学位論文要旨



No 123605
著者(漢字) 山下,詠子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,ウタコ
標題(和) 長野県における林野入会の現代的変容 : 所有形態と入会集団に着目して
標題(洋)
報告番号 123605
報告番号 甲23605
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3309号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 准教授 露木,聡
 東京大学 准教授 溝口,勝
 東京大学 准教授 古井戸,宏通
 明治大学 教授 小田切,徳美
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、長野県における林野入会の現代的変容を、1)入会集団が所有形態を変更する要因、2)所有形態が入会集団に与える影響、の観点から明らかにし、現代的変容をふまえた入会林野の管理・利用と入会林野政策の方向性を考察することである。

近年の入会林野研究は、林野入会の変容、あるいは入会林野政策の評価という観点から行われてきた。1章では、文献調査によって、林野入会の変容に関する研究においては所有形態の影響への着目が不十分であること、入会林野政策の研究においては入会林野整備事業の対象外の入会集団への注目が薄かったことを明らかにし、種々の所有形態を横断的に捉えて入会林野の実態に迫る必要があることを指摘した。そして、林野入会の内実は地域ごとに多様であるため、調査対象地を入会林野の面積が大きく、かつ多様な所有形態を含む長野県に限定した。これは、諸条件が類似する一定の地域内で複数の事例を比較する手法をとったことを意味する。

2章では、入会林野の政策史を整理し、各政策が林野入会にもたらした影響を林野の所有面から分析した。加えて全国的な入会林野の所有形態ごとの存在状況を分析し、長野県における存在状況を明らかにした。明治以降の数々の近代化政策により、国有化・公有化という形で入会林野は解体・消滅させられてきた。戦後の入会林野近代化法以降は一転して私有化路線が打ち出され生産森林組合という協業化を推進してきたが、未整備の入会林野が現在も約60万ha残存する。他方、入会林野に影響を与えつつある新たな制度が認可地縁団体制度である。これらの政策によって生み出された生産森林組合、財産区や、政策から林野を守るために設立された公益法人、会社等の存在状況は、地域ごとに政策の実施過程に差が見られるため著しい偏りが見られた。それにより、地域ごとに抱えている問題も異なることが確認された。長野県は入会林野の面積が大きいだけでなく、生産森林組合・財産区が比較的多く、公益法人・会社という全国に偏在している所有形態も少数であるが存在する。また、認可地縁団体による林野保有も進展している。

3章では、生産森林組合、財産区、認可地縁団体、公益法人、株式会社の各所有形態の制度分析を行い、入会慣習と所有制度との齟齬という観点から整理を行った。林業経営の協業組織である生産森林組合には種々の優遇措置があるが、林業生産活動の実態がない組合においては法人会計事務や法人住民税が重荷となる。市町村合併を円滑に進めるための妥協策として創設された財産区は、究極的には市町村のコントロール下に置かれる点など、入会慣習との間に多くの矛盾が生じている。認可地縁団体は、生産森林組合等に比べて設立手続きが簡便で制度的制約も少ないが、収益の個人分配は許されない。また入会権の存否を明確にしておかないと、旧来からの入会権者と転入者(非権利者)との間に軋轢が生じる可能性がある。公益法人は都道府県の許可を得なければ設立できないが、課税における優遇措置も多く、入会慣習を継続するための自由度が高い。株式会社は税制面での優遇措置はないものの、行政庁の許可や認可を得ずに設立できる。

4章では、課題1)に基づく入会集団が所有形態を変更するケースとして、最も新しい動きをもたらしている地方自治法上の認可地縁団体制度を取り上げ、その実態と所有形態変更の要因を分析した。まず飯山市・栄村における入会集団たる集落を、入会林野整備事業による生産森林組合設立の有無、および認可地縁団体への対応によって4パターンに類型化し、認可地縁団体制度への対応の内部要因を考察した。また、入会集団の外部の主体として、県、県林業公社、市町村、森林組合における認可地縁団体制度への対応を明らかにした。調査地の未整備入会林野においては、入会林野を集団名義で登記する便法として認可地縁団体制度が活用されていた。未整備入会林野との関連において、認可地縁団体制度はこれまでの近代化政策から取り残され、または入会林野整備事業による整備意思を持たない集団に登記の道を開いた点で評価できる。ただし、事例の多くにおいて入会権の存否の問題は認識されずに登記名義が変更されており、入会権をめぐる権利者・非権利者間でのトラブルの種が残されている。次に生産森林組合との関連では、経営不振と税負担の問題が限界に達した生産森林組合が解散後の受け皿として認可地縁団体制度を活用していることがわかった。生産森林組合のような林業経営組織はそのメリットが発揮できず、デメリットだけが負担として組合員にのしかかっていた。林業経営の実体がない場合は認可地縁団体のような身軽で自由度の高い制度のほうが適しているといえる。一方で、認可地縁団体の増加にもかかわらず林野行政は何も対応をとってこなかった。まずは現場先行の動向を把握し、認可地縁団体による林野所有を、入会林野政策の観点から林政の中に位置づける必要がある。

5章では、入会集団の範囲を決める権利の得喪の動態が明確に析出されると考えられる混住化や過疎化が進行する伊那市・諏訪市・長野市・山ノ内町において、各所有形態が入会集団にどのような影響をもたらしているのか分析した。

第一グループの所有形態(生産森林組合、林野利用農業協同組合、株式会社)では、定款により構成員が組合員(または株主)に限定される。近代的所有形態をとりながらも旧慣に基づく構成原理が貫かれる事例が確認される一方、いくつかの事例においては個別的権利が助長される傾向が見られた。また、加入に要件が設定されるため転入者などの新戸は権利を取得しにくくなる。その結果、権利者と非権利者が分離する。しかし、混住化地域の中には、転出せずに組合を脱退する者が出てくるという想定外の事態が発生している。一方、過疎化が進む地域においては離村非失権という新たな対応がみられるが、これは森林管理の担い手確保という意味を持っている。

第二グループの所有形態(財産区、認可地縁団体)は、地方自治法に基づくものである。財産区制度において規定された構成原理は実際に守られ、その結果転入者も権利者に含まれ、財産区制度が入会権の団体的権利を強める方向へ働いたといえる。ただし、認可地縁団体を設立した入会集団においては所有制度が入会集団に与える影響はほとんどなく、所有制度に適合した入会集団のみが認可を受けていた。混住化が進んだ地域においても認可地縁団体が設立されており、転入者にも林野への権利が認められていた。

第三グループの所有形態(財団法人、入会集団)は、法律によって構成原理が規定されていない。そのため、入会集団内部の慣習に従って権利者が決められており、所有制度による影響は見られなかった。ある集団では第一グループのような個別的権利の意識が権利者を固定し、他では第二グループのように団体的権利の意識により転入者も含める対応をとっていた。

6章では研究の総括を行い、長野県における林野入会の現代的変容、さらに入会林野の管理・利用のあり方と入会林野政策の方向性を考察した。変容の第一点は、入会権の二極分化である。すなわち、個別的権利が強まるとともにその権利が維持または強化されるケースが存在する一方で、団体的権利が強まりながらもその権利自体は稀薄化するケースが存在した。

第二点は、入会林野における林野利用の多目的化、とくに森林の公益的機能の発揮の場としての新たなニーズの出現である。このニーズに応える活動の事例が出てきており、地域の森林への関心を一人でも多くの人に持ってもらうことや、森林管理・利用に際しての「楽しみ」がキーワードになっていることに共通点を見いだせる。また、賦役労働によって育ててきた木が成長し施業の委託が進む中、技術を持たない権利者にも可能な森林管理作業のあり方が問われていることも、方針転換を裏付ける条件となっている。しかし、受益者を選ばない公益的機能は、全ての地域住民が権利者である団体的権利との親和性は高いが、一部の地域住民のみが権利者である個別的権利には馴染まない。そのため、個別的権利としての性格が強い入会林野において、排他性を持つ入会権をどのようにかぶせて、または調整していくべきかという新たな課題が現れる。権利の調整とともに、目指すべき管理・利用に相応しい所有形態を入会集団自らが選択することが求められる。

最後に、以上の変容を遂げつつある林野入会に対して、あるべき入会林野政策の課題を提示する。第一は、政策の対象を近代化整備対象の未整備入会林野と生産森林組合に限定するのではなく、他の所有形態をも含めた総体として設定することである。そのためには、縦割り行政の弊害を克服し、面的広がりの中で入会林野の管理・利用を考え、それを実現させるための政策を形成する必要がある。第二は、政策目的を「林野の高度利用」に代わって木材生産機能を含む森林の多面的機能の発揮に求め、そこを出発点とする政策を考えることである。そうすれば、個別的権利と団体的権利、いずれの性格が強い入会林野においても、目的に合わせた所有形態や管理の方向性を見通し、政策に反映することができるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、長野県における林野入会の現代的変容を、1)入会集団が所有形態を変更する要因、2)所有形態が入会集団に与える影響、の観点から明らかにし、現代的変容をふまえた入会林野の管理・利用と入会林野政策の方向性を考察したものである。

1章では、文献調査によって、林野入会の変容に関する研究においては所有形態の影響への着目が不十分であること、入会林野政策の研究においては入会林野整備事業の対象外の入会集団への注目が薄かったことを明らかにし、種々の所有形態を横断的に捉えて入会林野の実態に迫る必要があることを指摘した。そのうえで、調査対象地を入会林野の面積が大きく、かつ多様な所有形態を含む長野県に限定したことが述べられている。

2章では、入会林野の政策史を整理し、各政策が林野入会にもたらした影響を林野の所有面から分析した。加えて全国的な入会林野の所有形態ごとの存在状況を分析し、長野県における存在状況を明らかにした。

3章では、生産森林組合、財産区、認可地縁団体、公益法人、株式会社の各所有形態の制度分析を行い、入会慣習と所有制度との齟齬という観点から整理を行った。

4章では地方自治法上の「認可地縁団体」への所有形態変更の動きを取り上げ、その実態と要因を分析した。また、入会集団の外部の主体として、県、県林業公社、市町村、森林組合における認可地縁団体制度への対応を明らかにした。認可地縁団体制度はこれまでの近代化政策から取り残され、または入会林野整備事業による整備意思を持たない集団に登記の道を開いた点で評価できる。ただし、入会権をめぐる権利者・非権利者間でのトラブルの種が残されている。また、経営不振と税負担の問題が限界に達した生産森林組合が、解散後の受け皿として認可地縁団体制度を活用していることが明らかにされた。これに対して、林野行政は現場先行の動向を把握し、認可地縁団体による林野所有を、入会林野政策の観点から林政の中に位置づける必要があることを提言している。

5章では、入会集団の範囲を決める権利の得喪の動態が明確に析出されると考えられる「混住化」や「過疎化」が進行する伊那市・諏訪市・長野市・山ノ内町において、各所有形態が入会集団にどのような影響をもたらしているのか分析した。第一グループの所有形態(生産森林組合、林野利用農業協同組合、株式会社)は定款により構成員が組合員(または株主)に限定される。近代的所有形態をとりながらも旧慣に基づく構成原理が貫かれる事例が確認される一方、いくつかの事例においては個別的権利が助長される傾向が見られた。過疎化が進む地域においては離村非失権という新たな対応がみられた。第二グループの所有形態(財産区、認可地縁団体)は、地方自治法に基づくものである。財産区制度においては規定された構成原理は実際に守られ、制度が入会権の団体的権利を強める方向へ働いたといえる。一方、認可地縁団体は所有制度が入会集団に与える影響はほとんどなく、所有制度に適合した入会集団のみが認可を受けていた。第三グループの所有形態(財団法人、入会集団)は、法律によって構成原理が規定されていない。そのため、入会集団内部の慣習に従って権利者が決められており、所有制度による影響は見られなかった。

6章では研究の総括を行い、長野県における林野入会の現代的変容、さらに入会林野の管理・利用のあり方と入会林野政策の方向性を考察した。変容の第一点として、個別的権利が強まるとともにその権利が維持または強化されるケースが存在する一方で、団体的権利が強まりながらもその権利自体は稀薄化するケースが存在するという二極分化が見られた。第二点は、入会林野における林野利用の多目的化、とくに森林の公益的機能の発揮の場としての新たなニーズの出現である。ただし、個別的権利としての性格が強い入会林野において、排他性を持つ入会権をどのようにかぶせて、または調整していくべきかという新たな課題が現れる。最後に、以上の変容を遂げつつある林野入会に対して、あるべき入会林野政策の課題として次の2点を提示した。(1)政策の対象を近代化整備対象の未整備入会林野と生産森林組合に限定するのではなく、他の所有形態をも含めた総体として設定する必要がある。(2)政策目的を「林野の高度利用」に代わって木材生産機能を含む森林の多面的機能の発揮に求め、そこを出発点とする政策の形成が必要である。

以上のように、本論文は登記簿上の所有形態の変化と入会集団の性質の変容という2点を分析視角として日本林政史上の重要な課題である林野入会の変容を実証的に明らかにしたものであり、学術上および政策上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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