学位論文要旨



No 123648
著者(漢字) 中村,直俊
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ナオトシ
標題(和) リアノジン受容体を介するカルシウム放出活性の細胞間不均一性
標題(洋) Intracellular heterogeneity of Ca2+ release activity via ryanodine receptors
報告番号 123648
報告番号 甲23648
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2987号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 准教授 中田,隆夫
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

0. 研究の背景

細胞内Ca(2+)ストアは、リアノジン受容体およびイノシトール三リン酸(IP3)受容体の2種のチャネルを介して細胞質にCa(2+)を放出することにより、種々の細胞機能に重要な役割を担う細胞内Ca(2+)シグナルを作り出している。

リアノジン受容体は細胞内Ca(2+)ストア膜上に存在するCa(2+)放出チャネルであり、Ca2+の結合によって活性化されてCa2+を放出する(Ca(2+)誘発Ca(2+)放出機構)。リアノジン受容体はカフェインなどの薬物によっても活性化される。

IP3受容体もリアノジン受容体と同じ細胞内Ca(2+)放出チャネルファミリーに属し、IP3とCa2+の両方の結合によって活性化されてCa(2+)を放出する。たとえば、細胞外ATPはP2Y受容体を介してPLCを活性化し、IP3の産生を促進してCa(2+)ストアからCa2+を放出させる。

リアノジン受容体とIP3受容体は同じ細胞のCa(2+)ストアに共局在することがあり、その共局在が細胞内のCa(2+)動態にどのような影響を与えるかについては様々な研究が行われてきた。これまで、「リアノジン受容体の存在するCa(2+)ストア」と「IP3受容体の存在するCa(2+)ストア」は必ずしも同一ではなく、Ca(2+)ストアはいくつかの機能的なコンパートメントに分かれている、という考え方が提唱され、様々な細胞種においてコンパートメントの詳細が調べられている。その中で、「リアノジン受容体が存在するCa(2+)ストア」のみをもつ細胞や、「IP3受容体が存在するCa(2+)ストア」のみをもつ細胞、「リアノジン受容体が存在するCa(2+)ストア」と「IP3受容体が存在するCa(2+)ストア」が完全にもしくは部分的に重なり合う細胞などが報告されている。しかし、そのような機能的に異なるCa(2+)ストアのコンパートメントが生じるメカニズムは明らかになっていない。

参考図(論文のFigure 2):HEK293細胞のCa(2+)応答。

アゴニスト投与後の細胞内Ca(2+)濃度をCa(2+)感受性蛍光色素fura-2で測定した。(A) アゴニスト投与時のF345/F380(細胞内Ca2+濃度の指標)。上:明視野像。中:ATP 10βM投与時。下:カフェイン25 mM投与時。(B) (A)の中の細胞1, 2のF345/F380値の経時変化。細胞1はカフェインに反応しているが、細胞2は反応していない。(C) ATPの反応(F(345)/F(380))とカフェインの反応(△F(345)/F(380))を対比した散布図。個々の点は細胞を表す。約40%の細胞のみがカフェインに反応する。

1. カフェインに反応する細胞と反応しない細胞の違い

本研究では、ヒト胎児腎由来の培養細胞株であるHEK293細胞が、その約4割の細胞のみがカフェインに反応してリアノジン受容体からCa(2+)を放出させるのに対し、ほぼすべての細胞がATPに反応してIP3受容体からCa(2+)を放出させる、という興味深い特徴をもつことを明らかにした。本研究ではこのHEK293細胞をモデル系として用い、機能的に異なるCa(2+)ストアのコンパートメントが生じるメカニズムを研究した。

植物アルカロイドであるリアノジンは、カフェインによってリアノジン受容体が開いているときに結合し、受容体を開口状態で固定する働きをもつため、カフェインとリアノジンの同時投与によって「リアノジン受容体が存在するCa(2+)ストア」を空にすることができる。実際、カフェインとリアノジンの同時投与により、カフェインに反応していたHEK293細胞はカフェインに反応しなくなった。興味深いことに、カフェイン・リアノジンの投与前後で、ATPに対する反応も大きく減少した。一方、もともとカフェインに反応しなかった細胞では、カフェイン・リアノジンの投与前後で、ATPに対する反応にあまり変化は見られなかった。カフェインに反応した細胞と反応しなかった細胞をまとめて解析したところ、ATPに対する反応の減少量と、もともとのカフェインの反応の大きさとの間には正の相関が見られた。以上の結果は、HEK293細胞が、「IP3受容体のみが存在するCa(2+)ストア」と「IP3受容体とリアノジン受容体の両方が存在するCa(2+)ストア」の2つのCa(2+)ストア・コンパートメントを持つことを示唆している。カフェインに反応する細胞は両方のコンパートメントをもち、反応しない細胞は前者のコンパートメントのみを持つと考えられる。

この解釈に基づくと、カフェインに反応する細胞としない細胞の間に、リアノジン受容体の発現量の差が見られることが期待される。これを検証するため、異なるサブタイプのリアノジン受容体を認識する2種類の抗体を用いて、HEK293細胞の免疫染色を行った。免疫染色の半定量性は、リアノジン受容体を過剰発現した細胞の免疫染色によって確認された。当初の期待に反し、細胞間に受容体発現量の明確な差は検出できなかった。また、Ca(2+)をCa(2+)ストアへ取り込むSERCAポンプの抗体を用いた免疫染色でも、細胞間に発現量の明確な差は検出できなかった。

この結果を説明するため、リアノジン受容体を介するCa(2+)放出の数理モデルを援用して解析を行った。モデル上でSERCAポンプの活性を一定にしてリアノジン受容体の活性を増加させると、最初はCa(2+)応答が見られなかったが、ある所から急にCa(2+)応答が見られるようになった。また、リアノジン受容体の活性を一定にしてSERCAポンプの活性を減少させると、最初はCa(2+)応答が見られなかったが、ある所から急にCa(2+)応答が見られるようになった。このように、リアノジン受容体を介するCa(2+)応答は「全か無か」の性格をもち、SERCAポンプの活性がリアノジン受容体の活性を上回った場合、Ca(2+)応答は見られず、一方リアノジン受容体の活性がSERCAポンプの活性を上回った場合、それがCa(2+)誘発Ca(2+)放出機構によって増幅されてCa(2+)応答として観察されることが示唆された。

この示唆は次の実験によって裏付けられた。まず、SERCAの阻害薬CPAを細胞に投与したところ、カフェインに反応しなかった一部の細胞がカフェインに反応するようになった。次に、カフェインの濃度を漸増させて、リアノジン受容体の活性を上げることによっても、カフェインに反応しなかった一部の細胞がカフェインに反応することを確認した。最後に、リアノジン受容体を過剰発現させた細胞においては、カフェインに対する反応はほぼ100%観察された。

2. カフェイン反応性の異なる細胞を生み出すメカニズム

前述したように、HEK293細胞では約4割の細胞のみがカフェインに反応し、残りの約6割の細胞はカフェインに反応しない。カフェインに反応する細胞と反応しない細胞を生み出すメカニズムについてさらに解析を進めた。

1つの可能性として、HEK293細胞が、カフェインに反応する細胞クローンと反応しない細胞クローンの混合物である、ということが挙げられる。これを検証するため、限界希釈法によってHEK293細胞をクローン化し、そこから得た単一細胞由来のHEK293細胞のカフェインに対する反応を調べた。その結果、単一細胞由来のHEK293細胞においても、約4割の細胞のみがカフェインに反応を示した。これにより、上記の可能性は否定され、個々のHEK293細胞が増殖する過程でカフェインに反応する細胞と反応しない細胞の両方が生まれることが示唆された。この過程を詳しく観察するため、Ca2+感受性蛍光タンパク質GCaMP2を発現させたHEK293細胞を用いて、細胞を37℃、5% CO2の環境で培養しながら、そのカフェインに対する反応を時間を置いて観察する実験系を確立した。その結果、12時間の観察時間を経て、約1割の細胞が「カフェインに反応する状態」から「カフェインに反応しない状態」へ、また「カフェインに反応しない状態」から「カフェインに反応する状態」へ、その表現型をスイッチさせる現象が明らかになった。このことは、個々の細胞が、「カフェインに反応する状態」と「カフェインに反応しない状態」の間を一定の確率で遷移していることを示唆しており、これによって全体の一定割合の細胞がカフェインに反応する状態が維持されていることが説明された。

この現象は、リアノジン受容体とSERCAポンプなどのCa(2+)応答を決定する種々の因子の活性のバランスが、おそらく時間経過に伴う遺伝子発現のゆらぎによってわずかに変化することで、表現型に劇的な変化がもたらされるという、哺乳類細胞における好例を提供している。カフェイン反応性の細胞間不均一性はHEK293細胞だけでなく、平滑筋組織などでも観察されることから、同様の表現型スイッチ現象がin vivoの細胞間不均一性を説明しうるかどうかは今後の興味深い課題であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、ヒト胎児腎由来の培養細胞株であるHEK293細胞をモデル系として用い、機能的に異なるCa2+ストアのコンパートメントが生じるメカニズムを研究した。

1.HEK293細胞に、リアノジン受容体のアゴニストであるカフェインと、IP3受容体のアゴニストであるATPを投与した。約4割の細胞のみがカフェインに反応してリアノジン受容体からCa(2+)を放出するのに対し、ほぼすべての細胞がATPに反応してIP3受容体からCa(2+)を放出させることを明らかにした。前者の細胞間不均一性はこれまでの文献には報告がない。カフェインに対するCa(2+)応答の細胞間不均一性が、モルモットの門脈平滑筋細胞で観察されることも確認した。

2.カフェインに応答するHEK293細胞では、リアノジン受容体の存在するCa(2+)ストアを空にする作用をもつリアノジンの投与によって、カフェインに反応しなくなった。一方このとき、ATPに対する反応も減少したが、ゼロにはならなかった。これまでのコンパートメント説によれば、これはカフェインに応答するHEK293細胞が「IP3受容体のみが存在するCa(2+)ストア」と「IP3受容体とリアノジン受容体の両方が存在するCa(2+)ストア」の両方をもつことを示唆している。

3.カフェインに応答する細胞と応答しない細胞ではコンパートメント構成が異なることから、カフェインに対するCa(2+)応答に関わるリアノジン受容体やSERCAポンプの発現量の差が見られることが期待された。しかし、免疫染色の結果、細胞の発現量の分布は平均値の周りに集積し、細胞間の明確な発現量の差は確認できなかった。

4.カフェインに対するCa(2+)応答に関わるタンパク質の発現量に明確な差がないとしても、Ca(2+)応答に差が生じるメカニズムを、リアノジン受容体を介するCa(2+)放出の数理モデルを援用して解析した。モデルから、Ca(2+)放出とCa(2+)取り込みのバランスによってCa(2+)応答が成立していること、バランスがどちらに傾くかによってCa(2+)応答の有無が決定することが示唆された。このバランス説(閾値説)は、リアノジン受容体の発現や活性を高めたり、SERCAポンプを阻害したりする実験によって支持された。この過程にはCa(2+)誘発Ca(2+)放出機構によるCa(2+)応答の増幅が本質的と考えられた。

5.限界希釈法によってクローン化されたHEK293細胞においても、カフェインに対する反応性に細胞間不均一性が観察された。このことから、HEK293細胞が、同じ環境におかれたクローナルな細胞が、2種類の表現型を示しうる、哺乳動物細胞での興味深い例を提供していることがわかる。

6.上記のクローン化実験で示唆されたように、1個の細胞から「カフェイン応答性」と「カフェイン非応答性」の両種類の細胞が生み出される過程を詳しく観察するため、Ca(2+)感受性蛍光タンパク質GCaMP2を発現させたHEK293細胞を用いて、細胞を培養しながら、カフェインに対するCa(2+)応答を時間を置いて観察する実験系を確立した。その結果、12時間の観察時間を経て、約2割の細胞が、「カフェイン応答性」から「カフェイン非応答性」へ、あるいは「カフェイン非応答性」から「カフェイン応答性」へと表現型をスイッチさせる現象が明らかになった。スイッチ現象の過程において細胞分裂を経る例、細胞分裂を経ない例が両方観察された。このスイッチ現象によって、HEK293細胞のカフェインに対する応答の細胞間不均一性が維持されていることが示唆された。

以上、本論文ではHEK293細胞をモデル系として、細胞のカルシウム応答性がフリップ・フロップ様に時間とともに変化する新しい現象を明らかにした。これは、分子の発現レベルの細胞ごとの差が、ポジティブフィードバックによって増幅されて質的な変化に導かれる機構が、これまで示唆されてきた細菌や酵母のような単細胞生物のみならず、哺乳動物の細胞においても成立するという重要な例を提示しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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