.9)が得られた。DSは導入する反応試薬の化学構造に対応して変化した。一方、反応による顕著な重合度低下は認められなかった。

セルロース β-ケトエステル類の基礎物性解析

得られたアルキル鎖あるいはアルケニル鎖を有するセルロース/AKD β-ケトエステル類の特性解析を、X線回折・DSC分析・偏光顕微鏡観察などを用いて行った。置換度1.5以上のセルロース/AKD β-ケトエステル類は室温でガム状固体であり、液晶形成による複屈折を示す。液晶相/等方相転移温度は150-175 °Cであり、DSや導入された置換基の構造による変化が確認された(図2)。X線回折パターンから、セルロース/AKD β-ケトエステル類はセルロース骨格由来の結晶は持たない一方、置換度が高くなるにつれて導入されたアルキル鎖長に対応する配向面間隔において回折ピークを有することを確認した。キャスト法によって調製したセルロース/AKD β-ケトエステルフィルムは高撥水性を示した(接触角90°以上)。撥水性は105 °C加熱処理によって一時的に減少するが、時間経過とともに緩やかに回復することを見出した。

セルロース β-ケトエステル類の溶液特性解析

溶液(13)C-NMR解析において、セルロース/AKD β-ケトエステル類の中心部(セルロース主鎖およびその近傍部分)の炭素シグナルがブロード化もしくは消失するという知見が得られた。この特異的な現象は置換基のアルキル鎖長や主鎖の結合様式によらず、またポリビニルアルコールを用いた場合でも確認された(図3)。一方、固体13C-NMRにおいてはセルロース主鎖も含めた全ての炭素シグナルを検出できること、セルロース/脂肪酸エステル類の溶液(13)C-NMR解析においてはそのような特異的なスペクトルは得られなかったこと(図3)から、β-ケトエステル基を介して長鎖アルキル鎖あるいはアルケニル鎖を高密度に導入したことで発現した「特有の運動性制御挙動」であると考え、検討を進めた。

溶液中でのコンホメーション解析として、多角度光散乱計を付属したサイズ排除クロマトグラフィー(SEC-MALLS)を用いた。その結果、テトラヒドロフラン(THF)中で、セルロース/AKD β-ケトエステル類とセルロース/脂肪酸エステル類はどちらも半屈曲性コンホメーションを有していることが確認された。一方、高分子の剛直性(クーン長)の点からは、セルロース/脂肪酸エステルが導入する反応試薬の化学構造に応じて剛直性が変化するのに対し、セルロース/AKD β-ケトエステルは導入試薬によらず一定の比較的高い剛直性を示した。この特異的な剛直性の発現もβ-ケトエステル基の特徴の一つであることが明らかになった。

さらに、分子中の各部位の運動性解析として、分子動力学(MD)シミュレーションを行った。その結果、セルロース/AKD β-ケトエステルのグルコース残基(主鎖部分)の平均速度はセルロース/脂肪酸エステルのグルコース残基と比較して約10分の1であった(図4)。このことから、運動性の制御挙動は計算科学の観点からも立証された。

無溶剤反応による疎水化セルロース繊維の調製

無溶剤反応により、前処理なしでβ-ケトエステル結合によって固体セルロースにAKDを導入可能であることを確認した。セルロース試料としては広葉樹漂白クラフトパルプ(HBKP)、リンターセルロース、バクテリアセルロースおよびリンターセルロース由来の微結晶セルロースを使用し、導入する反応試薬はステアリン酸とパルミチン酸から合成される市販のAKD試料を用いた。得られた反応生成物は、クロロホルム等の有機溶媒への溶解性から白色固体の「繊維状成分」および「有機溶媒可溶成分」に分画された。その際、生成物の収率や置換度は出発セルロース試料を選択する事で制御可能であった。得られた有機溶媒可溶成分は均一反応で得られたセルロース/AKD β-ケトエステルと同様の物性を有していた。繊維状成分は元のセルロースの結晶構造を残している。一方で、繊維表面におけるAKD導入により高い撥水性(接触角110°以上)、有機溶媒への親和性、および熱圧処理により成型可能な物性(半透明/透明フィルム化可能; 図5)を有していることが明らかになった。

セルロース系疎水化ナノファイバーの調製

上記の手法を適用し、市販のAKD、アルケニル無水コハク酸(ASA)および脂肪酸無水物(FAA)を繊維表面に導入することで疎水化HBKPを調製した。得られた全ての疎水化HBKPがセルロースI型の結晶を残存しながら高い撥水性(接触角110°以上)、有機溶媒への親和性を付与されていることを確認した。これらの得られた疎水化HBKPに超音波処理を行い、解繊の状況・凝集の有無等を各種顕微鏡によって確認した。その結果、全ての疎水化HBKPにおいて「ナノファイバーレベル」の解繊を確認した。AKD改質HBKPにおいて、特に均一で高いアスペクト比(幅約20nm、長さ約数μm)を有するナノファイバーの生成を確認した(図6)。ナノファイバーの収率は、AKD改質HBKPおよびFAA改質HBKPにおいて約30%、ASA改質HBKPでは10%以下であった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、主に高機能材料・ナノ材料設計の観点からセルロースの新しい化学修飾について、反応条件、反応生成物の構造解析、および溶液・固体物性解析等を詳細に検討し、多くの重要な知見を蓄積することができた。セルロースの化学改質のための反応試薬としては、脂肪酸由来で安全・安価なアルキルケテンダイマー類(AKD)を選択し、一方、セルロース溶剤および反応媒体として、塩化リチウム/1,3-ジメチル-2-イミダゾリジノン(LiCl/DMI)系を適用した。さらに、無溶剤条件における固体セルロースとAKDの反応条件を検討し、得られた生成物の構造・撥水性・加工性などを評価した。以下にその詳細を示す。

まず、詳細な調製条件を検討するため、融点の低いシス-9-オクタデセニルケテンダイマー(OKD)を反応試薬として選択し、分岐アルケニル鎖を持つセルロース β-ケトエステルの調製を行った。その際に、攪拌温度・攪拌時間・添加試薬量および得られたセルロース/OKD β-ケトエステルの置換度(DS)の関係を評価し、最適な反応条件を検討した。DSは最大2.1に達することが明らかになった。さらに、アルキル鎖形状の異なる各種AKDおよび脂肪酸無水物に最適条件を適用したところ、高置換度の新規セルロース/AKD β-ケトエステルおよびセルロース/脂肪酸エステルが得られた。

続いて、得られたアルキル鎖あるいはアルケニル鎖を有するセルロース/AKD β-ケトエステル類の特性解析を、X線回折・DSC分析・偏光顕微鏡観察などを用いて行った。置換度1.5以上のセルロース/AKD β-ケトエステル類は室温でガム状固体であり、液晶形成による複屈折を示す。液晶相/等方相転移温度は150-175℃であり、DSや導入された置換基の構造によって変化する。X線回折パターンから、セルロース/AKD β-ケトエステル類はセルロース骨格由来の結晶は持たないが、置換度が高くなるにつれてアルキル鎖長に対応する配向面間隔において回折ピークを有することを確認した。キャスト法によって調製したセルロース/AKD β-ケトエステルフィルムは高撥水性を示した。

一方、溶液13C-NMR解析において、セルロース/AKD β-ケトエステル類の中心部の炭素シグナルが消失するという極めて特異的な結果が得られた。しかし、固体13C-NMRにおいてはセルロース主鎖も含めた全ての炭素シグナルを検出できること、セルロース/脂肪酸エステル類の溶液13C-NMR解析においてはそのような特異的なスペクトルは得られなかったことから、β-ケトエステル基を介して長鎖アルキル鎖あるいはアルケニル鎖を高密度に導入したことで発現した「特有の運動性制御挙動」であると考え、検討を進めた。

溶液中でのコンホメーション解析として、多角度光散乱計を付属したサイズ排除クロマトグラフィー(SEC-MALLS)を用いて検討した結果、セルロース/AKD β-ケトエステル類は半屈曲性であり、上記の特異的溶液挙動を説明することはできなかった。そこで、分子中の各部位の運動性解析として、分子動力学(MD)シミュレーションを行った。その結果、セルロース/AKD β-ケトエステルのグルコース残基の平均速度はセルロース/脂肪酸エステルのグルコース残基の約10分の1であり、主鎖部分の運動性の制御挙動は計算科学の観点から立証された。

続いて、無溶剤反応を検討し、固体セルロースにAKDが導入可能であることを確認した。得られた反応生成物は、有機溶媒への溶解性から白色固体の「繊維状成分」と「有機溶媒可溶成分」に分画した。その際、生成物の収率や置換度は出発セルロース試料を選択する事で制御可能であった。得られた有機溶媒可溶成分はセルロース/AKD β-ケトエステル類であった。一方、繊維状成分は元のセルロースの結晶構造を残し、高い撥水性を有し、熱圧処理により成型可能となった。この手法を適用し、市販のAKD、アルケニル無水コハク酸(ASA)および脂肪酸無水物(FAA)を繊維表面に導入することで疎水化セルロースを調製した。得られた全ての疎水化HBKPがセルロースI型の結晶を残存しながら高い撥水性、有機溶媒への親和性を付与されていることを確認した。これらの得られた疎水化HBKPに超音波処理を行ったところ、全ての疎水化セルロースは解繊して幅約20nm、長さ約数ミクロンのナノファイバーが調製できた。

以上のように申請者は、新規ポリマーブラシ型セルロース誘導体類の調製、構造解析、特異的溶液物性、ナノファイバー化など広範にわたるセルロース化学に関する新しい基礎的な知見を見出し、特に当該セルロース誘導体類が他では認められない特異的な溶液物性を示すことを見出した点は画期的である。従って、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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