学位論文要旨



No 123602
著者(漢字) 鈴木,香奈子
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,カナコ
標題(和) 西アフリカ・サヘル地帯の砂質土壌における各種土壌管理法が土壌窒素の動態と肥沃性に及ぼす効果
標題(洋)
報告番号 123602
報告番号 甲23602
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3306号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 岡田,謙介
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 准教授 山岸,順子
 東京大学 准教授 中元,朋実
 国際農林水産業研究センター 領域長 伊藤,治
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景と目的 (第1章)

サハラ砂漠以南の西アフリカ諸国において、年間降水量が200-600mmで乾期と雨期が明瞭に分かれている半乾燥熱帯地域がサヘル地帯である。このサヘル地帯における主要穀物のトウジンビエ(Pennisetum glaucum (L.))の生産性は非常に低い。その要因としては降水量の低さもあるが、この地帯の土壌の低肥沃性が主な要因となっている。サヘル地帯の土壌は、極端な砂質で粘土含量が少なく、そのうえ主粘土鉱物はカオリナイトであるため陽イオン交換容量(CEC)が約1.0-2.0 cmolc kg-1と低くて、塩基やアンモニア態・硝酸態窒素の溶脱が生じ易い。

サヘル土壌の肥沃度を向上させるためには、化学肥料投入量の増加が第一の手段として考えられるが、上記のように溶脱による養分損失が生じ易い。また、サヘルの農家にとって化学肥料は非常に高価なため多量の使用は不可能である。そこで、CEC上昇の効果も有する有機物の利用が有効な方法であるが、サヘルの農家が使用可能な量は有限であるため、有機物のみによる養分供給は難しい。それゆえに効率の良い有機物・化学肥料の併用施肥法の確立が必要とされている。

サヘルでは主に窒素(N)とリン(P)養分の不足が大きな問題とされているが、本博士論文では、その循環や動態に生物的要因が大きく関与しているため複雑で、これまでサヘル土壌においては詳細に解明されてこなかった窒素を対象とした。そして日本土壌で有効性が明らかにされている可給態N量の評価法としての1/15Mリン酸緩衝液抽出法を新しい解析手段として用い、サヘル地帯の砂質土壌中におけるN養分の動態を詳細に解明することを目的とした。

2. 可給態窒素の指標としての1/15Mリン酸緩衝液抽出有機態窒素(PEON)のサヘル地帯の砂質土壌における適応性の検討 (第2章)

ニジェール共和国のサヘル地帯に属するファカラ地域内の3カ村の33農家圃場より土壌を採取し、その土壌を用いてトウジンビエを4週間栽培し、植物体によるN吸収量を判断基準として、1/15Mリン酸緩衝液抽出有機態窒素(PEON)の有効性を検討した。その結果、PEONはトウジンビエのN吸収量と有意に高い相関性を示した(r = 0.753, p < 0.001) (図1)。また、PEON+無機態N量も高い相関性を示した(r = 0.833, p < 0.001)。加えて、分光光度計を用いた簡便法について検討した結果、リン酸緩衝液による土壌抽出液を直接波長280nmで吸光度を測定する方法も、迅速で特別な試薬を必要としないにもかかわらず、トウジンビエのN吸収量と高い相関性を示した(r = 0.844, p < 0.001)。これらの結果より、1/15Mリン酸緩衝液抽出法はサヘル地帯の砂質土壌においても可給態N量評価法として有用であることが分かった。

3. 農家の伝統的な土壌管理法が土壌中の窒素画分に及ぼす影響 (第3章)

前章において有用性が明らかとなったPEONを指標とし、作物へのN供給として重要な可給態Nプールに着目して、農家の各種伝統的土壌管理法が土壌のN肥沃性に及ぼす影響について評価した。土壌中のPEON量は、人為的な化学肥料/有機物の施肥が全く無い(NT)圃場を対照区として比較すると、家庭廃棄物や家畜糞などの混合物を投入する住居隣接(H)圃場と運搬堆肥法(FYM)(写真1)、家畜による有機物の持ち去りの無い保護休閑(RF)で高くなった。一方、家畜糞尿のみを投入するコラリング法(C、CSG、CC)(写真2)、通常の休閑法(F)ではNTと殆ど差は無かった(図2)。全窒素量もまたPEON量と同様の傾向を示した。しかし、無機態N量はコラリング法の圃場で高くなり、RFではNTとの差が認められなかった。

これらの結果より、有機物投入型管理法の中でも、投入する有機物の種類によって、PEON量が変化することが明らかとなった。運搬堆肥で用いられる有機物は、C/N比が高く、分解され難い作物残渣が多く含まれていたことから、土壌中に残り易かったためにN肥沃性が高くなったと推察された。一方、コラリング法の場合は、圃場へ家畜糞とともに尿が直接投入されるため尿素の投入が多いこと、また作物残渣よりもC/N比が低く分解・無機化が速いことから、PEON量には影響が現れず、無機態N量が高かったと考えられた。また、有機物を投入しない休閑法では作物栽培によるNの持ち去りはないが、人為的な投入がないことと家畜放牧による有機物の持ち去りのために、N肥沃性は低いと考えられ、10年間の継続でもN肥沃性は回復しなかった。家畜による有機物の取り出しのないRFと同年数継続の通常休閑(F10)とを比較すると、家畜による有機物持ち去りの影響は非常に大きいことが明らかとなった。(図2)。

4. 有機物/化学肥料の長期連用が土壌中の窒素の動態と作物生産性に及ぼす影響 (第4章)

前章より、サヘルの農家の伝統的土壌管理法のうち、有機物投入型の管理法がN肥沃性を高めるが、投入有機物の質によって各N画分に及ぼす影響が異なることが分かった。そこで、本章においては、1993年から継続している牛糞・作物残渣・化学肥料の長期連用試験を用い、異なる有機物の長期的投入がそれぞれ土壌中のN画分の動態に与える影響について詳細に解明することとした。

1) トウジンビエの生育・収量から検証する有機物/化学肥料の各投入形態によるN供給の影響

1998年から蓄積されているトウジンビエの全乾物重(TDM)と子実収量(GY)データの解析より、測定開始当初から最も強い影響を与えていたのは化学肥料であった。作物残渣や牛糞堆肥の影響は試験開始から8-9年経過後に現れ、これら有機物によるN投入効果の発現に数年かかることが分かった。現在は、有機物の形態で投入されたN量の一定の割合が無機化されて作物に吸収されているという、Nフローの定常状態に達していることが明らかとなった。

そこで、有機物/化学肥料の各種処理によるトウジンビエへのN供給パターンを検証した結果、化学肥料投入を含む処理区では栄養生長期前半にN供給の効果が強く現れたが、有機物のみ投入処理では雨期期間を通して緩慢であることが分かった。また、収穫時の子実収量とN吸収量とに同様の処理の効果が認められたため、収量が土壌のN供給力に大きく影響されていることが明らかとなった。

これらの結果より、有機物/化学肥料の各種処理によるN供給がトウジンビエの生育や収量に大きな影響を与えることが分かったので、各種処理が土壌中のN画分の動態に及ぼす影響を検証した。

2) 土壌中の窒素画分の季節変動

まず土壌中の窒素の動態を見るために、全てを投入した区について、各窒素画分の垂直分布と季節的変化を調査した。土壌中のTN量に関しては、土壌表層・下層ともに季節変動は見られなかった。一方、PEON量と無機態Nには季節変動が見られた。土壌表層0-15cmのPEON量は雨期開始直前に高く、雨期開始とともに減少し、それ以降は約10mg kg-1でほぼ一定に推移した。また、連続した多雨があると、PEONが15-30cm層へ移動していることが認められたが(図3-(3)(8))、それ以降のより下層への移動が見られなかったので、この深さで無機化されて無機態Nの形態で下層へ移動していることが示唆された。より下層(45cm~)では約5mg kg-1でほぼ一定に推移した。

一方、土壌表層中の無機態N量はPEONと対照的に雨期開始後から約1ヶ月間顕著に高くなりバーチ効果が明瞭に認められたが、それ以降は化学肥料投入処理以外では増減はなかった。垂直分布の時間変化からは、連続した多雨が生じると、硝酸態Nが下層へ移動していることが分かった。

3) 有機物/化学肥料の各種処理が土壌中の窒素動態に及ぼす影響

土壌の全窒素(TN)に対する処理の影響は土壌表層においてのみ現れ、作物残渣投入処理において高い傾向がみられた。PEON量には土壌表層・下層において処理の影響は殆ど見られなかった。無機態N量については化学肥料を含む処理では投入時に一時的なアンモニア態N量の増加が見られたが、その増加は約2-3週間程度で消失することが分かった。

5. 総合考察 (第5章)

1/15Mリン酸緩衝液抽出法がサヘルの砂質土壌でも可給態N量の測定法として有用であることが分かった。この事によって、土壌中の可給態N量の動態を迅速・簡便に知ることが出来るようになり、有限なN源を効率良く利用できる土壌管理法の提案が可能となる。

作物のN吸収効率は多量に投入すると低下することから、施肥等の多量投入による収量増を意図すると溶脱によるN養分の損失が大きな問題となることが示唆された。この大きな要因の一つとしてサヘル土壌のPEON保持能力の低さがあると考えられた。すなわちPEONの季節変動の結果より、雨期期間中、土壌表層では約10mg kg-1、45cmから下層では約5mg kg-1でほぼ一定に推移していたことから、サヘルの砂質土壌における保持能力はこの程度であり、日本の土壌等に比べてかなり低いと考えられた。サヘル土壌では水溶性の有機態Nが多く、PEON量の約25-50%前後の割合であった(図4)。一方日本の各種黒ボク土では水溶態の有機態Nは殆ど存在していないことから、サヘルの砂質土壌における有機態窒素が不安定であることが推察された。

本試験の結果より、作物残渣が土壌中のTN量を増加させる効果については明らかになったが、PEON量の保持能力を高める方策(有機物の質等)については今後の課題である。

図1. トウジンビエの窒素吸収量とPEON量の相関. ***, p < 0.001.

図2. ニジェール・ファカラ地域の3カ村における異なる管理法下の土壌中のPEON量. X軸の各種土壌管理法に関しては文章中での説明を参照のこと. 但し、コラリング法に関しては、牛・小動物の混合コラリングにおける牛糞尿投入場所がC、羊・山羊糞尿投入場所がCSGであり、CCは牛のみのコラリング. 記号の後ろの数字は継続年数を表す.BZ、 ハ゛ニス゛ンフ゛村、KD、コディ村、TT、チゴテギ村. 縦棒: 標準誤差. 同じアルファベット記号のある処理区は有意差がない(LSD, p < 0.05.)

図3. 2006年度の雨期期間中における処理RFMのPEON量の動態. 処理RFMは化肥 45N + 13.3 P (kg ha-1)、作物残渣と牛糞堆肥3000 (kg ha-1) が投入されている処理.化肥は窒素が尿素、リンは過リン酸石灰で投入されている.

図4. サヘルの砂質土壌中のPEON量と水溶態の有機態窒素の量. 縦棒、標準誤差.

写真1. 家庭廃棄物を運搬している様子(運搬堆肥法).

写真2. 畑地に家畜を囲っている様子(コラリング法).

審査要旨 要旨を表示する

西アフリカ・サヘル地帯は、主要作物であるトウジンビエの生産力が低く、しばしば旱魃年に飢饉が広がることが知られているが、その低生産性の最大の要因は土壌の低肥沃性であることが知られている。現金収入の乏しいサヘルの農家にとっては、化学肥料の十分量の利用は難しいため、遊牧民との協力によって家畜糞を圃場に投入するコラーリング法(corralling)や、作物残渣投入を主体とする運搬堆肥法(transport manure)などによって農家は土壌に植物栄養養分を供給しようとしているが、未だに有効な対策を合理的に選択できるだけの科学的な知見が少ない現状である。

本論文は、人口密度増加にともなう休耕地の減少や、市場経済のゆるやかな浸透といった現地の社会経済的な変化を背景として、それら伝統的な土壌肥沃度管理法と、近代的な化学肥料の適切な利用を併用した効率的かつ持続的な土壌肥沃度向上の方法を策定することを目的として、3年にわたる西アフリカ・ニジェール国における現地試験によって土壌窒素の動態解明を行い、その知見に基づいて現地で採用可能でかつ有効な土壌管理法を提案したものである。

第1章は論文全体の序章であり、サヘル地帯の自然条件と土壌資源の特徴について要約したのち、トウジンビエの主要生産制限要因が土壌の低肥沃性にあることを論証している。また土壌の窒素供給力の要となる可給態窒素プールについて、近年の効率的な測定方法の展開についての文献をまとめ、リン酸緩衝液抽出有機態窒素(PEON)測定法が有望であることを示した。

第2章では、従来サヘル地域では可給態窒素の測定がほとんど実施されてこなかった事態に鑑み、上記リン酸緩衝液抽出有機態窒素(PEON)の測定によって比較的簡便に可給態窒素を推定できることを想定し、現地農家のさまざまな伝統的土壌管理法下の土壌を用いて検討した。その結果、サヘルの砂質土壌でもPEONが有効な測定手法となりうることを実証した。さらにリン酸緩衝液抽出液の紫外部吸光度の測定も簡便法として有効であることを示し、現地の国立研究所や普及組織でも採用可能な方法として提案した。現地での土壌肥沃度管理のための技術的指針の策定に、本知見が貢献することが期待される。

第3章では、上記PEONの測定も併用して、サヘルにおける土壌管理法が異なる33の農家圃場の土壌を分析し、C/N比の高い作物残渣の投入を主体とする運搬堆肥法が、系における窒素の損失が少ない優れた方法であることを見いだした。これに対して、現地で推奨されているコラーリング法は、速効的ではあるものの、サヘルの砂質土壌においてはその効果が持続的でなく限定されていた。もっとも古くから実施されている休閑法は、家畜の採食による系外への持ち出しがある限り、窒素肥沃度向上に有効ではないことも示された。

そこで第4章では、有機物投入型の土壌管理法である、運搬堆肥法とコラーリング法について、それぞれをシミュレートした作物残渣と牛糞堆肥の投入処理に、適量の尿素肥料の施用を組み合わせて、その長期的な効果について検証した。この目的のために、国際半乾燥熱帯作物研究所(ICRISAT)サヘルセンター内で1983年から実施されてきた長期連用試験を研究対象として選び、既存の収量等のデータの独自な分析と、2004~2006年の3年間にわたる植物体と土壌の集中的な調査を行っている。その結果、尿素肥料の単独使用では土壌の酸性化の進行によるトウジンビエの収量が漸減すること、有機物施用の効果は試験開始後7-8年後から現れたが、単位窒素投入量あたりで比較すると、作物残渣と尿素肥料の併用がもっともトウジンビエの窒素吸収と収量向上に効果があり、またその効果が持続すること、などが明らかとなった。

またそれらの有機態・無機態による窒素投入が土壌の窒素動態に及ぼす影響も解明された。すなわち、作物残渣の投入によって同じ窒素投入量あたりの土壌表層全窒素の増加がもっとも大きく、窒素の保持に効果があった。また雨期初期に可給態窒素が減少するとともに無機態窒素が増加するというバーチ効果がサヘルにおいても発現することが示された。尿素肥料の施用は表層のアンモニア態窒素を一時的に増加されたが、その効果はバーチ効果に比べると小さく、下方損失の大きい砂質土壌では尿素肥料の直接効果が比較的小さいことが明らかになった。また硝酸態窒素や水溶性有機態窒素の下方移動が大きいことがデータによって解明され、これらの土壌においては投入窒素を保持する機作が重要であることが示された。

第6章は総合考察であり、上記試験結果の意義付けについて考察したのち、作物残渣の投入と尿素肥料の併用がもっとも推奨できる土壌肥沃度管理法であることを論じている。

以上、本論文は、従来あまり作用機作の解明が行われてこなかったサヘル砂質土壌における有機態・無機態窒素の施用効果について、リン酸緩衝液抽出有機態窒素測定法を適応可能性を検証したうえで採用し、土壌中の窒素動態を解明し、その結果に基づいて今後の有効な土壌管理法について明らかにしたものであり、学術上、応用技術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク