学位論文要旨



No 123647
著者(漢字) 砺波,一夫
著者(英字)
著者(カナ) トナミ,カズオ
標題(和) カルパイン6の細胞骨格制御機能の同定とその生理的意義の解明
標題(洋) Novel function of Calpain6 in cytoskeletal organization and its implication in cell physiology
報告番号 123647
報告番号 甲23647
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2986号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 客員教授 田口,良
 東京大学 准教授 石井,聡
内容要旨 要旨を表示する

胚発生における組織・器官の形成は、さまざまな分子の複雑な相互作用やカスケードによって営まれている。私は、鰓弓形成を支えるこのような分子カスケードを明らかにするため、エンドセリン-1 (ET-1) シグナル下流遺伝子の同定を試みた。正常胚とET-1ノックアウト胚の下顎において発現に差のある遺伝子をジーンチップによりスクリーニングし、さらにET-1の既知下流遺伝子dHANDをP19 EC細胞に導入し、発現が増加する遺伝子群を同様の方法で検索した。これらのスクリーニング結果に共通して含まれる遺伝子としてカルパインファイリーの一員であるCalpain6 (Capn6)を同定した。カルパインは主に細胞質内で働くシステインプロテアーゼであり、基質に対する限定的切断により細胞の増殖や分化、アポトーシスなどの制御に関与している。しかし、Capn6はファミリーの中で唯一、酵素活性中心を欠失した大変ユニークな分子であり、胎盤および胎生期における大まかな発現領域が知られていたことを除けば、これまで機能に関する知見は全く無かった。そこで、本研究では機能未知分子であるCapn6の機能を解明し、ET-1シグナルによる形態形成の分子機構を明らかにすることを目的とした。

まず、マウス9.5~11.5日胚でin situハイブリダイゼーションを行い、Capn6の発現が鰓弓・心臓・肢芽で認められること、ET-1ノックアウト胚においては鰓弓で発現が減弱していることを明らかにした。この結果からCapn6はET-1の下流遺伝子として鰓弓形成に関与しており、さらに胎生期器官発生において重要な役割を担っていると予想した。

そこで、Capn6の分子機能を探るため細胞レベルの解析に取り組んだ。まず、GFP-Capn6融合タンパク質を培養細胞において過剰発現し機能獲得時の表現型を解析した。Capn6を過剰発現させた細胞では細胞質分裂異常に起因する細胞の多核化現象が多数観察され、殆ど全ての過剰発現細胞において細胞質分裂の遅延、特に分裂溝の切断不全が起こっていることが確認された。さらに、GFP-Capn6融合タンパク質のシグナルと微小管の免疫染色像が細胞周期の様々な段階で一致し、分裂溝においても両者の共局在が認められた。また間期の細胞においては特に核周囲を中心とした微小管の束化が促進していることが観察された。これら過剰発現の実験結果から、GFP-Capn6融合タンパク質は微小管と共局在し、その構築や機能に働きかけることで細胞質分裂に見られる様な細胞骨格関連現象と結びついている可能性が示唆された。

次に私は、ウサギを用いて抗Capn6抗体を独自に作成した。この抗体を用いて免疫染色を行い内因性Capn6の細胞内局在について検討したところ、内因性Capn6についても微小管と共局在していることが明らかとなり、特に束化した微小管で両者の共局在が強く認められた。さらに、微小管の安定化を促す試薬であるPaclitaxelを用いたin vitroの実験ではCapn6が安定化した微小管と共沈することが証明された。これら両実験手法によりCapn6は安定化した微小管と結合する性質を有することが証明され、GFP-Capn6融合タンパク質を用いた実験においても同様の結果を確認することが出来た。

そこで、Capn6が微小管と結合し、その構築や制御にどの様な役割を果たしているのかを過剰発現の実験手法に戻り詳細に検討した。Capn6の安定化微小管との結合性や過剰発現細胞で見られた微小管の束化現象、細胞質分裂に対する影響からCapn6と微小管の安定性との関連に着目し、Capn6過剰発現細胞における微小管の安定性をアッセイした。微小管の安定性を示す分子として安定化チューブリンの翻訳後修飾体であるアセチル化チューブリンが挙げられる。そこで、Capn6過剰発現細胞におけるアセチル化チューブリンの量をウエスタンブロッティングによりアッセイしたところ、コントロールに比べ著しく増加していることが明らかとなり、また免疫染色によりアセチル化チューブリンのシグナルはGFP-Capn6の蛍光シグナルと良く重なることが確認された。これらの結果から、過剰発現したCapn6は微小管と結合し、微小管を安定化する作用があることが明らかとなった。さらに、Capn6の微小管安定化作用が細胞質分裂など細胞の細胞骨格関与現象に重要な役割を果たしていることが示唆された。

続いて内因性Capn6の微小管に対する機能について検証するためRNAiによるCapn6のノックダウン (KD) を行った。内因性Capn6のKDを確認した2つのRNAiクローンにおいて、いずれも微小管構造の崩壊が認められ、アセチル化チューブリンの量的減少も認められた。さらに、GFP-チューブリン融合タンパク質安定発現細胞株においてCapn6をKDしたところ、Capn6の抑制により微小管の束化が失われている傾向がGFPシグナルを介して明らかとなった。以上の結果から、内因性Capn6も微小管の束化を維持あるいは促進する機能があることが明らかとなった。

さらに、本研究では欠失変異体を作製し免疫染色およびPull downアッセイによりCapn6と微小管の結合領域を同定した。その結果、Capn6はそのドメインIII領域を介して微小管と結合していることが明らかとなった。ドメインIII領域は古典的なカルパイン分子ではC2様ドメイン構造をとっているが、Capn6のドメインIIIはそれらとの相同性が低くCapn6の独自的な分子機能を裏付ける結果となった。これに加え、GST-Capn6融合タンパク質と重合精製チューブリンの結合試験により両者がin vitroで直接的に結合することも確認している。

以上の結果によりCapn6が微小管と結合し、その安定化を介して細胞機能に寄与していることが強く示唆されたため、Capn6 KD細胞を用いて細胞骨格が関与する細胞現象を重点的に観察した。まず、細胞質分裂に着眼したところ、Capn6をKDした細胞ではM期から細胞質分裂終了時までの過程でおきる糸状仮足の形成が早まることが分かった。この知見は細胞骨格がダイナミックに編成を変える細胞質分裂においてCapn6が微小管の安定化を介し、その代謝回転や再構築など動的現象に重要な役割を果たしていることを示している。また、KD細胞ではアクチンフィラメントによる葉状仮足の形成が著しく亢進し、ラフリング現象も活発化することが明らかとなった。さらに、Boyden chamber法やscratch wound アッセイの実験からCapn6の抑制によって細胞の遊走能が亢進することが示され、Capn6の細胞骨格における作用が細胞形態や運動能の制御に関与していることが明らかとなった。

ここまでの結果からCapn6をKDした細胞では安定化微小管構造の崩壊と共にアクチンフィラメントによる葉状仮足の形成亢進、ラフリング現象の活発化、細胞遊走能の亢進が観察された。そこで、次にCapn6の細胞骨格制御に関わる分子機構に着眼した。このような細胞現象に共通して、中心的な役割を果たしている分子として低分子量Gタンパク質Rhoファミリータンパク質が知られている。本研究では特にCapn6によるRac1の活性制御に注目し、RNAiによるRac1の抑制あるいはRac1の活性阻害剤がCapn6 KD細胞の表現型に与える影響を検討した。その結果、Rac1の抑制およびRac1活性阻害剤のいずれによってもCapn6のKD細胞に見られる葉状仮足の形成が有意に抑制され、さらに細胞運動能にも影響が見られた。また、Capn6の過剰発現細胞に見られる細胞形態はRac1のドミナントネガティブ変異体過剰発現細胞と良く類似しており、Capn6がRac1の活性を抑制する働きを有していることが示唆された。

これに加えてCapn6はアクチンと結合する性質も有しており、DomainIII領域単独ではアクチンと強い共局在を示す。さらに、Capn6過剰発現細胞においてNocodazolを高濃度で処理し微小管とCapn6の結合を解離すると、細胞は糸状仮足を形成しCapn6はその糸状仮足上に局在を示すようになる。

以上の結果からCapn6は比較的安定化された微小管上でRacの活性を抑制し、微小管の安定化を促進すると共に、安定化微小管から解離したCapn6はアクチンに親和性を示し、Capn6はこの微小管およびアクチンの双方向的な親和性とRacの活性化抑制作用をもって細胞質分裂、細胞形態、細胞運動といった細胞骨格が関連する細胞現象に重要な役割を果たしているという仮説を提示した。

また、細胞レベルの機能解析と並行して本研究ではCapn6の遺伝子改変マウスを作製した。遺伝子改変領域に挿入したLacZの発現によりCapn6は胎生期で鰓弓組織が由来となる舌筋を含め、幼若な筋・骨・軟骨組織を中心に発現していることが明らかとなった。現在、LacZ発現組織である筋・骨・軟骨の形態観察を中心にCapn6遺伝子改変マウスの表現型に関する解析をさらに進めている。

以上の結果を総合して、今後は培養細胞で認められたCapn6のRac活性抑制機能と個体レベルでの筋・骨分化との関連を追及し、ET-1シグナルの下流遺伝子として下顎の形成にどの様に寄与しているのかを明らかにすると共にCapn6そのものの組織構築における生理的役割を解明していく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究ではエンドセリン-1 (ET-1)シグナルによる鰓弓形成の分子機構を明らかにするため、ジーンチップを用いたスクリーニングからET-1の下流遺伝子としてCalpain6(Capn6)を同定した。Capn6はカルパインファミリーの中でも唯一、酵素活性中心を欠失した大変ユニークな分子であり、これまでその機能については全く知られていなかった。

そこで、本研究では培養細胞を用いてCapn6の機能解析を試みるとともに、遺伝子改変マウスの作製を通じて器官発生におけるCapn6の生理的役割の解明を目指している。これらの目的のもと、本研究では下記の結果を得ている。

1.胎生期器官発生(9.5~11.5日胚)におけるCapn6のmRNA発現パターンをin situハイブリダイゼーションを用いて解析したところ、Capn6はET-1遺伝子改変マウスの鰓弓間葉領域で特異的に発現低下が認められた。また、鰓弓に加えCapn6は肢芽、心臓、体節の領域に発現が認められ、胎生期の器官形成に重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

2.GFP-Capn6融合タンパク質を培養細胞に過剰発現したところ、細胞質分裂の異常に起因する細胞の多核化現象が観察され、また殆んど全ての過剰発現細胞において細胞質分裂の遅延、特に分裂溝の切断不全が確認された。さらに、GFP-Capn6融合タンパク質は細胞骨格成分である微小管と共局在し、その束化を亢進することからCapn6は微小管に働きかけることで細胞機能に重要な役割を果たしていることが示唆された。

3.そこで、内因性のCapn6に対する抗体を作製し、免疫染色および生化学的手法によりCapn6と微小管の結合を検討したところ、Capn6は特に安定化した微小管に結合性を示すことが明らかとなった。さらに、微小管への結合はCapn6の構造中でも特に他のカルパイン分子と相同性が低いドメインIII領域を介しており、Capn6のファミリーに置けるユニークな機能を示唆する知見である。

4.以上の結果からCapn6と微小管の関係に着目し、Capn6の過剰発現が微小管にどの様に働きかけるかを解析したところ、Capn6過剰発現細胞では安定化微小管の翻訳後修飾体であるアセチル化チューブリンの量が著しく増加し、Capn6の微小管に対する作用がその安定化にあることを突き止めた。

5.続いてRNAiによるCapn6のノックダウン(KD)を行ったところ、内因性Capn6の抑制により微小管構築が崩壊し、アセチル化チューブリンの量的減少が認められた。このことから、内因性のCapn6が細胞機能の維持において微小管を安定化する役割を担っており、微小管が関与する細胞現象に重要な役割を果たしていることが示唆された。また、Capn6 KD細胞では細胞質分裂のM期から分裂終了時までの過程でおきる糸状仮足の形成が早まり、間期の細胞におていはアクチンフィラメントによる葉状仮足の形成が著しく亢進、ラフリング現象が活発化することが明らかとなった。さらに、Boyden chamber法やscratch woundアッセイの実験からCapn6の抑制により細胞の遊走能が亢進することが明らかとなった。これらの知見はCapn6が微小管の安定化を介し、その代謝回転や再構築など動的現象に重要な役割を果たしていることを示すものであり、さらにCapn6がアクチンを含む細胞骨格系全体の再構築にまで関与し、細胞形態や運動能を制御する機能分子であることを明らかにしたものである。

6.次に、本研究ではCapn6の細胞骨格および運動能の制御に関与する分子機構を明らかにする目的で、葉状仮足形成や細胞の遊走性に重要な役割を持つ低分子量Gタンパク質Rac1との関連を調べた。その結果、インヒビターやRNAiによるRac1の抑制によりCapn6 KD細胞における葉状仮足形成や運動能の亢進が有意に抑制され、また、Capn6過剰発現細胞のアクチン骨格編成がRac1のドミナントネガティブ過剰発現細胞のそれと類似していることから、Capn6がRac1の制御を介し、細胞骨格構築や運動能の制御に関与している可能性を示した。

7.これに加え、Nocodazolを培養細胞に高濃度で処理し、安定化微小管の構築を完全に破壊すると、Capn6は安定化微小管と解離してアクチンと親和性を示すようになる。また、ドメインIII単独では微小管を安定化しない条件下でアクチンと共局在を示すことから、Capn6は微小管およびアクチンと双方向的な親和性を有し、そのRac活性化抑制作用により細胞質分裂、細胞形態、細胞運動といった細胞骨格関連現象に広く重要な役割を担っている可能性を示唆している。

8.また、細胞レベルの機能解析と平行して本研究ではCapn6遺伝子改変マウスを作製しおり、Capn6遺伝子改変領域に挿入したLacZの発現解析によりその発現領域を詳細に解析、同定した。その結果Capn6は胎生期で鰓弓組織が由来となる舌筋を含め、幼若な筋・骨・軟骨組織を中心に発現していることが明らかとなった。個体レベルでの発現解析はCapn6が筋・骨・軟骨の形態形成に重要な役割を果たしている可能性を示唆しており、Capn6の器官発生における生理的役割を示唆するものである。

以上、本論文では鰓弓形成におけるエンドセリン-1下流遺伝子としてのCapn6の同定に始まり、その微小管安定化作用、アクチンを含む細胞骨格再編成における役割や細胞運動能の制御における役割を明らかにしている。本研究はこれまで機能が全く未知であったCapn6の分子機能を始めて解明したものであり、またカルパインファミリーの中でも唯一、酵素活性部位を欠失したカルパインの機能を同定した点で独創性、新規性に富む研究成果である。さらに、遺伝子改変マウスの作製を通じて、その器官形成における生理的役割に迫るものであり、その表現型の解析は今後のさらなる進展が期待されるところである。本研究の成果はマクロな器官形成を分子のレベルから理解する大きな足がかりを作ると共に、細胞骨格の制御機構や生体におけるカルパインシステムに新しい概念を導入する重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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