学位論文要旨



No 123617
著者(漢字) 井上,真紀
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,マキ
標題(和) 北海道で野生化したセイヨウオオマルハナバチの生態影響評価に関する研究
標題(洋) Assessing ecological impacts of Bombus terrestris (L.)naturalizedin Hokkaido, northern Japan.
報告番号 123617
報告番号 甲23617
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3321号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 教授 高村,典子
 東京大学 教授 樋口,廣芳
 東京大学 准教授 宮下,直
 京都大学 教授 椿,宜高
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

本来の生息域を離れ、人間の手によって別の地域に移動させられた外来生物のうち、侵入地域で定着に成功し、分布を拡大して、生態系や人間社会に悪影響を及ぼす種を「侵略的外来種(侵入種)」と呼ぶ。世界経済のグローバリゼーションに伴う物資と人の国際移送の活発化によって、侵入種の問題は深刻さを増しており、世界的な生物多様性の減少をもたらす要因のひとつとして認識されている。

ヨーロッパ原産のセイヨウオオマルハナバチBombus terrestrisは、1980年代に増殖技術が確立され、農作物の花粉媒介用として世界中で利用されるようになった。日本には1991年から温室栽培トマトの授粉昆虫として導入が開始され、現在では毎年数万コロニーが流通している。導入当初から本種の野生化に伴う生態系への影響が指摘されてきたが、特に危惧されたのは、(1)餌資源や営巣場所をめぐる競合による在来種の衰退、(2)種間交雑による在来種の繁殖撹乱、(3)在来植物の種子繁殖の阻害、(4)外来寄生生物の随伴導入による在来種の衰退、などである。

これまで、セイヨウオオマルハナバチの侵入による生態影響を示唆する例が報告されている。ニュージーランドでは、1800年代にイギリスから数回にわたって持ち込まれた女王が定着に成功し、現在ではほぼ全島に分布している。そこからの偶発的な侵入によって近年、分布拡大が問題になっているタスマニアでは、多数の在来植物への訪花が確認され、在来ハナバチへの影響が危惧されている。また、イスラエル南部では、本種の分布拡大に伴い、在来ハナバチの衰退が示唆されている。

日本では、1996年に北海道でセイヨウオオマルハナバチの野生巣が発見され、2000年代になると道内各地で越冬女王の目撃・捕獲例が急増した。餌資源や営巣場所のニッチ重複から在来種との競合の可能性が指摘されているものの、野外における生態影響の実態については十分に明らかにされているとは言えない。

本研究では、野外調査と野生巣の分析によって、在来マルハナバチ群集や保全上重要な生態系への影響および個体群成長ポテンシャルを次のような点から評価した。

(1)競合の可能性のある在来種をニッチ重複から予測し、資源をめぐる競合による在来マルハナバチへの生態影響を評価する(第2章)

(2)セイヨウオオマルハナバチの新女王生産数および新女王の越冬・営巣成功率を推定し、侵入地域における個体群成長ポテンシャルを推測する(第3、4章)

(3)半自然海岸草原を例に保全上重要な生態系における侵入ポテンシャルを予測する(第5章)

調査は、セイヨウオオマルハナバチが定着している北海道胆振地方の農業地域、および侵入初期段階にある野付半島の海岸草原において行った。

第2章 セイヨウオオマルハナバチによる在来マルハナバチへの生態影響

北海道胆振地方において、セイヨウオオマルハナバチと在来種6種の生態的ニッチを形態計測と野外調査によって比較し、餌および営巣場所をめぐる競合の可能性を検討した。

採餌に関わる口吻長は、セイヨウオオマルハナバチと在来種5種で類似しており、これらの在来種と利用植物の重複が推測された。

セイヨウオオマルハナバチとの利用植物におけるニッチ重複度は、在来種5種のうちエゾオオマルハナバチ(0.48)およびニセハイイロマルハナバチ(0.60)で大きく、餌資源をめぐる競合の可能性が示唆された。一方、営巣場所の選好性は、地中性であるセイヨウオオマルハナバチおよびエゾオオマルハナバチ、エゾトラマルハナバチで一致しており、営巣場所をめぐる競合が示唆された。

餌資源量の推定から、調査地域では外来植物がマルハナバチ類に十分な餌を提供しており、餌資源をめぐる競合による在来種排除の可能性は大きくないと判断された。それに対し、2003~2005年にかけて巣の乗っ取り頻度が増加しており、限られた営巣場所をめぐる競合を示唆する現象が認められたことから、営巣場所が重なるエゾオオマルハナバチとエゾトラマルハナバチへの影響の可能性は高いといえる。

調査地域における3年間の個体数変動をみてみると、セイヨウオオマルハナバチの増加に伴って、営巣場所が重なるエゾオオマルハナバチおよびエゾトラマルハナバチが実際に減少していることが明らかになった。一方、営巣場所の異なるニセハイイロマルハナバチにはそのような傾向はみられなかった。

以上の結果から、営巣場所をめぐる競合を介したセイヨウオオマルハナバチによる在来マルハナバチ排除の可能性が示唆された。

第3章 セイヨウオオマルハナバチの野生巣のコロニー成長と繁殖能力

北海道胆振地方において2003~2006年に発見したセイヨウオオマルハナバチ37巣のうち、採集が可能であった25巣を掘り出して室内で分解調査を行った。採集した巣はそれぞれ発達期(働きバチの生産期)、成熟期(繁殖虫の生産期)、衰退期(生産終了)に分類し、コロニー成長と繁殖虫生産について分析・評価した。

6~7月に採集された巣は、発達期に分類され、総生産繭数は104.7±99.1(N=7)であった。8~9月に採集された巣は、成熟期に分類され、総生産繭数は377.5±168.6(N=17)、新女王生産数および総生産繭数に占める割合は109.5±76.7、26.9±14.1%(N=12)であった。新女王の生産数割合は、同亜属の在来種3種を大きく上回るだけでなく、ニュージーランドやタスマニアで報告されている値に比べ格段に高いことが示された。商品化の過程において、繁殖能力の高い系統が人為的に選抜された結果であるとも考えられる。

第4章 セイヨウマルハナバチの個体群成長ポテンシャルの推定

前章では、営巣に成功した巣の新女王生産ポテンシャルが把握できた。それに加えて単独期における女王の生活史ステージを越冬期および営巣期の2つに分け、それぞれの成功率を推定することにより、個体群成長ポテンシャルを推測した。越冬期については、2003~2006年に採集した個体の頭部幅を計測し、体サイズ依存の越冬成功率をモデル化することによって推定した。すなわち、サイズ依存の自然選択による正規分布の変化から生残率を求めた。また、営巣期においては、春女王の捕獲個体に占める営巣開始個体の割合を求めることで営巣成功率を間接的に推定した。

その結果、越冬期の体サイズ依存の成功率は44.0%、営巣期の成功率は11.8%と推測された。実際には、ここで考慮された以外の死亡要因が考えられるが、一般に侵入初期の外来種は生態的解放によって生物的要因による死亡率は低いことが期待される。そこで、これらの成功率を積算して潜在的営巣成功率とした。その結果、1つの巣で生産された新女王110頭(第3章)のうち、営巣成功によって個体群成長に寄与しうるのは、5.7個体との推定値が得られた。なお、調査地域では巣の乗っ取り頻度が増加しており(第2章)、個体群は飽和状態にあると思われる。しかし、より広域的にみた場合、セイヨウオオマルハナバチの定着地域が放出源として機能しうることから、分布拡大ポテンシャルは高いと考えられる。

第5章 野付半島におけるセイヨウオオマルハナバチの保全生態学的研究

これまで、市街地や農耕地など人為的干渉の大きい環境でセイヨウオオマルハナバチの定着と分布拡大が報告されてきた。しかし、2006~2007年にかけて根室半島と野付半島で新たにセイヨウオオマルハナバチの侵入が確認された。これらの地域は、マルハナバチの種数が多いだけでなく、国内で最も希少な在来種ノサップマルハナバチの限られた生息地である。また、半自然海岸草原という日本ではきわめて希少な植生が残されており、豊かな在来植物との間に送粉共生系が成立している場所である。

このような保全上重要な生態系へのセイヨウオオマルハナバチの侵入は、生物多様性の保全上最も危惧しなければならないことである。そこで、侵入実態を把握し対策を立てるために、2007年に野付半島の海岸草原において訪花頻度調査および営巣調査を実施した。

セイヨウオオマルハナバチは在来種に比べ個体数が少なく、この地域への侵入初期と考えられる。しかし、在来植物の利用率が高いこと、営巣にも成功していることから、このような自然性の高い生態系においても十分に定着が可能であることが明らかになった。今後侵入が進行すれば、第2章で示したように資源をめぐる競合を介した在来種の減少が予測される。

第6章 結論

本研究では、ニッチ重複の点からセイヨウオオマルハナバチの侵入によって生態影響を受ける可能性が高い在来種を明らかにし、実際に営巣場所が重なるエゾオオマルハナバチおよびエゾトラマルハナバチが影響を受けていることを明らかにした。また、個体群成長ポテンシャルの推定によって、本種の高い増殖力が侵入地域における優占状態に寄与しているのみならず、未侵入地域への急速な分布拡大をもたらしうる潜在的可能性があることが示された。これらの結果をふまえると、保全上重要な地域におけるマルハナバチ群集や送粉生態系への影響を防止するために、侵入地域のみならず、すでに本種が定着し、その放出源となっている周辺地域においても、監視・駆除等の対策をいっそう強化することが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本来の生息域を離れ、人間の手によって別の地域に移動させられた外来生物のうち、侵入地域で定着に成功し、分布を拡大して生態系や人間社会に悪影響を及ぼす種を「侵略的外来種(侵入種)」と呼ぶ。世界経済のグローバル化に伴う物資と人の移動の活発化に伴い、侵入種の問題は深刻さを増し、生物多様性の減少をもたらす要因のひとつとして認識されている。ヨーロッパ原産のセイヨウオオマルハナバチBombus terrestrisは、1980年代頃から農作物の花粉媒介用として商業利用され、日本においては1991年以来、温室栽培トマトの授粉昆虫として広く利用されている。導入当初から(1)餌資源や営巣場所をめぐる競争による在来種の排除、(2)種間交雑による在来種の繁殖撹乱、(3)在来マルハナバチの減少や盗蜜を介した在来植物の繁殖の阻害、(4)外来寄生生物の随伴導入など、生態系への影響が懸念されていたが、1996年に北海道で野生化の証拠が認められ、2000年代になると道内全域にわたる急速な分布拡大が認められるようになった。しかし、餌資源や営巣場所のニッチ重複から在来種の競争排除を介した生態系影響の可能性が指摘されてはいるものの、その生態的特性に関して十分な情報が無く、科学的な影響評価はなされていない。

申請者は、セイヨウオオマルハナバチが定着している北海道胆振地方の農業地域における野外調査と野生巣の分析によって得られたデータをもとに、生物間相互作用の連鎖を介して広範な生態系への影響につながるおそれのある在来マルハナバチ群集への影響を分析・評価した。すなわち、1)ニッチ重複、2)資源利用可能性、および3)競争力に係わる繁殖力ならびに個体群成長ポテンシャルを把握し、それらを総合的に勘案することで在来マルハナバチ競争排除の可能性を検討した。さらに、影響をもっとも強く懸念しなければならない保全上重要な生態系のモデルとして、マルハナバチと花の送粉共生系が主要な生物間相互作用ネットワークを形成している野付半島の海岸草原への侵入と送粉共生系への影響の可能性を野外調査データにもとづいて分析・評価した。

野外における餌となる花資源および営巣場所の利用実態の調査および形態計測データから、花資源および営巣場所においてニッチ重複度の高い在来種が抽出されたが、調査地域では外来植物がマルハナバチ類に十分な餌を提供しており、餌資源をめぐる競争を介した在来種排除の可能性は小さいことが示唆された。それに対して、営巣場所をめぐる競争の激化を示唆するデータが得られ、地下営巣性のエゾオオマルハナバチとエゾトラマルハナバチの競争排除が疑われた。実際に、調査地域における3年間の越冬女王のセンサスデータからは、セイヨウオオマルハナバチの増加に伴い当該2種の個体数が顕著に減少していることが示された。

申請者は、北海道胆振地方において発見したセイヨウオオマルハナバチ25巣の分解調査によって、発達期(働きバチの生産期)、成熟期(繁殖虫の生産期)、衰退期(生産終了)におけるコロニー成長と繁殖虫生産について分析した結果、成功した巣1巣あたりの新女王生産数は109.5±76.7(N=12)にものぼり大きな繁殖力をもつことを明らかにした。さらに、女王の越冬期および営巣期の成功率の推定を介して、個体群成長ポテンシャルおよび現状での成長率を推定した。1つの巣で生産された新女王110頭のうち、実際に繁殖成功によって個体群成長に寄与しうるのは約1.8個体程度で野外のセンサスデータから推定された個体群成長率約1.5/年と同範囲の値であるが、密度効果を除いた値、すなわち内在的な個体群成長ポテンシャルは約20/年と推定された。

申請者は、国内で最も希少な在来種ノサップマルハナバチの限られた生息地でもあり、希少な海岸植生を残す野付半島へのセイヨウオオマルハナバチの侵入実態を調査し、その個体数から侵入初期と判断した。しかし、在来植物の利用率が高く、営巣成功例も認められることから、このような生態系にも定着が可能であり、送粉共生系への影響が危惧されることが明らかにされた。

申請者の研究は、このように、在来マルハナバチの競争排除の可能性の点からセイヨウオオマルハナバチの侵入がもたらす生態影響を評価した。競争排除を受ける可能性が高い在来種として特定されたエゾオオマルハナバチおよびエゾトラマルハナバチが、セイヨウオオマルハナバチの増加に伴って実際に減少していることを示す野外調査の結果は、競争排除にかかわる推測・評価の妥当性を裏付けるものである。保全上重要な地域におけるマルハナバチ群集や送粉生態系への影響を防止するためには、侵入域のみならず、すでに大きな個体群が存在し個体供給源となりうる地域における監視・駆除の対策強化を重視すべきことなど、本研究で得られた知見は、対策の現場における行政や市民の監視・排除活動に科学的な根拠を与えるものである。また、本研究で開発した生態影響評価の手法は、広く同じような目的の研究および影響評価に利用しうるものである。このことから、本研究は、学術的にも社会的にも十分な成果をあげたといえる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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