学位論文要旨



No 123661
著者(漢字) 国田,朱子
著者(英字)
著者(カナ) クニタ,アキコ
標題(和) 癌転移形成に関与する血小板凝集因子Aggrusの機能解析
標題(洋)
報告番号 123661
報告番号 甲23661
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3000号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 准教授 石井,聡
 東京大学 特任准教授 後藤,典子
 東京大学 講師 宇於崎,宏
内容要旨 要旨を表示する

癌の血行性転移において、癌細胞は血流中で血小板凝集を誘導し凝集塊を形成することが知られている。癌細胞による血小板凝集は微小血管内における癌細胞の塞栓形成を誘導し、転移形成において重要な働きをしていると考えられている。実際、いくつかの血小板凝集阻害剤は癌転移を阻害することが報告されている。しかしこれまでに、癌細胞表面上に発現し、血小板凝集を誘導する因子の同定はなされていなかった。そこで本研究では、癌細胞膜表面上に発現する血小板凝集因子"Aggrus"の同定およびその機能解析および腫瘍組織における発現と骨肉腫の肺転移における役割について解析を行なった。

マウス結腸癌細胞colon26より樹立されたNL-17細胞は強い血小板凝集能を持ち、尾静脈移植による実験的転移モデル系において、高頻度に肺に転移する。一方低転移株NL-14細胞は血小板凝集能が低く、転移能も低い。NL-17 細胞による血小板凝集は、NL-17細胞を免疫することにより得られたラットモノクローナル抗体である8F11抗体添加により顕著に抑制される。さらに8F11抗体は、NL-17細胞による肺転移を抑制する。8F11抗体は、NL-17細胞表面に発現している44kDaの糖タンパク質 ("Aggrus"と命名)を認識しており、8F11抗体カラムを用いてAggrusを精製し、Aggrus分子の血小板凝集誘導活性を検討したところ、濃度依存的に血小板凝集が誘導された。さらに精製Aggrus依存的な血小板凝集反応は8F11抗体添加によって阻害された。したがってAggrusは癌細胞表面で発現し、転移形成に関与する血小板凝集因子であると考えられた。

AggrusはO-結合型の糖鎖が多く付加された糖タンパク質であり、分子量およびその発現パターンの類似性からI型肺胞上皮細胞で発現しているT1αまたはリンパ管マーカーとして知られるpodoplaninと同一である可能性が考えられた。そこでT1αの全長遺伝子をNL-17細胞よりRT-PCR法を用いてクローニングし、CHO細胞に発現させた。ウェスタンブロッティングにより、8F11抗体はCHO細胞のT1α導入株に反応するが、親株又は空ベクター導入のCHO細胞には反応しないことが確認された。さらに、T1α遺伝子に対するsiRNAをデザインしてNL-17細胞に導入したところ、Aggrusの発現が抑制された。したがってAggrusはT1α/podoplaninと同一の分子であることが同定された。

次にAggrusの血小板凝集能について検討したところ、CHO細胞のマウスaggrus遺伝子導入株はマウスおよびヒト血小板を凝集させた。さらに、この血小板凝集は、抗マウスAggrus抗体(8F11)添加により抑制された。そこで、ヒトaggrus遺伝子をクローニングし、同様に検討した結果、ヒトとマウス間でのホモロジーは低い(39%のアミノ酸相同性)にも関わらず、ヒトaggrus遺伝子導入CHO細胞はマウスおよびヒトの血小板を凝集させた。これらの結果から、マウスおよびヒトAggrusには血小板凝集誘導活性があることが示唆された。

次に、血小板凝集活性部位を同定することを目的として、まず8F11抗体の認識部位の検討を行なった。いくつかのマウスaggrus欠失変異体および点変異体を作製し、各々について8F11抗体の認識能をウェスタンブロッティングにより検討した。その結果、39番目から44番目のアミノ酸配列:DGMVPPが8F11抗体の認識部位であることを同定した。そこでこの認識部位内の41番目のMetをAlaに置換した変異体(M41A)をCHO細胞に導入し、血小板凝集活性を検討した。その結果予想外に、CHO/M41Aは野生型aggrus導入株と同様な血小板凝集誘導活性を示した。したがって、8F11抗体の認識部位は、直接血小板との結合には関与していないと考えられた。当研究室のこれまでの研究により、AggrusはO-結合型の糖鎖が多く付加されており、Aggrusに付加されているシアル酸がNL-17細胞による血小板凝集や肺転移に重要な役割を果たすことが示唆されていた。そこで、8F11抗体は認識部位周辺の糖鎖を立体的に障害することによりAggrusの血小板凝集活性を失わせているのではないかと考え、抗体認識部位周辺のO-結合型糖鎖が付加されていると想定されるThrをAlaに置換した変異体をいくつか作製し、それらの血小板凝集活性を検討した。その結果34番目のThrをAlaに置換したT34A変異体およびには血小板凝集活性が無いことを見出した。この結果は、34番目のThrに付加した糖鎖が血小板凝集に重要な役割を果たすことを示唆している。Aggrusのヒト、ラット、ドッグホモログでは、マウスの34番目のThrに相当するThrおよびその周辺のアミノ酸残基が高度に保存されている。そこで各ホモログのその部位のThrをAlaに置換した変異体を作製し血小板凝集能を検討したところ、その全てで血小板凝集活性が失われていた。これらの結果は、34番目のThr周辺のEDXXVTPG (TのO-結合型糖鎖が活性中心、Xは任意のアミノ酸)がAggrusの血小板凝集誘導活性に重要であることを意味しており、このドメインをPLAG (platelet aggregation-stimulating) domainと命名した。AggrusにはPLAG domainが3カ所あり、ヒトAggrusの52番目のThrをAlaに置換したT52A変異体は、血小板凝集活性が失われていた。

次に、Aggrusの癌転移形成への関与についてマウス尾静脈移植モデルおよび皮下移植モデルによる検討を行なった。CHO細胞のヒトaggrus遺伝子発現株(CHO/WT-Aggrus)をヌードマウスの尾静脈に移植したところ、肺転移結節が多数認められた。一方mock株(CHO/control)および血小板凝集活性のないPLAG domainの34番目のThrをAlaに置換した変異体(T34A)および52番目のThrをAlaに置換した変異体(T52A)では、肺転移結節はほとんど認められなかった。これらの結果は、Aggrusが血小板凝集を介して癌の転移形成に重要な役割を果たすことを示唆している。また、CHO/WT-Aggrus尾静脈移植マウスの生存率はCHO/control移植マウスより有意に低く、Aggrusの発現が予後不良マーカーになる可能性が示唆された。さらにAggrusにより誘導される転移に血小板凝集が関与していることを証明するため、抗血小板薬として汎用されているアスピリンを投与したマウスのAggrusによる転移形成能について検討した結果、アスピリン投与マウスはPBS投与マウスと比較して有意に肺転移結節数が少なかった。これらの結果からAggrusは血小板凝集を介して転移を誘導することが明らかとなった。また、CHO/WT-AggrusおよびCHO/controlをヌードマウスの皮下に移植し、腫瘍の増殖能および肺転移能について検討したところ、増殖能に有意差は認められなかったが、CHO/WT-Aggrus移植マウスではCHO/control移植マウスよりも有意に多い肺転移結節が認められた。Aggrusの発現はin vitroの細胞増殖にも影響を与えなかったことから、Aggrusは細胞増殖には影響を与えず転移形成を誘導することがあきらかとなった。

さらに、ヒトの癌組織におけるaggrus遺伝子の発現をCancer Profiling Arrayを用いて検討したところ、肺扁平上皮癌において、有意にAggrusの発現が上昇しているが肺腺癌では発現がみられないことが確認され、Aggrusは組織特異的発現を示すことが示唆された。Aggrusを発現するヒト肺扁平癌細胞株H226を用いてその血小板凝集能を検討したところ、H226は血小板凝集活性が認められた。さらに、H226による血小板凝集活性は、aggrus ノックダウンにより抑制された。したがって、肺癌で発現するAggrusは血小板凝集因子として機能することが示された。さらに各種軟部肉腫におけるAggrusの発現をTissue Micro Array (TMA)を用いて検討した結果、特に滑膜肉腫およびユーイング肉腫において高発現が認められた。

次に骨肉腫の肺転移形成におけるAggrusの役割について検討した。骨肉腫細胞株は高い血小板凝集活性を有すことが知られている。また、骨肉腫は高率に肺転移を来す。そこで骨肉腫の肺転移形成におけるAggrusの関与について検討した。マウス骨肉腫細胞株DunnのヒトAggrus恒常的発現株(Dunn/hAGR)を作製し、血小板凝集能および増殖能、および遊走能について解析した。その結果Dunn/hAGRは血小板凝集活性を有し、その活性の強さはAggrusの発現量に依存的であることが確認された。またAggrusの発現は骨肉腫細胞の増殖能に影響を与えなかったが、細胞遊走能を亢進させた。さらにAggrusを内在性に発現するU2-OS細胞による細胞遊走能は抗Aggrus抗体(NZ-1)添加により有意に抑制された。また、骨肉腫組織におけるAggrusの発現についてReal-time PCR、ウェスタンブロット、免疫組織染色により検討した。その結果骨肉腫組織ではAggrus発現が認められ、その発現量は肺転移で発現が亢進していた。

マウス骨肉腫モデルであるc-fosトランスジェニックマウスにより形成される骨肉腫においてもAggrusの発現亢進が認められた。マウス骨芽細胞株MC3T3-E1にc-Fosを過剰発現させるとAggrusの発現が上昇することが確認された。またこの細胞にTGF-βを添加するとAggrusの発現が上昇することが確認され、c-FosおよびTGF-βがAggrusの上流分子であることが示唆された。

さらに分子標的としてのAggrusの可能性について抗Aggrus抗体(NZ-1)を用いて検討した。CHO/WT-Aggrusにより誘導される実験転移は抗Aggrus抗体投与により抑制された。しかも抗Aggrus抗体は5μgと低濃度の場合にも有意に転移抑制が認められた。さらに抗Aggrus抗体のF(ab')2のみでもAggrusによる転移が抑制された。今後はF(ab') 2に抗がん剤を結合させてさらに抗腫瘍効果が認められないか検討し、臨床応用を目指したい。

以上の結果から、Aggrusは癌細胞により誘導される血小板凝集因子であり、血小板凝集を介して癌の転移形成を誘導することが示された。また、肺扁平上皮癌や骨肉腫においてAggrusの発現上昇が認められた。今後、さらに癌転移形成におけるAggrusの血小板凝集機構について研究を進め、Aggrusを標的とした癌転移の抑制剤の開発に取り組みたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は転移形成に重要な役割を果たすと考えられる血小板凝集因子Aggrusの同定およびその腫瘍組織での発現について検討したものである。

Aggrusは、I型肺胞上皮細胞のマーカーであるT1αまたはリンパ管マーカーであるpodoplaninとして知られている分子と同一であった。AggrusをクローニングしCHOに発現させると血小板凝集誘導活性がみられた。また、Aggrusの血小板凝集活性部位(PLAG domain)を同定した。CHO/WT-Aggrusは実験転移および自然転移を誘導した。また、CHO/WT-Aggrusにより誘導される実験転移能は血小板凝集活性のないT34AおよびT52A変異体では抑制されていたこと、またアスピリン投与によりCHO/WT-Aggrusによる実験転移が抑制されたことからAggrusは血小板凝集を介して転移形成を誘導することが明らかとなった。また、CHO/WT-Aggrus尾静脈移植マウスはCHO/control移植マウスと比較して生存率が低く、Aggrusの発現が担癌個体の生命予後不良のマーカーとなる可能性も示唆された。

Aggrusはin vivoにおいて血小板凝集活性を有することを、蛍光ラベルしたCHO/WT-Aggrus細胞をマウス尾静脈移植し、30分後の肺組織を抗血小板抗体(CD41)で蛍光染色することにより証明した。また細胞移植後30分後および6時間後の肺でトラップされた細胞数はCHO/WT-Aggrus細胞移植群の方がCHO/control細胞移植群よりも有意に多かったことからAggrusは転移プロセスの初期過程、血中での腫瘍細胞の生存に重要であることが示された。

Aggrusは肺扁平上皮癌で発現上昇が認められたが、肺腺がんでの発現は認められず、組織型特異的に発現すると考えられた。肺扁平上皮癌細胞株H226においてAggrusの発現が認められた。さらにH226は血小板凝集誘導活性を有していたが、aggrus siRNA導入により凝集活性が低下した。つまりH226により誘導される血小板凝集にAggrusが重要な役割を果たすことが示された。大腸癌においてAggrusはRNAレベルで発現上昇が認められたが、これはリンパ管における発現であり癌細胞ではAggrusの発現は認められなかった。つまり大腸癌組織においてはリンパ管の増生が認められた。大腸癌におけるリンパ管の増生とリンパ節転移に相関がみられるか、あるいはAggrusの発現と大腸癌の予後相関などに関して、今後検討したい。

骨肉腫は高率に肺転移を来し、また骨肉腫細胞株では血小板凝集活性が高いことが報告されていたことから、骨肉腫の肺転移にAggrusが関係している可能性を考えた。そこでAggrus恒常的発現骨肉腫細胞を樹立し特性解析を行った結果、Aggrusは骨肉腫細胞の細胞遊走能を亢進させることが明らかとなった。さらに抗Aggrus抗体によりAggrusを内在性に発現する骨肉腫細胞株U2-OSの細胞遊走能は抑制された。

分子標的としてのAggrusの可能性についても検討した。CHO/WT-Aggrusにより誘導される肺転移は抗Aggrus抗体(NZ-1)投与により有意に抑制された。また、NZ-1をペプシンで処理しFcフラグメントを分解したF(ab')2によっても抗転移効果が認められた。

本論文は血行性転移に関与する血小板凝集因子Aggrusの同定および腫瘍組織での発現について検討し、Aggrusが骨肉腫の悪性度に関与する可能性が示唆された。またAggrusの上流分子についての同定も試みており、これまで未知に等しかった転移形成における血小板凝集機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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