No | 123657 | |
著者(漢字) | 安村,美里 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヤスムラ,ミサト | |
標題(和) | グルタミン酸受容体δ2を介したシグナル伝達機構の解析 | |
標題(洋) | Molecular analysis of glutamate receptor δ2 signaling | |
報告番号 | 123657 | |
報告番号 | 甲23657 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第2966号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 機能生物学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | グルタミン酸受容体(GluR) δ2は小脳プルキンエ細胞特異的に発現し、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスのポストシナプス部位に局在している分子である。GluRδ2欠損マウスの解析から、GluRδ2は平行線維-プルキンエ細胞間のシナプス伝達の長期抑圧 [cerebellar long-term depression (LTD)] 誘発、運動協調、運動学習、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの形成、小脳神経回路網形成に重要な役割を果たしていることが明らかになっている。しかしながら、それらを担うGluRδ2の分子機能及び生理的役割を担う分子機構は不明である。これまでに、アフリカツメガエル卵母細胞や哺乳類細胞を用いた実験からは野生型GluRδ2が機能的チャネルを形成するとの報告は無い。このことから、GluRδ2の伝えるシグナルはチャネルからのイオンシグナルではなく、むしろ分子間の相互作用によるシグナル伝達である可能性が考えられる。現在までに、GluRδ2のC末端細胞質内領域には2ケ所のPDZドメイン結合領域が見出されている。一つは後シナプス肥厚部(PSD)の足場タンパク質Shankが結合するC末端細胞質内領域の中間に位置する領域(S segment)で、もう一つはDelphilin, PTPMEG等のPSD足場タンパク質が結合する最もC末端の部分(T site)である。最近の研究からT siteは小脳LTDの誘発、登上線維支配領域の調整に必須であるが、GluRδ2のシナプス部位への局在、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの形成、幼弱期に見られる余剰な登上線維の除去過程には必須ではないことが明らかとなっている。しかしながら、Shankが結合するS segmentがGluRδ2の分子機能にどのように寄与しているかは全く不明である。そこで、標的遺伝子組換えによりS segmentを欠損させたC57BL/6系統由来のES細胞を用い、S segmentを欠損させたGluRδを持つ遺伝子改変マウス(GluRδ2△Sマウス)を作製した。 GluRδ2△Sタンパク質の発現量を、小脳ホモジネートを用いてウェスタンブロット法により解析したところ、野生型マウスのGluRδ2タンパク質に比べ、23.6%に減少していた。次にGluRδ2△Sタンパク質の細胞内局在を生化学的解析により調べたところ、PSD画分では野生型マウスのGluRδ2タンパク質に比べ、6.6%にまで減少していた。野生型のGluRδ2タンパク質はPSD画分に濃縮して存在していることが以前の研究で報告されている。このことから、GluRδ2△Sタンパク質の減少率が小脳ホモジネートよりもPSD画分で有為に低かったことは、GluRδ2△Sタンパク質が野生型GluRδ2タンパク質に比べ、PSD画分に濃縮していないことを示している。この結果はS segmentがGluRδ2の効率的なシナプス局在に重要であることを示唆している。T siteを欠損させたGluRδ2を持つ遺伝子改変マウス(GluRδ2△Tマウス)では、GluRδ2△Tタンパク質の局在や発現量に変化は見られていない。したがって、S segmentとT siteはGluRδ2のシナプス局在に関して役割が異なることが示唆される。 GluRδ2が欠損すると平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの形成が妨げられ、平行線維終末のアクティブゾーンよりもプルキンエ細胞スパインのPSDの方が長くなるミスマッチシナプスや、PSDは有するが平行線維終末との接触が消失したフリースパインの出現が見られることが報告されている。GluRδ2△Sマウスの平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの構造を電子顕微鏡解析で詳細に調べたところ、ミスマッチシナプスが13.6%、フリースパインが24.7%出現していた。平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの結合はGluRδ2に依存し、シナプス構造は個々のシナプスで発現しているGluRδ2タンパク質の量と相関がある。このことから、GluRδ2△Sマウスでミスマッチシナプスやフリースパインが見られたことは、GluRδ2△Sタンパク質の発現量が減少したことが原因の一端となっていると考えられる。GluRδ2△Sマウスでは、このような平行線維-プルキンエ細胞間シナプス構造の異常は見られず、S segmentとT siteの欠損はそれぞれ異なった効果をもたらすことが示された。 さらにGluRδ2△Sマウスでは、プルキンエ細胞の樹状突起上の登上線維による支配が本来の近位樹上突起から遠位樹上突起にまで及んでおり、登上線維の支配領域の遠位化も起こっていた。これはGluRδ2△Sマウスではフリースパインが出現し、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの数が減ったためであると考えられる。 GluRδ2欠損マウスは重篤な運動失調を示しよろめきながら歩くのに対し、GluRδ2△Sマウスは野生型マウスと変わらない一定の歩幅で直線上を歩くことができた。定速のローターロッド試験では野生型マウスと同様にパフォーマンスの向上が見られた。 本研究では、GluRδ2△Sマウスを用いてGluRδ2のS segmentはGluRδ2のシナプス局在に重要であるが、運動協調には必須ではないことを示した。さらにGluRδ2△Sマウスの解析結果と併せると、S segmentとT siteはGluRδ2の分子機能において異なった役割を担っていることが示された。 第二部では、プロテオミクスによりGluRδ2が担うシグナル伝達機構を解明することを試みた。プロテオミクスは、サンプル中に含まれるタンパク質の機能、細胞の活動における翻訳後修飾の役割、分子間相互作用によるタンパク質の機能の変化等を調べることができる。二次元電気泳動と質量分析を組み合わせたプロテオーム解析法は優れた手法の一つであり、数千種類のタンパク質を再現性よく分離し、視覚的にタンパク質の変動を見ることができる。最近報告された遺伝性プリオン病のモデルマウスを用いた研究では、発達に伴う小脳タンパク質の発現パターンの変化を二次元電気泳動で見ることで、病気の解明につながる可能性を示すタンパク質を同定している。本研究では野生型マウスとGluRδ2欠損マウスの小脳タンパク質を二次元電気泳動で分離し、発現パターンが異なるタンパク質を質量分析することにより、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの形成や小脳LTDの誘発のようなGluRδ2を介したシグナル伝達に関係する分子の同定を試みた。 変性剤を用いて可溶化した小脳タンパク質を二次元電気泳動で分離し、ゲルを染色したところ、野生型マウスでは約750、GluRδ2欠損マウスでは約580のスポットが検出された。これらのスポットのうち、19のスポットで野生型マウスよりもGluRδ2欠損マウスでタンパク質の発現量が減少し、16のスポットで増加していた。発現量に変化が見られた35スポットの中から野生型マウスよりもGluRδ2欠損マウスでタンパク質の発現量が減少していた2スポットを質量分析したところ、coronin 1Aとβ-synucleinと同定された。 Coroninはactin結合タンパク質であり、actinを介した細胞機能の調整に関わっているとされている。Coronin 1AはT細胞でのArp2/3依存的な定常状態のF-actin形成に抑制性の効果を及ぼすことが報告されている。中枢神経系でのCoronin 1Aの機能は全く不明であるが、海馬や大脳のPSD画分にCoronin 1Aが存在するとの報告があり、スパインでのactin骨格の調整に何らかの役割を果たしていることが示唆される。小脳ではGluRδ2を介したシグナル伝達カスケードの下流に位置し、actin細胞骨格を調整することで平行線維-プルキンエ細胞間シナプス形成や小脳LTDに関与している可能性が考えられる。 Synuleinはα,β,γの3種類が存在し、特にα-synucleinはパーキンソン病の原因遺伝子であることが知られている。近年の研究から、α-synucleinはシナプス小胞の生産や貯蔵プールでの維持に必要であることが示唆されている。β-synucleinの分子機能は不明であるが、プレシナプスの終末でα-synucleinと共局在していることから、α-synucleinと同様にシナプス小胞の制御に何らかの機能を有していることが考えられる。したがって、小脳におけるβ-synuclein の発現量の減少が、GluRδ2欠損マウスで見られるようなプレシナプスの伝達物質放出確率の低下やアクティブゾーンの萎縮に関与している可能性が考えられる。 本研究では二次元電気泳動を用いて、野生型マウスとGluRδ2欠損マウスでのタンパク質の発現パターンの違いを調べ、GluRδ2を介したシグナル伝達に関係する分子の同定を試みた。本研究で同定されたタンパク質の減少は、GluRδ2欠損マウスで見られる表現型に関与している可能性があり、プロテオミクスによるシグナル伝達の分子機構の解明は有用な方法であることが示された。シグナル伝達は分子間相互作用と同様に、タンパク質のリン酸化も重要であることが知られている。したがって、タンパク質のリン酸化状態の変動を併せて調べることでGluRδ2を介したシグナル伝達の分子機構の全貌の解明が大きく進展すると期待される。 | |
審査要旨 | 本研究は、小脳平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの可塑性であるLTDの誘発、運動学習、シナプス形成に重要な役割を果たしているグルタミン酸受容体GluRδ2の分子機能と生理的役割を担う分子機構を明らかにする目的で、GluRδ2のPDZ結合領域欠損マウスの作製及び解析とGluRδ2欠損マウスのプロテオーム解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。 1. 標的遺伝子組換えにより、細胞質内の中間領域に存在するPDZ結合領域であるS segmentを欠損させたC57BL/6系統由来のES細胞を用い、S segmentを欠損させたGluRδ2を持つ遺伝子改変マウス(GluRδ2△Sマウス)を作製した。 2. GluRδ2△Sタンパク質の発現量を、小脳ホモジネートを用いて生化学的に解析したところ、野性型マウスのGluRδ2タンパク質に比べて有為に減少していた。 3.GluRδ2△Sタンパク質の細胞内局在を生化学的に解析したところ、PSD画分では野性型マウスのGluRδ2タンパク質よりも有為に減少していた。野性型のGluRδ2タンパク質はPSD画分に濃縮することが知られており、GluRδ2△Sタンパク質の減少率が小脳ホモジネートよりもPSD画分で有為に大きかったことから、S segmentがGluRδ2のシナプス部位への局在に重要であることが示唆された。 4.電子顕微鏡解析で平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの構造を調べた結果、プルキンエ細胞のスパイン密度に変化は見られなかった。しかしながら、GluRδ2欠損マウスで見られるような、平行線維終末のアクティブゾーンよりもプルキンエ細胞スパインのPSDの方が長くなるミスマッチシナプスや、PSDは有するが平行線維終末との接触が消失したフリースパインの出現が観察された。 5. 免疫染色法を用いて、プルキンエ細胞の樹状突起上の登上線維の支配領域を調べたところ、本来の近位樹上突起から遠位樹上突起へと支配領域が拡大していることが示された。 6.GluRδ2△Sマウスは野生型マウスと同様に一定の歩幅で直線上を歩くことができる。また、定速のrotarodテストを行った結果、野生型マウスと比較してperformanceの向上に差が見られないことから、S segmentは運動協調に関与してないことが示唆された。 7. 二次元電気泳動法を用いて、野生型マウスとGluRδ2欠損マウスの小脳タンパク質の発現パターンの比較を行った。再現性よく分離し、GluRδ2欠損マウスで有為に発現量の増減が見られたものに関して質量分析を行い、タンパク質を同定した。 以上、本研究はGluRδ2のS segmentを欠損させたマウスの解析から、S segmentがGluRδ2の効率的なシナプス局在に重要な役割を果たしているが、運動協調には関与していないことを明らかにした。もうひとつのPDZ結合領域であるT siteの解析報告と合わせると、2つのPDZ結合領域はGluRδ2が果たす多様な分子機能において異なった役割を果たしていることが明らかとなった。また、プロテオーム解析で同定されたタンパク質の減少はGluRδ2欠損マウスで見られる表現型に関与している可能性があり、シグナル伝達機構の解明にプロテオーム解析が有用であることを示唆している。本研究はGluRδ2の分子機能と生理的役割を担う分子機構の解明に大きく貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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