学位論文要旨



No 123611
著者(漢字) 米澤,健一
著者(英字)
著者(カナ) ヨネザワ,ケンイチ
標題(和) 条件不利地域における耕作放棄の防止と農村の活性化のための政策に関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 123611
報告番号 甲23611
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3315号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 下村,彰男
 明治大学 教授 小田切,徳美
 東京大学 連携准教授 青柳,みどり
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
内容要旨 要旨を表示する

日本の中山間地域に代表される営農条件の厳しい農村では,農業生産性が平地地域より低い上に,高齢化により農業の担い手が減少しているため,急速に耕作放棄が進行している。また,生活に係る社会経済条件も厳しいため,過疎化の進行により農業集落のコミュニティーを維持できない限界集落の急増が危惧されている。このような農地管理の粗放化や農村コミュニティーの衰退により,農業・農村が発揮している多面的機能の低下が懸念されている。

以上のような状況を受け,2000年度から中山間地域等直接支払制度(以下,直接支払制度)が全国の自然・社会・経済条件が不利な地域(条件不利地域)を対象に導入された。直接支払制度は,農業者等の集団(集落協定)への交付金支払いに対して,5年間の農地管理の継続を義務付けて耕作放棄を防止するとともに,交付金のおおむね1/2を利用した共同取組活動の実施を求めることで農村の活性化を促すことを目的としている。この対策を通じて,農業の多面的機能の維持増進を図ることを目指している。

本研究では,直接支払制度の実施状況を検証することで,条件不利地域における主要な政策課題である耕作放棄の防止と農村の活性化のための対策の方向性を実証的に示すことができると考えた。そこで,具体的には,1)政策評価手法や制度の目的と実施状況の適合性の検証を通じて条件不利地域政策の方向性,2)集落協定により維持管理される農地の営農条件と管理状況の分析を通じて耕作放棄防止の方向性,3)集落協定の共同取組活動がコミュニティーの存続に与える影響の分析を通じて農村の活性化の方向性,の3点を明らかにすることを目的とした。

1.中山間地等直接支払制度の仕組みと政策評価

直接支払制度の導入の際に参考にされた欧州連合(EU)の条件不利地域対策の仕組みと政策評価に注目し,日本の直接支払制度との比較により,制度の運用の問題点を考察した。

制度の仕組みでは,EUでは環境への悪影響を防ぐため農業環境規準の遵守が求められる一方,日本では農地管理の継続により多面的機能が維持される前提のため,具体的な規準は示されていなかった。しかし,日本でも圃場整備での環境配慮方針や農業環境規準の策定が進んでおり,具体的な規準の導入は今後の課題であると考えられた。また,EUでは施策の目的と活動内容が一致しているのに対し,日本では市区町村や集落協定の裁量で活動内容が選択できる仕組みになっていた。しかし,具体的な活動目標が示されていないため,実施主体により活動の質に差が見られ,交付金の使途の妥当性も評価が困難であることが指摘されていた。

政策評価では,EUでは評価スケジュールと手法が事前に示され,外部機関の評価結果が公開されていた。一方,日本では評価スケジュールは事前に示されたが,評価手法は示されずに第三者機関の評価結果が公開されていた。ただし,直接支払制度の第二期事業(2005年度から)での改正により,活動内容は数値目標が示され,評価手法も事前に公開されるように改善されていた。政策評価の結果では,実施状況の地域的差異や施策の目的と実施地域・対象の整合性がEUと日本で共通する問題点となっており,客観的指標により対象地域や交付金額の基準を修正する必要性が指摘されていた。

2.全国レベルにおける中山間地域等直接支払制度の実施状況の分析

全国の都府県(沖縄県を除く)を対象に実施状況の地域的な違いを分析し,制度の目的と実施状況の適合性を検証することで,制度の対象地域や農用地を指定する実施基準の問題点を考察した。

実施地域の特徴では,主要都市郊外に立地する市区町村では緩傾斜農用地の割合が高く,制度が実施されない傾向が見られる一方で,実施市区町村よりも耕作放棄地率や農家減少率は高いことがわかった。このような地域は制度の目的や優良農地の確保の観点からは重要であるが,傾斜条件よりも都市化の影響などの社会経済条件により農業の衰退が進行しているため,緩傾斜農用地で交付単価が低い実施基準では制度による支援が進まないことが明らかになった。対策には直接支払制度とは別の施策で対処するか,社会経済条件の基準により実施基準を調整する必要があると考えられた。

実施農用地の特徴では,田が主要な実施農用地であり,畑(普通畑と樹園地)の実施農用地は果樹栽培地域に偏り,制度の実施率が低い傾向にあった。そこで,地目ごとに傾斜基準に適合する農用地面積を調べた結果,普通畑では傾斜基準に適合する農用地が少ないことが明らかになった。このことから,畑で制度が実施されない理由として,とくに普通畑では傾斜基準が厳しいことが挙げられ,さらに,交付金の単価も低いことが影響していると考えられた。

3.市区町村レベルにおける中山間地域等直接支払制度の実施状況の分析

全国レベルの分析の結果を参考に,田が卓越し,集落協定の規模が大きい地域と,田と畑が混在し,集落協定の規模が小さい地域の2事例を選定した。分析では集落協定の活動の特徴を把握するため,協定農用地の面積と団地数により定義した協定農用地の規模と地形立地条件の関係から集落協定の規模を類型化し,類型ごとに集落協定の農地管理・共同取組活動・継続状況に応じた活動の方向性を考察した。また,集落協定により維持される農地の営農条件を団地単位で分析した結果から考察した。

集落協定の特徴では,低地や台地に位置する団地面積の広い大規模協定では,生産組織が参加するなど農地管理の組織化が進み,交付金は営農活動だけでなく,コミュニティー活動へも支出される傾向が見られた。一方,山地に位置する団地数の少ない小規模協定では,交付金額が少ないため積立・繰越金の割合が高い傾向が見られた。また,第二期事業で集落協定を廃止した事例や交付金の減額があった事例が多い傾向にあった。このように,集落協定の規模や地形立地条件により集落協定の活動状況が異なるため,それに応じた活性化策が必要であると考えられた。

農地の営農条件の分析では,25000分の1地形図から作成したデータをもとに粗放的潰廃により消滅した農地と協定農用地の営農条件を比較した。その結果,団地面積の大きさが農地の維持に重要な要因であることが示された。また,消滅した農地に近い営農条件の協定農用地が面積で約20%存在することがわかった。とくに消滅した農地の団地面積は1ha未満が大部分であったことから,制度の対象から外れる1ha未満の団地でより耕作放棄が進行すると考えられた。

4.集落レベルにおける中山間地域等直接支払制度の実施状況の分析

市区町村レベルの分析による集落協定の類型から,台地に位置する団地面積の広い大規模協定,山地に位置する団地の分散する大規模協定,低地に位置する団地のまとまった中規模協定,山地に位置する団地数の少ない小規模協定,の4事例を選定し,活動の実態調査を通じて集落協定を維持するための課題を考察した。また,集落協定により維持される農地の営農条件を区画単位で分析した結果から考察した。

農地管理の維持では,台地や低地に位置する団地面積の広い集落協定では,圃場整備が進んでいるため農地管理の組織化が早く,農地管理を継続できない参加者への対応能力が高かった。コミュニティーの維持では,とくに小規模協定はコミュニティーの機能が消滅しつつあり,活動内容は団地単位の農地管理に特化していた。このような集落協定では,参加者の高齢化により農地管理が維持できなくなり,集落協定を廃止する事例が見られた。ただし,農業集落の自治会活動や農地管理で連携のある集落協定同士では,合併して活動を強化する事例も見られた。以上のことから,集落協定の維持には集落協定の規模や地形立地条件に応じて農地管理の組織化を進めつつ,自治会などのコミュニティー活動と集落協定の活動を連携させることが重要であると考えられた。

農地の営農条件の分析では,空中写真から作成したデータをもとに,市区町村レベルと同様の手法で解析を行った。その結果,台地や低地に位置する圃場整備が行われた農地では,農地範囲が減少せずに区画面積が拡大されて農地が維持されていた。山地に位置する農地でも区画面積の大きさが農地の維持に重要な要因として示されたが,畑が多い地域では傾斜条件も重要な要因であることがわかった。これは,田よりも傾斜条件の厳しい畑でも耕作放棄が進行したことが影響しており,畑での耕作放棄防止対策も重要であると考えられた。

5.総合考察

各章の結果から,条件不利地域政策,耕作放棄の防止,農村の活性化の課題ごとに対策の方向性を考察した。また,既存研究に対して新たに明らかにした知見と課題を整理した。

条件不利地域政策の方向性では,多面的機能の維持増進に向けた具体的な規準や活動指針の導入,客観的評価による実施基準の修正の必要性が示された。そのためには,科学的知見にもとづいて環境に配慮した農地管理手法や政策評価手法を開発することが今後の課題であると考えられた。

耕作放棄防止の方向性では,対策の必要な地域や農地の優先順位を整理し,適切な実施基準を採用する必要性が示された。本研究では,条件不利地域における耕境問題に関して実証的な研究から土地利用計画手法を示すことができた。今後,データ整備が進むことで評価手法を改善することできると考えられた。

農村の活性化の方向性では,コミュニティーの規模や地形立地条件の違い応じた対策の必要性が示された。本研究では,限界集落の急増と存続の問題について,コミュニティーが縮小・統合する過程を示すことができた。この成果は,地域の実情に応じた政策的な支援を立案するための計画手法に発展させることができると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

日本の中山間地域に代表される条件不利地域の農村では,営農条件や社会経済条件が厳しいため,急速に耕作放棄が進行するとともに,過疎化の進行によりコミュニティー機能を維持できない限界集落の急増が危惧されている。このため,農業の多面的機能の低下が懸念されている。このような状況を受け,2000年度から中山間地域等直接支払制度(以下,直接支払制度)が全国の条件不利地域を対象に導入された。直接支払制度は,農業者等の集団(集落協定)への交付金支払いに対して,5年間の農地管理の継続を義務付けて耕作放棄を防止するとともに,交付金を利用した共同取組活動の実施を求めることで農村の活性化を促すことを目的としている。これにより,農業の多面的機能の維持増進を図ることを目指している。本研究では,直接支払制度の実施状況を検証することで,条件不利地域における主要な政策課題である耕作放棄の防止と農村の活性化のための対策の方向性を実証的に明らかにすることを目的とした。研究の方法は,政策の仕組みと評価結果の検証と,全国・市区町村・集落の各レベルで制度の実施状況の検証を行った。

政策の仕組みと評価結果の検証では,EUの条件不利地域対策の政策評価結果と比較することで,日本の直接支払制度の運用の問題点を検証した。主な結果として,日本の直接支払制度では,環境への配慮に関する具体的な規準が設定されず,それを評価する仕組みも十分に整備されていない問題点が明らかになった。

全国レベルの分析では,市区町村を単位として,制度の実施状況の地域的な違いの要因や,制度の目的である耕作放棄の防止や農村の活性化と実施状況の適合性を検証した。その結果,畑で制度が実施されない要因として,普通畑の傾斜条件の基準が厳しく,営農活動の実態に適合していない状況が示された。また,耕作放棄地率や農家数減少率が高く,緩傾斜農用地の多い地域で制度が実施されない状況から,制度の目的や優良農地の確保の観点から重要な地域で,直接支払制度による支援が進まないことが明らかになった。

市区町村レベルの分析では,2事例地域を対象に,協定農用地の規模と地形立地条件の関係から集落協定を類型化し,類型ごとの農地管理・共同取組活動・制度更新時の継続状況を分析することで,集落協定の活動の特徴を把握した。また,協定農用地と粗放的潰廃により消滅した農地の営農条件を団地単位で比較することで,今後,耕作放棄される可能性の高い農地の営農条件を検討した。集落協定の活動の特徴では,台地や低地に位置する団地面積の広い大規模協定では,営農活動だけでなく,コミュニティー活動へも交付金を利用するなど,多様な活動が見られた。一方,山地や低地に位置する小規模協定では,交付金額が少ないため積立・繰越率が高く,制度の更新時に集落協定の廃止や交付金の減額となる事例が多い傾向が明らかになった。農地の営農条件の分析からは,制度の対象外である1ha未満の団地で耕作放棄が進行する可能性が高い結果から,管理が可能な場合は1ha未満の団地も政策的支援が必要であることが示唆された。

集落レベルの分析では,集落協定の類型をもとに,台地大規模・山地大規模・低地中規模・山地小規模協定の4事例を対象に聞き取り調査を行い,集落協定を継続するための課題を検討した。また,市区町村レベルの分析と同様の手法で農地の営農条件を区画単位で分析した。その結果,台地大規模・低地中規模協定では,圃場整備を契機に営農活動を組織化し,営農活動やコミュニティー活動を継続する体制を強化していた。しかし,山地に位置する集落協定は,大規模な圃場整備は行えず,営農活動の組織化は困難な状況にあった。とくに,小規模協定では,団地単位の農地管理に特化し,集落協定同士や地域のコミュニティー活動との連携は見られず,営農活動を継続する体制整備は困難なため,限界集落化の進行が懸念される状況が明らかになった。農地の営農条件の分析では,区画面積の小さい農地や,傾斜条件の厳しい畑でも耕作放棄が進行している状況から,粗放的管理の導入や畑での耕作放棄防止対策の重要性が示唆された。

以上の結果から,総合考察では,条件不利地域政策の方向性として,多面的機能の維持増進に向けた具体的な活動指針の導入や条件不利地域対策の実施基準の修正の必要性が指摘された。耕作放棄防止の方向性では,対策の対象の適切な選定や限界集落化による無秩序な耕作放棄の防止対策の必要性が指摘された。農村の活性化対策の方向性では,コミュニティーの規模や立地条件の違いに応じた活性化対策の必要性が指摘された。

以上要するに,本研究は,日本の条件不利地域対策の主要な政策課題の方向性を実証的に明らかにした研究として高く評価できる。よって審査委員一同は,博士(農学)の学位を与えるに十分値する論文であると判断した。

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