学位論文要旨



No 123607
著者(漢字) 堀,美菜
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,ミナ
標題(和) カンボジア王国トンレサープ湖における小規模漁業の実態
標題(洋)
報告番号 123607
報告番号 甲23607
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3311号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒倉,寿
 総合地球科学研究所 教授 秋道,智彌
 東京海洋大学 教授 馬場,治
 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 准教授 佐野,光彦
内容要旨 要旨を表示する

カンボジア王国は、メコン河やトンレサープ湖といった豊かな淡水資源に恵まれ、内水面漁業が盛んな国である。同国における総漁獲量の約8割が淡水域の水生生物によって占められ、内水面漁獲量は世界第4位を誇る。カンボジアの内水面漁業は、使用漁具や漁場によって、大規模・中規模・小規模漁業に分類されている。大規模・中規模漁業は許可漁業であり、大型河川や湖で操業される商業的な漁業であるのに対し、小規模漁業は自由漁業であり、村内の水田や村周りの小河川で営まれる自家消費的なものと考えられてきた。このため開発現場で小規模漁業に目が向けられることはほとんどなかったが、1995年から96年にかけてメコン河委員会とカンボジア水産局が合同で実施した家計調査により、総内水面漁獲量の約6割を小規模漁業の漁獲物が占めることがわかり、その重要性が見直された。しかし、小規模漁業を対象とした調査研究は、これまでほとんど行われておらず、どのような人々が、どのような漁業を営み、漁獲物がどのように利用されているのかという実態が明らかになっていない。そこで、本研究では、小規模漁業の詳細なデータを収集し、その実態を明らかにすることを目的とした。また、トンレサープ湖周辺の地域住民にとって、小規模漁業がどのような重要性や役割を持つのかを検討し、今後の水産資源管理と開発の調和に関し考察を行った。

第二章では、水田漁業などによって代表される小規模漁業が、農村地域においてどのように営まれるのを明らかにするため、農業地域であるコンポントム州の2村において209世帯を対象に聞き取り調査を行った。この結果からは、両村において、調査世帯の約7割が、農閑期には村から約30km離れているトンレサープ湖やその周辺湿地などへ出かけて漁業を営んでいた。特に、トンレサープ湖を利用している世帯では、世帯当たりの平均年間漁獲量が701kgおよび544kgと高く、その約9割を販売することにより現金収入を得ていた。このように農民が積極的に漁業を行う背景には、自家消費分さえも賄うことのできない稲作の低生産性が影響していると考えられる。

農業生産性の低さが、農民の積極的な漁業活動を引き起こしているかどうかを、トンレサープ湖周辺の別地域であるシェムリアップ州、バッタンバン州、プルサト州の農村3村を対象に、聞き取り調査を行った。これら3村における世帯当たりの平均年間漁獲量は78、140、114kgであり、自家消費分と考えられる200kgのレベルを超えなかった。3村における稲作は、水田面積の広さや乾季作の有無などにより、多少の差異が認められたものの、概してコンポントム州の2村より生産量が多く、農民は余剰分の米を販売することにより現金収入を得ていた。また、コンポントム州の2村では、漁業収入が家計において重要な位置を占めていたが、他の州の3村においては、農業収入と労働賃金が重要な位置を占めていた。

以上より、農民による小規模漁業は、農業生産性と周辺の経済状況に大きく影響を受けることが分かってきた。つまり、コンポントム州のような稲作生産性の低い農村においては、農民の大部分が商業的に漁業を営むが、稲作生産性の高い地域においては、主に自家消費目的で営まれ、漁獲物の余剰分が販売されるものの、その流通は地域消費に留まるものと考えられる。

第三章においては、専従的に漁業を営む人々による小規模漁業の実態を明らかにするため、まずコンポンチュナン州の1村において151世帯を対象に聞き取り調査を行った。調査対象村は水上生活者の村であり、クメール人、チャム人、ベトナム人の3民族が住んでいた。また、村民の9割が漁業と関連産業に従事していた。漁業従事世帯の9割が刺網を利用し、カゴや投網などその他の漁具と合わせて複数の漁具を利用する者もいた。漁民は、一年を通じて漁業を営んでおり、世帯当たりの平均年間漁獲量は2030kgであった。クメール人の一部は、乾季に干出する島の一部を所有し農業生産を行っていた。家計における漁業収入、家畜収入、養殖収入、労働賃金、借入金の額について、漁業従事世帯を土地所有の有無及び各民族に分けて比較検討を行ったが、借入金を除き、有意な差は認められなかった(ANOVA, p>0.05)。また、家計に占める漁業収入の割合は、6割から7割以上を占めており、漁業収入への依存が高いことが明らかとなった。

次に、コンポンチュナン州の結果を他の漁村地域と比較するため、プルサト州とシェムリアップ州の漁村2村を対象に、同様の聞き取り調査を行った。その結果、漁民の漁獲量、漁獲物の取扱い、漁業収入において有意な差は認められなかった。民族や地域によって使用漁具が多少異なる結果となったが、おおむね漁民はどの地域でも同じような小規模漁業活動を行っていると考えられた。

調査した3村の漁民は、漁獲物のうち1日1kg程度を自家消費分としてとっておき、他は全て仲買業者に販売していた。コンポンチュナン州の調査村内には30件の仲買業者がいた。魚は、魚種別、サイズ別に異なる価格が設定されており、その場で現金化されていた。魚価は日々変動し、仲買業者ごとに異なっていた。多くの場合、漁民は決まった仲買業者に販売していた。これは、仲買業者が漁民に少額の貸付を無担保無利子で行っており、返済期間中は、その仲買業者に漁獲物を独占的に販売する約束をしているためであった。仲買業者は、一定量の魚が集まると、首都のプノンペンや、隣国のタイ、ベトナムへ魚を転売していた。

以上より、専従的な漁民による小規模漁業の実態は、地域や民族などによる差はなく、漁民は漁業に依存して生活していた。漁村では、小規模漁業は現金収入源として極めて重要であった。また、漁獲物は地域消費に留まらず、仲買業者によって国際的な商品として流通していた。更に、仲買業者は、漁民の魚を買い取るだけでなく、現金貸付なども行っており、漁村の小規模漁業は、漁民だけでなく、仲買業者との関わりを含めて成立していた。

先の章において、小規模漁業の漁獲物は、仲買業者によって国内外に広く流通していることを明らかにした。そこで、第四章では漁獲物の流通システムを明らかにし、小規模漁業の経済的波及効果を考察することとした。調査地は、トンレサープ湖の水揚場の一つであるコンポンチュナン州チュノックトゥルー村、国内流通拠点であるプノンペンのチュラングチャムレス水産物集積場、国際流通拠点であるタイ国境のポイペトとタイ王国アランヤプラテート郡のロンクーマーケットとした。これらの流通拠点において、仲買業者、卸売業者、顧客、政府機関関係者を対象とした聞き取り調査を行った。

チュノックトゥルー村を通過し、プノンペンやタイへと向けて出荷される水産物の量は、少なくとも1日2トン、漁期の最盛期には50 トンにも上った。これには、村内の漁民による漁獲物だけでなく、近隣州のコンポントム州やプルサト州の漁民から買取業者が集め、仲買業者に販売したものが含まれていた。

水産物は、魚種、サイズ、季節により転売先が異なり、プノンペンへ転売される魚種とタイへ転売される魚種は異なっていた。また、クリプトプテルス属は、普段はタイへ転売されるが、燻製魚が生産される時期のみ、コンポンチュナン州の州都へと転売されていた。高級魚のサンドゴビーは、プノンペンの輸出業者を通じて、マレーシア、シンガポール、香港、台湾へ活魚として輸出されていた。

このように、小規模漁業民の漁獲した魚は、国際的な競争力を持つ商品として販売されていたが、その多くが個人的なつながりを基礎とした不安定な流通機構となっていた。

最終章においては、トンレサープ湖周辺における小規模漁業の地域性や特異性を考慮しつつ、持続可能な資源管理方策について考察を行った。

近年、カンボジアでは、内水面漁業資源の悪化が問題となっており、早急な対策が必要である。小規模漁業に対する資源管理方策としては、コミュニティーベースマネジメントが導入されているが、法整備と実情とのギャップにより、あまり効果的に進められていない。そもそも漁村においては、コミュニティー自体が形成されていないケースも多い。

現在自由漁業の扱いになっている小規模漁業の多くは、漁具の使用実態からは、漁業法の中規模漁業に分類されるはずであるが、現実的にこれら全てを中規模漁業として規制するのは実行可能性が低い。特に、農業生産性の低い農村部においては、漁業収入が家計を支えており、禁漁期の設定や漁具規制を行うのは彼らの生活に直接的な影響が大きく、たとえ規制したとしても違法漁業の横行が懸念される。一方で、農業生産性が高い地域及び賃金労働機会の多い地域では、小規模漁業は自家消費的に営まれており、漁業収入への依存度が低かった。このことから、開発プロジェクトなどを活用し、農業生産性の向上を図ることで、積極的な漁業活動を行っている農民の漁業への依存度を下げ、農民の漁業活動を、無理なく低減させることができるものと推察される。

更に、小規模漁業による漁獲物が国際的な商品として流通していることから、漁民を取り込んだ形での流通システムを構築することで、漁民の収益性を向上させ漁獲圧を減少させることも検討課題であろう。この場合、外部からの開発プロジェクトを活用して、流通過程におけるコールドチェーンを確立し、高付加価値製品として輸出できるようにすることが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

カンボジアの内水面漁業は、使用漁具や漁場によって、大規模・中規模・小規模漁業に分類されている。小規模漁業は自由漁業であり、村内の水田や村周りの小河川で営まれる自家消費的なものと考えられてきた。1995年から96年にかけてメコン河委員会とカンボジア水産局が合同で実施した家計調査により、総内水面漁獲量の約6割を小規模漁業の漁獲物が占めることがわかり、その重要性が見直された。しかし、世界的に見ても、小規模漁業のような零細漁業を対象とした調査研究は、これまでほとんど行われておらず、どのような人々が、どのような漁業を営み、それらが社会の中でどのようない役割を果たしているのかという実態が明らかになっていない。そこで、本研究では、カンボジア、トンレサープ湖周辺の地域住民にとって、小規模漁業がどのような重要性や役割を持つのかを検討し、今後の水産資源管理と開発の調和に関し考察を行った。

以上の序章につづき、第二章では、水田漁業などによって代表される小規模漁業が、農村地域においてどのように営まれるのを明らかにするため、農業地域であるコンポントム州の2村において聞き取り調査を行った。その結果、この地域で農民が積極的に漁業を行う背景には、自家消費分さえも賄うことのできない稲作の低生産性が影響していると考えられる。

つづいて、農業生産性の低さが、農民の積極的な漁業活動を引き起こしているかどうかを確かめるため、トンレサープ湖周辺の別地域の3村を対象に、聞き取り調査を行った。これら3村では、稲作の生産量は水田面積の広さや乾季作の有無などにより、多少の差異が認められたものの、概してコンポントム州の2村より生産量が多く、農民は余剰分の米を販売することにより現金収入を得ていた。また、コンポントム州の2村では、漁業収入が家計において重要な位置を占めていたが、他の州の3村においては、農業収入と労働賃金が重要な位置を占めていた。

以上より、農民による小規模漁業は、農業生産性と周辺の経済状況に大きく影響を受けることが分かった。

第三章においては、専従的に漁業を営む人々による小規模漁業の実態を明らかにするため、まずコンポンチュナン州の1村において聞き取り調査を行った。調査対象村は水上生活者の村であり、クメール人、チャム人、ベトナム人の3民族が住んでいた。家計における漁業収入、家畜収入、養殖収入、労働賃金、借入金の額には、民族による違いには、借入金を除き、有意な差は認められなかった(ANOVA, p>0.05)。また、家計に占める漁業収入の割合は、6割から7割以上を占めており、漁業収入への依存が高いことが明らかとなった。

次に、コンポンチュナン州の結果を他の漁村地域と比較するため、プルサト州とシェムリアップ州の漁村2村を対象に、同様の聞き取り調査を行った。その結果、漁民の漁獲量、漁獲物の取扱い、漁業収入において有意な差は認められず、漁民はどの地域でも同じような小規模漁業活動を行っていると考えられた。

すなわち、漁村では、小規模漁業は現金収入源として極めて重要であった。また、仲買業者は、漁民の魚を買い取るだけでなく、現金貸付なども行っており、漁村の小規模漁業は、漁民だけでなく、仲買業者との関わりを含めて成立していた。

第四章では漁獲物の流通システムを明らかにし、小規模漁業の経済的波及効果を考察することとした。水産物は、魚種、サイズ、季節により転売先が異なり、プノンペンへ転売される魚種とタイへ転売される魚種は異なっていた。クリプトプテルス属は、普段はタイへ転売されており、高級魚のサンドゴビーは、プノンペンの輸出業者を通じて、マレーシア、シンガポール、香港、台湾へ活魚として輸出されていた。

最終章においては、トンレサープ湖周辺における小規模漁業の地域性や特異性を考慮しつつ、持続可能な資源管理方策について考察を行った。

農業生産性の低い農村部においては、漁業収入が家計を支えていた、一方、農業生産性が高い地域及び賃金労働機会の多い地域では、小規模漁業は自家消費的に営まれており、漁業収入への依存度が低かった。このことから、開発プロジェクトなどを活用し、農業生産性の向上を図ることで、農民の漁業への依存度を下げ、農民の漁業活動を、無理なく低減させることができるものと推察された。また、そのカンボジアの水産物の商品性の高さから、流通システムを改善することにより、漁家の収入を向上させることが可能であり、資源管理に有効に作用するものと考えられた。

以上、本研究は、カンボジアにおける小規模農業の実態を、はじめて総合的に明らかにしたものであり、その解析結果は、今後、途上国での天然資源管理を考える上で、きわめて重要な情報である。よって、審査委員一同は本研究を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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