学位論文要旨



No 123604
著者(漢字) 小郷,裕子
著者(英字)
著者(カナ) オゴウ,ユウコ
標題(和) 植物の鉄吸収に関わる転写因子の研究
標題(洋)
報告番号 123604
報告番号 甲23604
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3308号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山根,和久
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 准教授 山川,隆
内容要旨 要旨を表示する

背景

鉄は全ての生物にとって必須な元素である。イネ科植物は、鉄要求性が高まるとファイトシデロフォアであるムギネ酸類を合成し、根圏に分泌して鉄を吸収する。好気的な条件では鉄は水酸化第二鉄となっていて、石灰質アルカリ土壌のような高pH土壌ではほとんど溶け出さないため、植物は鉄を吸収しにくい。このような土壌は世界の耕地の25%も占め、鉄欠乏による作物の収量および質の低下が重大な農業問題になっている。また、鉄はヒトにとっても必須の栄養素である。WHOの報告によると、世界で最も多いヒトの栄養障害は鉄欠乏で、世界の約20億人が鉄欠乏性貧血に悩まされている。鉄含量を高めた作物を作出することは現実的な解決策として注目されている。植物の鉄栄養制御を解明することは農業分野のみならず、ヒトの健康においても重要な研究課題である。具体的には植物の鉄の吸収機構、鉄の体内動態の生理、そして鉄欠乏時の遺伝子発現応答やその制御機構の解明が、鉄欠乏耐性植物や鉄含量を高めた植物の創製には不可欠である。

近年、ムギネ酸類合成や鉄輸送等の植物の鉄吸収に関わる遺伝子が数多く単離され、植物の鉄吸収、利用機構が分子レベルで明らかになりつつある。これら鉄吸収に関わる遺伝子の多くは、鉄欠乏によって発現が誘導される。このため、鉄栄養に関わる遺伝子群の発現は、鉄欠乏に応答するための共通の制御機構によっているものと予想される。この制御機構を分子レベルで解明するために、まず鉄欠乏誘導性・根特異的発現を付与する2つのシスエレメントIDE1、IDE2(Iron-deficiency-responsive element 1, 2)が、オオムギのIDS2プロモーターの欠失解析により同定された(Kobayashi et al., 2003)。IDE1およびIDE2は双子葉植物であるタバコにおいても鉄欠乏応答性を示し、さらにIDE1、IDE2と相同性のある配列が、オオムギ、イネ、シロイヌナズナで報告されている多くの鉄欠乏誘導性遺伝子のプロモーターに存在していた(Kobayashi et al., 2003, 2005)。このことは、鉄欠乏誘導性のシスエレメントが多くの遺伝子や植物種において保存されている可能性を示している。このように、IDE1、IDE2は、鉄欠乏誘導性遺伝子発現のメカニズムの解明に向けて最も重要な発見であり、それらに結合する転写因子の同定が待たれていた。本研究では、IDE1、IDE2に結合する転写因子の探索とともに、マイクロアレイを用いて鉄欠乏誘導性転写因子を探索するという二方向から研究を進めた。

IDE1結合性転写因子IDEF1の同定 (Kobayashi, Ogo et al., 2007)

IDE1、IDE2に結合する転写因子を探すため、まず、IDE1、IDE2に含まれる、またはIDE1、IDE2に似た配列の既知シスエレメントを検索した。IDE1はCATGCという配列を含み、それは Sph motif (TCCATGCAT)/RY element (CATGCA) というシスエレメントに似ていた。Sph motif/RY element は、植物特有の転写因子 ABI3/VP1 ファミリー転写因子により認識される。イネにおいては、OsVP1 が報告されている唯一の ABI3/VP1 ファミリー転写因子であった。イネゲノムのデータベース検索により、OsVP1 のDNA 結合ドメインにホモロジーの高いドメインをもつ遺伝子が4つ見つかった。これら4つの遺伝子について、yeast one-hybrid assay と EMSA により DNA 結合性を解析したところ、そのうちの1つの遺伝子について両解析ともに明確な IDE1 結合性が確認された。このタンパク質をIDE1-binding factor 1 (IDEF1)と名づけた。IDEF1は、イネの根および葉に恒常的に発現していた。タバコにおいて、IDEF1を恒常的に発現させると、IDE1 を上流に融合させたレポーター遺伝子の発現を鉄欠乏の根特異的に誘導した。IDEF1をIDS2プロモーターにより発現させた形質転換イネは、鉄欠乏初期において鉄欠乏耐性を示した。興味深いことに、この形質転換イネでは鉄欠乏にすると二価鉄イオントランスポーターOsIRT1と、鉄欠乏誘導性 bHLH 型転写因子OsIRO2 (Ogo et al., 2006, 2007) の発現が、非形質転換体より高かった。このことから、IDEF1 はOsIRT1とOsIRO2の発現を制御していると考えられた。

鉄欠乏誘導性新規 bHLH 型転写因子 OsIRO2 の解析 (Ogo et al., 2006, 2007)

鉄栄養に関わる遺伝子の発現制御を担うタンパク質を同定する目的で、鉄欠乏イネを用いて22Kマイクロアレイ解析を行い、鉄欠乏誘導性であり遺伝子発現制御に関わると予想される遺伝子を探索した (Ogo et al., 2006)。このマイクロアレイ解析には、イネに鉄欠乏処理を行ってからの経時的なサンプルを用いた。様々な発現パターンの21個の候補遺伝子を見つけた。その中で地上部、地下部ともに特に強い鉄欠乏誘導性が観察された bHLH 型の転写因子に OsIRO2と名付け、機能解析を行った。IRO2 はオオムギ、コムギ、ソルガム、トウモロコシなどのイネ科植物で広く保存されており、またシロイヌナズナにも中程度にホモロジーの高い遺伝子が存在した。CASTing実験と EMSA により、OsIRO2の結合コア配列CACGTGGを決定した。次に、OsIRO2のin plantaでの機能を解明するため、OsIRO2過剰発現 (35S-OsIRO2) イネ、RNAi法によるOsIRO2発現抑制 (OsIRO2 RNAi) イネを作製した。植物は鉄が欠乏するとクロロフィル合成阻害によるクロロシス症状を示す。35S-OsIRO2イネは、ムギネ酸類の分泌量が増加し、クロロシスになりにくかった。一方、OsIRO2 RNAiイネは、ムギネ酸類の分泌量が少なく、クロロシスになりやすかった。35S-OsIRO2イネとOsIRO2 RNAiイネを用いた発現解析により、ニコチアナミン合成酵素、Fe(III)-ムギネ酸類トランスポーター等のムギネ酸類を用いた鉄吸収に関わる遺伝子の発現がOsIRO2により制御されていることがわかった。また、複数の鉄欠乏誘導性転写因子もOsIRO2により制御されており、これらにはOsIRO2のDNA結合配列を上流に持つものもあった。OsIRO2は、IDE1結合性転写因子IDEF1により制御されるので、鉄欠乏時におけるIDEF1→OsIRO2→その下流の転写因子という遺伝子発現制御ネットワークモデルが考えられた。本研究により同定した転写因子IDEF1、OsIRO2と、それらのシス配列、およびそれらが制御する遺伝子群を同定することにより、一連の植物の鉄欠乏応答における遺伝子発現制御ネットワークの中核が世界で初めて明らかになった。

35S-OsIRO2イネは石灰質アルカリ土壌において鉄の吸収および移行能力が高い

ムギネ酸類を多く分泌した35S-OsIRO2イネについて、石灰質アルカリ土壌において鉄欠乏耐性検定を行った。35S-OsIRO2イネは、好気的な石灰質アルカリ土壌という鉄獲得が非常に厳しい条件においても非形質転換体に比べ健全に生育した。35S-OsIRO2イネの茎葉の乾重量は、非形質転換体の2倍以上、穂重は非形質転換体の3-5倍にものぼった。35S-OsIRO2イネの茎葉の鉄濃度は、非形質転換体の2-4倍であった。また、35S-OsIRO2イネの玄米の鉄濃度は非形質転換体の2倍以上であった。我々の研究室では、ムギネ酸類合成に関わる遺伝子や三価鉄還元酵素等をイネに導入し、鉄欠乏耐性イネを作出してきた(Takahashi et al., 2000; Ishimaru et al., 2007; Suzuki et al., 2007)。本研究において、転写因子を過剰発現させ、複数の鉄吸収に関わる遺伝子の発現を強化することによっても、植物に鉄欠乏耐性を付与することに成功した。さらに、35S-OsIRO2イネは石灰質アルカリ土壌において効率的に鉄を種子へ移行しており、可食部である種子へ鉄を多く蓄積する植物の作製へ向けて重要な知見を与えた。

Ishimaru et al., 2007 PNAS. 104: 7373-8Kobayashi et al., 2003 Plant J. 36: 780-93Kobayashi et al., 2005 J Exp Bot. 56: 1305-16Kobayashi et al., 2007 PNAS. 104: 19150-5Ogo et al., 2006 J Exp Bot. 57: 2867-78Ogo et al., 2007 Plant J. 51: 366-77Suzuki et al., 2007 SSPN in pressTakahashi et al., 2001 Nat Biotech. 19: 466-9.
審査要旨 要旨を表示する

背景

鉄は全ての生物にとって必須な元素である。イネ科植物は、ムギネ酸類を合成し、根圏に分泌して鉄を吸収する。植物が鉄を吸収しにくい石灰質アルカリ土壌は世界の耕地の25%も占め、鉄欠乏による作物の収量および質の低下が重大な農業問題になっている。また、鉄はヒトにとっても必須の栄養素であり、世界の約20億人が鉄欠乏性貧血に悩まされている。植物の鉄栄養制御を解明することは農業分野のみならず、ヒトの健康においても重要な研究課題である。近年、ムギネ酸類合成や鉄輸送等の植物の鉄吸収に関わる遺伝子が数多く単離され、植物の鉄吸収、利用機構が分子レベルで明らかになりつつある。これら鉄吸収に関わる遺伝子の多くは鉄欠乏によって発現が誘導され、鉄欠乏に応答するための共通の制御機構によっているものと予想される。近年、当研究室の小林らによって鉄欠乏誘導性を付与する2つのシスエレメントIDE1、IDE2(Iron-deficiency-responsive element 1, 2)が同定された。本研究では、IDE1、IDE2に結合する転写因子を探索するとともに、マイクロアレイを用いて鉄欠乏誘導性転写因子を探索するという二方向から研究を進めた。

IDE1結合性転写因子IDEF1の同定

IDE1、IDE2に結合する転写因子を探すため、まず、IDE1、IDE2に含まれる、またはIDE1、IDE2に似た配列の既知シスエレメントを検索した。その結果、IDE1はSph motif/RY element に似た配列を含んだ。Sph motif/RY element は、ABI3/VP1 ファミリー転写因子により認識される。イネにおいてはABI3/VP1 ファミリー転写因子が5つ見つかり、この中の一つ、IDE1-binding factor 1 (IDEF1)と名づけたタンパク質がIDE1に結合することがわかった。IDEF1は、イネの根および葉に恒常的に発現していた。タバコにおいて、IDEF1を恒常的に発現させると、IDE1 を上流に融合させたレポーター遺伝子の発現を鉄欠乏の根特異的に誘導した。IDEF1をIDS2プロモーターにより発現させた形質転換イネは、鉄欠乏初期において鉄欠乏耐性を示した。この形質転換イネでは鉄欠乏にすると二価鉄イオントランスポーターOsIRT1と、鉄欠乏誘導性 bHLH 型転写因子OsIRO2の発現が、非形質転換体より高かった。このことから、IDEF1 はOsIRT1とOsIRO2の発現を制御していると考えられた。

鉄欠乏誘導性新規 bHLH 型転写因子 OsIRO2 の解析

鉄欠乏イネを用いた22Kマイクロアレイ解析により、根、茎葉ともに鉄欠乏誘導性を示す新規bHLH 型の転写因子を発見し、 OsIRO2と名付けた。CASTing実験と EMSA により、OsIRO2の結合コア配列を決定した。OsIRO2過剰発現イネは、ムギネ酸類の分泌量が増加し、OsIRO2 発現抑制イネは、ムギネ酸類の分泌量が少なくクロロシスになりやすかった。これらの形質転換イネを用いた発現解析により、OsIRO2はムギネ酸類を用いた鉄吸収に関わる遺伝子群の発現を制御していることがわかった。また、複数の鉄欠乏誘導性転写因子もOsIRO2により制御されており、これらにはOsIRO2のDNA結合配列を上流に持つものもあった。OsIRO2は、IDE1結合性転写因子IDEF1により制御されるので、鉄欠乏時におけるIDEF1→OsIRO2→その下流の転写因子という遺伝子発現制御ネットワークモデルが考えられる。

OsIRO2の過剰発現は石灰質アルカリ土壌においてイネの鉄の吸収および移行を向上させる

OsIRO2過剰発現イネは、石灰質アルカリ土壌においても非形質転換体に比べ健全に生育した。OsIRO2過剰発現イネの収量は非形質転換体の3-5倍であり、玄米の鉄濃度は非形質転換体の2倍以上であった。本研究において、転写因子を過剰発現させ、複数の鉄吸収に関わる遺伝子の発現を強化することによって、植物に鉄欠乏耐性を付与することに成功した。さらに、OsIRO2過剰発現イネイネは石灰質アルカリ土壌において効率的に鉄を種子へ移行しており、可食部である種子へ鉄を多く蓄積する植物の作製へ向けて重要な知見を与えた。

以上、本論文は植物の鉄欠乏応答における遺伝子発現制御ネットワークを明らかにし、転写因子の発現を増大させることによって、イネに鉄欠乏耐性を付与することに成功し、学術上、応用上貢献するところが大きく、よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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