No | 123654 | |
著者(漢字) | 松本,英之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | マツモト,ヒデユキ | |
標題(和) | マウス嗅球僧帽細胞の代謝型グルタミン酸受容体1型を介した匂い誘導性持続的ニューロン活動 | |
標題(洋) | Odor-Induced Persistent Activity of Mitral Cells Mediated by mGluR1 in the Mouse Olfactory Bulb | |
報告番号 | 123654 | |
報告番号 | 甲23654 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第2993号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 機能生物学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 感覚系一般の性質として、外界からの物理的・化学的な感覚入力が無くなった後もその感覚が持続することが知られる。この感覚の一時的な持続は、動物がその環境を適切に認識し、行動するために重要な役割を担う。嗅覚において、匂いの感覚や匂いにより誘導される情動・行動反応は持続的な性質を持つ。例えばスカンク臭や腐敗物の匂い、また香水の匂いは、暫くの間鼻に残って離れないという持続的な知覚を我々に与える。げっ歯類においては、例えば天敵の匂いといった危険信号は長時間持続する忌避行動反応を引き起こす。このように嗅覚系には、短時間の匂い情報を長時間持続する知覚・情動・行動反応へと変換する神経機構が存在すると考えられる。しかし、哺乳類嗅覚系において、この変換がどのような神経機構によって担われているのか、未だ全く分かっていない。 哺乳類中枢嗅覚系の一次野である嗅球の投射ニューロン(僧帽・房飾細胞)は、短時間の匂い刺激に対して数十秒間持続するスパイク発火活動(Persistent discharges; PD)を示すことが知られる。線虫では嗅覚刺激後に誘発される中枢介在ニューロンの持続的神経活動が、長時間持続する行動反応変化に関連することが報告されている。従って、僧帽・房飾細胞のPDは、短時間の匂い信号を長時間持続する反応に変換する哺乳類中枢嗅覚系の神経機構に関与する可能性が示唆される。そこで筆者は、僧帽・房飾細胞のPDの神経機構を明らかにするため、ウレタン麻酔下マウス嗅球背側部より僧帽・房飾細胞の細胞外単一ユニット記録を行い、直鎖アルデヒド・アミン類の匂いに対して誘発されるPDについて、体系的な解析を行った。 僧帽・房飾細胞がPDを生み出すメカニズムとして、次の二つの可能性が挙げられる。第一の可能性は、嗅上皮にある嗅細胞が匂い刺激後も長時間活性化し続けることにより、その情報の受け手である僧帽・房飾細胞が絶えず興奮性入力を受け取り、その結果PDが誘発される可能性である。第二の可能性は、嗅球内神経回路がアクティブに匂い信号を維持することでPDが形成される可能性である。筆者は第二の可能性があるかどうかに着目し、以下の仮説を立てて解析を行った。即ち、もしPDのうち匂い刺激後に観察されるスパイク発火活動(Persistent afterdischarges; PAD)が嗅細胞からの持続的な興奮性入力だけで引き起こされるならば、PADは匂い刺激中のスパイク発火活動(Immediate spike response; ISR)の単純な継続として表現されると考えられる。この場合、PADの応答強度・持続時間・匂い分子特異性は、ISRの応答強度・匂い分子特異性と密接に相関すると予想される。そこで、まずPADとISRの匂い分子特異性について解析した。解析を行った22細胞中、PADとISRの匂い分子特異性が一致しない僧帽・房飾細胞は約45%(10細胞)存在することが明らかになった。従って少なくともこの45%の僧帽・房飾細胞では、PADはISRの単純な継続だけでは表現されない事が示唆される。更に、匂い分子刺激中のスパイク発火頻度よりも刺激後のスパイク発火頻度の方が有意に高くなっている細胞が約40%存在することが判明した(9/24細胞)。この結果もまた、PADがISRの単純な継続だけでは表現されないことを示唆している。最後に、刺激匂い分子濃度をlog-scaleで振り分け、それぞれの濃度の匂い分子刺激に対する匂い応答を調べた実験においても、PADがISRの単純な延長だけで生み出されるのではないことを示す細胞が存在した(n = 3)。 以上の実験結果より、僧帽・房飾細胞のPDには中枢嗅覚系の神経回路が匂い信号をアクティブに維持するメカニズムが関与していると想像される。そこで次に、嗅球内のどのような神経機構が匂い信号の維持に関与するのか、という点に注目した。嗅球スライス実験において、嗅細胞軸索の単発電気刺激を行うと、僧帽細胞は数十ミリ秒持続するfast EPSPと数秒持続するlong-lasting EPSPを誘発する事が報告されている。そしてこのlong-lasting EPSPは、僧帽細胞の主樹状突起に強く発現する代謝型グルタミン酸受容体1型(mGluR1)とNMDA受容体が、同一糸球に投射している僧帽・房飾細胞の主樹状突起から放出されるグルタミン酸によって活性化されることで誘発される。そこで筆者は、この糸球内神経回路を介したmGluR1の活性化がPDに関与する、と仮説を立てた。この仮説を検証するため、mGluR1遺伝子欠損(KO)型マウス嗅球より細胞外単一ユニット記録を行い、匂い応答の持続時間について野生型と比較した。その結果、mGluR1遺伝子欠損型マウス嗅球で記録された僧帽・房飾細胞の匂い応答の持続時間は有意に短くなっている事が明らかになった(図1)。 mGluR1は脳の様々な領域で発現している。そのため、mGluR1遺伝子欠損型マウスで観察されたPDの変化は、例えば嗅球へ直接投射する嗅皮質の神経細胞でmGluR1の発現が無くなったことによる表現型である可能性も考えられる。そこで筆者は、嗅球に発現するmGluR1がPDに関与することを確かめるため、野生型マウス嗅球上にmGluR1選択的阻害剤(LY367385)を局所投与し、この嗅球から記録された僧帽・房飾細胞の匂い応答の持続時間について、コントロール群と比較した。その結果、嗅球に発現するmGluR1を阻害するだけで僧帽・房飾細胞の匂い応答の持続時間は有意に短くなることが分かった(図2)。以上の結果より、僧帽・房飾細胞の主樹状突起に発現するmGluR1がPDの発現に関与することが強く示唆された。 今回の研究成果より、筆者は僧帽・房飾細胞のPDの発現に関する以下の嗅球内神経機構モデルを予想している(図3)。特定の、高濃度の匂い分子刺激により嗅細胞軸索終末からグルタミン酸が多量に放出されると、僧帽・房飾細胞の主樹状突起が強く活性化されて大量のグルタミン酸が糸球内部に放出される。このグルタミン酸により僧帽・房飾細胞の主樹状突起に強く発現しているmGluR1が活性化されて数秒持続するlong-lasting EPSPが誘導される。Long-lasting EPSPにより僧帽・房飾細胞の主樹状突起から更なるグルタミン酸の放出と、それに引き続くmGluR1の活性化が促進される。この主樹状突起からのグルタミン酸放出とmGluR1の活性化の興奮性フィードバック作用により、long-lasting EPSPが重畳し、最終的に数十秒間持続するPDが誘発されると考えられる。 哺乳類嗅球の投射ニューロンにおいて短時間の嗅覚入力を長時間持続するニューロン活動に変換する神経機構は、我々が感じられる持続した匂い知覚や、匂いにより誘導される長時間の情動・行動反応を生み出すメカニズムの一端を構成していると想像される。 図1 mGluR1遺伝子欠損型マウス嗅球の僧帽・房飾細胞より記録された匂い応答の持続時間は、野生型マウスと比較して有意に短い。(a)mGluR1(橙色)の発現分布を嗅球と嗅上皮において免疫組織化学法を用いて検出した。mGluR1は嗅球、特に糸球内部に強く発現している。これは僧帽・房飾細胞の主樹状突起に強く発現しているmGluR1を主に反映すると考えられる。(b)嗅球の拡大図。mGluR1遺伝子欠損型マウス嗅球では、mGluR1は全く検出されない。(c)10秒以上持続する匂い応答を示す僧帽・房飾細胞の数は、野生型(青色;17/31細胞)と比較してmGluR1遺伝子欠損型(赤色;5/31細胞)では明らかに減少している。(d)mGluR1遺伝子欠損型マウス嗅球で記録された匂い応答の持続時間(赤丸)は、野生型マウス嗅球での匂い応答の持続時間(青丸)と比較して有意に短い(p < 0.001 with two-tailed Mann-Whitney U test)。 図2 mGluR1選択的阻害剤(LY367385)を局所投与した嗅球より記録した僧帽・房飾細胞(実験群)の匂い応答の持続時間は、ACSF群(対照群)と比較して有意に短い。(a)10秒以上持続する匂い応答を示す細胞数は、対照群(青色;24/44細胞)と比較して実験群(赤色;3/34細胞)では明らかに減少している。(b)実験群で観察された匂い応答の持続時間(赤丸)は、対照群(青丸)と比較して有意に短い(p < 0.0001 with two-tailed Mann-Whitney U test)。 図3 僧帽・房飾細胞のPDの神経機構のモデル。嗅細胞軸索終末から強い興奮性入力が入ると、僧帽・房飾細胞はAMPA・NMDA受容体を介した短時間のfast EPSP(数ミリ秒~数十ミリ秒)の他に、主樹状突起からのグルタミン酸放出によって活性化されるmGluR1を介したlong-lasting EPSP(~数秒)を誘発する。主樹状突起からのグルタミン酸放出とmGluR1活性化の興奮性フィードバック作用により、long-lasting EPSPが重畳し、数十秒間持続するPDが誘発される。 | |
審査要旨 | 本研究は、哺乳類嗅覚中枢神経系における嗅覚情報処理メカニズムを明らかにする為に、In vivo電気生理学的手法と分子遺伝学的手法及び薬理学的手法を用いて、一次嗅覚野である嗅球における投射ニューロン群の、匂い刺激により誘起される持続的な神経活動に関わる分子・神経回路メカニズムの解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.腐敗臭に含まれる匂い成分である直鎖アルデヒド・アミンの短時間(2秒間)の匂い分子刺激を行った結果、マウス嗅球背側部領域に存在する55% (55/100) の僧帽・房飾細胞が10秒以上持続するPersistent discharge (PD) を示した。(以下、PDのうち匂い刺激中の匂い応答をImmediate spike response (ISR)、匂い刺激後も持続するスパイク発火活動をPersistent afterdischarge (PAD)と区別する)。 2.最大ISRを誘起させる匂い分子と最大PADを誘起させる匂い分子とが異なる僧帽・房飾細胞は約45% (10/22) 存在した。この結果は、PADの発現が、Olfactory sensory neuronsの興奮性入力によって作り出される ISRとは異なる神経メカニズムによって制御されている可能性を示唆する。 3.匂い分子刺激後のスパイク発火頻度が匂い分子刺激中のスパイク発火頻度より有意に増加する僧帽・房飾細胞は約38% (9/24) 存在した。この結果もまた、ISRとPADが異なる神経メカニズムで作り出される可能性を示唆する。 4.ISRとPADの匂い分子濃度に対するTuning curveが異なっていた(3/3)。この結果もまた、ISRとPADが異なる神経メカニズムで作り出される可能性を示唆する。以上のPDの解析により、嗅球神経回路メカニズムがPADの発現に関与する可能性が示唆された。 5.mGluR1遺伝子欠損型マウス嗅球の僧帽・房飾細胞で誘起される匂い応答の持続時間は野生型マウスと比較して有意に短くなることが明らかになった。代謝型グルタミン酸受容体1型 (mGluR1) は嗅球の僧帽・房飾細胞の主樹状突起先端に強く発現し、数秒持続するLong-lasting EPSPに関与する事から、僧帽・房飾細胞に発現するmGluR1の欠損が匂い応答の持続時間の減少に関与する可能性が強く示唆された。 6.mGluR1選択的阻害剤の嗅球局所投与実験により、実験群 (LY367385投与群) の匂い応答の持続時間は対照群 (ACSF投与群) と比較して有意に短くなることが明らかになった。以上より、嗅球に発現するmGluR1が僧帽・房飾細胞のPDの形成に関与することが示された。 7.PD中のスパイク発火タイミングと呼吸位相との関係について詳細に調べた結果、PD中のBurst dischargeは呼吸位相に対してダイナミックに変動することが明らかになった。この結果から、短い嗅覚入力を維持する嗅球神経回路メカニズムは嗅球抑制神経回路から修飾を受けている可能性が示唆された。 以上、本論文はマウス嗅球において、僧帽・房飾細胞のPDの体系的な解析やmGluR1遺伝子欠損型マウス実験及び嗅球に発現するmGluR1の機能阻害実験の解析から、短い嗅覚入力を持続的な神経活動に変換する神経回路メカニズムが存在することを明らかにした。本研究はこれまで全く未知に等しかった、長時間維持される匂い感覚や情動・行動反応の神経相関と考えられる、哺乳類嗅覚中枢神経系の持続的神経活動の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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