学位論文要旨



No 123633
著者(漢字) 山内,啓史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,ヒロフミ
標題(和) げっ歯類を用いたDNA傷害による胎盤毒性の発現機序に関する研究
標題(洋) Mechanisms of DNA damage-induced toxicity in the developing rodent placenta
報告番号 123633
報告番号 甲23633
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3337号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 准教授 内田,和幸
 東京農工大学 教授 三森,国敏
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

胎盤は、胎児を子宮内で物理的に支えるのみならず、母体と胎児の間に位置して栄養交換を行い、胎児組織を母体の免疫反応から保護し、さらには妊娠維持に不可欠なホルモンも産生している。正常な胎児発育に必須の存在である胎盤の障害・機能不全は、胎児発育と妊娠に重篤な悪影響を及ぼすと考えられる。これまでに種々の物理的・化学的刺激が胎児発育を阻害することが見出され、胎児への影響とその機序が詳細に研究されてきた。最近の実験動物を用いた研究により、胎児毒性物質が胎児組織のみならず、胎盤においても細胞・組織レベルで様々な異常を引き起こすことがわかってきた。また、ヒト症例の研究から、胎盤の細胞・組織における異常が種々の妊娠障害・胎児発育異常と密接に関連していることを示唆する知見も増えてきている。

DNA傷害は、発生毒性の機序因子として最も重要なものの一つである。実際、高線量放射線への暴露や抗がん剤投与は、明らかに胎児発育を阻害する。一方、生体の全ての細胞は常に一定レベルのDNA傷害に曝されている。すなわち、自然界には微量ながら放射線が存在し、また細胞の正常な代謝や増殖過程でも活性酸素が生成され、DNA複製においても確率的にエラーが生じる。こういった低レベルのDNA傷害の影響は通常ではごくわずかであるが、ヒトの妊娠において胎盤や胎児の発育障害の要因となっている可能性が考えられる。活発に細胞増殖が行われている胎盤はDNA傷害に対して感受性が高いと考えられているにもかかわらず、胎盤におけるDNA傷害機序に関する研究はこれまでほとんど行われていない。

このような背景から、本研究では胎盤におけるDNA傷害の影響とその機序を明らかにすることを目的として、【Chapter 1】ではDNA二本鎖切断作用を持つ化合物etoposideと放射線の一種γ線の、【Chapter 2】ではDNA複製阻害作用を持つ化合物cytosine arabinoside(Ara-C)の胎盤への影響をそれぞれ調べた。【Chapter 3】ではAra-Cによる胎盤アポトーシスの機序解明を目的として各種の検討を行った。Ara-C、etoposide、およびγ線は、胎児組織にアポトーシスを誘導し、胎児発育を阻害することが知られている。

【Chapter 1】

etoposideは、DNA topoisomerase IIの阻害剤であり、DNAとDNA topoisomerase IIの結合を安定化する作用を持つ。また、γ線は、水分子を分解してヒドロキシラジカルを生成する作用を持つ。両者とも、結果としてDNAに二本鎖切断を生じる。本実験では、妊娠12日目のマウスに、etoposide 10 mg/kg を腹腔内投与、またはγ線5 Gyを全身照射し、それぞれ8および24時間後、6および24時間後に胎盤を採材した。

その結果、etoposide、またはγ線処置により、処置6~24時間後に胎盤迷路部栄養膜細胞においてアポトーシスマーカーであるTUNEL染色に陽性を示す細胞数が増加した。また、いずれの処置によっても、6または8時間後にp53タンパク質の発現上昇およびリン酸化の亢進がWestern blotting(WB)および免疫染色によって確認された。さらに、p53欠損マウスの胎盤では、etoposide投与によるアポトーシス誘導が顕著に抑制されていた。これらの結果から、p53がDNA二本鎖切断による胎盤アポトーシスに関与していることが示された。

リン酸化Histone H3免疫染色陽性の分裂像数をカウントすることで胎盤栄養膜細胞の増殖活性を評価したところ、etoposide投与8時間後およびγ線照射6時間後に、分裂像数の減少が認められた。そこで、細胞周期の変動を調べるためにCyclin A, B, D, Eのタンパク質発現量をWBで調べたところ、etoposide投与およびγ線照射の後にCyclin B1の発現上昇が認められた。Cyclin B1は、細胞分裂を開始させる働きがあり、M期中期にその働きを終えるとすみやかに分解される。栄養膜細胞の分裂像数が減少しているのにもかかわらずCyclin B1の発現が上昇したことにより、細胞周期がG2/M期境界で停止していることが考えられた。

Cyclin B1はCdk1と複合体を形成し細胞分裂を実行するが、DNA傷害時にはCdk1がリン酸化されて複合体の機能が抑制され、細胞分裂前に細胞周期が停止すると考えられている。WBでCdk1のリン酸化状態を調べたところ、etoposide投与8時間後、γ線照射6時間後ともにリン酸化が上昇しており、DNA二本鎖切断に反応して細胞周期停止が誘導されていることが示された。

【Chapter 2】

Ara-Cは、シチジンアナログでありDNA複製を阻害することから、抗がん剤として白血病などの治療に広く用いられている。

妊娠13日齢のラットにAra-C 250 mg/kgを単回腹腔内投与して、投与1~48時間後に胎盤を採材した。その結果、胎盤迷路部の栄養膜細胞において、投与6時間後をピークとしてTUNEL染色に陽性を示す細胞数の著しい増加が確認された。アポトーシスの誘導は、caspase 3(アポトーシス実行因子)免疫染色、電子顕微鏡観察などによっても確認された。また、胎盤迷路部の細胞増殖活性について検索したところ、分裂細胞数、topoisomerase IIα免疫染色陽性細胞(増殖細胞)数、bromodeoxyuridine(BrdU)取り込み細胞(DNA合成細胞)数とも、Ara-C投与直後から著しく減少することがわかり、細胞周期停止が誘導されていることが示唆された。

【Chapter 3】

続いて、DNA傷害に際して細胞周期停止やアポトーシス誘導を媒介する癌抑制遺伝子p53を中心に、Ara-Cによる胎盤細胞のアポトーシスと増殖障害の誘導因子・経路を検討した。WBおよび免疫染色の結果から、Ara-C投与1~24時間後にp53タンパク質およびリン酸化p53タンパク質の発現上昇が示された。p53は、リン酸化されることで安定なタンパク質となり細胞内に蓄積、同時に転写因子としての機能が活性化すると考えられている。そこで、p53転写標的遺伝子のmRNA発現量をリアルタイムRT-PCRまたは半定量RT-PCRで解析したところ、p21,cyclin g1,fas、bax,noxaおよびpumaの発現上昇が認められた。これらの遺伝子は、アポトーシスや細胞周期停止を誘導することが知られており、Ara-C暴露後の胎盤でp53の転写機能が活性化、下流の標的遺伝子の発現を上昇させることで上述の細胞反応を実行することが示唆された。また、DNA傷害に際してリン酸化を受ける事が知られているタンパク質、Chk1およびHistone H2AXのリン酸化も認められた。p53、Chk1およびHistone H2AXは、DNA傷害を検知するキナーゼATR/ATMによってリン酸化されると考えられており、Ara-CによってATR/ATMを始点とする反応経路が活性化されている事が示唆された。さらにp53の役割を明確にするために、妊娠12日齢のp53ノックアウトマウスにAra-C 100mg/kgを単回腹腔内投与し、6時間後に胎盤を検索する実験を行った。この結果、p53欠損マウスの胎盤でAra-C投与によるアポトーシス誘導が顕著に抑制されることが示され、p53がこの反応に必須であることが明らかになった。さらに、Ara-C投与後に胎盤でcleaved caspase-9の上昇、およびcytochrome Cのミトコンドリアからの放出というミトコンドリア経路の関与を示唆する結果が得られた。一方、デスレセプターのひとつであるFasを欠損した変異マウスを用いた実験では、Ara-C投与により変異マウスにも野生型マウスと同様に胎盤にアポトーシスが誘導された。したがって、Fas/Fasリガンドはこの反応に必須の因子ではないと考えられた。

これらの結果から、Ara-Cに暴露された胎盤において、p53のリン酸化による活性化、活性化したp53によるアポトーシス誘導遺伝子の発現上昇、ミトコンドリア経路によるアポトーシス誘導という一連のDNA傷害後の反応経路の動員が示された。加えて、細胞周期停止誘導因子として重要視されているChk1のAra-Cによる増殖抑制への関与も示唆された。

【結論】

本研究では、胎盤がDNA傷害性の刺激に対して感受性の高い組織であり、迷路部でアポトーシスや細胞増殖抑制が誘導される事を示した。迷路部は、栄養膜細胞を介した胎児母体血液間の物質交換という胎盤の最も重要な機能を担っており、ヒト胎盤の絨毛に相当する部位である。また、様々な妊娠関連疾患において、絨毛栄養膜細胞のアポトーシスが増加することが報告されている。本研究の結果は、胎盤に対するDNA傷害がアポトーシス誘導を介してその機能を阻害し、妊娠関連疾患の発症に関与している可能性を示唆するものである。

また、本研究では、DNA傷害によって細胞周期停止が誘導されることも示された。妊娠中期の胎盤は成長する胎児の要求を満たすために急速に発育しており、栄養膜細胞の増殖抑制は胎盤機能に重大な影響を及ぼすものと考えられた。

さらに、胎盤に置いてDNA傷害によるアポトーシス誘導にはp53が必須であり、p53が細胞周期停止にも関与している可能性が本研究によって示された。いくつかの妊娠関連疾患において、胎盤でp53のタンパク質発現量が上昇している事が報告されており、本研究の結果と合わせて、p53は胎盤の病態発生に関与する重要な因子のひとつである事が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

正常な胎児発育に必須の存在である胎盤の障害・機能不全は、胎児発育と妊娠に重篤な悪影響を及ぼすと考えられる。また、DNA傷害は、発生毒性の機序因子として最も重要なものの一つである。高線量放射線への暴露や抗がん剤投与は明らかに胎児発育を阻害する。活発に細胞増殖が行われている胎盤はDNA傷害に対して感受性が高いと考えられているにもかかわらず、胎盤におけるDNA傷害機序に関する研究はこれまでほとんど行われていない。このような背景から、本研究では胎盤におけるDNA傷害の影響とその機序を明らかにすることを目的として、etoposide、γ線、cytosine arabinoside(Ara-C)の胎盤への影響をそれぞれ調べた。

【Chapter 1】

etoposide、γ線の両者ともDNAに二本鎖切断を生じる。本実験では、妊娠12日目のマウスに、etoposide 10 mg/kg を腹腔内投与、またはγ線5 Gyを全身照射し、それぞれ8および24時間後、6および24時間後に胎盤を採材した。

その結果、etoposide、またはγ線処置により、処置6~24時間後に胎盤迷路部栄養膜細胞においてTUNEL染色に陽性を示す細胞数が増加した。また、いずれの処置によっても、6または8時間後にp53タンパク質の発現上昇およびリン酸化の亢進がWestern blotting(WB)および免疫染色によって確認された。さらに、p53欠損マウスの胎盤では、etoposide投与によるアポトーシス誘導が顕著に抑制されていた。これらの結果から、p53がDNA二本鎖切断による胎盤アポトーシスに関与していることが示された。リン酸化Histone H3免疫染色により胎盤栄養膜細胞の増殖活性を評価したところ、etoposide投与8時間後およびγ線照射6時間後に、分裂像数の減少が認められた。

【Chapter 2】

Ara-Cは、シチジンアナログでありDNA複製を阻害することから、抗がん剤として白血病などの治療に広く用いられている。

妊娠13日齢のラットにAra-C 250 mg/kgを単回腹腔内投与して、投与1~48時間後に胎盤を採材した。その結果、胎盤迷路部の栄養膜細胞において、投与6時間後をピークとしてTUNEL染色に陽性を示す細胞数の著しい増加が確認された。また、胎盤迷路部の細胞増殖活性について検索したところ、分裂細胞数、topoisomerase IIα免疫染色陽性細胞(増殖細胞)数、bromodeoxyuridine(BrdU)取り込み細胞(DNA合成細胞)数とも、Ara-C投与直後から著しく減少することがわかり、細胞周期停止が誘導されていることが示唆された。

【Chapter 3】

続いて、癌抑制遺伝子p53を中心に、Ara-Cによる胎盤細胞のアポトーシスと増殖障害の誘導因子・経路を検討した。WBおよび免疫染色の結果から、Ara-C投与1~24時間後にp53タンパク質およびリン酸化p53タンパク質の発現上昇が示された。そこで、p53転写標的遺伝子のmRNA発現量をリアルタイムRT-PCRまたは半定量RT-PCRで解析したところ、p21,cyclin g1,fas、bax,noxaおよびpumaの発現上昇が認められた。これらの遺伝子は、アポトーシスや細胞周期停止を誘導することが知られており、Ara-C暴露後の胎盤でp53の転写機能が活性化、下流の標的遺伝子の発現を上昇させることで上述の細胞反応を実行することが示唆された。さらにp53の役割を明確にするために、妊娠12日齢のp53ノックアウトマウスにAra-C 100mg/kgを単回腹腔内投与し、6時間後に胎盤を検索する実験を行った。この結果、p53欠損マウスの胎盤でAra-C投与によるアポトーシス誘導が顕著に抑制されることが示され、p53がこの反応に必須であることが明らかになった。さらに、Ara-C投与後に胎盤でcleaved caspase-9の上昇、およびcytochrome Cのミトコンドリアからの放出というミトコンドリア経路の関与を示唆する結果が得られた。これらの結果から、Ara-Cに暴露された胎盤において、p53のリン酸化による活性化、活性化したp53によるアポトーシス誘導遺伝子の発現上昇、ミトコンドリア経路によるアポトーシス誘導という一連のDNA傷害後の反応経路の動員が示された。

本研究により胎盤組織におけるDNA傷害のメカニズムの一端が明らかになった。この結果は、胎児胎盤での毒性発現機構の解明に極めて有用な情報を提供すると考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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