学位論文要旨



No 123608
著者(漢字) 三浦,史
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,フミ
標題(和) 環境保全型の作物栽培管理技術が耕地の土壌生態系に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 123608
報告番号 甲23608
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3312号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中元,朋実
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 准教授 久保田,耕平
 東京大学 准教授 山川,隆
 東京大学 准教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

第一章 諸言

化学肥料や農薬の多投入による集約的農業体系は農耕地の地力低下や土壌劣化をもたらしている.世界の農業生産の拡大と農産物の安定供給のためには持続型農業を推進する必要がある.持続型農業とは,環境負荷を抑えつつも,収量の維持が可能な農業体系のことである.土壌は,作物を物理的に支えるとともに,養分や水分を保持し供給することで,作物栽培の基盤を担っている.持続可能な作物栽培を実現するには,土壌保全が最優先事項であると考えられる.

保全耕起の一つである不耕起栽培により,土壌流出の軽減や水の保全が可能となるだけでなく,耕起に伴う石油燃料の使用を削減することができ,土壌生態系も保全される.土壌生態系は,有機物を基点とした腐食フードウェブを形成しているため,有機物の投入により機能が高まることが期待される.耕地における土壌生物は,耕起や施肥,あるいは農薬等の管理法に対して,バイオマスや個体数,あるいは種の構成や活性といった様々な要素を変化させ敏感に反応することが知られており,土壌の健全度をはかる指標として用いることもできる.耕地における生産活動を持続的に続けていくために,土壌生態系の保全につながる栽培管理法を工夫していく必要がある.

黒ボク土に代表される火山灰土壌は日本における畑土壌面積の半分以上を占める.黒ボク土は多孔質であるため,保水性や透水性に富み,作物の生育に適した物理性を有した土壌である.しかし,容積重が小さいため,風食や水食等の被害を受けやすく,受食性が高いという側面もあり,保全の必要がある.いっぽう,農業従事者の高齢化や労働力不足のため耕作が放棄される土地は年々増加しているが,耕作放棄畑の土壌特性を知ることは,生態系に占める意義を解明したり,土壌を保全し再び生産の場として利用するための基礎となる重要なテーマとなっている.

以上の背景を基に,環境保全型の作物栽培管理技術が耕地の土壌生態系に及ぼす影響を明らかにすることと土壌生態系の有する機能を解明することを目的に,黒ボク土において保全耕起と堆肥施用を組み合わせて試験を行った.土壌生態系については,機能の異なる生物群を総合的に評価するために,体サイズを基にした分類により,微生物,小型土壌動物,中型土壌動物,及び大型土壌動物の動態を中心に調査した.

第二章 保全耕起と堆肥施用が作物生育及び土壌の生物性・化学性・物理性に及ぼす影響

耕起法と堆肥処理を組み合わせた土壌管理を行い,不耕起による土壌かく乱の軽減と投入有機物が作物と土壌とくに土壌の生物性に及ぼす影響を明らかにした.

試験を行った黒ボク土圃場においては,耕起の効果は堆肥処理に比べ土壌物理構造に与える影響が大きかった.不耕起区では10 μm以下の孔隙の増加により保水性が向上し,ライムギの生育が良くなった.微生物とミミズは不耕起区で豊かになり,線虫は耕起区で増加した.堆肥施用の効果は検出されるまでに時間を要することが示唆された.不耕起区で土壌団粒の発達がみられたが10 μm以上の大きな孔隙は少なく生物の生息を制限している可能性が示唆された.

第三章耕作放棄による耕地の土壌生態系の変化

耕起と不耕起で管理を行っていた圃場の耕作放棄後の土壌生物量の変化を中心に調査し,耕起法の影響がどの程度維持されるのかを検討した.

耕作時における耕起による正負の影響は生物群集ごとに異なっていたが,耕作放棄すなわち耕起の中止後比較的短期間に多くの影響は消失した.とりわけ,耕起による正の影響ほど継続期間は短く,負の影響は耕起を中止した後も継続する傾向にあることがわかった.これには,耕起を行っていた場合にはその中止により土壌の物理性が大きく変化することと土壌下層への有機物の供給がなくなることが関係していると推察された.不耕起栽培を行っていた圃場では耕起を行っていた圃場に比べ,耕作放棄後も団粒構造がよく保たれており,耕作放棄後も生産の場としての再利用や土壌保全に好ましい環境が維持されていると考えられた.

第四章保全耕起と堆肥施用が有機物分解と土壌生物に及ぼす影響

保全耕起と堆肥施用がリター(植物残渣)の分解に与える影響を明らかにし,土壌生物の果たす役割を明らかにすることを目的に圃場試験を行った.

リターバッグ(植物残渣をつめた袋)を用いてリターの分解速度とリターに棲息する生物量との関係を調べた.不耕起あるいは堆肥施用によってリターの分解が速まり,土壌生態系における物質循環機能が保全型栽培管理により高まることが示された.リター分解パターンの経時的な評価により,リターの分解には,微生物と土壌動物の双方の働きが重要であり,微生物による分解は土壌動物の働きにより促進されることがわかった.

第五章土壌生物が有機物分解及び作物生育に及ぼす影響

マイクロコズム(閉鎖生態系)を用いて土壌生物によるリター分解の促進効果と,リター分解による植物生育の促進効果とを検証した.

生物性を操作したマイクロコズムにおいて,リターの分解とライムギの生育を調査した.殺虫処理を行った土壌に微生物・線虫・小型節足動物を加えた処理では,植物の有無やリターの投入法に関わらず一貫してリターの分解が速まったが,微生物と線虫を加えた処理では,他の処理に比べ分解が速くなる場合も,遅くなる場合もみられ,不安定であった.分解の速さがライムギの生育促進につながるのは,リターの分解により生じる養分を植物が優先的に利用できる場合に限られ,試験期間の経過とともに植物の根が増加するとマイクロコズムにおける土壌動物の働きは不明瞭になった.

第六章総合考察

圃場試験では不耕起により土壌中の微生物バイオマス及びミミズは豊富になったが,それに対応した小型,中型土壌動物数の増加は認められなかった.加えて,堆肥施用が土壌生物に与える影響は不明瞭であった.しかしながら,リターバッグ法を用いて調査したところ,不耕起あるいは堆肥施用によってリターの分解が速まり,バイオマスや個体数密度だけでは評価することのできない生態系機能が,保全型栽培管理により高まることが示された.

リターバッグ試験により土壌動物が物質循環に果たす役割の小さくないこと,室内試験により物質循環機能の向上が植物の生育を促進しうることがわかり,耕地の土壌生態系の保全が作物生産の向上につながる可能性のあることが示された.特に,室内試験では小型節足動物の働きにより,リターの分解も植物の生育も促進された.圃場試験において,不耕起区でライムギの生育が良くなり,堆肥の効果も部分的に認められたが,これには土壌生態系の物質循環機能の向上も寄与していた可能性があると考えられる.加えて,不耕起栽培を行うと団粒構造が長期にわたって保たれるなど土壌保全にも好ましい環境が維持できると考えられた.

環境保全型農業では,環境負荷の軽減と物質循環機能の向上による作物生産の持続性を最大の目的としている.不耕起栽培には,団粒形成の促進など受食性の低減だけでなく,土壌生物の保全や物質循環機能の促進などの効果が期待できた.堆肥施用は効果が検出されるまで時間を要したが,その継続により化学肥料の施用を低減できる可能性がある.不耕起と堆肥施用による作物栽培は,黒ボク土における環境保全型栽培技術の一つとして有効であると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

化学肥料や農薬の多投入による集約的農業体系は農耕地の地力低下や土壌劣化をもたらしており,世界の農産物の安定供給のためには持続型農業を推進する必要がある.そのためには,作物栽培の基盤を担っている土壌の保全が最優先事項である.本論文は,環境保全型の作物栽培管理技術が耕地の土壌生態系に及ぼす影響を明らかにすることおよび土壌生態系の有する機能を解明することを目的に研究を行ったものである.とくに,土壌生態系については,微生物と各種土壌動物の動態を総合的に解析した.

第二章では,保全耕起と堆肥施用が作物生育及び土壌の生物性・化学性・物理性に及ぼす影響を明らかにすることを目的に圃場試験を行った.試験を実施した黒ボク土圃場においては,耕起の効果は堆肥処理に比べ土壌物理構造に与える影響が大きかった.不耕起区では10 μm以下の孔隙の増加により保水性が向上し,ライムギの生育が促進された.微生物とミミズは不耕起区で豊かになり,線虫は耕起区で増加した.不耕起区で土壌団粒の発達がみられたが10 μm以上の大きな孔隙は少なく生物の生息を制限している可能性が示唆された.いっぽう,堆肥施用の効果は検出されるまでに時間を要した.

第三章では,耕起と不耕起で管理を行っていた圃場の耕作放棄後の土壌生物量の変化を中心に,耕起法の影響の持続性を検討した.耕作時における耕起による正負の影響は生物群集ごとに異なっていたが,耕作放棄すなわち耕起の中止後比較的短期間に多くの影響は消失した.とりわけ,耕起による正の影響ほど継続期間は短く,負の影響は耕起を中止した後も継続する傾向にあることがわかった.これには,耕起を行っていた場合には,その中止により土壌の物理性が変化することと土壌下層への有機物の供給がなくなることが関係していると推察された.不耕起栽培を行っていた圃場では耕作放棄後も団粒構造がよく保たれており,耕作放棄後も生産の場としての再利用や土壌保全に好ましい環境が維持されていると考えられた.

第四章では,保全耕起と堆肥施用がリター(植物残渣)の分解に与える影響と土壌生物の果たす役割を明らかにすることを目的に圃場試験を行った.リターバッグ(植物残渣をつめた袋)を用いてリターの分解速度とリターに棲息する生物量との関係を調べた.不耕起あるいは堆肥施用によってリターの分解が速まり,土壌生態系における物質循環機能が保全型栽培管理により高まることが示された.リター分解パターンの経時的な評価により,リターの分解には,微生物と土壌動物の双方の働きが重要であり,微生物による分解は土壌動物の働きにより促進されることがわかった.

第五章では,マイクロコズム(閉鎖生態系)を用いて生物性を操作し,土壌生物によるリター分解の促進効果とリター分解による植物生育の促進効果とを検証した.殺虫処理を行った土壌に微生物・線虫・小型節足動物を加えた処理では,植物の有無やリターの投入法に関わらず一貫してリターの分解が速まったが,微生物と線虫を加えた処理ではリター分解速度の変化は不明瞭であった.リター分解の速さがライムギの生育促進につながるのは,分解により生じる養分を植物が優先的に利用できる場合に限られ,試験期間の経過とともに植物の根が増加するとマイクロコズムにおける土壌動物の働きは不明瞭になった.

以上,不耕起あるいは堆肥施用によってリターの分解が速まり,必ずしもバイオマスや個体数密度だけでは評価することのできない生態系機能が高まることが示された.土壌動物が物質循環に果たす役割は小さくなく植物の生育を促進しうることから,耕地の土壌生態系の保全が作物生産の向上につながる可能性のあることが示された.環境保全型農業では,環境負荷の軽減と物質循環機能の向上による作物生産の持続性の双方が目的とされる.不耕起栽培には,団粒形成の促進など受食性の低減だけでなく,土壌生物の保全や物質循環機能の促進などの効果が期待できた.堆肥施用は効果が検出されるまで時間を要したが,その継続により化学肥料の施用を低減できる可能性がある.不耕起と堆肥施用による作物栽培は,黒ボク土における環境保全型栽培技術の一つとして有効であると結論づけられた.

本論文は,持続的な作物栽培システムの構築が急務とされる中で,丹念な圃場試験を実施し,科学的な視点から代表的な環境保全型の技術の土壌生態系に与える影響を解明するとともに,作物生産の現場での実践の方向を提示したもので,学術上ならびに応用上に貢献するところが少なくない.審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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