学位論文要旨



No 123636
著者(漢字) 崔,恩京
著者(英字)
著者(カナ) チェ, ウン キョン
標題(和) 有機塩素系殺虫剤(p,p'-DDE)が及ぼす次世代の雄性生殖器系への影響
標題(洋) Transgenerational effect of p,p'-DDE on male reproductive organs
報告番号 123636
報告番号 甲23636
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3340号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 金井,克晃
 東京大学 准教授 大迫,誠一郎
内容要旨 要旨を表示する

近年、世界中の各地域で、爬虫類における性の転換、繁殖不能な鳥類、著しく減少したヒトの精子数、子どもができない夫婦の増加、精巣癌及び乳癌の増加などが報告されている。このような現象の原因としてDDT(Chlorodiphenyl trichloroethane)やPCB(polychlorinated biphenyls)などの内分泌かく乱物質(環境ホルモン)が取り上げられ、社会的にも深刻な問題となっている。こうした内分泌かく乱物質に関する研究は、この10年、主に受容体タンパク質の同定という分子レベルにおいて多くの進展をみせたが、最近になってDNAレベルのメチル化変動というエピジェネティックエフェクトについても報告がなされはじめた。しかし、そのメカニズムはいまだ明らかにされていない。

内分泌かく乱物質の一つである有機塩素系殺虫剤 DDTは、高い発癌性と神経系・生殖器系などに与える影響が大きいため、先進国では1971年から使用禁止になっているが、多くの開発途上国で、今も主要な殺虫剤として使われている。また、使用・販売・製造を禁止した国においても、過去長期にわたり大量に使用していたことから、土壌や水はDDTに汚染されている。DDTは自然界で分解されず、高い脂溶性により食物連鎖を介して濃縮され、生命体へ影響を与えている。内分泌かく乱物質としてのDDTの直接的メカニズムは、DDTがホルモンレセプターに結合して内分泌系を乱し、生殖機能低下や癌を誘発するものとされている。しかし、その具体的なメカニズムは現在でも明らかにされていない。さらに、DDTがエピジェネティックエフェクトを与えるか否かも知られていない。

本研究は、DDTの代謝産物であるp,p-DDE (以下DDE)を胎仔期及び生後期のラットへ曝露し、その次世代の雄性生殖器系に生じた影響を検討するとともに、精子 DNAメチル化を用いてエピジェネティックエフェクトとの関連性を検討したものである。

第1章 胎仔期でのDDE曝露が次世代の雄性生殖器系へ及ぼす影響

胎仔における生殖腺の性分化と生殖腺の発達が起こる時期である胎仔期10日から19日まで10日間、DDE 20mg/kgと100mg/kgを妊娠ラットへ1日1回経口投与し、生まれた雄産仔(F1)を形態学的に解析した。また、その雄産仔を正常な雌と交配させ生まれた雄産仔(F2)を同じく形態学的に解析した。その結果、高濃度DDE (100mg/kg)投与のF1雄ラットで、成長体重は対照群と比較したところ、有意な減少を示し、肉眼的には外部生殖器の腫瘍が観察された。また、有意差は示さないが、一日精子産生数(daily sperm production: DSP)が減少した。 低濃度DDE(20mg/kg)投与では、尿生殖器複合体(UGC)重量と精子数の有意な減少を示した。DDE 100mg/kg投与のF2雄ラットでは、 DSPは対照群に対して減少し、精巣、精巣上体、及びUGCの相対臓器重量の有意な減少が認められた。以上の結果より、胎仔期でのDDE曝露が次世代の雄性生殖器系へ影響し、その影響は雄のみでも次の世代(F2)へ影響が及ぶことが示唆された。

第2章 生後期でのDDE曝露が次世代の雄性生殖器系へ及ぼす影響

出生後14日齢(2週齢)から70日齢(10週齢)までの雄ラット(F0)へ、DDE 20mg/kgと200mg/kgを2日に1回経口投与し、正常な雌と交配させ生まれた雄産仔(F1)を形態学的に解析した。その結果、DDE 200mg/kg曝露による体重と生殖器重量(特にUGC)の減少、及び精巣内アポトーシス細胞数の有意な増加が観察された。その雄産仔(F1)では、肛門生殖突起間距離(anogenital distance; AGD)の短縮及び精巣上体重量の有意な増加が観察された。また、 DSP の有意な減少と精巣内アポトーシス細胞数の有意な増加が認められた。以上の結果より、出生後にDDEに曝露されても、雄が受けた影響はその次世代(F1)の雄の生殖器へも影響を及ぼすことが示唆された。

第3章 DDEが次世代の雄性生殖器系へ及ぼすエピジェネティックエフェクト

胎仔期と生後期にDDEに曝露された雄産仔(103日齢)の精子DNAを用いてbisulfite法でLPLase gene (Chromosome 6q32)上のmethylation解析を行った。その結果、DSPの有意な減少が見られた生後期曝露のDDE 200mg/kg投与 F1雄ラットで、そのメチル化パターンが変化していることが明らかとなった。これは、実際に人間が摂取する経路で、父系が次世代へエピジェネティックエフェクトを及ぼす可能性を示したことになる。このエピジェネティックエフェクトとは、現世代が曝露されなくても、前世代が曝露された経歴があると永久的にその影響が残ってしまうことを意味する。これは狭義では、一種の獲得形質の遺伝(ラマルキズム的現象)と捉えることができる。また、胎仔期曝露のDDE 100mg/kg投与のF2雄ラットでは変化がなかったものの、陽性対照群として行った、DDEと同じく抗アンドロゲン物質であるFlutamide 0.5mg/kg投与のF2雄ラットで、同じパターンでメチル化が変化してことが確認された。これは曝露時期が胎仔期であること、抗アンドロゲン作用により始原生殖細胞(PGCs)のステロイド受容体が障害を受けることを考慮すると、生殖細胞(germ cell) へのエピジェネティックな影響が、その個体の成熟後にも生殖細胞系列に残り、さらに次世代へも伝搬されたことを示唆している。

以上の結果から、DDEは胎仔期投与でも生後期投与でもその抗アンドロゲン作用により雄性生殖器へ精子数減少などの機能的な障害、及び重量変化などの形態学的な障害を起こし、その影響が父系を通じて次世代へエピジェネティックエフェクトとして伝わる可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

近年、世界中の各地域で、爬虫類における性の転換、繁殖不能な鳥類、著しく減少したヒトの精子数、子どもができない夫婦の増加、精巣癌及び乳癌の増加などが報告されている。このような現象の原因としてDDT(chlorodiphenyl trichloroethane)やPCB(polychlorinated biphenyls)などの内分泌かく乱物質(環境ホルモン)が取り上げられ、社会的にも深刻な問題となっている。こうした内分泌かく乱物質に関する研究は、この10年、主に受容体タンパク質の同定という分子レベルにおいて多くの進展をみせたが、最近になってDNAレベルのメチル化変動というエピジェネティックエフェクトについても報告がなされはじめた。しかし、そのメカニズムはいまだ明らかにされていない。内分泌かく乱物質の一つである有機塩素系殺虫剤 DDTは、高い発癌性と神経系・生殖器系などに与える影響が大きいため、先進国では1971年から使用禁止になっているが、多くの開発途上国で、今も主要な殺虫剤として使われている。また、使用・販売・製造を禁止した国においても、過去長期にわたり大量に使用していたことから、土壌や水はDDTに汚染されている。DDTは自然界で分解されず、高い脂溶性により食物連鎖を介して濃縮され、生命体へ影響を与えている。内分泌かく乱物質としてのDDTの直接的メカニズムは、DDTがホルモンレセプターに結合して内分泌系を乱し、生殖機能低下や癌を誘発するものとされている。しかし、その具体的なメカニズムは現在でも明らかにされていない。さらに、DDTがエピジェネティックエフェクトを与えるか否かも知られていない。本研究は、DDTの代謝産物であるp,p-DDE (以下DDE)を胎仔期及び生後期のラットへ曝露し、その次世代の雄性生殖器系に生じた影響を検討するとともに、精子 DNAのメチル化について実験を行い、エピジェネティックエフェクトとの関連性を検討したものである。

第1章では、胎仔における生殖腺の性分化と生殖腺の発達が起こる時期である胎仔期10日から19日までの10日間、妊娠ラットに、陰性対照としてvehicle、DDEの抗アンドロゲン性に対する陽性対照としてflutamide0.5mg/kgを、DDE は20mg/kgないし100mg/kgを、各々1日1回経口投与した。その雄産仔(F1)を正常な雌と交配させ、生まれた雄産仔(F2)の生殖器について、次世代への影響を検討するため形態学的に解析した。その結果、高濃度DDE (100mg/kg)投与のF2雄ラットで、肛門-生殖器間距離(anogenital distance; AGD)の短縮が観察された。また、陽性対照のflutamideのF2雄ラットでは、同じくAGDの短縮があり、しかも一日精子産生数(daily sperm production)及び精巣重量の減少が認められた。以上の結果より、抗アンドロゲン性物質であるDDEとflutamideは、胎仔期曝露により父親経由で次世代(F2)の雄性生殖器系へ影響を及ぼすことが示唆された。

第2章では、出生後14日齢(2週齢)から70日齢(10週齢)までの間、雄ラット(F0)にDDE 20mg/kgないし200mg/kgを2日に1回経口投与し、正常な雌と交配させ、生まれた雄産仔(F1)の生殖器を形態学的に解析した。その結果、DDE 200mg/kg投与の雄産仔(F1)で、 一日精子産生数の減少、精細管内アポトーシスの増加、精巣上体重量の減少及びAGDの短縮が認められた。以上の結果より、出生後にDDEに曝露されても、雄が受けた影響はその次世代(F1)の雄の生殖器へ影響を及ぼすことが示唆された。

第3章では、胎仔期と生後期にDDE及びflutamideに曝露された雄産仔(103日齢)の精子DNAを用いて、エピジェネティックエフェクトの一つであるメチル化について検討した。bisulfite法でLPLase gene (Chromosome 6q32)上での解析の結果、わずかながら、メチル化パターンの変化が認められた。

以上の結果から、DDEとflutamideは胎仔期投与でも生後期投与でもその抗アンドロゲン作用により、雄性生殖器へ精子数減少などの機能的な障害、及び重量変化などの形態学的な障害を起こし、その影響が父系を通じて次世代へ伝わる可能性が示された。これは、現世代が曝露されなくても、前世代が曝露された経歴があると、永久的にその影響が残ってしまうことを示唆し、環境により変化した形質が次世代へ遺伝するという獲得形質の遺伝(ラマルキズム的現象)の可能性を提示した。これらの研究成果は、獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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