学位論文要旨



No 123645
著者(漢字) 木原,泰行
著者(英字)
著者(カナ) キハラ,ヤスユキ
標題(和) 脂質メディエーターの神経免疫機能
標題(洋) Lipid mediators in neuroimmune functions
報告番号 123645
報告番号 甲23645
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2984号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 渡邉,すみ子
 東京大学 准教授 金井,克光
 東京大学 講師 新井,郷子
内容要旨 要旨を表示する

脂質メディエーターは血小板活性化因子(PAF)やプロスタグランジンなどの総称で、刺激に応じて産生され細胞間・細胞内シグナル伝達に重要な役割を担う。これらの脂質メディエーターが生理現象のみならず種々の疾患に機能していることが最近では次々と明らかとなってきた。しかしながら、脂質メディエーターの神経免疫機能に関する知見はまだ非常に少ない。多発性硬化症(MS)は中枢神経系を侵す炎症性脱髄疾患である。欧米諸国における有病率は高いが、日本では稀な疾患のため特定疾患に指定されている。四肢の麻痺や視力障害などを主徴とし、再発と寛解を繰り返す。多発性硬化症の発症原因には不明な点が残されており、現時点では根治療法はない。現在、治療に用いられているインターフェロンβは長期予後を改善するものの、副作用などの問題点も残されており、新たな治療法の開発は発症原因の解明とともに重要な課題である。MSの病態は動物モデルである実験的アレルギー性脳脊髄炎(EAE)を用いて詳細に解析され、CD4陽性T細胞のTh1反応が病態に深く関わっていると考えられてきた。しかしながら、近年、インターロイキン17産生CD4陽性T細胞(Th17)が発見され、両者の機能連関が病態に深く関与していると考えられるようになってきた。本研究では、神経免疫疾患の一つであるMSの病態解明及び新規治療法の開発を目的とし、C57BL/6の遺伝的背景を有する野生型マウスと脂質メディエーター受容体欠損マウスにミエリン特異的タンパク質抗原(MOG)のペプチド断片を用いてEAEを誘導し、脂質メディエーターの役割を解析した。本研究は1)PAF受容体欠損マウスを用いた解析、2)EAE病巣部におけるPAF産生と分解機構の解明、3)EAE病巣部におけるアラキドン酸カスケードの役割解析、の3つに大別される。

1)EAEにおけるPAF/PAFRの役割解析 ~PAF受容体欠損マウスを用いて~

MS患者の脳脊髄液中におけるPAF量の上昇、病巣部でのPAF受容体発現量の亢進などが報告されていたことから、PAFのMSにおける関与が示唆されたため、EAEを用いてPAFの役割解析を試みた。その結果、MSと同様に、野生型C57BL/6マウス脊髄病巣部におけるPAF量とPAF受容体発現量がEAEの臨床症状と相関して推移していることを明らかにした。また、EAEを誘導したPAF受容体欠損マウスは野生型マウスに比べて臨床スコアの上昇と体重低下が有意に抑制されていること、組織学的観察により脱髄・炎症の程度も軽減していることを明らかにした。また、PAF受容体欠損マウスは発症率が有意に低く、脊髄中のサイトカイン・ケモカイン類のmRNA発現量も低いことが、マイクロアレイ解析により明らかとなった。EAEに密接に関係する炎症細胞であるT細胞及びマクロファージの機能を解析した結果、PAFはT細胞のTh1反応に影響を与えなかったが、マクロファージに対しては貪食能及びそれに伴うTNF-αの産生量を増進させることを見出した。以上の結果から、PAFがEAEの発症と症状の両方に大きな影響を与えることが示唆され、PAFは(i) 発症直前において脊髄病変局所におけるサイトカイン・ケモカイン類の産生を亢進することで発症のスイッチをonに傾ける方向に作用すること、(ii) 発症後においては、マクロファージの貪食能を亢進させることによって脱髄の亢進及び緩解の阻止を行うこと、の2つの役割を持つことが考えられた。

2)EAEにおける細胞質型ホスホリパーゼA2αとPAF合成酵素の関与

1)の研究により、EAEの脊髄病巣部におけるPAF上昇が明らかとなった。炎症時におけるPAF産生はPAFの前駆物質であるLysoPAFを供給する細胞質型ホスホリパーゼA2α(cPLA2α)とLysoPAFにアセチル基を転移するPAF合成酵素が関与していることが知られており、PAF合成酵素は最近当研究室でクローニングされた(J.B.C., 282, 6532, Shindou et al.)。そこで、EAE病巣部におけるこれらの酵素の関与を解析した。脊髄中におけるcPLA2αの発現量と酵素活性が、EAEの臨床症状と相関して推移していることを明らかとした。PAF合成酵素の発現と酵素活性もまたEAEの臨床症状と相関して推移した。さらに、cPLA2α活性とPAF合成酵素活性も強く相関していることを示した。しかしながら、PAF分解酵素活性はEAEの臨床症状に関わらず一定の値を示した。PAF合成酵素はミクログリアとアストロサイトに発現が認められたことから、これらの細胞及び浸潤したマクロファージに存在する細胞質型ホスホリパーゼA2αとLysoPAFATが、EAEの病巣部におけるPAF産生の本態であることが示唆された。

3)EAEにおけるエイコサノイドの役割解析

当研究室では、アラキドン酸カスケードにおいて重要な酵素であるcPLA2αがEAEにおいて重要な働きをしていることを報告した(J.E.M., 202, 841, Marusic et al.)。この報告から、cPLA2αによって主に産生されるプロスタグランジン類、ロイコトリエン類(エイコサノイド)などがこの疾患に深く関与していることが考えられるが、これらのエイコサノイドがどのように関与しているかを解析した研究はほとんどない。そこで、各エイコサノイドを脊髄病巣部において一斉定量し、エイコサノイドの関与を解析した。ナイーブマウスの脊髄中には測定したエイコサノイドの全てが検出され、脊髄で恒常的にアラキドン酸カスケードが機能していることが明らかとなった。また、ナイーブマウスの脊髄中にはPGD2が豊富に存在していた。EAE誘導後、脊髄では発症直前から慢性期まで継続して5-リポキシゲナーゼ(5-LO)代謝産物含量の低下が認められた。シクロオキシゲナーゼ(COX)代謝産物については、急性期にPGD2及びPGI2含量が減少する一方で、PGE2が脊髄でもっとも豊富に存在するエイコサノイドとなることが示された。また、これらの脂質を産生する酵素群の発現量は、おおむね代謝産物量と同様の変動を示したが、5-LO代謝経路の酵素と受容体の遺伝子発現は代謝産物量の低下と相反して急性期に劇的に上昇していた。もっとも発現変動が劇的であったロイコトリエンB4第一受容体に着目し、同受容体欠損マウスにEAEを誘導すると、発症が遅延し、症状が軽減していることが明らかとなった。エイコサノイドを産生するアラキドン酸カスケードはEAE病巣部において代謝産物レベルでも、遺伝子レベルでも歪みを生じており、包括的なアラキドン酸カスケードのコントロールが病態の軽減につながる可能性を見出した。

Kihara, Y. et al.

投稿準備中

Kihara, Y., Ishii, S., Kita, Y., Toda, A., Shimada, A., and Shimizu, T.Dual phase regulation of experimental allergic encephalomyelitis by platelet-activating factorJournal of Experimental Medicine (2005) 202; 853-863
審査要旨 要旨を表示する

本研究は様々な疾患で重要な役割を担っている脂質メディエーターの多発性硬化症における役割を解析するために、多発性硬化症のマウスモデルである実験的アレルギー性脳脊髄炎(EAE)を用いて血小板活性化因子(PAF)及びアラキドン酸カスケードの役割解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.野生型C57BL/6マウス(WT)にMOG抗原を用いてEAEを誘導し、未免疫マウス及び誘導期、急性期、慢性期のEAEマウスより脊髄を採取し、LC-MS/MSにより脊髄中のPAF量を、定量的PCR法によりPAF受容体発現量を測定した。PAF量、PAF受容体発現量共に、急性期で劇的に上昇し、慢性期では未免疫マウスより高い値を保っていたものの急性期よりは有意に低下していた。また、PAF量、PAF受容体発現量共に、EAEの臨床症状と正の相関を示した。

2.PAF受容体欠損マウス(PAFR-KO)およびWTにEAEを誘導して臨床症状の推移、脊髄病巣部の病理学的解析、脊髄中の遺伝子発現、リンパ球の抗原への応答を解析した。PAFR-KOマウスはWTに比べて臨床スコアの上昇と体重低下が有意に抑制されていること、組織学的観察により脱髄・炎症の程度も軽減していることを示した。また、PAF受容体欠損マウスは発症率が有意に低く、脊髄中のサイトカイン・ケモカイン類のmRNA発現量も低いことが、マイクロアレイ解析により明らかとなった。脾臓及びリンパ節の細胞のMOG抗原に対する細胞増殖、サイトカイン産生、及びEAEマウスの抗原特異的な抗体価には差が認められなかった。

3.PAFR-KO及びWTよりチオグリコレート誘導腹腔マクロファージを調整し、PAF存在下での貪食能及びそれに伴うTNF-α産生能を測定した。WTのマクロファージはPAF存在下でドン職、TNF-α産生とも亢進した。一方でPAFR-KOのマクロファージではそれらの亢進は認められなかった。

4.WTにMOG抗原を用いてEAEを誘導し、未免疫マウス及び誘導期、急性期、慢性期のEAEマウスより脊髄を採取し、定量的PCR法によりホスホリパーゼA2(PLA2)及びPAF合成酵素(LysoPAFAT)のmRNA発現量、Western blottingによりLysoPAFAT発現量、さらにPLA2、LysoPAFAT、PAF分解酵素(PAF-AH)の酵素活性を測定した。脊髄中におけるcPLA2αの発現量と酵素活性及び、PAF合成酵素の発現と酵素活性がEAEの臨床症状と相関して推移した。さらに、cPLA2α活性とPAF合成酵素活性も強く相関していることを示した。PAF-AH活性はEAEの臨床症状に関わらず一定の値を示した。

5.WTマウスの神経系初代培養(神経、アストロサイト、マイクログリア)、CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞のmRNAを調整し、RT-PCR法によりLysoPAFATの発現を解析した。LysoPAFATのmRNA発現はマイクログリアに強く認められ、アストロサイトにも発現が認められたが、神経及びT細胞にはほとんど発現が認められなかった。

6.WTにMOG抗原を用いてEAEを誘導し、未免疫マウス及び誘導期、急性期、慢性期のEAEマウスより脊髄を採取し、LC-MS/MSにより脊髄中のエイコサノイド量を、定量的PCR法によりアラキドン酸カスケードに関与する遺伝子群の発現量を測定した。ナイーブマウスの脊髄中には測定したエイコサノイドの全てが検出され、PGD2が最も豊富に存在していた。EAE誘導後、脊髄では発症直前から慢性期まで継続して5-リポキシゲナーゼ(5-LO)代謝産物含量の低下が認められた。シクロオキシゲナーゼ(COX)代謝産物については、急性期にPGD2及びPGI2含量が減少する一方で、PGE2が脊髄でもっとも豊富に存在するエイコサノイドとなることが示された。これらの脂質を産生する酵素群の発現量は、おおむね代謝産物量と同様の変動を示したが、5-LO代謝経路の酵素と受容体の遺伝子発現は代謝産物量の低下と相反して急性期に劇的に上昇していた。特に急性期のロイコトリエンB4第一受容体(BLT1)の発現は未免疫マウスに比べて40倍と非常に高い値を示した。

7.BLT1-KOマウス及びWTにEAEを誘導して臨床症状の推移、脊髄病巣部の病理学的解析を行った。BLT1-KOマウスはWTに比べて臨床スコアの上昇と体重低下が有意に抑制されており、発症が遅れることが明らかとなった。組織学的観察により炎症の程度も軽減していることを明らかにした。

以上、本論文は多発性硬化症モデルのEAEにおいて、PAF及びエイコサノイドが病態形成に重要な役割を担っていることを明らかにした。多発性硬化症の病態解明や新規治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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