学位論文要旨



No 123610
著者(漢字) 伊藤,浩二
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,コウジ
標題(和) 河畔域埋土種子集団の空間的不均一性に対する河川水流プロセスの影響
標題(洋)
報告番号 123610
報告番号 甲23610
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3314号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 加藤,和弘
 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
 東京大学 准教授 山本,勝利
 宇都宮大学 准教授 高橋,俊守
内容要旨 要旨を表示する

河畔域における埋土種子集団の空間的な不均一性のパターンは,洪水撹乱後における植物の潜在的な定着範囲を決定し,河畔域の植生動態に影響を与える重要な要因のひとつであるにもかかわらず,そのパターンを規定する要因は明らかでないのが現状である。河畔域では環境および生物の分布パターンは,洪水撹乱による物質の侵食,運搬,堆積といった河流プロセスの影響を強く受けているのが特徴である。そのため,河川水流によって運搬された植物種子の堆積パターンは,河川流路に対する位置関係,流路地形単位,土砂粒径パターンといった河流プロセスによって特徴付けられる物理的環境条件と密接な関係があることが考えられる。特に水中では種子も細粒土砂も同様のプロセスによって堆積パターンが規定されていると考えられるため,河畔域における埋土種子集団の空間的不均一性は,細粒土砂の空間分布パターンと高い相似性があることが予想される。そこで本研究では,埋土種子集団の空間的不均一性が,これら河流プロセスと関連する環境条件によって説明可能であることを,水文プロセスが異なる3つの河川システム(沖積低地の蛇行河川,沖積扇状地の礫床河川,源流域小河川)において検証を行うことにより,このような現象の普遍性を証明することを目的とした。具体的には次の仮説を設定し,水文プロセスが異なる河川システム間でどの程度これらの仮説が支持されるのかを比較することにより,河川氾濫原における埋土種子集団の空間的不均一性に及ぼすプロセスについて総合的に考察を行った;仮説1)河畔域における埋土種子集団の空間分布は水流散布の影響を受けることにより,細粒土砂の分布パターンとの相似性が高くなる;仮説2)水流による種子散布は,同様の水流プロセスを受ける領域内において埋土種子集団の組成を均一化させる効果を持つ。 さらには埋土種子数および種数を目的変数,各スケールを特徴付ける各種環境変数を説明変数とする線形回帰モデルを作成し,Hierarchical Partitioning Analysis(HPA)により解析を行う事で,各河川システムにおいて埋土種子集団の空間的な不均一性を説明する主要なスケールおよび要因を特定することを試みた。

第2章では,沖積低地を流れる大小2つの河川(荒川中流域および利根川水系支川の桜川中流域)を対象として,流路地形単位に注目した埋土種子集団の空間的不均一性のパターンを示した。第2章1節では,他の河川システムでの研究に先立ち,荒川中流域氾濫原に存在する4つの流路地形単位(本流路砂洲,後背湿地,旧流路,高水敷中央部)を対象にして埋土種子密度と種数,種組成の比較を行うことで,流路地形単位に注目したときに埋土種子集団の組成および量が異なることを予備研究的に示すことを目的とした。埋土種子密度および種数は,本流から離れた後背湿地において明らかに少ないパターンを示した。周囲を農耕地に囲まれた高水敷中央部の草地での埋土種子は耕地雑草や外来種が多く含まれていた。プロット間での類似性は本流路に近いほど類似しており,水流による種子散布の効果により種組成の空間的不均一性が低下することが推測された。これらのことから,流路地形単位ごとに異なるプロセスにより特徴的な埋土種子集団のパターンが形成されることが明らかとなった。

第2章第2節では,沖積低地を流れる小規模河川で,氾濫原内の土地利用改変といった人為的影響が少ない利根川水系桜川において,砂床河川に認められる12の流路地形単位(自然堤防,氾濫原平坦面,後背湿地,中礫砂洲,平瀬河岸,堤防付きベンチ,凹岸ベンチ,スクロールバー,砂堆,泥低地,微高平坦地,小渦淵)を対象として,流路地形単位スケールおよびマイクロハビタットスケールに注目して,埋土種子集団の種子数・種数および種組成の比較を行った。河川堆積物中の埋土種子集団には流路地形単位により明確なパターンが存在し,さらに土砂粒径サイズと埋土種子数の間には密接な関連が認められた。この関係性は冠水頻度の高い低水敷においてより顕著であったことから,沖積低地の河川において細粒土砂割合と埋土種子集団のパターンには対応関係があるとする仮説がデータから支持された。また,各流路地形単位内のプロット間の埋土種子種組成の類似度は,細粒土砂割合の高い流路地形単位において高くなる傾向が認められ,河川水流の作用により埋土種子組成の不均一性が減少したことが確かめられた。HPAの結果からは埋土種子数および種数の変動割合は,細粒土砂割合による単独の効果だけで約30%が説明された。残りの約40-50%は,細粒土砂割合と独立した流路地形単位のスケールで生じる何らかの要因が埋土種子集団の空間的不均一性と関連していることが示された。

第3章では,沖積扇状地を流れる多摩川中流域の1つの礫床砂洲を対象に,砂洲内部における埋土種子集団の空間的不均一性のパターンを,リーチスケールおよび植物群落スケール,マイクロハビタットスケールに注目して明らかにすることを目的とした。埋土種子密度は砂洲上の位置,植物群落タイプ,および細粒土砂含有割合と関連があった。特に細粒土砂と埋土種子集団の関係性は,冠水頻度が高い低水敷および中水敷のほうが高水敷と比較して強いことが確認された。また通常礫河原では生育できない好湿性植物の種子が乾燥した河原の土砂中に多く認められたことから,水流により散布されたことが伺えた。この好湿性植物種のパターンは埋土種子集団中の種数のパターンと類似していた。このことから埋土種子集団が水流による種子散布の影響を強く反映したものであることが判明した。ただし,HPAの結果からは埋土種子数の変動割合は細粒土砂割合によって約20%が説明された。残りの約30%は細粒土砂割合とは独立した植物群落スケールにおいて生じる何らかの要因と関連していることが示された。

第4章ではこれまで河畔域埋土種子集団の研究において取り扱われてきた流域規模の大きな河川システムとは水文プロセスや地形的条件が大きく異なる,丘陵地谷底低地の谷津田水路を対象とした。第4章第1節では,3つの小流域における谷津田水路内の埋土種子集団の組成と量を比較した。さらにそのうちの1つの谷津田について約3kmの水路に沿った水路内堆積土砂中の埋土種子集団の量と組成の変化を捉えるための詳細な調査を行った。谷津田用水路内においては0.250mm以下の細粒土砂割合の分布パターンと埋土種子集団の種子数および種数との間に対応関係が認められた。またHPAの結果からは,埋土種子数および種数は細粒土砂割合によって約14-20%を説明できることが示され,残りの変動のうち約30%近くがセグメントスケールで生じる何らかの要因と関連することが示唆された。また,水路内堆積物中の埋土種子集団が農業活動の一環として行われる浚渫作業を通じて水路周辺の畦畔草地の植物種多様性を増加させること,および浚渫土砂の積み上げのある畦畔草地の種組成は埋土種子集団とより類似していることを,植生調査の結果から実証することができた。

第4章第2節では,第1節で調査を行ったのと同じ谷津田景観に存在する半自然草地を対象に植生調査を行うことにより,水路に隣接して存在する水田畦畔が,立地環境と人為的影響の程度の異なる他の7つの草地タイプ(畑地水路間畦畔,水田間畦畔,上側裾刈り草地,水路壁面,農道,休耕田,放棄田)と比較したときに,どのような特徴を持つ草地タイプであるのかを明らかにした。特に,森林と水田の移行帯に位置する種多様な草地タイプである裾刈り草地や水路壁面からの種子供給と,水路からの浚渫に伴う種子供給を受けることで,水路に隣接する水田畦畔は水田間畦畔と比較して種多様な草地タイプであることを地上部植生データから裏付けることができた。

本研究は水中における植物種子と細粒土砂粒子の挙動が類似するという前提に立ったときに予想された,河畔域埋土種子集団の量と種組成が細粒土砂の分布パターンと密接な関係があるというパターンを,水文プロセスの異なる3つの河川システムにおいて野外データから実証することができたものである。このことから河畔域の埋土種子集団は水流による種子散布の影響を受けて構成されるということが,河川流水システムにおいては広く認められる現象であることを示すことができた。このことは河畔域における攪乱後の植生動態に重要な影響をもちうる埋土種子集団の空間的パターンを,細粒土砂の分布パターンからある程度予測することが可能なことを示している。このような知見は,河川生態系において解決すべき喫緊の課題となっている外来種の侵入,繁茂の問題や,絶滅の危機にある低湿地の植物の埋土種子を利用した植生復元といった応用的な課題においても,埋土種子集団の空間分布予測を通じて貢献できる可能性をもつといえよう。

審査要旨 要旨を表示する

河畔域における埋土種子集団の空間的不均一性は,洪水撹乱後の植物の潜在的な定着範囲を決定し,河畔域の植生動態に影響を与える重要な要因の1つであるにもかかわらず,その空間パターンを規定する要因はまだ十分には明らかにされていない。河畔域では物理的環境条件および生物の空間パターンは,水および堆積物の侵食・運搬・堆積の一連の作用である河流プロセスの影響を強く反映している。そのため河川水流によって運搬された植物種子の堆積パターンは,河川流路との位置関係・流路地形単位・土砂粒径といった,河流プロセスによって特徴付けられる物理的環境条件と密接な関係があると考えられる。

本研究は,「河川水流によって運ばれた種子が埋土種子集団の量および種組成の空間的不均一性に対して影響を与えている」という研究仮説を設定し,河流レジームが異なる3つの河川システム(沖積扇状地礫床河川,沖積低地蛇行河川,丘陵地谷津田用水路)においてこの仮説が正しいことを示すことで,このような現象の普遍性を示すことを試みたものである。具体的には次の4つの作業仮説を設定し,それぞれが正しいことを示すことで先に挙げた研究仮説が支持され得るのか考察した。1)河畔域における細粒土砂量と埋土種子集団の量との間には正の相関関係がある。2)水流による影響を頻繁に受ける流路に近い場所ほど細粒土砂量と埋土種子量の相関関係が強い。3)水流により散布された種子が同様の河流プロセスの作用を受ける領域(ドメイン)内に一様に堆積することで,埋土種子集団の種組成もまたドメイン内において類似する。4)河川水流の影響を受けやすい場所では,埋土種子集団の中に同じ場所の地上部植生に由来するのでない異所性の種子が含まれる。

第2章では,沖積扇状地礫床河川である多摩川中流域の砂洲上における埋土種子集団の空間的不均一性を,リーチスケールおよびハビタットスケールに注目して明らかにした。第3章では沖積低地蛇行河川を対象として埋土種子集団の空間的不均一性を調査した。その第1節では,荒川中流域氾濫原においてリーチスケールで識別される4つの流路地形単位およびハビタットスケールで識別される植生タイプに注目し,埋土種子密度と種数,種組成の比較を行った。第2節では,荒川よりも流域規模が小さい桜川において,ハビタットスケールで認識される12の流路地形単位を対象として,埋土種子数,種数および種組成の比較を行った。第4章では流域規模の大きな河川システムとは河流プロセスや地形的条件が大きく異なる,丘陵地谷底低地の谷津田用水路を対象とした。その第1節では,地区スケール,小流域スケール,セグメントスケールおよびリーチスケールに注目して谷津田水路内の埋土種子数と種数,種組成の比較を行った。第2節では,第1節で調査を行ったのと同じ谷津に存在する,立地環境と人為的影響の程度の異なる8つの半自然草地を対象に植生調査を行った。これにより,農作業の一環で行われている水路内堆積土砂の浚渫の影響を受けている水路に隣接する畦畔草地が,他の植生タイプと比較してどのような特徴を持つのかを明らかにすることで,浚渫を通じた水路内埋土種子供給が近隣の植生に与える影響を考察した。

一連の研究の結果,作業仮説1の検証のみ行った谷津田用水路での研究を除いたいずれの河川システムにおいても,先に挙げた4つの作業仮説が成り立ち得ることを示すデータが得られた。このことは河畔域埋土種子集団の一部は水流による種子散布の影響を受けた空間パターンを示すということが,河川システムにおいて広く認められ得る現象であることを示唆している。

河畔域は,攪乱を受けやすいというその性質からか,これまで,埋土種子集団に関する研究は相対的に遅れていた。本研究は,河畔域における埋土種子集団の空間的パターンが,細粒土砂の分布パターンおよびハビタットスケールで認識される植生タイプや流路地形単位から予測が可能であることを具体的に示した最初の知見であると思われる。

河畔域は,その生物多様性の保全や再生のためのフィールドとして,近年しばしば注目されている。本研究で得られた知見は,河畔域において解決すべき生態的な課題である外来種の侵入の問題や,埋土種子を利用した低湿地の植物群落・個体群の復元といった応用的な課題に対して,埋土種子集団の空間分布予測を通じて貢献できる可能性をもつと考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての価値を有するものと認めた。

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