学位論文要旨



No 123612
著者(漢字) 市川,薫
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,カオル
標題(和) 東京圏における里地ランドスケープの変遷と保全に関する研究
標題(洋)
報告番号 123612
報告番号 甲23612
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3316号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 連携准教授 山本,勝利
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
内容要旨 要旨を表示する

里地ランドスケープは林野、田畑、集落、水辺などが一体となって形成されていた農村空間である。その主たる構成要素である林野は、林地と原野で構成され、薪炭材、肥料や飼料、生活資材などの供給源として利用、管理されてきた。

里地ランドスケープは、異なる自然条件や人間活動との関わり、社会経済条件を背景に、歴史的な積み重ねの結果、成立したものであり、地域の生業文化や風土の違いも反映して、地域により異なる特性を有している。ところが近年、都市化による面的な変化や林野の管理放棄による質の変化などによって大きな変化が生じている。

地域の文化や風土は、その"地域らしさ"として近年、再評価され、"らしさ"を活かしたランドスケープ保全の重要性が指摘されている。里地ランドスケープの保全においても、地域におけるランドスケープの特性が明らかにされ、それが保全主体によって認識、価値化されることを通じて、地域らしさを活かした地域特有の保全の方向付けが行えると考えられる。そのためには、里地ランドスケープの地域的な差異を、その構造の把握とともに、背景にある自然条件と社会経済条件、および変遷を含めて総合的に理解し、さらにそれらが新たな保全主体も含めて認識、継承されていくことが重要である。

そこで本研究では、里地ランドスケープの変遷が著しく、また様々な保全主体が存在する東京圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)を対象として、里地ランドスケープの構造の地域的差異とその変遷を理解し、さらに各主体の林地に対する認識の把握を通じて、都市近郊地域において地域特性を考慮した里地ランドスケープの保全のための知見を得ることを目的とした。そのために、まず広域スケールで過去におけるランドスケープの地域的差異と、変遷を把握した。また特徴的な3つの事例地域において、ランドスケープの構造と変遷を詳細に解析したうえで、林地に対する各主体の認識について調査した。

1.広域スケールにおける里地ランドスケープの地域的差異とその変遷

東京圏に位置する郡を単位とした、土地利用と植生の変遷を、統計書データを用いて解析した。土地利用面積には各都(府)県の統計書と行政資料より得た1910年、1960年、1980年、2000年の地目別面積を使用し、林地の植生別面積には、1910年については府県統計書より得た樹種別の伐採材積比を面積比に換算したものを使用し、1980年と2000年については、林業センサスの樹種別森林計画面積を使用した。

その結果1910年においては、里地ランドスケープは地域により大きく異なることが分かった。土地利用は、概ね地形条件に対応していたが、台地においては、地域的な違いが見られた。また、林地は主として広葉樹とマツが主体であったが、その比率には地域間で偏りがみられ、特にマツは下総台地を中心に分布していた。地域間でのこのような違いの一つの要因として、特定樹種の薪炭を必要とする産業(製塩、養蚕、製茶等)の影響が示唆された。1960年以降には、特に東京中心部から50km圏内に位置する郡において都市化が著しく、2000年においては、過去の土地利用の地域的差異や地形条件に関わらず、都市的土地利用が25%以上に達した。林地植生は、1980年までにスギ・ヒノキが大幅に増加しており、その傾向は林野率の高い地域で顕著であった。また1910年や1980年にマツが多く分布していた地域では、松枯れの急激な拡大により2000年にはマツが激減し、相対的に広葉樹やスギ・ヒノキの割合が増加した。その結果、2000年における林地植生の地域的差異は大きく低下した。

以上から、東京圏の里地ランドスケープは従来、地形条件とともに、社会経済条件も反映した地域特性を持っていたが、近年の都市化と植生変化によって急速に均質化が進行していることが明らかになった。

2.3つの事例地域における里地ランドスケープの変遷

1910年において、異なる里地ランドスケープの特徴を持ちつつ、近年の都市化や植生変化によりその喪失が懸念される50km圏内の地域から、3地域(相模原市旧大野村、町田市旧鶴川村、千葉市旧千城村)を選択し、より詳細なランドスケープ構造と変化を把握するために、旧版地形図および空中写真を用いて明治期以降の6時期(1880、1921、1947、1961、1974、2001年)の土地利用図を作成し、GISによる解析を行った。また、各地域内において現在も林地が多く残存する区域を抽出し、空中写真判読により1947、1974、1999年の植生変化を把握した。

明治-大正期の里地ランドスケープは、3つの地域とも林地と農地が卓越していたが、土地利用と地形の関係の程度が、地域によって異なり、大野村においては社会経済条件による影響を受けた土地利用がなされていた。また、畑地と林地を相互に転換する、切替畑という土地利用がなされており、大野村では、主に新たに開拓されたところで大規模に行われていた。台地特有の開拓がその後の土地利用動態を通じてその地域に大きなランドスケープの不均一さをもたらしたといえる。一方、鶴川村はそのような不均一さを示さなかったが、これは古くから住民が居住し大規模な住民の流入がなかったためと思われる。千城村では、この時期に開拓が進んでおり、林地の畑地化が主な土地利用動態だった。すなわち当時の住民の社会的背景の違いも、ランドスケープ構造に大きく影響を及ぼしていたと考えられた。

その後の土地利用変化は、都市的土地利用の増加が主な変化であり、その時期や形態、さらに、それに応じた林地の残存状況も異なっていることが分かった。戦前から開発の進んだ大野村では、現在9割近くまで都市化され、林地は保全地域としてのみ大規模な箇所が残存していた。鶴川村では1961年以降の地形改変が可能となってから開発が開始され2001年までその勢いが続いていた。また大規模な林地が比較的多く、保全地域も存在していた。2つの地域の林地植生は、1947年は広葉樹が主体だったが、1999年には広葉樹がさらに増加しており、これは、スギ等の伐採後に、これらの植林や管理を継続しなかったためと考えられた。千城村でも、1961年以降に急激に都市化が進んでいたが、1974年以降は都市化の勢いはややおさまり、林地は大規模なものが比較的多く存在した。林地植生は、1974年まで優占していたマツが、マツ枯れの影響でなくなり、広葉樹とスギ等を中心とした林地になっており、現在も用材生産用の管理が行われていることが確認された。

このように、3つの地域では、現在では都市化が大きく進み、従来とは異なるランドスケープが形成されているが、明治-大正期以降、地形条件と、社会条件を背景に、異なる里地ランドスケープの構造や変化形態が存在し、現在の林地の状況の違いにも影響を及ぼしていることが明らかになった。

3.残存する林地に対する各主体の認識

前節で植生の把握を行った区域とその周辺の林地について、それらの近傍に位置する旧集落の住民、新規住宅地の住民、林地で管理作業を行っているボランティア団体のメンバーの3つのグループ、計9つのグループを対象に、当該地域の林地の植生や利用等に対する認識についてアンケート調査を行った。

地域の過去(1965年頃まで)の林地の利用や植生に関して知識のある人の割合は、全ての地域において新規住宅地住民よりも旧集落住民の方が高かった。しかし過去の植生に関しては、旧集落住民においても、必ずしも十分な知識を有しているとはいえなかった。特に千城村で1970年代まで主要な樹種であったマツの存在の知識を有している人は、旧集落住民でも半数以下だった。大野村と鶴川村のボランティア団体メンバーでは、知識の伝達により過去の植生に対する知識を有している人の割合が高かったが、千城村では低かった。これは、大野村や鶴川村で、行政や自主的な講習会等の機会に、過去の植生の知識が伝達されているのに対し、千城村ではそのようなものが活発でないことに起因すると考えられた。植生の内容について、大野村のボランティア団体メンバーでは、若い落葉広葉樹の存在の知識を有していた人の割合が著しく高く、特に知識の伝達による割合が高かった。しかし、1970年代にわずかながら存在していたマツの存在の知識を有していた人はいなく、萌芽更新によって維持されていたクヌギ・コナラ林の存在が、象徴的に伝えられていることが影響していると考えられた。

今後の利用として、旧集落住民やボランティア団体メンバーは「市民による林の管理」を挙げた人が多かったが、新住民ではそれよりも「散策」とした人の割合の方が高く、管理の重要性の認識が低いと考えられた。

以上から、林地に対しての認識、特に過去の植生に関する知識は、主体により異なり、知識の伝達者としての役割を果たしうる旧集落住民は知識を比較的有しているものの十分ではないこと、管理主体であるボランティア団体メンバーは、知識が伝達されていないか、伝達の過程で偏りが生じている可能性があること、新規住宅地住民は、知識が少なく、管理についての意識も低いことが示唆された。このような認識の差をなくすには、主体間のコミュニケーションが必要であるものの、それだけでは正確な過去の林地に関する知識の継承が困難であることが示唆された。

4.総合考察

本研究では、GISを用いて里地ランドスケープの構造とその変遷を、2つの異なる空間スケールで空間明示的に視覚化し、また歴史・統計資料等の使用によって社会経済条件とあわせて考察した。このことにより、里地ランドスケープの地域的差異やその変遷を総合的に把握することができ、地域的差異が喪失しつつあることを明らかにした。また、ランドスケープを長期的に把握することにより、地域のランドスケープの現況の理解には、過去の理解だけではなく、現在のランドスケープが、過去からの連続性もしくはある時点からの不連続性の中で形成されていることの理解が重要であると考えられた。

さらに、保全主体の地域的差異に関する認識について、GISによる定量的な解析結果と、認識に関する調査を連動させたことにより、地域的差異に関する認識が比較的早い時期から喪失していることが明らかとなった。これらのことから、本研究におけるGISを中心にした、長期的変遷を含めた、地域的差異の地図化は、その認識を支援する情報化手法として重要かつ有用であると考えられる。

今後の保全計画においては、地域的差異の歴史的連続性/不連続性の状況を、保全主体がまず自覚することが、"地域らしさ"を活かした計画を考える第一歩であると考えられる。また、過去の地域的差異とその変遷が、現在の地域社会や生態系に与えている具体的な影響を把握し、現代的価値において評価することが重要である。さらに"地域らしさ"を活用した保全計画の普遍的フレームを構築することが必要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

里地ランドスケープは林野、田畑、集落、水辺などが一体となって形成されていた農村空間である。また、異なる自然条件と人間との長期的な係わりにより地域によって異なる特性を有していたと考えられる。近年、ランドスケープの保全において "地域らしさ"の重要性が指摘されている。本研究は、このような視点から、ランドスケープの変遷が特に著しい都市近郊地域を対象に、地域特性を考慮した里地ランドスケープの保全のための知見を得ることを目的としたものである。具体的には東京圏を対象とし、2つの空間スケールにおいて、その構造の地域的差異と変遷を、背景にある自然条件と社会経済条件、および変遷を含めて理解し、その上で各主体の林地に対する認識の把握を行った。

まず、東京圏全体を対象に郡を単位として、里地ランドスケープ構造の地域的差異とその変遷について、統計書等から把握した土地利用と植生データを用いて解析をおこなった。その結果、1910年には、土地利用は概ね地形条件に対応していたが、台地においては地域的な違いが見られた。林地は主として広葉樹とマツで構成されていたが、その比率には地域間で偏りみられ、その一つの要因として、特定樹種の薪炭を必要とする産業の影響が示唆された。1960年以降は、特に東京中心部から50km圏内に位置する郡で都市化が著しく、2000年には都市的土地利用が25%以上に達した。林地植生は、スギ・ヒノキの大幅な増加とマツが激減した結果、地域的差異は大きく低下した。以上から、東京圏の里地ランドスケープは従来、地形条件とともに、社会経済条件も反映した地域特性を持っていたが、近年の都市化と植生変化によって急速に均質化が進行していることが明らかになった。

次に、1910年において異なる里地ランドスケープの特徴を持ち、その喪失が懸念される50km圏内の地域から、3地域(相模原市旧大野村、町田市旧鶴川村、千葉市旧千城村)を選択し、より詳細なランドスケープ構造と変化を把握するために、旧版地形図および空中写真を用いて明治期以降の6時期の土地利用図と、一部区域について戦後の3時期の植生図を作成し、GISによる解析を行った。

明治-大正期の里地ランドスケープは、3つの地域とも林地と農地が卓越していたが、土地利用と地形の関係の程度が地域によって異なり、大野村において社会経済条件の影響がみられた。また、3つの地域で畑地と林地を相互に転換する、切替畑という土地利用形態が存在したが、その規模や空間分布は地域間で差があり、住民の社会的背景の違いが影響を及ぼしていたと考えられた。その後の土地利用変化は、都市的土地利用の増加が主だったが、その開始が大野村では戦前であり、鶴川村と千城村では1960年以降であったこと、結果として残存している林地には、大野村と鶴川村では保全地域が存在し、千城村では用材生産のための利用がされているなど、都市化時期や形態、それに応じた残存林地の規模や、位置づけが異なっていた。

次に、各事例地域において植生の把握を行った区域の近傍に位置する旧集落の住民、新規住宅地の住民、林地で管理作業を行っているボランティア団体のメンバーを対象に、当該区林地の認識等に関するアンケート調査を行った。植生判読結果との比較により、過去の植生に関する知識については、知識の伝達者としての役割を果たしうる旧集落住民でも十分ではないこと、管理主体であるボランティア団体メンバーは、知識が伝達されていないか、伝達の過程で偏りが生じている可能性があること、新規住宅地住民は、知識が少なく管理についての意識も低いこと等が示唆された。

このように、本研究では、里地ランドスケープ地域的差異を、2つのスケールで空間明示的かつ、社会経済条件とあわせて考察した結果、地域的差異が喪失しつつあることが明らかになった。また、保全主体の地域的差異に関する認識が比較的早い時期から喪失していることが明らかになり、長期的変遷を含めた地域的差異の地図化は、このような認識を支援する情報化手法として有用であると考えられた。今後は、地域的差異とその変遷が地域社会や生態系に与えた具体的影響の把握、長期的変遷をふまえた地域の特性の保全主体による認識、"地域らしさ"を活用した保全計画のフレーム構築が必要と考えられる。

以上要するに本研究は、都市近郊における里地ランドスケープの地域的差異の物理的・認識的な喪失の実態と、地域特性の認識を支援する手法の有効性を示した研究として、評価できる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク