学位論文要旨



No 123634
著者(漢字) 山崎,淳平
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,ジュンペイ
標題(和) 犬のリンパ腫における微小残存病変(MRD)の検討
標題(洋) Investigation of Minimal Residual Disease (MRD) in Canine Lymphoma
報告番号 123634
報告番号 甲23634
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3338号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 准教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

イヌのリンパ腫は発生頻度が高く、その症例のほとんどは致死的な経過を辿ることから、臨床的にきわめて重要な疾患である。症例の大部分は多剤併用化学療法により臨床的寛解に達することができるが、最終的には再発を免れない。これまで約20年間にわたって新たな化学療法プロトコールが検討されてきたが、1990年代に導入されたシクロフォスファミド、ドキソルビシン、ビンクリスチンおよびプレドニゾロンを組み合わせたCHOPプロトコールで得られた成績を大幅に上回るプロトコールの報告はなく、従来の方法ではさらに治療成績を向上させるのには限界があるとの認識が一般的である。このような背景から、現在の治療法における限界をブレークスルーするための方法として、これまでの多数の研究とは別の発想が必要であると考えた。そこで、本論文においては、再発時の腫瘍細胞の源となるが寛解時には一般的な方法では検出できない「残存した腫瘍細胞:微小残存病変 (Minimal Residual Disease: MRD)」に着目して一連の研究を行った。

MRDとは治療により寛解が得られた後に存在する腫瘍細胞のことを指す。しかし、このMRDはごく微量であるため、血液学的検査、組織学的検査、フローサイトメトリーといった通常の検査では検出することは困難である。これに対し、分子生物学的手法を用いたpolymerase chain reaction (PCR)法を利用することにより、寛解状態においてもMRDを検出・定量可能であることがヒトのリンパ腫で示されている。ヒトのリンパ腫において、化学療法後のMRDレベルは再発までの期間と相関すること、また再発時の直前にMRDレベルが上昇することが報告されており、その臨床的重要性が示唆されている。イヌのリンパ腫においても、MRDの分子生物学的検出を行うことにより、本疾患における腫瘍細胞の動態を正確に解明することが可能と考えられた。また、このMRD測定の結果を利用することにより、再発の早期指標の提示や治療の客観的評価が可能となり、イヌのリンパ腫の治療成績を向上させ得ると考えた。

本論文における一連の研究は、イヌのリンパ腫におけるMRDの分子生物学的検出システムを構築し、その臨床的有用性を検討することを目的として行ったものである。第1章においては、イヌのリンパ腫由来細胞株を用い、MRD定量システムに関して、その感度、特異性および症例特異的プライマー/プローブの設計法について検討した。第2章では、本システムを臨床例に応用し、末梢血中MRDレベルと症状との関連を調べるとともに、寛解状態におけるMRDの存在を検証した。第3章では、第1章および第2章の成果に基づき、A.多剤併用化学療法プロトコール中におけるMRD動態、B.多剤併用化学療法終了時おけるMRDレベルと再発までの期間の相関、C.MRDレベル解析の再発予測への応用、の3点に関する臨床的有用性について検討を行った

第1章:イヌのリンパ腫におけるMRD定量システムの確立

MRD定量には症例特異的プライマーおよびプローブの設計が必要であるため、イヌのT細胞型リンパ腫由来細胞株UL-1を用いて、その設計法を検討するとともに、感度および特異性の検証を行った。まず、UL-1細胞におけるT細胞レセプターγ鎖(TCRγ)の遺伝子断片をPCRによって増幅したところ、UL-1細胞は再構成したTCRγ遺伝子に関してクローナルな集団であることが示されたため、その配列を決定した。症例特異的なプライマーとプローブの設計には、得られたTCRγ遺伝子配列の他にイヌゲノムデータベースにおけるTCRγ遺伝子近傍の配列を利用した。症例特異的プライマーを用いたPCRにおいては、正常犬の末梢血中単核球(PBMC)ゲノムDNA からの増幅は認められず、UL-1細胞ゲノムDNAからの再構成済みTCRγ遺伝子断片の増幅が確認された。次に、UL-1細胞ゲノムDNAを正常犬PBMCゲノムDNAで段階希釈したものをサンプルとして用い、リアルタイムPCRによりUL-1細胞のTCRγ遺伝子断片の定量を行ったところ、コピー数10~100,000のサンプルにおいて正確な定量結果が得られた。また、1コピーのサンプルからは安定した増幅は得られなかったため、このシステムの感度は10-4であることが示された。

第2章:イヌのリンパ腫症例における末梢血中MRDの検討

本章では、第1章において樹立したMRD定量システムを臨床例において検証することを目的とし、イヌのリンパ腫7症例における末梢血中MRDの解析を行った。まず、個々の症例のリンパ腫細胞から免疫グロブリン重鎖(IgH)遺伝子およびTCRγ遺伝子の再構成後の遺伝子断片をPCRによって増幅したところ、再構成したIgH遺伝子についてクローナルな腫瘍細胞であることが示されたため、その配列を決定した。症例特異的プライマーとプローブの設計は、第1章と同じく個々の症例のIgH遺伝子配列およびイヌゲノムデータベースにおけるIgH遺伝子近傍の配列情報を組み合わせて行い、その特異性を確認したプライマー・プローブのセットをリアルタイムPCRに用いた。まず血液検査により末梢血液中に腫瘍細胞が確認されるStageVの症例において、通常の血液学的手法および本定量システムの結果を比較したところ、両方法によって得られた腫瘍細胞数はほぼ一致していることが確認された。そこで、リンパ腫症例においてその病状と末梢血中MRDレベルとの関連を検討したところ、MRDレベルはリンパ節の腫大および縮小の経過とほぼ一致して増加・減少することが判明した。また臨床的に完全寛解の状態にあった症例におけるMRDレベルを測定したところ、いずれの症例においても0.1~10コピー/μL (理論上、0.1~10細胞/μL)のMRDレベルが検出された。

第3章:イヌのリンパ腫症例における末梢血中MRD測定の臨床的有用性に関する検討

第1章においてMRD定量システムを確立し、第2章で本システムによる測定が臨床例に応用可能であることを確認したため、本章では、末梢血中MRD定量の臨床的有用性を検討することを目的とし、定量を行ったイヌのリンパ腫症例26例に関して、次の3点について検証した。

A.多剤併用化学療法プロトコール中におけるMRD動態:治療効果の判定におけるMRDレベルの有用性を検討するため、多剤併用化学療法により完全寛解に達した7症例におけるMRDレベルを経時的に測定した。リアルタイムPCRによって算出した末梢血腫瘍細胞数は、初診時において10~>100コピー/μLであったが、プロトコール9週目までに約0.1~1コピー/μLに減少し、その後25週目(最終週)まで維持されていた。最終週(寛解状態)におけるMRDレベルは初診時における末梢血中腫瘍細胞数と比較して有意に低い値であった。

B.多剤併用化学療法終了時おけるMRDレベルと再発までの期間の相関:多剤併用化学療法の最終週におけるMRDレベルにより、その後の再発までの期間を予測可能であるかどうかを検討した。多剤併用化学療法により完全寛解に達した17症例の化学療法最終週における20サンプルのMRDレベルはその後の再発までの期間と負の相関を示した。そこで、これら症例を化学療法最終週におけるMRDレベルにより、>1コピー/μL、0.1~1コピー/μL、検出限界以下(分子生物学的寛解)の3群に分けたところ、再発までの期間に関してそれぞれの群の間に有意差が認められ、その中央値はそれぞれ45, 190, 400日であった。

C.MRDレベル解析の再発予測への応用:MRDレベルの測定により、臨床的に確認される再発のポイントよりも早期に再発を検出できるかどうかをリンパ腫2症例について検討した。その結果、寛解時において末梢血液中MRDレベル が 1コピー/μL以上に上昇した場合もしくは分子生物学的寛解状態から逸脱した場合には、その後1~3ヶ月以内に再発していることが明らかとなった。

本研究の成果により、イヌのリンパ腫に関するこれまでの概念とは異なり、完全寛解の状態においても末梢血液中に腫瘍細胞が残存していることが示された。また、MRDレベルはイヌのリンパ腫のあらゆる状態においてその病状と相関を示すことが明らかとなり、とくに寛解状態においても腫瘍のわずかな進行度を評価できることが示された。今後、MRDレベルjの測定をイヌのリンパ腫の診療に応用することにより、次のような新規化学療法指針を提示できるものと考えられる。

(1)MRDレベルの測定により、既存または新規の化学療法の有効性を短期間のうちに客観的に比較することが可能となる。

(2)化学療法終了時におけるMRDレベルの測定によって、その後の再発までの期間を予測することが可能となり、それに基づいた地固め療法の必要性を示唆することができる。

(3)分子生物学的再発は臨床的再発よりも早期に検出することが可能であり、それに基づいて早期に再寛解導入療法を開始することができる。

本論文の成果によるMRDレベルの測定結果を基にした治療、つまりMRD-guided therapyはテーラーメイド型治療の方法論を提供するものであり、それに沿って個々の症例に最適な治療法を実施することにより、イヌのリンパ腫における治療成績が大幅に改善されるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文における一連の研究は、イヌのリンパ腫におけるMRDの分子生物学的検出システムを構築し、その臨床的有用性を検討することを目的として行った。

第1章:イヌのリンパ腫におけるMRD定量システムの確立

イヌのT細胞型リンパ腫由来細胞株UL-1を用いて、MRD定量における症例特異的プライマーおよびプローブ設計法を検討するとともに、感度および特異性の検証を行った。まず、UL-1細胞におけるT細胞レセプターγ鎖(TCRγ)の遺伝子断片をPCRによって増幅し、その配列を決定した。症例特異的なプライマーとプローブの設計には、得られたTCRγ遺伝子配列の他にイヌゲノムデータベースにおけるTCRγ遺伝子近傍の配列を利用した。症例特異的プライマーを用いたPCRにおいては、正常犬の末梢血中単核球(PBMC)ゲノムDNA からの増幅は認められず、UL-1細胞ゲノムDNAからの再構成済みTCRγ遺伝子断片の増幅が確認された。次に、UL-1細胞ゲノムDNAを正常犬PBMCゲノムDNAで段階希釈したものをサンプルとして用い、リアルタイムPCRによりUL-1細胞のTCRγ遺伝子断片の定量を行ったところ、コピー数10~100,000のサンプルにおいて正確な定量結果が得られた。また、1コピーのサンプルからは安定した増幅は得られなかったため、このシステムの感度は10-4であることが示された。

第2章:イヌのリンパ腫症例における末梢血中MRDの検討

本章では、イヌのリンパ腫7症例における末梢血中MRDの解析を行った。まず、個々の症例のリンパ腫細胞から免疫グロブリン重鎖(IgH)遺伝子の再構成後の遺伝子断片をPCRによって増幅し、その配列を決定した。症例特異的プライマーとプローブの設計は、個々の症例のIgH遺伝子配列およびイヌゲノムデータベースにおけるIgH遺伝子近傍の配列情報を組み合わせて行い、その特異性を確認したプライマー・プローブのセットをリアルタイムPCRに用いた。まず血液検査により末梢血液中に腫瘍細胞が確認されるStageVの症例において、通常の血液学的手法および本定量システムの結果を比較したところ、両方法によって得られた腫瘍細胞数はほぼ一致していることが確認された。そこで、リンパ腫症例においてその病状と末梢血中MRDレベルとの関連を検討したところ、MRDレベルはリンパ節の腫大および縮小の経過とほぼ一致して増加・減少することが判明した。また臨床的に完全寛解の状態にあった症例におけるMRDレベルを測定したところ、いずれの症例においても0.1~10コピー/μL (理論上、0.1~10細胞/μL)のMRDレベルが検出された。

第3章:イヌのリンパ腫症例における末梢血中MRD測定の臨床的有用性に関する検討

本章では、末梢血中MRD定量の臨床的有用性を検討することを目的とし、定量を行ったイヌのリンパ腫症例26例に関して、次の3点について検証した。

A.多剤併用化学療法プロトコール中におけるMRD動態:リアルタイムPCRによって算出した末梢血腫瘍細胞数は、初診時において10~>100コピー/μLであったが、プロトコール9週目までに約0.1~1コピー/μLに減少し、その後25週目(最終週)まで維持されていた。最終週(寛解状態)におけるMRDレベルは初診時における末梢血中腫瘍細胞数と比較して有意に低い値であった。

B.多剤併用化学療法終了時おけるMRDレベルと再発までの期間の相関:多剤併用化学療法により完全寛解に達した17症例の化学療法最終週における20サンプルのMRDレベルはその後の再発までの期間と負の相関を示した。そこで、これら症例を化学療法最終週におけるMRDレベルにより、>1コピー/μL、0.1~1コピー/μL、検出限界以下(分子生物学的寛解)の3群に分けたところ、再発までの期間に関してそれぞれの群の間に有意差が認められ、その中央値はそれぞれ45, 190, 400日であった。

C.MRDレベル解析の再発予測への応用:リンパ腫2症例において寛解時において末梢血液中MRDレベル が分子生物学的寛解状態から逸脱した場合には、その後1~3ヶ月以内に再発していることが明らかとなった。

本研究の成果により、イヌのリンパ腫に関するこれまでの概念とは異なり、完全寛解の状態においても末梢血液中に腫瘍細胞が残存していることが示された。また、MRDレベルはイヌのリンパ腫のあらゆる状態においてその病状と相関を示すことが明らかとなり、とくに寛解状態においても腫瘍のわずかな進行度を評価できることが示された。今後、MRDレベルjの測定をイヌのリンパ腫の診療に応用することにより、新規化学療法指針を提示できるものと考えられる。

本申請論文を審査した結果、博士(獣医学)の学位を授与するに値すると判断した。

(1988文字)

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